奈良散歩 その70 救世観音との対面 

 いよいよ憧れの夢殿、そして救世観音との対面の時がもうすぐそこまで迫っている。
 夢殿は東院の中心に位置しているが、もともとは法隆寺の所属ではなかった。
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 夢殿の建つ土地はもともと聖徳太子一族の住まい「斑鳩の宮」があった場所で、7世紀の中頃に戦乱の中で焼失し、それを惜しんだ法隆寺の高僧行信は、同じ地に夢殿を含む上宮王院を建立した。
 その上宮王院が法隆寺に統合されて、現在まで続いてきたのである。
 これから夢殿壇上に上がり、救世観音の見える位置まで歩いて行くが、内部撮影は厳禁ということなので、壇上から見た外の風景だけ撮影していく。
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 夢殿は聖徳太子を供養する堂として建てられた堂で、八角円堂という夢殿のつくりも、円堂は故人を供養する堂の形という定めに由来していて、内部には太子ゆかりの遺品が集められているのである。
 622年に聖徳太子が49歳で亡くなってから約100年後の739年頃に、夢殿は建立されたとされている。
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 聖徳太子信仰が大きく高まり、夢殿はやがて信仰の中心地となり、夢殿に集まる聖徳太子信仰の力が欲しくて、法隆寺はついに上宮王院を吸収合併したのである。
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 堂をほぼ三分の二周歩いて、この方々ののぞき込んでいる場所に、秘仏救世観音が安置されている。
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 撮影厳禁なので、ネット資料にて秘仏救世観音を紹介していく。
 像高178.8cmで、頭部から足を乗せる台座蓮肉(蓮の花托)まで一木で彫られ、漆などを塗り金箔を押していて、秘仏として大切に保存されていたため、当初の金がよく残っている。
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 腰高のすらりと優美な立ち姿と、くっきりした目鼻立ちに独特の笑みが印象的なこの像は、法隆寺に残る記録から、聖徳太子等身大の像として伝えられてきた。
 救世観音の救世とは、衆生を苦しみの世から救うということを意味し、その名は仏教の経典には登場しないが、聖徳太子が最初に講じた法華経にちなんだ尊名とも考えられている。
 救世観音を見た印象だが、期待していただけのことはあって、造られた時と同じように美しく神々しい光を放っているように見え、本物に触れる喜びを五体で感じた。
 まだまだ新しい素晴らしい仏像という印象である。
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 夢殿壇上から降りて、最後にもう一度夢殿を仰ぎ見た。
 岡倉天心やフェノロサが祟りや天災を押しのけてでも見たかった秘仏の救世観音を、法隆寺見学の最後の土産としてしっかり両眼に焼き付けた喜びは、旅の思い出としていつまでも残っていくに違いない。

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