越前と若狭の旅 その9 越前国府への旅

 武生の越前国の国府があったと推定されている黄矢印の指している場所を目指して車を進めている。

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2時間程走って、午後2時40分にJR武生駅に到着した。

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駅の観光案内所でパンフレットを貰い、ついでに越前国府跡までの道と紫式部公園までの道を教えてもらった。

まず、越前国府推定地跡であるが、ここまでは歩いていける。

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越前国府推定地は諸説あるが、いずれも説も総社大神宮と国分寺を推定地内に含んでいるので、

この二つを見ることで越前国府推定地を歩いたことにしようと考えた。

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総社大神宮に入っていく。

総社大神宮や国分寺はいずれの説でも越前国府推定地の中心に位置するので、このあたりに国庁があったと推定される。

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ここが、総社大神宮本殿である。

大化の改新の結果越前国にも国府が置かれて、国司は管内の官社を始め国内神名帳所載の諸社を巡り親しく巡拝していたが、巡拝の労を少なくする為や急を要する祈願や祭礼のために、国司所祭の神霊を一ヵ所に合祀して総社神社を建てたのである。
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 この本殿の近くに越前国府と書かれた石碑が建てられていたので、その前で記念写真を撮った。
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次に、迷いながらも近くにある国分寺を発見し、そこでも記念写真を撮った。

国分寺を紹介する掲示板が建っていたので、そのまま紹介する。

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 奈良時代の739年に、聖武天皇の勅命で建てられたことなどが書かれている。


国府や国分寺を訪ねる旅は、歴史家を越えて考古学者の領域に入っているようである。

国府発掘の歴史は、1964年に近江国府が発掘されてから国府跡の遺跡が次々と発掘されるようになり、状況は劇的に変わった。

あわせて郡衙や寺院の遺跡も見つかり、これらと照らし合わせて国府に共通する特徴が浮かび上がってきたようである。

発掘が始まった当初、国府は平城京や平安京のような中央の都城の縮小版と考えられていて、方形の外郭線を持つ都市が国府で、その中心に国衙という役所群、さらにその要に国庁があるという三重構造が想定されていた。
発掘が進むと、国府に明確な外郭線が存在しないこと、都市域は付けたし程度で官衙域を包み込むほどの広がりを持たないことが次々と判明していった。

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