ジュンチャンと世界を巡る 第41回はヨーロッパのミニ国家

 今回と次回は、ヨーロッパのミニ国家を取り上げます。  ミニ国家とは規模の非常に小さい主権国家のことで、極小国家、微小国家、マイクロステートなどともいいます。  成立には二通りあり、一つ目が宗教的意義からある地域に特権的な地位が認められ、国家となっている例で、バチカンがこれにあたります。  二つ目が、小国が近代国民国家の形…
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2021年6月26日 続ワラビの季節 その1 「旅するように人生を生きてみたい」  

 6月21日、午前中から出していた車の定期点検が無事終わって夕方帰って来たが、点検パックというものに入っていたおかげで、今回は4000円弱の出費で済みそうだ。 今乗っている車はスバルレガシーツーリングワゴンで、その前はスバルレオーネツーリングワゴンに乗っていた。 「どうせ人生生きるなら、旅するように人生を生きてみたい」という思いが、ロシ…
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「播磨と淡路のみち」 その16 室津民俗館 

龍野市立室津民俗館は龍野市室津にある博物館で、旧海産物問屋「魚屋」の脇本陣を兼ねた江戸時代築の商家の保存と公開を目的に開設された博物館である。 部屋数23畳数168枚の規模があり、館内には箱階段、隠し階段といった建具や江戸時代の室津の古地図、登城籠、民具類の展示がある。 庭もあって、今はかなりの部分が崩壊しているが、…
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奈良散歩 その72 藤ノ木古墳 

 昼食は法隆寺前の食堂でヒレカツ定食を食べた。 値段は1300円で、まあ妥当な値段だと思ったし、お腹も減っていたので美味しくいただいた。 昼食後は藤ノ木古墳と法輪寺と法起寺を巡った。 500m位の距離だったので、駐車場に車を置いたまま、食堂から歩いて藤ノ木古墳まで行った。 藤ノ木古墳までは、点在するコスモス畑を楽しみながら歩いた。 般若…
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金縷(きんる)の衣 杜秋娘

金陵(南京)の街に年若き人気妓女がいた。名を「杜秋娘」(としゅうじょう)と言う。唐の徳宗のときの地方官吏、「李錡」(りき・浙西観察諸道塩鉄転運使)は杜秋娘に惚れて愛妾にした。杜秋娘はそのときまだ15歳だった。揚子江の金陵あたりの流れは清く、そこで生まれた女性は容色が優れているといわれ、その中でも杜秋娘は格別で、紅おしろいの化粧も必要ない…
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越前と若狭の旅 その39 賤ヶ岳古戦場から塩津まで

木之本から賤ヶ岳古戦場を目指した。 ここで行われた賤ヶ岳の戦いは、1583年に賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉と織田家最古参の重臣柴田勝家との戦いである。 秀吉はこの戦いに勝利することによって、亡き織田信長が築き上げた権力と体制の正統な継承者となったのである。 賤ヶ岳合戦跡は余呉湖の周辺に沢山あり、今回の旅の目的には入…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 プロローグ

 今から800万年ほど前、地球の地殻変動が激しくなり、エチオピアからタンザニアまで走っている、世界最大の大地溝帯(グレート・リフト・バレー)が生まれた。  大地溝帯の東側は上昇、西側は沈下して巨大な壁が出来た。西側から吹いてくる湿った風がもたらす雨は、壁を乗り越えられず、全部西側に雨をもたらした。すると東側のケニア…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その4 真の鑑賞力

 現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない これに連関して小堀遠州に関する話を思い出す。 遠州はかつてその門人たちから、彼が収集する物の好みに現われている立派な趣味を、お世辞を言ってほめられた。 「どのお品も、実に立派なもので、人皆嘆賞おくあたわざるところであります。これによって先生は、利休にもまさる趣味をお持ちにな…
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能登(日本道)への道 その6 七尾城跡前で 

近くにいた人に聞いたら車で10分ほどでいけるという七尾城跡や城山展望台だが、レンタカーを完全に把握してないこともあり、理性が慎重に行動することを要求したので、今回は城跡へ行くのはやめて、懐古館や七尾城史資料館を見るにとどめた。 懐古館は旧飯田家の建物である。 約200年前に建てられた茅葺き民家で、戸を取り払うと大広間…
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耽羅紀行(済州島の旅) その24 天帝淵瀑布を歩く

