石川啄木と函館 その4 「友の恋歌矢ぐるまの花」の青柳町を散策Ⅰ

 翌日の平成26年(2014年)6月25日も、良く晴れて暑い一日となった。
 午前中「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」で有名な青柳町を散策した。
 グルメの街である函館でいろいろ間食し過ぎ、それがたたったのか食欲なしで、朝飯抜きでのスタートとなった。
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 ホテルから5分程歩き、宝来町で電車に乗り、ひと駅先の青柳町に降車した。
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 青柳町には啄木を受け入れた苜蓿社(ぼくしゅく=うまごやし)の同人である吉野白村や岩崎白鯨や松岡蕗堂達が住んでいて、松岡蕗堂の借間に苜蓿社の看板も出ていた。
 苜蓿社の同人たちとの歌会で、啄木は「一握の砂」や「悲しき玩具」に収録されている秀作を次々と生み出していくのである。
 青柳町は函館での啄木の活動の拠点であり、最も彼の青春の情熱を燃やした場所でもあった。(黄三角の中が、主な活動拠点)
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 古本屋で買った阿部たつを(函館の小児科の開業医で、歌人としても有名)著の「啄木と函館」に添付してあったこの地図を頼りに、青柳町を散策してみた。
 結論から言うと、青柳町での苜蓿社や彼らが刊行した紅苜蓿の痕跡は皆無で、はっきりそれと判るのは、函館公園の啄木碑と、啄木が7月7日に家族を呼んで住んだ居宅跡の表示版のみだった。
 それではまず、函館公園の啄木歌碑から見学である。
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 この歌碑の近くに歌碑の説明掲示版があったので紹介する。
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 歌碑とあるからには、啄木のどんな歌が刻まれているのだろうかと気になって近くに寄ってみたが、60年以上の風雪に耐えられず風化が進んだのか、やっと刻まれている文字が読める程度の歌碑だった。
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 やはり予想通り、ここに刻まれていた歌は「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」だった。

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