旅人かへらず 西脇順三郎

旅人かへらず  1節(冒頭節)旅人は待てよこのかすかな泉に舌を濡らす前に考へよ人生の旅人汝もまた岩間からしみ出た水霊にすぎないこの考へる水も永劫には流れない永劫の或時にひからびるああかけすが鳴いてやかましい時々この水の中から花をかざした幻影の人が出る永遠の生命を求めるは夢流れ去る生命のせせらぎに思ひを捨て遂に永劫の断崖より落ちて消え失…
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天塩川の旅 その3 いざ、源流へ!!

 士別駅から道道61号「士別滝上線」を南東の方角に5km程進んだところで天塩川を渡って北岸に出るが、その辺りの川の様子である。  8月末からの、日本中を巻き込んでいる豪雨の影響は北海道最北の大河「天塩川」上・源流地帯でも同じで、台風15号の直撃を受ければこの天塩川も簡単に決壊しそうなかなりな水位に見えた。  北海道の道は本州の道…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その29 七里ガ浜でサーファーに驚く

稲村ヶ崎を終え、再び江ノ電に乗った。 江ノ電は2両編成で、車内の風景はこんな感じである。 車内には江ノ電カレンダーの宣伝ポスターが掲げられていて、このポスターを江ノ島の旅の終わりに1300円出して買ってしまったが、そのポスターはブログを書いている机の目の前に下げられている。 また鎌倉高校前駅を舞台に、「江ノ電で、会いに…
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奈良散歩 その38 唐招提寺講堂 

戒壇の横を歩いているが、まだ紅葉には早そうである。  薬師寺と比較するのは適当でないと思うが、唐招提寺は草木の中に寺が配置されているという風で、歩いていても気分が高揚してくる。  ここから緑豊かな唐招提寺の境内の小道を、講堂に向かって歩いていく。  正面に鐘楼が見えるが、ここを右に迂回して講堂の前まで進んで行く。 日本にやっと…
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サロベツ川 その4  最初のキャスト!!

 音類橋はサロベツ川下流部に架かる橋、釣り場案内の①のポイント。  このポイントを神様神川竜一にすがって釣る。  彼の初心者でも三日以内にイトウをキャッチする方法どおり、イトウにアタックする。  タックル装備は1. ロッド(1.7~1.9mのミディアムライト、ライト、ミディアムのロッド)     僕の場合は、2.7mミディアムのロッ…
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間宮林蔵の見たギリヤクの性生活

3.性 生 活  林蔵はギリヤクの性生活が自由であり,女性が色気たっぷりであることを指摘している。たとえば,ギリヤクの女性は「其情蝦夷島女夷と大に異にして,相識ラさる人といへ共能馴泥し,言語通ぜざれば其云処瞭然ならずといへ共,時気寒暖の応接などなし,いかにも娩情妖態多ク,男子に接するのさま親意殊に深しと云」。この引用文の末尾に「と云」と…
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越前と若狭の旅 その3 三国湊散策は高見順の生家から

古来より三国湊は九頭竜川やその支流の足羽川などを使った水運による物流の拠点として発達し、戦国時代の武将朝倉義景が居城を構えた一乗谷朝倉氏遺跡内の庭園跡には、船によって運ばれてきた東尋坊周辺の岩が庭石として残っている。 また、朝倉氏の後福井を治めた柴田勝家も水運を重視し、足羽川近くに居城北の庄城を構え、荷揚げ用の港を設けていた。 江戸…
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探険家の歴史 第1部 その4 南極に魅せられた探検家たち-奇跡の全員生還

 求む男子、至難の旅。わずかな報酬、極寒、暗黒の日々、絶えざる危険、生還の保障なし。  成功の暁には名誉と賞賛を得る。  これは南極探検隊員を募るシャクルトンの求人広告である。  アーネスト・シャクルトン(Sir Ernest Henry Shackleton ,1874年2月2日 - 1922年1月5…
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感動する論語 師と弟子 「孔門十哲」など

 師  人が3人以上で行動した場合、その中に自分の師となる者を必ず見つけられるもんだよ。  優れた者はもちろんお手本になるだろう。  劣ったものに関しては、その行動を真似しないように心がければ、これもりっぱにお手本になるじゃないか。  友達の悪に染まったなどというのは、とんだ言い逃れだよ。  弟子  思えば、私の弟子…
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近江街道をゆく その20 寝物語の里にて

 ビジネスホテルウェルネスから中山道を岐阜県境の方向に1時間ほど走ると、滋賀県と岐阜県の間に長久寺という集落がある。  上地図の黄矢印の地点に寝物語の里があるというので、東海道本線の踏切を越えて村中の道を美濃(岐阜県)の方向に進んでいった。  寝物語の里の由来だが、国境の小さな溝を隔てて美濃側の旅籠「両国屋」と、近江側の旅籠「亀…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その37 世界遺産の昌徳宮を見学 その2

