釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第28回はノルウェー

 いよいよヨーロッパ、まず北欧スカンジナビア三国のノルウェーから始めますが、ここを歩くには適当な物語があります。  五木寛之の「白夜物語」の中の「夏の怖れ」で、この物語の主要なモチーフに使われているのがムンクの絵(橋の上で耳を押さえている「叫び」という版画作品)で、スカンジナビア風の憂鬱な眼を持った娘に会いに行きたいと考えたことも…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その39 浦賀ノスタルジック散歩

かなりの雨の降る中、浦賀駅を出て浦賀港に向かって歩き始めた。 歩いた行程を下図で説明する。 まず浦賀駅から黄線に沿って赤字Aの浦賀ドッグを見て、赤字Bの西叶神社で旅の無事を願い、赤字Cの浦賀の渡しで渡し船に乗って対岸に渡り、赤字Dの東叶神社で再び旅の無事を願って、再び渡し船に乗って帰ってきた。 それでは「浦賀ノスタ…
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奈良散歩 その47 ホテルウェルネス飛鳥路にて 

 今日の日程をすべて終え、今夜から二日間宿泊する「ホテルウェルネス飛鳥路」に向かった。 「ホテルウェルネス飛鳥路」は奈良公園周辺の閑静な住宅街にあり、隣には実忠が国家大安を祈って造営したまるでピラミッドのような頭塔がある。 この頭塔についてはまた後からジックリ見ることにした。 この日の夕食は、近鉄奈良駅出入り口横の東向中町の商店街にある…
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開高健  オーパ!!

 憧れのアマゾンとアンデスだが、いろんな作家がアマゾンのことを書いている。  僕は、中でも開高健の「オーパ!」に魅かれる。  アマゾンの本拠地ブラジルでは、驚いた時や感嘆した時に「オーパ!」という。  この本は、そんな驚きの連続となる彼のブラジル釣行の記録である。  でも、この本にはちょっとしたほの酢っ…
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越前と若狭の旅 その12 一乗谷朝倉氏遺跡に入る

一乗谷朝倉氏遺跡は、福井市街の東南約10キロメートル、九頭竜川水系足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あい(一乗谷、東西約500メートル、南北約3キロメートル)に築かれた戦国時代の城下町と館跡および背後の山城の遺跡である。 一乗谷は、東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地…
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探険家列伝第2部 アマゾン河の旅 その1 プロローグ

 探険家列伝第2部は、世界5大陸(南北アメリカ、アジア、ヨーロッパ、アフリカ)の 最長河川に挑戦する旅である。  関野吉晴は、グレートジャーニーの旅で、人類拡散の歴史を逆方向から再現する旅を10年間で達成した。  その旅は、南アメリカの最南端のナバリーノ島からアフリカのタンザニアのラエトリ(人類発祥の地とされている)までの壮大な旅…
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茶の本 第三章 道教と禅道 その4 南天に北極星を識るの術

さて禅に注意を向けてみると、それは道教の教えを強調していることがわかるであろう。禅は梵語の禅那(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮である。精進静慮することによって、自性了解の極致に達することができると禅は主張する。 静慮は悟道に入ることのできる六波羅密の一つであって、釈迦牟尼にはその後年の教えにおいてこの方法を力説し…
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近江街道をゆく その29 彦根城下を散策

ガイドと別れ、これから城下町を散策ということになるが、まず赤字1の四番町スクェアで昼食、それから赤字2、3、4の順に街を廻る。 四番町スクェアは彦根市場商店街が前身で、商店街の再開発を策定し、大正時代の町並みをイメージした商店街が2006年5月に完成したのである。 こんな看板が出ている街の中に入っていく。 この街の…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その46  インサドン物語

 どしゃぶりの宗廟見学の次は赤字2の仁寺洞(インサートン)。 周ガイドは朝一のバスの中で、ここインサートンでは「各自の自由散策」としたいと説明していた。 雨は小降りになり、傘をさしたりささなかったり、外をしっかり歩ける天候にまで回復していた。 周ガイドは  「今まではツアーの決めた日程で、ツアーの決めた食べ物を食べる。でもそれではみなさ…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その10 早熟の天才少年と誰もが認める男を愛した女の話  

僕は、啄木が好きだったという鶴飼橋の方へ歩いて行った。この辺りの北上川の川幅は30m程である。 小学生の頃の啄木は、夕暮れになると友達を連れ出して鶴飼橋に行ったという。 橋の上から上流方向には姫神山、下流方向には岩手山が見える。 丁度その頃、月は東の峰にのぼり、日は西の峰に落ちる。 ここを舞台にして啄木は小説「鳥影」を書き、…
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天塩川の旅 その7 天塩川下りの始まり

 9月19日朝5時半頃起床、今日は今回の旅の本番の日、天塩川の河口まで一気に走破する予定である。  レストラン日向で納豆や卵や海苔で軽い朝食を済ませ、天塩川の左岸の舗装道路を北に向かった。  しばらく走り、トウフトナイ川という看板が立っている沢を通り抜けたところで、小休止した。  この名は、間違いなくアイヌ語の地名である。     …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その38 「横須賀ストーリー」の始まり

