「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その7 青春の匂いだけの人「石川啄木」の故郷である玉山村渋民への旅(k)  

北上川の河口から源流までの2日目の旅、次の目的地は石川啄木の故郷である玉山村渋民、盛岡市 の北20~30kmほどのところに位置している。

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 啄木ほど青春の匂いのする文学者はめったにいない。
 何故なら彼の人生は僅か二十六歳で、その終焉の月に明治は大正となった。

明治の中期に生を受けながら大正の時代を生きられなかった啄木、彼の数々の青春の叫びと呼べる短歌を深く味わうに連れ、まさしく夭折の天才歌人そのものだった啄木の情熱に満ちた奔放な生涯が頭の中を駆け巡る。

啄木は、岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸)の曹洞宗日照山常光寺の住職であった石川一禎の長子として、1886220日に生まれた。

渋民村へ一家で移住したのは1887(明治20年)3月、父の渋民村(現在の 盛岡市 玉山区渋民)宝徳寺住職転任にともなってのことである。

渋民尋常小学校、盛岡高等小学校時代は抜群の成績で、学校始まって以来の神童と呼ばれていたが、少年の心は文学に傾き、盛岡中学時代は与謝野晶子らの短歌に傾倒し、テスト中のカンニング発覚、欠席の多さ、成績の悪さなどの理由から退学となった。

中学時代には、妻となる堀合節子や親友の岡山不衣金田一京助らと知り合っている。
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                              妻となる堀合節子

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
  十五の心

この短歌は啄木の歌集「一握の砂」の中に出てくる盛岡中学時代の思い出を読んだ代表的なものだが、同じく途中退学した坂口安吾などを髣髴させる鮮やかな青春の1シーンであり、若くして自殺した尾崎豊の「15の春」なども思い出す。
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坂口安吾は新潟中学を抜け出すと裏の砂山に行って、啄木同様にごろっと横になり、海を日がな眺めていたらしい。
  
安吾の頭の中に啄木のこの歌があったかどうか知らないが、青春の感情の高まりやいろいろな惑いを抱えて海と向かい合っていたのだろう。

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