 敦化門傍で周ガイドから景福宮や昌徳宮など4宮の概略を聞いた後、周ガイドに続いて錦川橋方向へ向かった。 国王が儀式を執り行ったり執務をしたりする建物へ行くには、錦川橋を渡らなければ行けない。  錦川橋は大韓民国最古の橋とされていて、こんなアーチ型の橋。この下には水のない川が造られていて、橋の下には石造りの亀までいた。(偶然ビデオカメラに…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第23回はグルジア(ジョージア)

 タシケントからコーカサス最初の訪問地となるグルジア共和国のトビリシまでは、約3時間の飛行だった。  時差が2時間あるので、トビリシには午前7時過ぎに到着したようである。  黒海とカスピ海の間の南コーカサスの国であるグルジアの首都であるトビリシと、アルメニアの首都であるエレバンは、僕のソ連旅行中で最も印象の深い都市となった。 …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その28 稲村ヶ崎と新田義貞の鎌倉攻め

 鎌倉ものがたりと横須賀ストーリーの旅も4日目となり、今日は「鎌倉ものがたり」最後の日で、江ノ電に乗り江ノ島まで行く。 計画は上記のとおりであるが、雨天となってしまったのでこの計画がどうなるかはまったくわからない。 この日の朝食は、素泊まり1泊8500円のホテルニューカマクラの部屋の中で、コンビニで買った納豆巻とハムとおにぎりと…
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奈良散歩 その37 唐招提寺戒壇 

  これから金堂を離れて戒壇まで歩いて行く。  唐招提寺戒壇は、唐招提寺境内の西の端と言える位置にあり、蓮などが美しい自然豊かな環境の一角に広々とした空間を持つ仏教施設である。戒壇とは仏教用語で、戒律を授ける(授戒)ための場所を指している。 戒壇は戒律を受けるための結界が常に整った場所であり、授戒を受けることで出家者が正式な僧尼…
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アメリカの精神的な先住民族「アーミッシュの人々」のこと

 アメリカの先住民族とは言えないが、近代以前の生活洋式を基本として生活するアーミッシュの人々は、現代アメリカ社会の精神的な先住民族集団と言える。 ニューヨークの西、ペンシルベニア州からカナダにいたるまでの20州にわたり、広い範囲に住んでいて、十数万人の人口を持ち、その大多数は農業に従事している。 聖書に書いてある「質素に暮らせ」とい…
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越前と若狭の旅 その2  九頭竜川河口に到着

九頭竜川は福井県の面積の約70%にあたる2,930km²もの流域面積を持つ福井県一の大河にして福井県のシンボルとなっている川である。 岐阜県との県境にある油坂峠付近に源を発し、九頭竜ダムを経て大野盆地・勝山盆地を北西に進み、福井平野にて足羽川と日野川を合わせ、坂井市三国湊で日本海に注いでいる。 ここが三国湊の九頭竜川河口で、20…
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探険家列伝第1部 その3 南極点に魅せられた男たち・・・・男たちの熱き戦い!!

 南極の探検史をひもといてみる。  南極探検の歴史は、20世紀初頭に命を賭けて,残された最後の大陸に挑んだ3人の男たちの存在抜きには語れない。それでは、男たちの勝負の舞台となった南極探検の歴史を調べてみる。 1772~75年 キャプテン・クック(英) 初めて南極探検 (エンデバー号での太平洋の調査等や壊血病をビタミン摂取によっ…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO4

 宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた、ちょうどその人生観が違っていたように。 宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。 新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界に映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。 永劫はこれただ瞬時-涅槃はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すとい…
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近江街道をゆく その19 長浜のビジネスホテルウェルネスに宿泊

 今日の日程は終了し、これから湖西から湖北までの琵琶湖畔をほぼ半周し、今夜宿泊する長浜のビジネスホテルウェルネスまでレンタカーで走っていく。  黄枠で囲った田中王塚古墳から黄星印のホテルウェルネスまで、幾つかのトンネルを潜りながら、琵琶湖畔の黄線の道を進んでいくことになる。 このコースは、走る前からこの旅一番の難関になるだろうと考え…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その36 世界遺産の昌徳宮を見学 その1

 高句麗鍛冶屋村で10月21日(日)の午前中の日程を終えたが、バスに戻ると、窓ガラスに石が当たったのかそれとも誰かに石を投げられたのか、1枚の窓ガラスに細かくヒビが入って危険な状態になっていた。  バスの交換が必要ということで、別のマイクロバスが来るまで30分以上待たされた。阪急旅行社の韓国担当者と携帯で直接やり取りしたり、別の車を頼ん…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その5 宮沢賢治の書いた童話や物語から その4 賢治文学の最高傑作…

賢治の童話の中でも一番有名なものは、「風の又三郎」そして「銀河鉄道の夜」だろう。 今回は「風の又三郎」は省略し、「銀河鉄道の夜」を取り上げる。 「銀河鉄道の夜」は賢治作品中の最も大作と言われ、賢治文学の最高傑作とも称されるもので、簡単な言葉で語ることは出来ない重い作品であると受け留めている。 ジョバンニが夢の中で、友人カンパネルラと死…
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サロベツ川  その3 最初のポイントへ