京急バスでホテルに戻り、夕食はホテル近くの市場食堂で済ませた。 なかなか美味しそうな食べ物を安価で食べさせてくれる食堂が、今はどこの街にも何軒かあって、僕のようなそう金持ちでもない旅人には利用しやすい。 食べたのはこの「ホタテイカ・まぐろ丼定食」で、値段は税込880円という安さである。 安い割に味は…
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奈良散歩 その46 秋篠寺本堂の周りを歩く

秋篠寺の本堂の周りをぶらぶらと歩いている。   けっこう紅葉がいい具合になってきているが、見ごろとなるのはもう少し経ってからである。   それではこれから本堂に入っていく。本堂の中であるがもちろん撮影は禁止で、写真はネットからの借用である。    本尊は薬師如来で、薬壺(薬師如来が唯一の持ち…
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「オホーツク街道」の旅 その2 「え、もう釣れちゃったの?」とバイブルに出ていた知来別川だが・

 6月26日(火)、今日はイトウ釣りに挑戦する一日である。 イトウ釣り以外は何もしない、真面目に極北の大魚イトウに大真面目にチャレンジすることを目的とした一日である。  イトウは体長は1mから大きいものでは1.5mに達し、記録上最大のものでは、1937年(昭和12年)に十勝川でおよそ2.1mのイトウが捕獲されたことがあるという。  こう…
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サランヘヨ~韓国に恋をして 黛まどか(k)

 黛まどかという女流俳人は、旅の好きな方である。 先人の足跡を尋ねて、松尾芭蕉の奥の細道を辿ったり、北スペインのサンチャゴ巡礼道900kmを踏破したこともある。  今回取り上げる「サランヘヨ」の旅は、韓国の釜山駅を2001年8月21日にスタートし、1週間から5日間の旅を5回繰り返し、ソウル市庁舎に2002年…
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越前と若狭の旅 その11 鯖江第一ホテルから一乗谷朝倉氏遺跡へ

今夜の宿は鯖江第一ホテルである。 鯖江は武生の隣の町なので、紫式部公園からは1時間もかからずに広い駐車場のあるホテルに到着した。 朝食付きで4,950円という値段なのでそう期待もせずに値段なりのこのホテルでくつろいだ。 夕食はホテルのフロントの方から周辺飲食店マップなるものをいただき、その中から黄矢…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅴ 感動のゴールシーン

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I 画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 カテヨさんは立ち止まり、地面の下を示した。 そこには、カバや象やキリンなど実に沢山の動物達の足跡が残っていた。 ここには…
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近江街道をゆく その28 絶景の彦根城と玄宮園をゆく

これから天守を下って、第四代彦根藩主井伊直興によって造営された江戸時代の大名庭園である玄宮園に向かって歩いていく。 その途中でガイドが立ち止まって、要所要所の見所を説明していく。 ここが、先ほど天守から説明のあった搦手門(からめてもん)である。 実際に門があった当時は、ここを人一人がやっと通り抜けて城から脱出していったのだ…
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(動画)韓の国の旅 その8-2 昌徳宮の旅

 正宮である景福宮に対する離宮として創建された。 現在の韓国国内の宮殿の内、最も創建時の面影を残している宮殿であり、日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。  動画クリックです!!http://www.youtube.com/watch?feature=player_det…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その45  宗廟を見学 その3

 正殿へ行く頃から、雨足が本降りとなって来た。  あまりに雨の勢いが激しいため、正殿の屋根の下で雨宿りをしているツアー客もいる。 宗廟の皇帝や皇后の霊たちの怒りかなどと本気で考えてしまいそうな程の雨足。   その雨の中、韓国人の日本語ガイドは、正殿前にスックと立って、正殿の説明を非常に懇切丁寧に、わかりやすく話してくれた。ここからは彼女…
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ネットで拾った、ほんとは笑えない話 「アレェ!?ねぇぞォ?」など

ネットで拾った、ほんとは笑えない話 その1 酔っぱらいも遠くで見てるぶんには面白いのもいるんだけどね。 駅のトイレで用を足そうとしてた酔っぱらいのオッサン。 チャックを開けてゴソゴソしながら 「アレェ!?ねぇぞォ?」 そんなはずあるか。よく探せ。 その2 オレが高校生の頃、一人で王将でメシ食ってたら、横で明ら…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第27回もロシア

 9月25日(火)午後6時過ぎにレニングラードを発ち、1時間程でモスクワに到着した。  ソ連一周の旅もとうとう最後の都市モスクワとなった。  モスクワの近郊には、黄金の環(ザラトーイェ・カリツォー)を形成するウラジーミル、スーズダリ、コストロマ、ヤロスラヴリ、ロストフなどの諸都市が点在する。  黄金の環とはモスクワの北東に古都が点…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その37 三浦氏の本拠地「衣笠城跡」へ

猿島から歩いて京急横須賀中央駅近くの繁華街へ戻ったが、戻るだけで30分程かかった。 それから30分くらい中央駅近くを歩き「横須賀海軍カレー」の店を探したが、適当な店に出会わず、横須賀中央駅より徒歩5分の「鳥ぎん米が浜通店」を偶然見つけてそこに入った。 このカキフライ定食の幟旗があまりに魅力的だったので…
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奈良散歩 その45 秋篠寺の創建の背景

受付の前に、秋篠寺の創建目的を確認する。 この寺の創建された時期は光仁天皇の晩年の776年から780年の間頃と推定されていて、創建目的は一般的には自らの老いの深まりの自覚と一族の繁栄を祈願しての寺院建立ということになっている。 奈良時代は天智系の血も入っているが、概ね天武天皇の血と藤原氏の頭領である藤原不比等の血を結婚させて天皇…
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歴史・地理雑学 日本という呼称の起源について

