釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第24回はアルメニア

 コーカサス山系の奥深く、アルメニアという国がある。
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 トルコと国境を分け、首都エレバンからはノアの箱舟が着いたと伝説にされているアララッド山が望まれる。
 9月19日(水)、トビリシのホテルイベリアを午前9時に出発、バスで12時間以上かけてセバン湖経由でアルメニア共和国の首都エレバンへ向かった。
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【写真は、途中で出会ったピオネール(ソ連・共産圏の少年団)の子どもたち】
僕等ツアー客一行は9月19日(水)の夜遅く(多分午後10時過ぎ)、アルメニア共和国の首都エレバンに到着し、その後すぐ市内の中心地にあるアルメニアホテルに宿泊したようだ。
 翌9月20日(木)のエレバン観光の推測だが、午前中に市内観光でレーニン広場やアミリアン通りやマテナダランやアルメニア人虐殺博物館を見学後、勝利公園の中にある民族料理レストランのアラギルで昼食を食べ、午後からは勝利公園近くのマテナダランを見た後、この日のメインとなる見学地のエチミアジンへ行ったのだろう。
 それでは午前中のエレバン観光を始めよう。
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 数十年前の僕は、アルメニア人虐殺博物館の重く暗い存在義務など解るはずもなかったが、現実のアルメニアの歴史は大国の間の小国という存在がいかに危うくもろいかという歴史実験のようなもので、2000年の歴史実験の結果としてアルメニア人は虐殺博物館を造らざるを得なかったのだ。
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 この虐殺博物館はトルコの19世紀末と20世紀初めに渡るアルメニア人大虐殺という歴史事実を、アルメニア人が永遠に忘れないために建てられたものである。
 トルコ人に虐殺されたアルメニア人は100万以上で、アルメニア人のトルコ人に対する憎悪の塊で出来たような虐殺博物館の外壁を、体力自慢でもしてるかのように全力で駆け上がって記念撮影をしている非常識な日本の青年を、無知蒙昧な数十年前の僕は演じていた。
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 午後からマテナダラン(古代・中世以来の科学・芸術の写本類1万点以上を収蔵する古文書館)を見学、バスに乗り込もうとしたらエレバンのピオネールの少年少女に取り囲まれ、日本人と名乗ったら、なおさら親しそうに近寄ってきた。
トルコ人でないことを幸せだと感じ、幸せなままでこの日のメインとなる見学地であるエチミアジンに向かった。
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 バスで20kmも西へ走ると、紀元前後数世紀の間この国の首都だったエチミアジンに到着、エチミアジン大聖堂があって世界最古の教会として街の歴史の中心となっていて、世界遺産にも登録されている。
 実際に敷地も広大で、いにしえの時代をしばし懐かしんだ。
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 ここから見る万年雪を頂く大アララッドと小アララッドが青空に映える風景が絶品ということだったが、残念ながらこの日は、この二つの山はオボロげにしか見えなかった。
 エチミアジン寺院見学の最後に、ちょっとかかわりあいになった地元の悪ガキ君たちと肩を組んで記念撮影した1枚が、今も手元に残っている。
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 写真のタイトルを「さらばエレバン愚連隊」と付けたのは、釣り師が五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」に憧れ、五木寛之風にこの旅を楽しんでいた証拠でもある。
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 エチミアジン近くのワイナリーでコニャックを試飲したような記憶が微かに残っていて、ホテルに戻ってからもエレバン最後の夜ということで、世界遺産のアルメニアコニャックを楽しく飲んだようである。

 美味しい酒に囲まれて、トビリシとエレバンの旅は絶好調だった。

 皆さんはアルメニアと聞いて、何を思い、何処を旅してみたいですか。

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