岡倉天心の「茶の本」 第四章 茶室 その2 茶室は簡素で清浄


茶室の簡素清浄は禅院の競いからおこったものである。


禅院は他の宗派のものと異なってただ僧の住所として作られている。


その会堂は礼拝巡礼の場所ではなくて、禅修行者が会合して討論し黙想する道場である。


その室は、中央の壁の凹所、仏壇の後ろに禅宗の開祖菩提達磨の像か、または祖師迦葉と阿難陀をしたがえた釈迦牟尼の像があるのを除いてはなんの飾りもない。


仏壇には、これら聖者の禅に対する貢献を記念して香華がささげてある。


茶の湯の基をなしたものはほかではない、菩提達磨の像の前で同じ碗から次々に茶を喫むという禅僧たちの始めた儀式であったということはすでに述べたところである。


が、さらにここに付言してよかろうと思われることは禅院の仏壇は、床の間――絵や花を置いて客を教化する日本間の上座――の原型であったということである。


わが国の偉い茶人は皆禅を修めた人であった。


そして禅の精神を現実生活の中へ入れようと企てた。



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 こういうわけで茶室は茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している。

正統の茶室の広さは四畳半で維摩の経文の一節によって定められている。


その興味ある著作において、馥柯羅摩訶秩多は文珠師利菩薩と八万四千の仏陀の弟子をこの狭い室に迎えている。


これすなわち真に覚った者には一切皆空という理論に基づくたとえ話である。


さらに待合から茶室に通ずる露地は黙想の第一階段、すなわち自己照明に達する通路を意味していた。


露地は外界との関係を断って、茶室そのものにおいて美的趣味を充分に味わう助けとなるように、新しい感情を起こすためのものであった。


この庭径を踏んだことのある人は、常緑樹の薄明に、下には松葉の散りしくところを、調和ある不ぞろいな庭石の上を渡って、苔こけむした石燈のかたわらを過ぎる時、わが心のいかに高められたかを必ず思い出すであろう。


たとえ都市のまん中にいてもなお、あたかも文明の雑踏や塵を離れた森の中にいるような感がする。


こういう静寂純潔の効果を生ぜしめた茶人の巧みは実に偉いものであった。


露地を通り過ぎる時に起こすべき感情の性質は茶人によっていろいろ違っていた。


利休のような人たちは全くの静寂を目的とし、露地を作るの奥意は次の古歌の中にこもっていると主張した。




見渡せば花ももみじもなかりけり


    浦のとまやの秋の夕暮れ




 その他小堀遠州のような人々はまた別の効果を求めた。


遠州は庭径の着想は次の句の中にあると言った。




夕月夜 海すこしある 木の間まかな




彼の意味を推測するのは難くない。


彼は、影のような過去の夢の中になおさまよいながらも、やわらかい霊光の無我の境地に浸って、渺茫たるかなたに横たわる自由をあこがれる新たに目ざめた心境をおこそうと思った。




こういう心持ちで客は黙々としてその聖堂に近づいて行く。


そしてもし武士ならばその剣を軒下の刀架にかけておく、茶室は至極平和の家であるから。


それから客は低くかがんで、高さ三尺ぐらいの狭い入り口〔にじり口〕からにじってはいる。


この動作は、身貴きも卑しきも同様にすべての客に負わされる義務であって、人に謙譲を教え込むためのものであった。


席次は待合で休んでいる間に定まっているので、客は一人ずつ静かにはいってその席につき、まず床の間の絵または生花に敬意を表する。


主人は、客が皆着席して部屋へやが静まりきり、茶釜にたぎる湯の音を除いては、何一つ静けさを破るものもないようになって、始めてはいってくる。



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 茶釜は美しい音をたてて鳴る。

特殊のメロディーを出すように茶釜の底に鉄片が並べてあるから。


これを聞けば、雲に包まれた滝の響きか岩に砕くる遠海の音か竹林を払う雨風か、それともどこか遠き丘の上の松籟かとも思われる。


日中でも室内の光線は和らげられている。


傾斜した屋根のある低いひさしは日光を少ししか入れないから。


天井から床に至るまですべての物が落ち着いた色合いである。


客みずからも注意して目立たぬ着物を選んでいる。


古めかしい和らかさがすべての物に行き渡っている。


ただ清浄無垢な白い新しい茶筅と麻ふきんが著しい対比をなしているのを除いては、新しく得られたらしい物はすべて厳禁せられている。


茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物が全く清潔である。


部屋の最も暗いすみにさえ塵一本も見られない。


もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないのである。


茶人に第一必要な条件の一掃き、ふき清め、洗うことに関する知識である、払い清めるには術を要するから。


金属細工はオランダの主婦のように無遠慮にやっきとなってはたいてはならない。


花瓶からしたたる水はぬぐい去るを要しない、それは露を連想させ、涼味を覚えさせるから。


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