 言語の歴史は人類の起源ほどにはわかっていないらしいが、人類の移動・拡散に伴ってどんどん数を増やしていった言語の数は、かって1万種以上もあったということだ。  それが文化のグローバリゼーション(地球規模の文化の均一化)によって、現在は6千語くらいしか話されていないという。  その言語を語族として分類すると大まかに20くらいの…
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越前と若狭の旅 その10 紫式部公園散策

越前国府推定地跡の見学を終え、次に紫式部公園を目指した。 平安の世の996年、紫式部の父である藤原為時が越前守(現在でいう県知事)に任ぜられ、母親を幼くして亡くしていた紫式部は京から父とともに越前国へ下った。 越前国の敦賀にはかつて松原客館という渤海使節の滞在する外交施設があり、すでに渤海国は滅亡していたが松原客館には宋人が滞在して…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅳ ラエトリまでの最後の道

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I   画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。ゴールまで20kmを切った。 関野は10年の旅のいろんなシーンや出会った人たちなどを思い浮かべながら、サバンナの道を走っていく。 …
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岡倉天心「茶の本」 第三章  道教と禅道 その3 道教と美学

 道教思想の雄渾なところは、その後続いて起こった種々の運動を支配したその力にも見られるが、それに劣らず、同時代の思想を切り抜けたその力に存している。 秦朝、といえばシナという名もこれに由来しているかの統一時代であるが、その朝を通じて道教は一活動力であった。 もし時の余裕があれば、道教がその時代の思想家、数学家、法律家、兵法家、神秘家、錬…
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近江街道をゆく その27 天守にて

天守に入り、天守から北の方角を眺めた。 森の向こうの広大な平原は、城の建てられた当時は琵琶湖の内海だった。 遥か向こうに山脈がありその一部が途切れているが、琵琶湖から途切れている場所を抜けて帆かけ舟が城に入ってきて、お殿様はその光景が大好きだったという。 そういえば司馬遼太郎は「街道をゆく 近江散歩」の中で、中学生の頃に安…
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韓の国の旅その44  宗廟を見学 その2

  ⑤の斎宮で王と王子は祭祀を行なう準備をするために沐浴をし、衣冠を整え心身を清め、御斎室と呼ばれる建物に進み、祭礼の準備をした。 ここにも、御路と世子路がついている。 王をはじめとする祭官は、ここでは祭祀を行う7日前から飲酒歌舞を禁止され、弔問も行かず、死刑の執行や宣告もせず、また夫婦が床を共にしなかったという。  御斎室の中を覗いて…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その9 渋民公園内でやはらかに柳あをめる・・・(石川啄木詩歌集 一…

渋民公園内の啄木歌碑が見たかった。あのやはらかに柳あをめる      北上の岸辺目に見ゆ         泣けとごとくにの歌碑である。  遠く岩手山を望む北上河畔に、啄木没後10年を記念して大正11年にこの短歌を刻んだ歌碑が建てられた。 歌碑は大勢の啄木ファンの寄付で集まった資金を元に、地元の無名の青年たちの手により建てられたもので、…
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旅人かへらず 西脇順三郎

旅人かへらず  1節(冒頭節)旅人は待てよこのかすかな泉に舌を濡らす前に考へよ人生の旅人汝もまた岩間からしみ出た水霊にすぎないこの考へる水も永劫には流れない永劫の或時にひからびるああかけすが鳴いてやかましい時々この水の中から花をかざした幻影の人が出る永遠の生命を求めるは夢流れ去る生命のせせらぎに思ひを捨て遂に永劫の断崖より落ちて消え失…
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天塩川の旅 その6 日向温泉にて

 小雨模様の天気の中博物館の見学を終えると、野外に設置された屯田兵屋を特別に開けてもらって家の中を覗いたが、薄気味が悪くなってすぐにその場を立ち去った。  別に霊感が強いほうではないが、何者かの強烈な排他的意思を感じたのである。  この感覚は、石狩川の旅でのアイヌの家でも感じた感覚で、よそ者はさっさと出て行けという意味の意思である。  …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その36 猿島探検

「三笠」の見学を終え、楽しみにしていた東京湾に浮かぶ無人島の猿島に行った。 猿島に渡る船は1時間毎に出ていて、1300円の往復大人料金を払って20人程の観光客と共に連絡船に乗船した。 写真前方が猿島で、三笠桟橋より船で10分程乗って猿島桟橋に到着した。 猿島は湾内最大の自然島で、観光シーズンは海水浴、バーベキュー、…
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奈良散歩 その44 秋篠寺に入る 

秋篠寺は小さなお寺だが、特に女性の方に人気があるお寺で、その女性好みのお寺に、この東門から入った。   庭は紅葉にはまだ早いようである。秋篠寺の女性人気の理由だが、その大半は堀辰雄著「大和路・信濃路」に紹介されている次の文章のようである。 「午後、秋篠寺にて」 「いま、秋篠寺という寺の、秋草のなかに寐そべって、これ…
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「オホーツク街道」の旅 その1 イトウ釣りの初日