 これから天帝淵瀑布へ降りて行く。  派手な七人の仙女像のレリーフを左手に見ながら谷底まで降りて行くが、ヤンガイドの話では、歩く距離は昨日行った龍頭岩の3倍ほどの距離だとか。  ヤンガイドご推奨のマイナスイオンたっぷりの場所を、いつもの渓流釣にでも行くような気分で歩いて行く。  ここは紛れも無く、渓流釣りの世界に入っていくような…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その6  「おくのほそ道 山刀伐峠越え」

今日の日程である。   まず、赤倉温泉から山刀伐峠を越えて尾花沢に向かう。この道は「芭蕉のおくのほそ道」でもあり、その部分を紹介する。  「5月17日。快晴。堺田出発。笹森関所を越えて山形領最上町内へ。天下の難所山刀伐峠<なたぎりとうげ>を越えて尾花沢に出、昼過ぎ鈴木清風宅にようやく草鞋を脱ぐ。」   赤矢印の部分が…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その6 宗谷岬にて(最終回)

 宗谷岬、ここが今回の旅の最終目的地であり、ここで平成23年度9月の「天塩川の旅」は終わりとなり、あとは小樽へ戻ってそこからフェリーに乗って帰るだけである。  早速「日本最北端の地」と記された石碑のある方へ向かった。  その途中には間宮林蔵のりっぱな像が立っている。  少し離れて、日本最北端の地と記された石碑が建てられている。   …
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「播磨と淡路のみち」 その15 室津の街を歩いていく 

廻船問屋嶋屋は瀬戸内海を中心として廻船の商売をしていた。 この土間は江戸時代後期の建物だが、その土間に置いてあるのが十分の一模型の弁財船で、この船を2隻所有して大きな利益を上げた。 その利益で、明治6年に増築したのがこの畳の部屋だとの説明で、部屋には江戸時代に室津が栄えた証拠となる歴史的な資料が展示されていた。 …
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奈良散歩 その71 中宮寺 

 うす暗かったがカラフルな色はしっかりと確認でき、今日は救世観音を見ただけで何もいらない、これで充分であると思ったが、まだまだ見たいものはあると思い返して、次に隣の中宮寺に行った。 中宮寺は法隆寺に隣接していて、聖徳太子が母后のために創建した仏教の尼寺である。 寺は現在法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は500メートルほど東の現・中宮…
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「オホーツク街道」の旅 その6 天塩町到着、川口遺跡を見る!!

 苫前を過ぎてからはそう見所も無く、羽幌、初山別、遠別を通過し、今日の目的地である天塩町に、午後3時過ぎに到着した。  天塩町は去年の天塩川の旅で散策しているので特に見たいと思うところも無かったが、天塩川と併行して南北に細長く伸びる砂丘上に立地する川口遺跡だけは見てみたかったので、そこへ直行した。  遺跡は天塩市街から1.5㎞の天塩川河…
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越前と若狭の旅 その38 北国街道(東近江路)をゆく

これから「北国街道」をゆく。 北国街道とは、奈良や京都の都から北陸地方へ延びていた旧街道で、7世紀半ば(飛鳥時代)に築かれた渟足柵(現在の新潟市沼垂付近)がこの道の終着地点となっていたというが、後に鼠ヶ関まで延伸された。 僕がこれから駆け抜ける北国街道は今庄宿〜木之本宿~鳥居本宿と繋ぐ街道で、京都~海津〜敦賀と繋ぐ琵琶湖西岸を走る西…
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甲州街道と佐久平みち その10 信玄堤を見る

 県立美術館の職員から場所を聞いて、楽しみにしていた信玄堤に向かった。信玄堤は山梨県甲斐市竜王にある堤防で、武田信玄により築かれたとされている。  堤防の位置は信玄橋の下流のピンク色で囲まれた地帯だと教えてもらったが、いくら探してもそんなものはなく、消防訓練の一団が車でやって来て、駐車しているレンタカーが訓練の邪魔になると…
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2020年8月の早朝アジ釣り 2回目と3回目

