岡倉天心 茶の本 第四章 茶室 その3 茶室は仮の宿


 これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。


利休はその子紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていた。


紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた。


いやいやながら一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。


庭石は三度洗い石燈籠や庭木にはよく水をまき蘚苔こけは生き生きした緑色に輝いています。


地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。

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こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦にしきを片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。


利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。


「好き家」という名はある個人の芸術的要求にかなうように作られた建物という意味を含んでいる。


茶室は茶人のために作ったものであって茶人は茶室のためのものではない。


それは子孫のために作ったのではないから暫定的である。


人は各自独立の家を持つべきであるという考えは日本民族古来の習慣に基づいたもので、神道の迷信的習慣の定めによれば、いずれの家もその家長が死ぬと引き払うことになっている。


この習慣はたぶんあるわからない衛生上の理由もあってのことかもしれない。


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また別に昔の習慣として新婚の夫婦には新築の家を与えるということもあった。


こういう習慣のために古代の皇居は非常にしばしば次から次へとうつされた。


伊勢の大廟を二十年ごとに再築するのは古いにしえの儀式の今日なお行なわれている一例である。


こういう習慣を守るのは組み立て取りこわしの容易なわが国の木造建築のようなある建築様式においてのみ可能であった。


煉瓦石材を用いるやや永続的な様式は移動できないようにしたであろう、奈良朝以後シナの鞏固な重々しい木造建築を採用するに及んで実際移動不可能になったように。


 しかしながら十五世紀禅の個性主義が勢力を得るにつれて、その古い考えは茶室に連関して考えられ、これにある深い意味がしみこんで来た。


禅は仏教の有為転変の説と精神が物質を支配すべきであるというその要求によって家をば身を入れるただ仮の宿と認めた。


その身とてもただ荒野にたてた仮の小屋、あたりにはえた草を結んだか弱い雨露しのぎ――この草の結びが解ける時はまたもとの野原に立ちかえる。


茶室において草ぶきの屋根、細い柱の弱々しさ、竹のささえの軽やかさ、さてはありふれた材料を用いて一見いかにも無頓着らしいところにも世の無常が感ぜられる。


常住は、ただこの単純な四囲の事物の中に宿されていて風流の微光で物を美化する精神に存している。






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