 2011年9月20日(火)午前6時、天塩町のサンホテルを出発、初めてのイトウ釣りに出発した。  天塩川河口に架かる天塩河口大橋を渡り、ほぼ真北に位置するサロベツ原野を目指し、日本海沿いを北上する。  目指すはサロベツ原野南端に位置する音類橋である。  イトウ釣りは僕の夢の一つで、開高健がモンゴルで2年間に渡ってチャレンジした「モンゴル…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その27 切通し四箇所を歩き、鎌倉五山の全てを歩く

次に建長寺の鎌倉街道を挟んで向かい側に建っている円応寺を見学した。  ここは閻魔大王を本尊としているユニークな寺である。 この寺を出て、鎌倉街道を鶴ケ丘八幡宮の方向に歩いて行く。 鎌倉には山道を行く七つの切通しが整備されていて、その中の一つが巨福呂坂切通し。 巨福呂坂切通は山ノ内(北鎌倉)方面から鶴岡八幡宮へと抜ける坂道で、…
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奈良散歩 その36 唐招提寺到着

薬師寺から次の目的の寺である唐招提寺までは、距離にして1kmもない。  今回の旅はレンタカーでの旅だが、既に遠い思い出となった1998年(平成10年)3月25日午前中に、この二つの大寺を結ぶ道を歩いたことがある。  ほとんど見ることもなくなったが当時の写真が残っていて、二泊三日の奈良の旅の最終日に、バスガイドを先頭に古都の田舎町…
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天塩川の旅 その2 今年は戦後最大の厄年

 この日は9月18日(日)、そしてこの旅最大の難関は台風15号となった。  9月18日午前6時現在で予報された台風の進路であるが、今のところは沖縄に留まり、20日(水)あたりから速度を増して日本列島に近づくとの予報が出た。  僕の旅は9月17日(土)から9月24日(土)までの7泊8日の旅、旅の後半は台風を真正面に迎えての旅とな…
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横井庄一さんのライバル?、南米に今も残っている先住精霊集団「ヤノマミ族」

ヤノマミ族(ヤノマミぞく、ラテン文字:Yanomami)はアマゾンの熱帯雨林やオリノコ川(ブラジルとベネズエラの国境付近、ネグロ川の左岸支流とオリノコ川上流部)にひろく居住している、南米に残った文化変容の度合いが少ない最後の大きな先住民集団である。 狩猟と採集を主な生活手段にしている。「ヤノマミ」とはヤノマミ語で「人間」という意味であ…
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越前と若狭の旅 その1 越国(こしのくに)のことと越前入りまで

 かって越国(こしのくに)と呼ばれた地域があった。(下図の赤く塗られた地域)  現在の福井、石川、富山、新潟の各県にまたがる地域で、ヤマト王権の勢力が十分に及ばない日本海側の地域でありながら、朝鮮半島や大陸からの交通路になっていて、先進文化が栄えていた。  645年の大化の改新の頃までは、越国の西端は若狭国と越前国(…
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探険家の歴史 第1部 その2 北極点を目指した男たち

 人類拡散の歴史を逆方向から辿った関野を1番目に取り上げたが、2番目は北極点を目指した探険家で、西洋人として最初に北極点に到達したロバート・エドウィン・ピアリー、そして日本人からも、河野兵市を紹介する。  北極点探検の歴史は、大航海時代の頃から、探検家の足跡が歴史として残っており、まず、オランダのバレンツあたりからスタ…
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近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。 彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。 第26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。 継体天皇は応神天皇5代の末裔とされているが、これが事実かどうかは判断…
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韓のくにの旅 韓の国の旅 その35 韓国(朝鮮)の祖型はツングース系民族 

 鍛冶屋村では高句麗が主役だったが、ここで高句麗が活躍した古代朝鮮に触れ、朝鮮という地帯を少しでも理解してみたい。  7世紀の大陸と朝鮮半島と日本の政治情勢を見てみると、大陸では随が滅び唐となった。 朝鮮半島では高句麗、百済、新羅の3国が凌ぎを削っていた。 日本は聖徳太子の時代を経て大化の改新へと進んでいく。  朝鮮半島に住む朝鮮…
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ネットで拾ったちょっと笑える話 夫婦喧嘩など

1 夫婦ゲンカのとき、父が母に 「バカモノ!」と言うのを、間違って、「バケモノ!」 と怒鳴ってしまった。  ケンカはさらに ひどくなった。 2 先日、父は、男にフラれて落ち込んでいた姉をなぐさめようとして、  「おまえ、人間は顔じゃないぞ」と言うところを、  「おまえの顔は人間じゃないぞ」と言ってし…
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ジュンチャンと世界を巡る 第22回はウズベキシタン

 ヨーロッパに行く前に、ここからNIS諸国(1991年以前のソ連ならびにその構成共和国であった地域)に入ります。  釣り師は少年時代にソ連を15日間でツアー旅行したことがあり、その中で現在のロシア、ウクライナ、ウズベキシタン、ジョージア(グルジア)、アルメニアの5か国の首都等を旅しましたので、ここからしばらくはその話となります。 …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その26 建長寺の仏殿などを見学