 4年ぶりに、「8月の好天の早朝だけ、朝飯前の1時間ほど」アジ釣りをすることにしたが1回目は8匹が釣れた。  2回目の8月11日(火)も、先回以上の釣果を期待して、午前5時に家を出発し、15分くらいで釣り場に到着、午前5時半には準備を終え、棹を河に投入した。 釣り場も、先回と同じ「信濃川ウォーターシャトル」乗り場付近で、今回も、2本の棹…
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思い出の中の川 第3回 関川村A沢

  第3回は、2004年6月27日に釣行した関川村A沢である。 季節は既に夏で、梅雨時期の晴れ間をぬっての釣りで、一面緑の田んぼの畦道に、ピンク色の可愛い花が咲いていた。 A沢を抱える森は、一層緑の色を濃くして深くなっていく。 この沢で尺岩魚を釣ったのは2002年5月19日に釣った33cmが初めてであるが、この日この沢で2匹目の尺岩魚を…
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能登(日本道)への道 その5 国守の印と、正倉を祀る印鑰(いんにゃく)神社を見学

印鑰神社の次に、30分ほどかけて能登国分寺跡に向かった。 この黄矢印の地点の能登国分寺公園内に能登国分寺跡がある。 まず能登国分寺展示館に入って、国分寺跡の概要を知り資料等をいただいた。 能登国分寺は、かつてこの地方を支配していた能登臣(のとのおみ)の一族が白鳳時代末に建てた大興寺を、843年に国分寺として昇格…
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耽羅紀行(済州島の旅) その23 天帝淵瀑布到着

 トケビ道路を後に、僕等のツアーは漢拏山を左手に眺めながら、一路中文を目指す。ここで、今日の大まかな見学日程を紹介する。  午前中の見学は赤字1の天帝淵瀑布だけで、昼食は中文観光団地から車で10分の大侑狩猟場の中にある牛歩苑でキジ肉のしゃぶしゃぶ料理。  午後1番目は赤字2のオルレ道の散策で、済州ロッテホテルから済州新羅ホテルまでを歩く…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第40回はオーストリア(D)

 オーストリアは西欧とロシアの間に位置し、中欧に650年間ハプスブルク家の帝国として君臨し、第一次世界大戦まではイギリス、ドイツ、フランス、ロシアと並ぶ欧州五大国(列強)の一角を占めていました。  首都「ウィーン」は、長きにわたりヨーロッパの中心都市として音楽や建築など多様な芸術文化が花開いた都市であり、その名残は今も街のあちこ…
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2021年6月12日 ワラビの季節 その3 光兎神社前で釣る  

 さて、ワラビ採りがひと段落したところで朝食、時間は午前7時55分となっていた。 朝食場所は女川最下流集落の桂集落の川べり、今日は曇りで朳差岳の残雪も全く見えないし、このあたりの女川の川水はほとんど止まっているようである。 今朝の朝食メニューは、ジューシーハムのサンドイッチ、納豆巻き、なめこの味噌汁、そして家の冷蔵庫から持ってきたトマト…
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「播磨と淡路のみち」 その14 「播州揖保川・室津みち」の始まりは室津から

今日からレンタカーで1泊2日の旅となる。 日程はこのようなもので、司馬さんの「街道をゆく 播州揖保川・室津みち」で司馬さんが歩いた道を同じように歩いていく旅となる。 ホテルでの朝食後、室津港を目指してレンタカーを走らせた。室津までの距離は22km程で、順調に走って行けば1時間ほど…
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奈良散歩 その70 救世観音との対面 

 いよいよ憧れの夢殿、そして救世観音との対面の時がもうすぐそこまで迫っている。 夢殿は東院の中心に位置しているが、もともとは法隆寺の所属ではなかった。 夢殿の建つ土地はもともと聖徳太子一族の住まい「斑鳩の宮」があった場所で、7世紀の中頃に戦乱の中で焼失し、それを惜しんだ法隆寺の高僧行信は、同じ地に夢殿を含む上宮王院を建立した。 その上宮…
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CONVERSATION PEACE スティーヴィー・ワンダー(D)

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I  スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder, 本名:Stevland Hardaway Judkins, 1950年5月13日 - )はアメリカのミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。歌のほか、様々な楽器を演奏するマ…
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本多勝一「カナダ・エスキモー」

