石川啄木と函館 その1 啄木小公園にて

 啄木が妻子を盛岡に、老婆を渋民に残し、妹の光子と津軽海峡を越えたのは、明治40年(1907年)5月4日で、まず函館に居を構えた。
 その後札幌、小樽、釧路と北海道を遍歴放浪することになるが、ここでは啄木の函館時代に触れることにする。
 平成26年(2014年)に11泊12日の日程で北海道の道南地方を旅したことがあり、その時に啄木の旧跡等を訪ねて函館の街を歩いた。
 これからしばらく、その時のことを書いていく。
 平成26年(2014年)6月23日の午後から、啄木小公園と立待岬に行った。
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 まずはじめに石川啄木ゆかりの地である赤字1の大森浜にある啄木小公園、それから赤字2の外人墓地など箱館西端、最後に赤字3の、これも石川啄木ゆかりの地である立待岬に行ったが、赤字2の外人墓地など箱館西端は、ここでは省略する。
 まず、啄木小公園に車を走らせた。
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 啄木小公園では浜茄子の花が真っ盛りで、大森浜に向かって華やかに咲き競っていた。
 浜茄子の花の向こうには、遠く立待岬が見える。
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 公園の隅には、石川啄木の歌が刻まれている石碑が、浜茄子の花に囲まれてひっそりと建っていた。
 刻まれている歌は、歌集「一握の砂」の中の「忘れがたき人々一」の冒頭の歌である、「潮かをる北の浜辺の 砂山のかの浜茄子よ 今年も咲けるや」である。
 啄木の歌は三行詩の形式を取っているので、1行に記すると味も素っ気もない。
 公園の一番立待岬側には、啄木の石像を乗せた碑が建っている。
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 ここにも啄木の歌が刻まれていたが、近くに寄って見ると、同じく「潮かをる北の浜辺の 砂山のかの浜茄子よ 今年も咲けるや」であった。
 この場に立って小さな声を出してこの歌を読むと、何となく僕も、啄木になったような気がした。

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