越前と若狭の旅 その20 感動の宝慶寺への旅

永平寺を出て、越前大野市と池田町の境あたりに位置する曹洞宗の第二道場である宝慶寺という禅寺に向かった。

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永平寺から足羽川沿いの黄線の道を走り、オレンジ矢印地点の宝慶寺を目指して進んでいく。

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途中越前大野の街の越前そばえびす屋で昼食とした。

永平寺からここまで1時間程かかり、時間は午後1時半となっていた。

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食べたのはミニおろしそば付きのソースカツ丼で、おろしそばもソースカツ丼も福井県の名物となっている食べ物である。

料金は1000円ちょうどで、そう美味しいとも思わないで、お膳に並んだ食べ物をお腹の中に入れた。

食堂を出ると、天気は本格的な大雨の様相となってきていたが、構わずに目的地である宝慶寺に向かった。

宝慶寺は越前大野市とは言っても、市街地から12kmも離れた清滝川の上流標高500メートルの深い森の中にあり、そこへは10km以上も続く杉木立の中を走らねばならない。

大雨でもあり途中で心細くなるほどであったが、どうにか宝慶寺に辿り着いた。

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参道から境内に入る正門である表門の総門が見えている。

この寺は司馬遼太郎も訪ねており、「街道をゆく 越前の諸道」には巻頭から80ページを超えるまで、宝慶寺と寂円と道元に関する事が書かれている。

僕もその部分を読んでここへ辿り着いたので、この寺に到着した時は心底感動した。

更に参道を進んでいく。

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寂円は道元の弟子で、道元には「宝慶記」という短い著述がある。

道元が宋にあったとき、遍歴して天童山の如浄という老禅者と会い大いに惹かれたが、「宝慶記」はその如浄との道交についての道元のメモである。

「参禅は身心解脱なり。焼香、礼拝、念仏、脩さん、看経を用いず。只管打座(ひたすらなる座禅)のみ。身心解脱とは座禅なり。」

という有名なことばも、如浄のことばとして「宝慶記」にある。

司馬は寂円が寺を建てる時に寺号を宝慶寺とした理由をこう書いている。

一つは道元の「宝慶記」を座右の銘に置いていたこと、一つは寂円自身が天童山で如浄の弟子だったこと、一つは如浄のもとで道元にめぐりあったのが宝慶年間だったこと、更には故国を偲ぶためにその年号を寺号にした。

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いよいよ山門、この門は本堂(仏殿)に到るときくぐる門である。

古くは三門といい、三解脱門(空・無相・無作の三門)の略で、ここの山門は優雅な楼門で二階には美しい回縁がついており、正面には額がかかっていて「日本曹洞第二道場」とある。

寂円は道元亡き後永平寺を去ってこの地に来り、銀杏峰の麓谷あい深く分け入って座禅を組み、今から七百年前の鎌倉時代の中頃に宝慶寺を創建した。

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山門をくぐると法堂である。

正面入口の「宝慶寺」の額は、水戸光圀の配慮で来日し、1692年に宝慶寺を訪れた中国僧心越禅師の染筆である。

ここ法堂では法要儀式の厳修、説教、教典の講義などが行われる。

仏殿、開山堂、僧堂、庫裡については、この時更に雨の勢いが増しここで帰路としたため、省略とする。

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後日ネットで、宝慶寺の薦宝閣(宝物館)で所蔵している道元画像と、境内にある寂円観音像を検索したので、ここで紹介する。

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ここで宝慶寺を終えるが、この寺には道元の教えそのもの(只管打座)が今でも生きているような気が強くして、帰路もその感動で心が高揚して落ち着かなかった。


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