 今日の旅、6月26日(火)の旅の日程は以下のとおり。   去年の9月にも稚内に来たのだが、その時は台風15号に追われてのまことに不遇な旅だったので、見落とした場所が沢山出来た。  今年の旅はそれを補いながらの「オホーツク街道」の旅となる。  今日からの旅が事実上のスタートとなる旅で、昨日の鰊(ニシン)街道の旅は前座の旅。  去年も泊っ…
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太陽の乙女たち  ~ ロス・チャコス

太陽の乙女たち  ~ ロス・チャコス クリックです!!↓(画像と音楽です!!)http://youtu.be/ZMQd4pa4mc4(太陽の乙女たち  ~ ロス・チャコス)  豊穣の大地ペルー。降りそそぐ日差しは豊かな実りをもたらす。かつてこの地に栄えたインカ帝国では、万物の創造神は太陽、皇帝は太陽の子として崇拝された。…
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越前と若狭の旅 その9 越前国府への旅

 武生の越前国の国府があったと推定されている黄矢印の指している場所を目指して車を進めている。 2時間程走って、午後2時40分にJR武生駅に到着した。 駅の観光案内所でパンフレットを貰い、ついでに越前国府跡までの道と紫式部公園までの道を教えてもらった。 まず、越前国府推定地跡であるが、ここまでは歩いて…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅲ オルドバイの平原を疾走する関野(k)

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I 画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 オルドバイの平原を疾走する関野、そこには400万年前と変わらない野生の姿があった。 関野を最初に出迎えたのはキリン達、悠然…
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日本文学クイズ 次の書き出しで始まる作品名は?

次の書き出しで始まる作品名は? 1 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。   2 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。   3 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。   4 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹…
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近江街道をゆく その26 彦根城天守に立つ

ガイドと楽しくブラタモリ風に見学しているうちに、目指す天守が近くなってきた。 ただ、なかなか目指す天守は目の前に現れてこない。 こんな坂がけっこうだらだらと続いていく。 ガイドはこの坂を左に曲がって、先ほど見た天秤櫓の中に入った。 ここでも、ガイドは天秤櫓についていろいろと詳細に説明してくれたが、そのことはここで…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その43  宗廟を見学 その1

 ソルランタンの朝食後、バスに乗ってまず赤字1の宗廟を見学となった。  ただ、この頃から雨足が怪しくなり、バスを降りて宗廟に向かう頃にはりっぱな本降りとなっていた。 この4泊5日のツアーで初めての悪天候、今までの4日間は全て好天に恵まれていた。  そして、宗廟のガイドは周相希からここを専門的に案内するガイドに変わった。  彼女はこの悪天…
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ある先輩

 「吠える犬は噛まない」と先輩は言った。  僕は安心して吠えている犬に手を出した。  犬は僕の手をしっかり噛んだ。  「先輩、噛まれたんですけど」僕は言った。  先輩は続けて言った。「少なくとも吠えている間は・・・・」  「最後まで君が話を聞かないからだ」  先輩はとどめをさした。
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第26回はロシア

 レニングラード到着は9月23日(日)午後11時過ぎ、たぶんホテル到着は午前となって9月24日(月)となったものと思われる。  僕らのツアーは、新潟-ハバロフスク-タシケント-トビリシ-エレバン-ヤルタ-キエフと旅を進め、とうとう北欧フィンランド湾に立地する、かってのロシア帝国の首都であるレニングラード(サンクトペテルブルグ)に…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その35  「記念館三笠」を見学

横須賀市は三浦半島に位置する中核市で、市域の東側は東京湾(浦賀水道)、西側は相模湾に面する。 東京湾唯一の自然島である猿島も行政区域に含まれ、行政区域内標高の最高点は三浦半島の最高峰となっている標高242m大楠山である。 東京湾の入口に位置するため、江戸時代から国防の拠点とされ、大日本帝国海軍横須賀鎮守府を擁する軍港都市として栄えた…
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奈良散歩 その43 垂仁天皇陵 

菅原天満宮を出ると、ナビに従って南に進路を取り、近くにある垂仁天皇陵に向かった。  垂仁天皇陵(宝来山古墳)は奈良市尼ヶ辻町にある前方後円墳の古墳で、実際の被葬者は明らかでないが墳丘長が227メートルあって、全国では第20位の規模の古墳となっている。4世紀後半頃(古墳時代前期)の築造と推定され、宮内庁により第11代垂仁…
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ボルシチ(ウクライナ料理からロシア料理に)(k)

ボルシチとは ボルシチ(ウクライナ語で[ボールシュチュ]; 意訳:「紅汁」)は、テーブルビートをもとにしたウクライナの伝統的な料理で、鮮やかな深紅色をした煮込みスープである。近世以後、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ロシアなどの東欧諸国に普及した。現在、東欧文化圏のほかに、中央ヨーロッパ、ギリシ…
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越前と若狭の旅 その8 越中国の国府推定地への旅 

三国湊の見学を終え、これから武生(現越前市)に向かう。 最初に記したが、新潟県を含む現在の北陸地方は古来は高志国と言われていて、8世紀以降に越国と言われるようになった。 律令時代に入ると越国は分割されて、越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国に分割され、それぞれの国に国府がおかれたのである。 国府とは日本の奈良時代から平安…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅱ オルドバイ博物館でアファール猿人の足跡に出会う