 日本におけるルポルタージュの "古典" とでも言うべき本。 『エスキモー』という人びとの存在は知っていても、その生活については全く知らなかったので、驚きの連続となる印象的な本。  『エスキモー』は「酷寒の地で生活する民族」というイメージぐらいしかなかったが、そこに描かれる生活様式はまさに想像を絶する世界である。  その1 「時…
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越前と若狭の旅 その37 北国街道の宿場町「今庄」でソバの昼食

織田一族発祥地を発ち、そこから10分程車を走らせ越前陶芸村に着いた。 越前陶芸村は越前焼発祥の地である越前町小曽原にある広大な陶芸公園で、福井県陶芸館や文化交流会館、越前焼直売所、芝生広場、陶彫公園、陶芸家の工房など、越前焼に関するさまざまな施設が揃っている場所である。 越前焼の誕生は今から約850年前の平安時代末期…
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探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その5 そして源流の地へ

 ミシシッピ源流の州はミネソタ州、この州には氷河時代の名残が無数の湖として残っている。  先住民の言葉で、ミネソタは「空の色をした水」の意味だと言う。  そこに暮らす州民の約半数は釣り人。湖畔には裏庭がすぐ湖という家が多数建っていて、モーターボートやジェットスキー,中には水上飛行機を係留して、週末の釣りを楽し…
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2021年6月12日 ワラビの季節 その2 大石川と女川でワラビ採り

 6月12日土曜日午前5時過ぎに自宅をスタートし、コンビニで朝食と昼食を買い、釣具屋で餌のミミズを一箱買って、いつもの道を走って大石川に辿り着いた。 大石川の鮖谷集落前の釣り場に到着したのは、午前6時26分のことである。 天気予報では今日は曇りで、雨は降らないようである。 車を停めたのは鮖谷橋を走り抜けた大石川左岸のいつもの場所で、釣り…
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能登(日本道)への道 その4 石川県立七尾美術館で長谷川等伯展を見学

 山の寺寺院群をさわりだけ散策して、これから石川県立七尾美術館に向かって歩いていく。  靴の調子も心配しながら、その後20分以上歩いて七尾美術館に到着した。 七尾美術館はドーム型の七つの屋根が特徴的な能登唯一の総合美術館で、能登にゆかりのある作品を中心に優れた作品を展示している。 春には、桃山時代に活躍した七尾出身…
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耽羅紀行(済州島の旅) その22 トケビ道路を見学

 ここで、2日目の日程とコースを再度紹介しておく。  赤四角で囲まれた部分が2日目に用意されている食事である。ウニワカメスープは既に食べた。   これから神秘の道路とも呼ばれている、トケビ道路を見学、その後済州島を北から南に横断し、島の南部の中文リゾートを中心に見学する。(赤四角の範囲が見学地となる。)  まず、トケビ道路の見学で…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その5 朝飯前に赤倉温泉街を散策

今夜の宿泊は、山形県最上町の赤倉温泉である。   宿は、赤星印の位置にある田代館である。   この田代館は1泊2食で6,000円(消費税なし)、夕食はビールを飲んだので、入湯税や消費税を含めて7,080円となった。どんな料理が出たのかは記録にも記憶にも残っていない。朝も早かったし釣行もしたので、この夜は布団に入るなり…
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ネットで拾った、素直に笑える話

先生 「教科書読め」 生徒 「はい。『最近家の姉が色づいてきました…』」 先生 「!? …その字は姉じゃない柿だ」 出勤したら、ロッカーに袋がさげてあって、メモがついていた。 里帰りしていた後輩からで、 「実家の姉です。食べて下さい」 と書いてあった。開けたら柿が入っていた。
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その5 間宮林蔵渡樺の地にて

  宗谷岬先端部の2〜3km手前に「間宮林蔵渡樺出航の地」がある。宗谷岬へ向かう前に立ち寄った。  間宮林蔵は、江戸時代末期の19世紀初頭、日本の北辺に20年以上滞在し、蝦夷・千島列島・樺太において数々の業績を残した探険家。  とりわけ樺太・東韃靼の探査では間宮海峡を発見し、その名を世界地図上に残した。 この案内板には、こう書か…
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「播磨と淡路のみち」 その13 好古園を散策