三門の次は仏殿である。 この仏殿も重要文化財で、寄棟造となっており単層裳階が付いている。 もとは芝(東京都港区)の増上寺にあった徳川秀忠夫人崇源院の霊屋で、建て替えに際して1647年に建長寺に移築譲渡された。 仏殿の中に入ると、釈迦仏の本尊が多い禅寺としては珍しく、地蔵菩薩像(室町時代の作、像高2.4メートル)が本尊として…
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奈良散歩 その35 東院堂の観音 

薬師寺の最後に、落ち着いた佇まいの国宝建築である東院堂を見た。 東院堂は、養老年間(717~724)に長屋王の正妃である吉備内親王が母の元明天皇の冥福を祈り建立した。  現在の建物は、正面7間、側面4間の南向き入母屋造本瓦葺として1285年に再建されたが、1733年に西向きに変えられた。  東院堂の中に入る…
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ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」抜粋 その4 

《みるがいい、若い女よ、もっと大胆に 酷寒(マロース)の主がどんなものだか! このわしのように 若者よりも一層力強く、美しい者を おまえは一度でも見ることがあったか? 吹雪も 雪も、また霧も いつも酷寒にはへりくだっている 八重の潮路の大海に行き── そこに氷の宮殿(みや)をたてよう。 わしはおもいきめたのだ──大河…
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金沢紀行 その21 旅の終わり

 宇多須神社脇の急な坂道である子来坂を20mほど登って、坂の途中にある宝泉寺に到着した。 この寺からは、金沢の旧市街地を一望できるということなので、寺内の見所は見ずに、真っ先に金沢の旧市街地を一望できる場所を目指した。  この道を真っすぐに進んだ場所がその展望場所である。  そこからは浅野川沿いの民家や、ひがし…
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探険家列伝第1部 その1 関野吉晴-グレートジャーニーの旅

 今のところ、一番惹かれる探険家は関野吉晴か。  1949年東京生まれ、探険家でありかつ医師でもある関野吉晴。一橋大学法学部卒。 その後社会人になってから、探険家としてやっていく上で医師の資格の必要性を感じ、 横浜市 立大学医学部に入り、卒業後、医師免許を取得。 一橋大学時代に探検部を創設。 アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域…
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角田山浦浜コースの片栗(カタクリ) その2

 浦浜コースは4、なかなか急な登山コース。 途中で何回も休んで登る、この山では中級以上のコース。  この標識の近くに猩々袴(ショウジョウバカマ)発見。 猩々は中国の酒飲みの猿の名で、想像上の生き物。  その猿に、この花を見立てて名づけた。  しかし、今日の主役はあくまでも、群生して一斉に咲き競う 薄紅色のカタクリ…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO3(k)

 第五章において陸羽は茶のたて方について述べている。  彼は塩以外の混合物を取り除いている。 彼はまた、これまで大いに論ぜられていた水の選択、煮沸の程度の問題についても詳述している。 彼の説によると、その水、山水を用うるは上、江水は中、井水は下である。 煮沸に三段ある。 その沸、魚目のごとく、すこし声あるを一沸となし、縁辺の湧泉蓮珠のご…
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近江街道をゆく その17  中江藤樹の藤樹書院に行く

これから日本陽明学の祖で、故郷の近江高島で書院を開き近江聖人と呼ばれた中江藤樹の藤樹書院に行く。 江戸時代人の知的基盤は儒学であり、これを発展させ封建社会の教学となっていたのが朱子学(11世紀に宋の朱熹が大成した教えで、身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その34  高句麗鍛冶屋村を見学その3 太王四神記

太王四神記の導入部は、この檀君神話をモチーフにしている。 はるか昔、地上は火の力を持つカジン率いる虎族に支配されていた。横暴な虎族の支配に心を痛めた神の子桓雄(ファヌン)は地上に降り立ち、人々が平和に暮らす国・チュシン国を創る。しかし、国を奪われたと感じたカジンはチュシンの民を襲う。桓雄は争いをなくすために、カジンから火の力を奪い、熊…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その5 宮沢賢治の書いた童話や物語から その2「グスコーブドリの伝…

「グスコーブドリの伝記」は自己犠牲を扱った物語で、この種の物語のテーマは、「至高の愛=自己を捨てること」による他者の生存ということになる。  よくある例としては、水難事故に会って救命ボートで脱出しないと助からないが、たとえば恋人の男女とか、夫婦とか、親子とかが取り残されている。 一人しか助かるスペースがないので、どちらかは死とい…
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天塩川の旅 その1 士別市まで

 沖縄に長期間停滞し、日本中に水害をもたらした例の台風15号の影響は新日本海フェリーの往路にはまったく関係なく、快適な船旅となった。  僕は去年と同じく、午前中のビンゴ大会に参加したあと、昼食時には180円の発泡ビールでのほろ酔い気分を楽しみながら、700円のビーフカレーを食べた。  午後からは一等洋室ツインにこもって、テレビで韓ドラを…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その25 鎌倉五山別館で昼食後、建長寺を見学