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I 画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 タンザニアのオルドバイ渓谷(ラエトリはこの南にある。)の入口に、オルドバイ博物館がある。 ここには関野が見たがっていたものがあった…
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岡倉天心「茶の本」 第三章  道教と禅道  その2 道教は南方シナ精神の象徴

 まず第一に記憶すべきは、道教はその正統の継承者禅道と同じく、南方シナ精神の個人的傾向を表わしていて、儒教という姿で現われている北方シナの社会的思想とは対比的に相違があるということである。  中国はその広漠たることヨーロッパに比すべく、これを貫流する二大水系によって分かたれた固有の特質を備えている。 揚子江と黄河はそれぞれ地中海とバル…
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近江街道をゆく その25 彦根城の防備の仕組み

これから天下の名城として名高い彦根城に登る。 しかし漫然と見ても何も面白くないので、2時間案内で1000円のボランティアガイドを頼んで、この方の説明を聞きながら彦根城を散策した。 まず、このおもて坂を登っていく。 城は敵が攻めてくるのを前提に造られているので、彼らが攻めてきた場合に混乱するように、階段の高さや幅を不揃いにし…
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 韓の国の旅 その42 韓国最後の朝はソルランタンの朝食

 特2級のソウルキャピタルホテルの部屋はこざっぱりとした綺麗な部屋だった。   ベッドも枕が二つ置いてあるダブルベッドで、気持ちよく眠れそうだった。  この部屋で悪戦苦闘の結果、どうやら旅行用スーツケースに、衣類などの持参品や土産物等を全て詰め込んだ。  黒いスーツケースにはソウルの土産物店で購入した安東焼酎まで入っている。   もっと…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その8 学校の図書庫の裏の秋の草 今も名知らず(石川啄木歌集 一握…

常光寺の次に、啄木が少年時代・青春時代を生活した岩手県盛岡市玉山区渋民字渋民に向かった。 ここには、少年時代・青春時代を生活した宝徳寺、啄木が通った旧渋民小学校跡地、旧斎藤家跡地などがあるが、旧渋民尋常高等小学校校舎と旧斎藤家は石川啄木記念館の敷地内に移築されている。最初に啄木記念館に入った。 石川啄木記念館は石川啄木の人となり…
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天塩川の旅 その5 松浦武四郎の天塩川探検

 昼食の後は、士別市立博物館ヘ直行した。  羊と雲の丘から下っていくと、士別公園内の一角に博物館は設置されている。 僕は隣接の士別市公会堂から入った。                     (士別市公会堂)  公会堂展示館には、女優で極地探険家としても知られている和泉雅子さんの北極探険関係の展示などもあった。  通路を通って隣接の…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その34 横須賀中央の「セントラルホテル」に到着

今回から、「横須賀ストーリー」と僕が勝手に名づけた「三浦半島の旅」が始まる。 「横須賀ストーリー」の第一日目である11月9日(月)の当初の計画である。 自家用車の旅でなく電車とバスを足にしての旅なので、なかなか思う通りにはいかず、大幅にこの計画を変えることになった。 まず、JR鎌倉駅で朝8時頃に食べた朝食シーンから…
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奈良散歩 その42 菅原天満宮 

喜光寺を出ると、次にすぐ近くにある菅原天満宮に行った。   菅原天満宮は日本最古の天満宮といわれていて、喜光寺と同じく土師氏・菅原氏が住んでいた菅原の里の中にあり、菅家一系三神(天穂日命、野見宿祢、菅原道真)を祀っている。   菅原道真の没後全国各地に道真を祀る神社が設立されたが、その中にあって菅家発祥及び生…
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サロベツ川の旅  その6 3回戦、最終戦も完敗

 3回戦は、サロベツ原野が舞台のイトウ釣りの最終戦。  兎に角台風15号の動向を見ながらの日程調整となっているので、今回のイトウ釣りは、赤③の開運橋が最後の舞台となった。  開運橋上からサロベツ川上流方向を眺めたが、川面に白い雲が浮かんでおり、いかにも大物イトウが潜んでいそうな気配。  1回戦、2回戦の時よりはずっと期待が持てそ…
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越前と若狭の旅 その7 旧森田銀行を見学 

次にり;旧森田銀行の見学である。 旧森田銀行は明治期に福井県三国町で設立された銀行で、1894年に三国湊で北前船の廻船業であった森田家当主の森田三郎右衛門によって設立され、その後順調に業績が拡大し、福井県内において福井銀行そして同じ廻船業者設立の大和田銀行に次ぐ有力銀行の地位を占めた。 その後金融恐慌を受けるなどいろいろあって、結局…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅰラエトリまでの道のスタート

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 関野のタンザニア「ラエトリ」感動のゴール再現 ここはケニアとタンザニアの国境である。 関野はケニアからタンザニアへ自転…
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感動する論語 親と子

 両親の年齢は絶対に知っておくべきだよ。 一つには長寿を喜ぶために、一つには年老いることを気遣うために。  親が健在のあいだは、無茶な冒険や長期の旅行に出かけて心配をかけないようにすることだ。  どうしても旅に出たけりゃ、もちろん行く先や連絡先をちゃんと伝えておくべきだよ。  親のやり方について批判や反発をしたくなるも…
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近江街道をゆく その24 彦根城博物館を見学

彦根城は江戸時代初期に、彦根市金亀町にある彦根山に鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。 山は金亀山(こんきやま)との異名を持つため、城は金亀城ともいい、多くの大老を輩出した譜代大名井伊氏14代の居城であった。 彦根城の敷地は広く、外堀、中堀、内堀に囲まれていて、この内堀を眺めながら表門から城内に入…
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韓の国の旅その41 ウォンハルモニ本家でボッサム その後は?

