ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」から抜粋 その2

さもあらばあれ 農奴の妻のものがたりを われらはおもいついた 話そうために すばらしいスラヴ女の型というものが 今もなお みつけ出せるということを。 ロシヤの農村(むら)には女がいる しとやかできりりとした顔かたち たおやかで 力づよいものごし 歩きぶりも 眼ざしも 女王のような! 盲なら気づきもすまい 眼あきなら…
コメント:0

続きを読むread more

金沢紀行 その14  金沢城石垣巡りを終える 

 ここは土橋門石垣である。  土橋門を説明する立札が立っていたので掲載する。  この石垣は「切り石積み」の技術が用いられ、石垣に組み込まれた六角形の石は亀甲石で、水に親しむ亀を表していて、防火の願いが込められていた。   ここは数寄屋敷石垣である。 この付近は数寄屋といわれ、藩主の側室たちの住まいがあったところである。  石積み…
コメント:0

続きを読むread more

探検家の歴史 第4部 その2 最上徳内(今世紀における最も卓越した探検家)

 最上徳内はシーボルトに、「尊敬すべき老人」「尊敬すべき老友」で「今世紀における最も卓越した探検家」と高く評価された北方探検家である。  徳内は1754年、出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)に生まれ、1836年10月14日に、82歳で亡くなっている。  実家は貧しい普通の農家であったが、農業のかたわらた…
コメント:0

続きを読むread more