お昼を過ぎたので、建長寺の前にある鎌倉五山別館で昼食とした。 建長寺はけんちん汁が生まれた寺であり、この店では看板メニューがけんちん汁となっていた。 食べたのはけんちん汁と山菜ご飯がセットされているけんちんセットで値段は1,250円、  サッポロ黒ラベル中瓶が500円で、合わせて1,750円の豪華な昼食となった。  普段…
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奈良散歩 その34 大講堂と食堂 

西塔を出てから、金堂の後ろに建っている大講堂に入った。  大講堂は薬師寺の宗派である法相宗の教え「唯識」を学ぶ場所で、唯識の教主である弥勒如来が大講堂の本尊である。弥勒如来は、弥勒菩薩が釈尊滅後5億7千6百万年のちに悟りを開かれたときの姿である。  中央に弥勒如来、向かって右に法苑林菩薩、左に大妙相菩薩を従える三尊形式となってい…
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サロベツ川 その2 天塩温泉夕映にて

 明日の計画がほぼ決まると、急にお腹が空き出した。  昼めしはカレーパンやコロッケという軽食で済ませており、天塩川河口まで走破するエネルギーに費やされ、何も残っていなかった。  ホテルのママから、近所にある温泉付き宿泊施設である「てしお温泉夕映」を紹介して貰い、風呂に浸かってから食事ということにした。  このてしお温泉夕映は、日本海に沈…
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最強の先住民族 ヤマナ族

最強の先住民族「ヤマナ族」(成人式での姿)  およそ10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスは急速に地球上に拡散、5万年前にはアジア南部,ヨーロッパ,オーストラリアがその居住範囲となり、大型草食獣を追ってアジア大陸を北上していったグループは、2万年前に最後の氷河期に入ると動物と一緒に移動を開始し,海水面が下って陸続きのベーリング…
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金沢紀行 その20 卯辰山山麓まで歩く

 犀川河畔の寺町界隈から、浅野川河畔の浅野川大橋近辺にある立花北枝宅跡へ行った。 北枝は江戸中期の俳人で蕉門十哲の一人である。 通称研屋源四郎と言われて、初め貞門に俳諧を習ったのち、おくのほそ道の旅で金沢に来訪した芭蕉に入門し、芭蕉の教えをかきとめた山中問答を著した。  北枝はその居を転々としており、旧観音町(現・東山)に…
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探検家の歴史 第4部 その9  一畳敷の松浦武四郎

 探検家列伝第四部は18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げたが、その最後として蝦夷地を探査し北海道という名を考案した松浦武四郎を取り上げる。  武四郎は19世紀初頭の1818年に誕生し、ほぼ19世紀を生き1888に没した、幕末から明治にかけての探検家である。  彼は伊勢国一志郡須川村(現…
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角田山浦浜コースの片栗(カタクリ)

 片栗の名所は色々あるが、浦浜コース(角田山登山道)の片栗もなかなかである。  登山道のあちこちで、4月半ばまで可憐な花を咲かせる。  低山登山もいいが、こういうスプリング・エフェメラル(早春に、あっという間に咲き、あっという間に散る花のこと)に出会うのはもっと楽しい。  薄紅色の片栗を周辺に置いて、白いヒトリシズカが…
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「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎の伝えたかったこと

 1996年に亡くなった司馬遼太郎さんが21世紀に生きる子供たちへ向けて書いた文章です。  子供向けの文章ですが、子供たちにどうあってほしいか、どのような社会であってほしいかを、考えさせられます。 「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎  私は歴史小説を書いてきた。  もともと歴史が好きなのである。両親を愛する…
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近江街道をゆく その16  継体関連の鴨稲荷山古墳を見学

これから継体天皇の先祖の血を訪ねる旅に出るが、その場所は近江高島市である。 高島市内には、364を数える「埋蔵文化財」が存在しているが、その中に継体天皇関連遺跡も沢山含まれている。 ここ高島は、現天皇家の直接の祖先でヤマト王権の主要な血ともなった継体天皇の祖先や、その妃となった人々の住んでいた地である。  継体天皇関連遺跡だけでも…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その33  高句麗鍛冶屋村を見学その2 檀君神話

村を見学しながら、太王四神記の話を進めていこう。物語の主人公であるタムドクという人物は、檀君神話から発想が出ている。檀君神話については歴史認識問題ということで諸説が流れているので、学問的に解釈したということで、島根大学外国語教育センターの関連記事から借用する。 太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。桓…
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ネットで拾った「ほんのちょっぴり笑える話」

 昔々、あるところに、竹取の翁というお爺さんがが住んでいました。  ある日、お爺さんは竹を取りに近くの藪へと出かけました。すると一本の竹があかるく光っているではありませんか。  お爺さんは、おそるおそる、その竹を切ってみました。  すると、中からそれはそれは可愛い女の子が出てきましたとさ。  お爺さんは、その女の子を家に連れ…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その24 長寿禅寺に立ち寄り亀ヶ谷坂切通しを歩く