 お土産購入のため、30〜40分程民芸品店に立ち寄った後、僕らは韓国100選レストラン「ウォンハルモニ本家」(ウォンおばあちゃんチェーンの本店)で、ボッサムを食べた。  ボッサムは茹でて余分な脂をすっかり抜いた豚肉を新鮮なキムチでくるくる包んで食べる料理のこと。  ボッサムのボは褓(むつき)という漢字を書くが、ようは風呂敷の意味で、サム…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第25回はウクライナ

 今回の旅はウクライナ、その都市であるヤルタとキエフを旅する。  9月21日(金)、1000kmの距離を2時間程かけてアルメニアのエレバンから黒海上空を飛んでヤルタに入った。  ヤルタ(今はロシアに編入)とキエフはウクライナの都市で、ここはもう東ヨーロッパと呼ばれる地域なのである。  ヤルタは古代ギリシア人たちによって開かれた…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その33 「鎌倉物語」を終え、「横須賀ストーリー」へ

江ノ島にはお昼から午後3時ころまでの3時間程いた。 かなりの強さの雨が降る中、ごった返す江ノ島を見学するのはなかなか大変で、傘をさしながら「江の島イラストマップ」でおおよその見当をつけて、江の島のほんのさわりの部分を散策した。 黄線に沿って江ノ島の中心部を大回りして、赤字A;瑞心門、赤字B;奉安殿と江島神社辺津宮、赤…
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奈良散歩 その41 喜光寺

西大寺から南下して、まず喜光寺に行った。   喜光寺には、午後1時半頃に着いた。   午後見る予定にしていたのは黄四角で囲った場所で、一番心惹かれる一番北にある秋篠寺は、この日の最後にした。  喜光寺を中心とした地域は、古くから菅原の里とよばれて和歌にもよまれた景勝地で、この地は以前土師氏(古代豪族…
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台湾先住民族そしてアミ族

台湾原住民の祖型がわかったところで、話を進めて行く。 現在、政府から認定された原住民族は、タイヤル(アタヤル)、アミ、ヤミ(タウまたはタオ)、プユマ、パイワン、ルカイ、ブヌン、ツォウ、サイシャット(サイシヤット)、サオ、タロコ、カバランの十二族で、住み分けは上図のとおり。 台湾原住民族の歴史だが、1603年(明:万暦31…
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越前と若狭の旅 その6 旧岸名家を見学

家の中は通り庭となっている。 通り庭は民家の土間のことで,表口から裏口へ通り抜けられるようになっているもので、京都や特に大阪の商家では一般的で、ここ三国の商家も同じ造りである。 通り庭には笏谷石(しゃくだにいし)が使われている。 この石は凝灰岩の一種で福井県福井市の足羽山で採掘される石材で、江戸時代には露天掘りで採…
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探険家の歴史 第1部 その7 7大陸最高峰に挑んだ日本の若き冒険者達 その2

渡辺大剛(はるひさ)7summits登頂時の写真 ↑ 山はマッキンリー(6,194m)、2004年次で世界2位の彼は、最後に紹介する。  続いて、早稲田から石川直樹を紹介する。 1977年6月30日  東京生まれ  高校2年でインド・ネパールを訪ねて以来、ユーコン川を漂ったり、ミクロネシアで伝統航海術を学…
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岡倉天心「茶の本」 第三章  道教と禅道 その1 道教と禅道

 茶と禅との関係は世間周知のことである。 茶の湯は禅の儀式の発達したものであるということはすでに述べたところであるが、道教の始祖老子の名もまた茶の沿革と密接な関係がある。 風俗習慣の起源に関するシナの教科書に、客に茶を供するの礼は老子の高弟関尹(かんいん)に始まり、函谷関で「老哲人」にまず一碗の金色の仙薬をささげたと書いてある。 道教の…
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近江街道をゆく その23 姉川古戦場跡で

小谷城跡から20分ほど走って、滋賀県北東部の旧浅井町(現長浜市)の「浅井三姉妹の郷」で昼食とした。  本駅は2016年3月にプレオープンし、僕がここに立ち寄ったのはこの期間で、2017年3月から正式に開業する予定となっていた。  駅の中で自然薯や地域の伝統料理中心のメニューで店を構えている自然薯茶屋「浅井家」で昼食となったが…
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(動画)韓の国の旅 その8-2 昌徳宮の旅

 正宮である景福宮に対する離宮として創建された。 現在の韓国国内の宮殿の内、最も創建時の面影を残している宮殿であり、日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。  動画クリックです!!http://www.youtube.com/watch?feature=player_det…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その40 世界遺産の昌徳宮を見学 その5 王と王妃の寝室

これが「大造殿」の正門「宣平門」。  通常ならばここから入ってくるのだが、僕らの周ガイドは近道して、ここを通らずに、目的とする王の普段生活する部屋の前で待っていた。  大造殿(デジョジョン)は王と王妃の寝室のある寝殿であり、王とその家族が日常生活をしていた宮殿である。この建物の特徴として挙げられるのが、屋根に棟瓦がないこと。…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その7 青春の匂いだけの人「石川啄木」の故郷である玉山村渋民への旅…

北上川の河口から源流までの2日目の旅、次の目的地は石川啄木の故郷である玉山村渋民で、盛岡市 の北20~30kmほどのところに位置している。  啄木ほど青春の匂いのする文学者はめったにいない。 何故なら彼の人生は僅か二十六歳で、その終焉の月に明治は大正となった。 明治の中期に生を受けながら大正の時代を生きられなかった啄木、彼の数々…
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天塩川の旅 その4 昼食は王国のカレーで!!