歴史博物館の次に、市内循環バスに乗ってCの好古園に向かった。 好古園は姫路市の姫路公園(姫路城)内にある日本庭園で、正式名は姫路城西御屋敷跡庭園好古園という。 好古園とは、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むものである。 西御屋敷・武家屋敷等の遺構をそのまま生かして作庭された総面積3.5ヘクタールの池…
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奈良散歩 その69 夢殿への道 Ⅱ 

 夢殿への道はまだまだ続いている。  広い道の右側に、「おみやげ」と書かれた幟旗を揚げている出店まである。  遣唐使や遣隋使になった気分で歩いているので、右手の土産物屋を眺める気分はさらさらなくて、正面に見える八角屋根の夢殿を目指すのみである。  ここまで来てもなおも心配になったので、念のため右端を…
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「オホーツク街道」の旅 その5 世界最悪の獣害の町苫前にて昼食タイム!!

 昼食は手軽なコンビニ弁当を買って其の辺で食べようと考えた。  苫前まで来ていた。  苫前は世界最悪の獣害と言われた三毛別羆害事件のあったところである。  この事件は1915年(大正4年)12月9日~14日に、苫前町三毛別(さんけべつ、現在の地名は三渓)でヒグマが民家を襲撃した事件。 羆(ヒグマ)が数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7…
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2021年6月12日 ワラビの季節 その1 我が家の庭

 コロナの時代の2年目、4月も終わりに近づいたが、我が家の庭は例年になく賑わっている。 それというのも、今までこんなに鮮やかに花びらを付けたことがないキングサリが、まるで黄金の十字架のように派手に左右の両枝いっぱいに派手な黄色の花びらをつけてくれたからだ。 南米のアンデスにでも行ったような感覚がして、半月くらいはこの状態が続いて楽しませ…
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古代エジプトのビール

 古代エジプト時代(紀元前3000年~紀元前2000年頃)にもビールは作られ、飲まれていた。 「食べ物」を表す象形文字が「一鉢のビールと一魂のパン」により構成されているところから、その大切さが想像できる。 古代エジプトの文明のビールは、パンと共に食べ物の象徴だった。 エジプトでのビール醸造の記録は、紀元前2000年頃から墓の壁画や象形文…
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越前と若狭の旅 その36 越前岬と「織田一族発祥地」を見学

越前岬は福井県丹生郡越前町血ヶ平に位置し、日本海(若狭湾東端)に面して越前海岸が緩く突出する地点にあり、ここは越前海岸一の絶景の地とのことでぜひ一度訪れたかった。 しかし、越前岬を探している間に、いつの間にか岬上の海抜133m地点に立つ越前岬灯台の駐車場まで来た。 駐車場からは白亜の越前岬灯台が見え、…
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甲州街道と佐久平みち その9 山梨県立美術館

 次に、山梨県立文学館の向かいに建っている山梨県立美術館に入った。  文化不毛の地と評されていた山梨県では戦後博物館建設構想など文化事業振興の気運が高まり、山梨県知事となっていた田邊圀男は1975年に山梨県立美術館の設置事業に着手し、翌1976年には山梨県農事試験場跡地に美術館の建設が着工された。田辺と初代館長の千澤テイ治によ…
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思い出の中の川 第2回 1992年の中継川

過去の釣行時に撮影した記録写真を元に、思い出の中に入ってしまった、もしくはすっかり忘れてしまった釣行のことを書くことにする。  釣り師の渓流釣り記録の中で記録に残っているのは、平成4年(1992年)4月18日の中継川釣行の時からで、この時初めて尺岩魚(31cm)を、山田さんの指導で釣り上げた。  師匠の山田さんが、まるで自分…
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能登(日本道)への道 その3 山の寺寺院群のさわり部分を散策

小丸山公園を出て、七尾の街をどう歩こうか思案していたが、初日はいつもの履き慣れた靴の代わりに、主に肉体労働をする人たちのための商品を扱っている店から安くて丈夫な靴を使って歩いていたが、どうもこの日はこの靴の調子が悪くて、見学箇所を大幅に縮小することにした。 これから山の寺寺院群に向かって歩いて行く。 山の寺寺院群は、1581…
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耽羅紀行(済州島の旅) その21 市内レストランで「ウニワカメスープ」の朝食