明月院の次に、予定になかった長寿禅寺に立ち寄った。 この寺は臨済宗建長寺塔頭寺院で、いただいたパンフレットによると、1336年に足利尊氏邸跡に創建され、諸山第一位の列に定められた。 尊氏没後、初代鎌倉公方足利基氏が父尊氏の菩提を弔うために七堂伽藍を備えた堂宇を建立した。  足利尊氏ゆかりの寺ということで、庭も建物もなかなか…
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奈良散歩 その33 薬師寺西塔

これから薬師寺西塔に入る。   西塔は金堂の南側に、有名な東塔と並ぶ形で建つ仏塔である。塔は東塔と同じく六重の塔に見えるような外観となっているが、裳階と呼ばれる装飾性の強い屋根が設けられているためで、実際には三重塔である。 西塔は現在のように東塔と並ぶ形で建っていたが、1528年に兵火により焼失してからは長らく再建されずにいたが…
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ロシアのアネクドート傑作集から その10 ロシア(ソ連)の話

その1 アメリカに追いつくのはいいが、追い越すのはマズいのかもしれない。 なぜ? 追い越すと、ズボンが破れているのを見られるかもしれないからだ。 その2 レーニンはロシアという荒地に木を植えて森にした。 スターリンは森からはみだした木を刈って林にした。 フルシチョフは林にしたスターリンに文句を言った。 …
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金沢紀行 その19 松玄庵跡と願念寺の一笑塚を見て回る。

 寺町界隈では、松玄庵跡と願念寺の一笑塚を見て回る。  まず、犀川河畔に近い松玄庵跡を探した。  この場所は、「松尾芭蕉と城下町金沢」というタイトルのパンフレットに松玄庵跡の写真が載っていたので、その写真を手掛かりに10分程この辺りをうろうろしたり通りがかりの人に聞いたりして、ようやく探し出した場所である。  この写真はパンフレッ…
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探検家列伝第4部 その8 伊能忠敬その3(「大日本沿海輿地全図」まで)

 第六次測量(1808年~四国)のため、1月25日に江戸を出発。  前回は約2年にわたる測量で風紀に問題が起きた為、忠敬は第六次測量を四国だけにとどめ、淡路島を経由して3月21日に鳴門から徳島に入り、南下して4月21日に室戸岬到着、29日に高知に入った。  続いて海岸線に沿って北上し、8月11日に愛媛・松山到着、瀬戸…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO2

 四、五世紀のころには、揚子江流域住民の愛好飲料となった。 このころに至って始めて、現代用いている「茶」という表意文字が造られたのである。 これは明らかに、古い「た」の字(木余)の俗字であろう。 南朝の詩人は「液体硬玉の泡沫」を熱烈に柴拝した跡が見えている。 また帝王は、高官の者の勲功に対して上製の茶を贈与したものである。 しかし、この…
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近江街道をゆく その15 北小松と白鬚神社を歩く

司馬遼太郎が「街道をゆく」で訪れた数多くの町、集落、土地の中で、最初の訪問地の地となったのが滋賀県大津市小松(当時は滋賀県滋賀郡志賀町小松)で、実際に訪れたところが北小松漁港である。 司馬の街道をゆくには、北小松の小松が高麗津だったかもしれないと、ここにも朝鮮半島の痕跡の地名を想像している。 僕の旅では北小松港には立ち寄らなかったが…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その32  高句麗鍛冶屋村を見学その1

ソウルの北東に位置する「シェラトングランデウォーカーヒルホテル」のすぐ裏に、九里(クリ)市が運営している「高句麗鍛冶屋村(韓国語:テジャンガンマウル)」がある。ペ・ヨンジュン主演ドラマ「太王四神記」や「快刀ホンギルドン」、「シークレット・ガーデン」、「善徳女王」、「風の国」の撮影地として有名。2008年4月25日に開館。もともと九里(ク…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その5 宮沢賢治の書いた童話や物語から その1「注文の多い料理店」…

イーハトーブ館の後に童話村へ行ったが、ここではその話は省略し、それに替えて宮沢賢治の童話や物語の幾つかを紹介する。 宮沢賢治の書いた童話や物語を思いつくままに列挙してみると、「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「虔十公園林」「「グスコーブドリの伝記」「よだかの星」「やまなし」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「どんぐりと山ねこ」「シグ…
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旅人かへらず 西脇順三郎

旅人かへらず /1節(冒頭節)旅人は待てよこのかすかな泉に舌を濡らす前に考へよ人生の旅人汝もまた岩間からしみ出た水霊にすぎないこの考へる水も永劫には流れない永劫の或時にひからびるああかけすが鳴いてやかましい時々この水の中から花をかざした幻影の人が出る永遠の生命を求めるは夢流れ去る生命のせせらぎに思ひを捨て遂に永劫の断崖より落ちて消え失せ…
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天塩川の旅 その1 イトウ釣りの旅