 朝日町を経由して士別市に戻った。山間部から平野部への帰還である。  前日のフェリーの部屋のなかで、昼食はここにしようと決めていた「羊と雲の丘」に向かった。  士別市は、昭和36年には人口41、000人、また米の出荷高日本一の時代もあったが、相次ぐ減反による離農者の増大、公共事業の低迷などで過疎化が進み、昭和54年には人口30、000人…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その32 江ノ島でシラスを食べる

 あいにくの雨天となっているが、江ノ電で各駅毎の乗降を繰り返し、ようやく江ノ島駅に到着した。 駅を降りてから、「湘南すばな通り」を歩いて今日の最終目的地である江ノ島へ向かって歩いていく。  歩くこと10分ほどで、江ノ島弁天橋まで来た。  橋の右手に、「名勝史跡江ノ島」と白字で書かれた大きな石碑が建っている。  雨天で…
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奈良散歩 その40 西大寺 

  昼時となっていたので、唐招提寺前の食堂で昼食とした。  食べたのは500円のこのカレーライスで、薬師寺と唐招提寺を気持ちを込めて歩いたので、お腹の方もすっかり空状態で、一気においしくカレーを完食した。午後の日程だが、垂仁天皇陵、喜光寺、西大寺、秋篠寺などを巡る予定としていた。 最初に、西大寺に向かった。 西大寺は奈良時代に…
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サロベツ川の旅  その5  2回戦も敗退!!

2回戦は②のパンケ沼が舞台となる。  パンケ沼の概要だが、幌延町に位置し、面積は3.47km2、アイヌ語で「下にある沼」を意味する。(ペンケ沼はアイヌ語で「上にある沼」の意味)、海の一部が閉塞されてできた海跡湖で、沼とその周辺は泥炭地となっている。  天塩川河口域からの海水がサロベツ川を経由して流入するため汽水環境が保たれ、ヤマトシジ…
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ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」 最終回 抜粋

わが百姓女が手に入れた恍惚がよし、どれほど高値につこうとも 何の不足がそこにあろう? かの女はほお笑んでいるわれらはかの女のために悲しむまい。森の贈る 静けさにもまして深く、甘やかなものはない冬空の 寒さの下に身動きもせず戦(おのの)きもせず 立ちつくす時。何処として、ここより他に こんなにも深くのびのびと疲れた胸の息づける処はないされ…
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越前と若狭の旅 その5 三国湊口留番所跡などを見学 

続いて、へ;三国湊口留番所跡、と;湊銭取立所跡を散策した。 最初に三国湊口留番所跡である。 この番所は口留御番所ともいわれ、福井藩が三国湊に出入りする貨物を監視するために置いたもので、1644年に町端から丸岡藩滝谷出村との地境の現在地に移転した。 出入りの貨物には種類により銀高に口銭一分から三分を課して、三国湊の港湾機能に関わ…
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探険家の歴史 第1部 その6 7大陸最高峰に挑んだ日本の若き冒険者達 その1

7大陸最高峰を列記していく。 1 [ヨーロッパ] エルブルース(5633m /ロシア) (以前はモンブランとされていたが、今はカフカス(コーカサス)山脈最高峰のこの山がヨーロッパ最高峰となっている。) 2 [アフリカ] キリマンジャロ(5895m /タンザニア)  (ヘミングウエーの「キリマンジャロの雪」…
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感動する論語  孔子は弟子に「仁」を、こう語った。(k)

 孔子は仁とは何かと弟子に聞かれた時に、相手に合わせて答えている。  面白いので紹介する。  まず、徳行の顔回(孔子の自慢の弟子)  弟子の顔回が「仁とはどういうことですか」と訊いたので、「私利私欲に打ち勝って、公共の福祉に寄与することだ。たった一人の人間が1日でもそれを実践したなら、やがては世の中に仁が行き渡るようになる…
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近江街道をゆく その22 小谷城跡を歩く

 国友から小谷城跡に向かった。 戦国時代、「近江を制するものは天下を制す」といわれたほど、近江は天下を左右する重要な位置にあり、数多くの戦乱の場となり多くの城郭が築城された。小谷城は長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城で、日本五大山城の一つに数えられている。 城は戦国大名浅井氏の居城として標高約495m小谷山…
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(動画)韓の国の旅 その8-1 昌徳宮を訪ねて

 正宮である景福宮に対する離宮として創建された。 現在の韓国国内の宮殿の内、最も創建時の面影を残している宮殿であり、日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。 動画クリックです!!http://www.youtube.com/watch?feature=player_de…
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韓の国の旅その39 世界遺産の昌徳宮を見学 その4 宣政殿や御車庫(オチャゴ)