20014年4月15日(火)午前8時10分、ホテルをバスで出発、2日目の旅の最初は市内レストランで「ウニワカメスープ」の朝食である。 バスの着いた所はこんな場所である。 この店の入口の写真からハングル文字を検索して、店や場所を特定しようとしたが上手く出来なかったので、店の名も場所も???ということでご容赦。 …
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ジュンチャンと世界を巡る 第39回はスイス

スイスはドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインと国境を接した内陸に位置し、国内には多くの国際機関の本部が置かれています。  スイスといえばまず、アニメ作品の「アルプスの少女ハイジ」ですっかり有名になったアルプスが作り出す「美しい山々と湖が広がる大自然」が、第一に目に浮かびます。  そんな「アルプスの少女」…
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「播磨と淡路のみち」 その12 姫路城の周囲を散策 

姫路城散策を終えて、正午前にこの「たまごや」で昼食とした。 「たまごや」は姫路城の目の前にある玉子かけご飯専門店で、 直営鶏舎の良い環境と厳選飼料で育った親鳥が生むこだわり卵を使用した玉子かけご飯と、淡路産の焼き穴子が売りの人気の店である。 この店のメニューの中から、虎巻き玉子の穴子めしというものを食べてみた。 び…
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奈良散歩 その68 夢殿への道 

 大宝蔵院で西院伽藍を終え、これから東院伽藍の夢殿へ向かう。 黄⇒で示した道を歩いていくが、夢殿への道を遣隋使や遣唐使が歩いた道くらいの思いで、感慨を胸に抱きながらゆっくりと歩いて行く。 小用を足した後、11月のまだ紅葉には少し早い大宝蔵院横の小春日和の道を、のんびりと歩いて行く。 僕にとって、東院伽藍夢殿にある通称夢殿観音は、憧れの観…
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アメリカの精神的な先住民族「アーミッシュの人々」のこと(k)

 アメリカの先住民族とは言えないが、近代以前の生活洋式を基本として生活するアーミッシュの人々は、現代アメリカ社会の精神的な先住民族集団と言える。 ニューヨークの西、ペンシルベニア州からカナダにいたるまでの20州にわたり、広い範囲に住んでいて、十数万人の人口を持ち、その大多数は農業に従事している。 聖書に書いてある「質素に暮らせ」とい…
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悲しみのように ひそやかに エミリー・ディキンソン

悲しみのように ひそやかに As imperceptibly as grief          悲しみのように ひそやかにThe summer lapsed away, --       夏は過ぎ去ったToo imperceptible, at last,         あまりに ひそやかだったのでTo seem like p…
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越前と若狭の旅 その35  宝永旅庵から越前海岸まで

今夜の宿は養浩館の近くにある宝永旅庵である。 夕食は近くのローソンでマグロ巻きと鱒寿司と350mlの缶ビールを2本買って部屋で食べたが、夕食代は1,187円で予算内である。 朝起きて部屋から外を眺めた風景である。 今日はまず越前岬まで行き、そこから北国街道で琵琶湖東岸まで行き、そこから塩津街道で敦賀…
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探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その4 ハンニバル

 トムソーヤの冒険の舞台―ピーターズバーグ。  ミズーリ州ハンニバルは、そのモデルとなった町と言われている。  ハンニバルは「トムソーヤの冒険」の作者サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(マークトウェインの本名 1835-1910)の少年期住んでいた町。  サミュエルが4歳の時、クレメンズ一家は1839…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その3 暗示の価値

暗示の価値  大家は、東西両洋ともに、見る人を腹心の友とする手段として、暗示の価値を決して忘れなかった。 傑作をうちながめる人たれか心に浮かぶ綿々たる無限の思いに、畏敬の念をおこさない者があろう。 傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らしているではないか。 これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややかなものではないか。 前…
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レモン哀歌 MOMO MONDEN