 イトウ釣りは僕の少年の頃からの夢の一つで、開高健がモンゴルで2年間に渡ってチャレンジした「モンゴル大紀行」のビデオを、これまでに何十回見たことだろう。  北海道にもイトウはいる。道東も有名な川があるがめったに釣れないらしく、ネット情報では道北の川がいいという。  その川が天塩川の支流である「サロベツ川」なのである。  サロベ…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その23 明月院を歩く

鎌倉五山第4位の浄智寺の次は、午前中の最後となった明月院ブルーとよばれる紫陽花で有名な明月院である。 寺までの道中が田舎道で、道路脇の川の流れの音や11月7日というのに季節外れのような鈴虫が鳴いていて、野鳥の鳴き声も聞こえてきて、自然の発する音に癒されながらの散策となった。 ふと左方を見ると、ちょうど紅葉して枯れた1枚の葉が木か…
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奈良散歩 その32 すゐえんの あまつをとめ 

東塔があまりにも有名なので、薬師寺は東塔からスタートしたが、ここで薬師寺の歴史等についてふれていく。 薬師寺は680年に天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願、飛鳥の藤原京の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転した。 薬師寺は興福寺とともに法相宗…
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サロベツ川 その1 イトウ釣りの旅の始まり

 イトウ釣りの基地となるホテルへは午後4時頃に入った。  北海道天塩郡天塩町のビジネスホテルであるサンホテルである。 住所は、北海道天塩郡天塩町新栄通1丁目2759-1。  バス・トイレ付きの部屋は出来てから幾らも経ってない様子で小奇麗だった。  素泊まりで1室4500円という料金は、妥当なところだろう。  ホテルのオバサン(…
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ロシアのアネクドート傑作集から その9 ロシア(ソ連)の話

その1 Q.森の中で大きなクマに出会ったら、ロシア人はどうするか? A.うしろに並びます。 その2 「あなたの父は?」 「共産党です」 「あなたの母は?」 「祖国ソヴィエトです」 「では、あなたのなりたいものは?」 「孤児です」 その3 …
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金沢紀行 その18  「松尾芭蕉と城下町金沢」の旅の始まり

2017年5月22日(月)から2017年5月24日(水)までの2泊3日の金沢の旅の、今日は最終日である。 旅の初日の夜のテレビで、「松尾芭蕉と城下町金沢」というタイトルのパンフレットが金沢市から出ていることを知り、急きょ3日目の日程を変更した。 今日の日程は従って、金沢での芭…
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探検家の歴史 第4部 その7 伊能忠敬その2(第5次測量まで)

 ここで第1次測量から第10次測量までを一覧表で見てみる。  最初は忠敬一家(息子、弟子、下男、人足)程度の規模の測量で測量費用も自腹だったが、第三次測量(1802年~東北日本海側)からは測量地の藩の協力が得られ、手当も支給されて収支トントンに近づいた。  第五次測量(1805年-1806年~近畿・中国地方)からは幕府直…
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ネットで拾った、死ぬほど笑える話

ある日、上司が髪の毛を短く切ってきました。 それを見た同僚のS君が、自分の頭を指さして 「頭、行ったの?」を上司用に尊敬語に変換して言いました。 「あたまいかれたんですか?」 僕は、笑いをこらえることができず、トイレに駆け込んで、死ぬ程笑いました。
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感動する論語 わたしは人を物知りにさせるのが好きなんだよ

 人から知識を教わるだけでなく自分の頭を使って考えなければ、本当に理解したとは言えないし、かといって、自分ひとりで考えて満足していると独断に陥っちまう。  両者の兼ね合いが何とも難しいポイントだよ。  わたしは、若い頃に丸一日食事もとらずに思索し続けたことがあるんだよ。  いやあ、フラフラになったが、それ以上考えを…
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近江街道をゆく その14  「楽浪の志賀」路へドライブ開始

11月3日(木)、4日目の朝となった。 3日間寝泊まりしたこの部屋と、名残惜しいが今朝でお別れである。 化物たちが宴会でもしているような感じがしたのは最初の一日だけで、他の日は恨んでいるような感じの妖怪が常時取り付いているようだったが、極端な悪さはしなかった。 ホテルの食堂で、見た目が良くて味もなかなかの朝食を済ま…
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韓の国の旅 その31 周ガイドが語る大統領汚職と光州事件

 バスの中では例によって周ガイドの一人舞台となった。周ガイドはここで、イ・ミョンバク大統領の汚職と光州事件について話した。 イ・ミョンバク政権はもうガタガタで、イ大統領の近親、側近、政府高官が続々と汚職で逮捕され、次男は既に刑務所入り。イ・ミョンバクは政権の長くないことを知っていて、長男名義で莫大な財産の隠蔽を企てているなどなど、スゴイ…
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ネットで拾った「おしょくじけん」

