奈良散歩 その42 菅原天満宮 


喜光寺を出ると、次にすぐ近くにある菅原天満宮に行った。





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  菅原天満宮は日本最古の天満宮といわれていて、喜光寺と同じく土師氏・菅原氏が住んでいた菅原の里の中にあり、菅家一系三神(天穂日命、野見宿祢、菅原道真)を祀っている。



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  菅原道真の没後全国各地に道真を祀る神社が設立されたが、その中にあって菅家発祥及び生誕の地として、当菅原天満宮は最も重要な地位を占めている。

道真の母君が京都からこの菅原の故地に帰参して、道真を生んだ時に使った産湯池が、この天満宮の東北約100メートルのところにある。 





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  鳥居をくぐって表門に入ると、静かな境内が広がっている。



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  正面に拝殿・祝詞殿・本殿と一直線に並んでいる。

右側に社務所があり、境内左手には手水屋や土蔵が、その向こうには末社が見える。





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  拝殿の前には石造の臥牛や梅樹があって、菅公ゆかりの地を思わせる。



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  また、境内には珍しい筆塚があるが、古い筆を社頭に納め、文筆の神である道真に感謝し、ますますこの道に励もうとして寄進されたものである。

やはりここでは道真が気になって、彼の人生を思いながら菅原天満宮を散策した。



  菅原道真の履歴書を今風に直して、彼の生涯の概略を紹介する。


菅原家は学者の家柄の名門で、道真は26歳で東大大学院を修了、博士号を取得して33歳で東大教授となった。(当事は文章博士という。)


道真の専門は中国文学および歴史学で、彼は漢学の素養で固められた本物の学者であった。


42歳で香川県知事に転出し、47歳で内閣官房長官に任じられ、50歳の時遣唐大使に任命されるが、遣唐使の中止を建議して遣唐使は廃止となった。


以後昇進を重ねて53歳で権大納言となり、政界のナンバー2となった。





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歳で右大臣となるが、2年後大宰権帥に左遷され、帰京することなく903年に59歳で病死した。

道真の没後、皇太子の急逝・宮中への落雷・天候不順、疫病の流行などが続いた。


この平安前期の頃の人々にとって、最も怖いのは怨霊化した人間のたたりであり、ただの病気や事故やあらゆる災いも怨霊の仕業と考えた。


彼の死後に神社を建てたり最高の位を贈ったりして、国を上げて彼の霊を鎮魂した。


日本の歴史の、表に書かれない部分を思い出しながら、道真の崇高な魂に深く頭を垂れた。




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