 仁政殿の右どなりに進むと、現在韓国に残っている唯一の青い瓦の宮殿で有名な宣政殿が見えてくる。  宣政殿は王の公式の執務所で、国事を議論したり、学者や官僚が儒教の経典や歴史を勉強したり、儒生たちを集めて試験をしたり、宴を行った重要な建物。この辺まで来るとほとんど方向感覚がおかしくなっているので、再度現在位置等を確認する。  昌徳宮の全体…
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インディオ色の名曲 El condor pasa コンドルは飛んでいく

 フォルクローレ(民謡の形を借りたポピュラー音楽)の名曲。1913年、ペルーの民俗音楽家ロブレスDaniel Alomias Robles(1871―1943)が、インディオの民話に基づくサルスエラ(歌劇の一種)の主題曲として作曲。インディオ色の濃い、哀愁のこもったメロディにのち数種の歌詞がつけられている。アメリカのフォーク・デュエット…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第24回はアルメニア

 コーカサス山系の奥深く、アルメニアという国がある。  トルコと国境を分け、首都エレバンからはノアの箱舟が着いたと伝説にされているアララッド山が望まれる。  9月19日(水)、トビリシのホテルイベリアを午前9時に出発、バスで12時間以上かけてセバン湖経由でアルメニア共和国の首都エレバンへ向かった。 【写真は、途中で出会…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その31 腰越状の満福寺を見学

鎌倉高校前駅から江ノ電に乗り、次の駅である腰越駅に降りた。 江ノ電腰越駅傍の踏切を渡り、写真右手の海岸道路を向こう方向に歩いていく。 約250メートル程歩き、再び踏切を渡ると、目の前が義経の腰越状で有名な真言宗大覚寺派の満福寺である。 踏切後方の階段を上がっていく。 1185年5月、源義経が兄頼朝の怒りを買って鎌倉入りを…
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奈良散歩 その39 金堂で唐招提寺を終える 

講堂の次に、すぐ裏にある開山堂へ行った。   開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後1881年に鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築された。   国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていたが、2013年に大和上のお姿を写した「御身代わり像」が…
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北海道の先住民「アイヌ」の食文化

 道の駅~びふかの後方の美深森林公園びふかアイランド内の『びふか温泉』と道を挟んだ正面に、武四郎歌碑及び踏査之地碑がある。  1857年(安政4年)の天塩川流域踏査行時の6月13と24日の往復とも、武四郎は恩根内の先住アイヌ人であるエカシテカニの家に宿泊した。  武四郎は手厚くもてなしてくれたお礼として、和歌2首を送っている。   …
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越前と若狭の旅 その4 三国湊の旧遊郭地帯を散策する

次にろ地点の地蔵堂である。   ここの地蔵は延命子安(安産と子授けのお地蔵さま)とのことである。 またこの傍の坂は地蔵坂と呼ばれ、この近くには三国湊の世に名高い遊郭があったという。 その地蔵坂を、これから下って行く。 ここは昭和を代表する詩人三好達治が愛したという、元料亭「たかだや」である。 三好達治も高見順と同じ…
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探険家の歴史 第1部 その5 世界最高峰に挑んだ男たち

        世界最高峰エベレストです ↑  関野吉晴はグレートジャーニーの旅を、人類拡散の歴史の最終到達点、南米のナバリーノ島から始めた。  そこは人類最終の到達点であり、人間の平面的な拡散の、最も遠くへ到達した地点でもあった。  一方、人類が地上から上方へ到達した地点となると、この地球上ではヒマラヤ山脈のエベ…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の諸流 その5 茶道は道教の仮りの姿

 日本はシナ文化の先蹤を追うて来たのであるから、この茶の三時期をことごとく知っている。 早くも729年聖武天皇奈良の御殿において百僧に茶を賜うと書物に見えている。茶の葉はたぶん遣唐使によって輸入せられ、当時流行のたて方でたてられたものであろう。 801年には僧最澄、茶の種を携え帰って叡山にこれを植えた。 その後年を経るにしたがって貴族僧…
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近江街道をゆく その21  鉄砲の里国友を歩く

 寝物語の里から40分ほどかけて、長浜市南部の姉川沿いにある鉄砲の里で有名な国友町に入り、そこの資料館前に車を留めた。 国友鉄砲の里資料館は滋賀県長浜市にある博物館で、戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友の歴史資料の保存と紹介を目的として1987年10月10日に開設された。 さっそく館内に入った。 館内…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その38 世界遺産の昌徳宮を見学 その3 仁政殿

 仁政門を入ると、正面に仁政殿が圧倒的な迫力で待ち構えている。  仁政殿では王の即位式や臣下の礼、外国使臣の接見などの重要行事が行われた。  その前の広大な広場には石が敷かれていて、仁政殿での王の即位式や臣下の礼、外国使臣の接見などの重要行事がここで取り行われた。 そこには正一品から九品までの位階に従って列するための石柱が左右に並ん…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その6 宮沢賢治を歩く

 宮沢賢治の生きた時代は20世紀初頭の時代で、戦争や貧困が日常のように庶民に襲い掛かり、地方の裕福な階級として何不自由の無い生活をして来た心あるインテリ層を、突然革命家に変えるような時代だった。  北上川と豊沢川が合流する地点、豊沢川の右岸で北上川を臨む小高い丘の一角に、賢治が妹トシを失い、稗貫農学校の教員を辞めてから住んでいた羅須地人…
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