A君 「中国では汚職事件が多いんだってな」  B君 「へェ~、そうなんだ。行ってみたいな」  A君 「・・・・・?」  B君 「たくさん食べれるんだろ?」  A君 「何が?」  B君 「食事券でさ」  A君 「・・・・、お食事券じゃないよ。汚職事件だよ」
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第21回はトルコ

 今回は、「トルコ行進曲」で名高い「トルコ」をとりあげます。  トルコ人の祖型であるトルコ系諸民族は、古くは内陸アジアのアルタイ山脈周辺の草原の道(ステップ=ロード)で活躍した騎馬遊牧民で、中央アジアのトルキスタン(ペルシア語で「トルコ人の地」という意味)に定住してからはイスラーム化して広くイスラーム世界に広がり、現在でも中央アジアか…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その22 浄智寺を見学

東慶寺の次に、鎌倉五山第4位の格式の高い臨済宗円覚寺派の浄智寺に行った。 この浄智寺は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために1283年に宗政の妻と兄北条時宗により創建された寺である。 総門の前には、鎌倉十井のひとつである甘露の井がある。 水道が普及する以前は海辺の町である鎌倉、潮混じりの湧き水が多…
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奈良散歩 その32 すゐえんの あまつをとめ 

東塔があまりにも有名なので、薬師寺は東塔からスタートしたが、ここで薬師寺の歴史等についてふれていく。 薬師寺は680年に天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願、飛鳥の藤原京の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転した。 薬師寺は興福寺とともに法相宗…
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ロシアのアネクドート傑作集から その6 男と女の話

その1 妻が夫から逃げて家出しました。 しばらくして帰ってきました。 だんな曰く、 「家出したことは許そう、だが、戻って来たことは断じて許せん!」 その2 「ねえ、ダーリン、なんであなたみたいな頭の良い、ハンサムが私なんかと結婚したの?」 「そう、君も不思議に思うのかい...。」 …
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金沢紀行 その17 馬坂まで歩く

しばらく歩いて行くと、「金沢くらしの博物館」がある。 金沢市内には多くのミュージアムがあるが、金沢の人たちの昔のくらしを紹介しているミュージアムが「金沢くらしの博物館」である。  ここは旧制金沢第二中学校(戦後は紫錦台中学校)の旧校舎に整備された博物館で、1899年竣工の木造校舎をミュージアムとして活用している。  博物館の建物の…
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探検家の歴史 第4部 その6 伊能忠敬( 日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人)

 伊能忠敬は足かけ17年をかけて全国を測量し、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人である。(下図は伊能地図であるが、今とほぼ同じ、伊能のすごさは、こういうことである。)  忠敬の測量の旅は第1次から第10次測量までの10回で、探検と言えるようなものは第1次測量を行なった1800年の蝦夷地太平洋岸の…
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旅人かへらず 西脇順三郎

旅人かへらず /1節(冒頭節)旅人は待てよこのかすかな泉に舌を濡らす前に考へよ人生の旅人汝もまた岩間からしみ出た水霊にすぎないこの考へる水も永劫には流れない永劫の或時にひからびるああかけすが鳴いてやかましい時々この水の中から花をかざした幻影の人が出る永遠の生命を求めるは夢流れ去る生命のせせらぎに思ひを捨て遂に永劫の断崖より落ちて消え失せ…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO1

茶は芸術品であるから、その最もけだかい味を出すには名人を要する。 茶にもいろいろある、絵画に傑作と駄作と-概して後者-があると同様に。 と言っても、立派な茶をたてるのにこれぞという秘法はない、ティシアン、雪村のごとき名画を作製するのに何も規則がないと同様に。 茶はたてるごとに、それぞれ個性を備え、水と熱に対する特別の親和力を持ち、世々相…
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近江街道をゆく その13 石積みの門前町「坂本」を散策 その5 徳川ゆかりの寺社を見学

滋賀院の裏手に天海(慈眼大師)の廟所である慈眼堂がある。 慈眼大師天海は徳川家康・秀忠・家光の時代に幕府の顧問として遇された大僧侶である。 織田信長の叡山焼打ちにより全山焼土と化した比叡山の復古に尽力したことにより、家光の命で慈眼堂が建立された。  慈眼堂の境内に入ったが、雰囲気はこんな感じの場所である。 ところで、信長の叡山焼…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その30  大邱で郷土料理タロクッパを食べる 

 「韓のくに紀行」4日目の朝、具体的には2012年10月21日(日)の朝、大邱プリンスホテルを午前7時半に出発し、市内のレストランで大邱郷土料理のタロクッパ(牛肉のクッパ)を食べた。 クッパとはスープの中にご飯が入っている料理を言うが、タロクッパは、タロ(「別」の意味)という名前の通り、ご飯とスープが別々に出される。  1950年の朝鮮…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その4 宮沢賢治の理想

 賢治は、花巻で一、二を争う程裕福な商家に生まれた。                                              宮沢賢治生家 父親の政次郎は理財の才能のある人で、彼は知人にもし自分が宗教というものにまったく縁のない人間だったら、三井や三菱のような財閥を築いていただろうと語っていたというエピソー…
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