レモン哀歌 MOMO MONDEN 赤字クリックです!!http://youtu.be/t9x4B3TtVCc レモン哀歌                     高村光太郎そんなにもあなたはレモンを待つてゐたかなしく白いあかるい死の床で私の手からとつた一つのレモンをあなたのきれいな歯ががりりと噛んだトパアズいろの香気が立つそ…
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能登(日本道)への道 その2 前田利家の小丸山城散策

今日は七尾まで到着することを最優先していたので、午後からの日程はかなりいい加減で、出発前日に前田利家関連の資料をネットから引き出し、「前田利家と七尾」というテーマで前田利家ゆかりの旧跡を訪ねることにした。七尾駅前で長谷川等伯の像が立っていたので、その前で七尾へ来て初めての記念撮影をした。長谷川等伯については、後で七尾美術館に行ったときに…
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耽羅紀行(済州島の旅) その20 ラマダプラザホテル済州の自室まで

 ラマダプラザホテル済州はエレベーターも豪華である。  そのエレベーターに乗る。  さりげない内装であるが、どこもかしこもキンキラキンである。   エレベーターの上部にはテレビまで付いていて、その上エレベーターの半面がガラス張りとなっているので、天井まで吹き抜けとなっているホテルの階段部分やエスカレーター部分が一瞬にして見通せた。 …
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その4 「本当より綺麗な思い出」となった平成8年の白川での釣り

戸沢村を出て、写真左手の方から新庄市に入り、瀬見温泉を通り抜けて、今夜の宿泊先となる赤倉温泉まで走った。 赤倉温泉の旅館で釣師のスタイルに着替え、青四角の中にある白川まで行き、この川で午後いっぱい渓流釣りとなる。白川は釣師の間では大人気の渓流である。 赤倉温泉での旅館はこの田代館で、ここに午後1時ころに到着して、…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅 その4 声問川にて

 稚内には抜海岬、ノシャップ岬、声問岬、宗谷岬という4ケ所の岬がある。すでに2ケ所を見たので、今度は3ケ所目の声問岬を目指す。  道道238号線を宗谷岬に向かって15〜16km程走ると、「声問川」の大きな看板が目に飛び込んで来た。道の左手には声問橋と書かれた背の高い看板がある。  司馬遼太郎は旅に出る前に、飽きるほど長い時間、…
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「播磨と淡路のみち」 その11 姫路城散策の終わり 

 本丸を下って、出口まで降りてきた。  ここが本丸の出口にある備前門である。  この門から北側は見学制限エリアになっているので、南側の「りの門」に向かって歩いていく。  行きついたところにあるのが、時や戦いの合図を告げる時に使われる「太鼓櫓」である。  「太鼓櫓」のすぐ横にあるのが、秀吉の義弟である木…
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奈良散歩 その67 法隆寺大宝蔵院 Ⅱ

 ④の百済観音を見終え、東の宝蔵に入った。 東の宝蔵では、最初に⑤の伝橘夫人持仏及び厨子を見た。 橘夫人とは藤原不比等夫人で光明皇后の生母である県犬養宿禰三千代(あがたのいぬかいのすくねみちよ)のことで、厨子内の阿弥陀三尊像は同夫人の念持仏と伝えられている。 蓮池を表した銅造鍍金の代から螺旋状に立ち上がった三本の蓮茎の上に蓮華座が乗り、…
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「オホーツク街道」の旅 その4 小平町にて旧花田家番屋、三船遭難慰霊之碑を見る!!

 鰊漁で賑わった増毛町(ましけちょう)を通過する。  増毛は北海道北西部、留萌管内南部にある町で、町内には北海道遺産に選定されたレトロな建物が立ち並ぶ。 ボタンエビの漁獲高が日本一で、アマエビやたこなどの水揚げも多い。町名の由来はアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」(カモメの多いところ)から。  留萌市(るもいし)を通過する。  留萌市…
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ベルベル人

マグリブとは マグリブとは「日没の地」という意味で、西アラブをさし、今日のモロッコ・アルジェリア・チュニジアを中心として、リビア・モーリタニアを含めた5カ国をさす。(アラブ・マグリブ連合:上記5カ国が1989年に結成)ベルベル人とは マグリブに住むベルベル語を話す先住民族で、先史時代から北アフリカからサハラ砂漠にかけて住んでいた。人…
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越前と若狭の旅 その34 松平春嶽と岡倉天心を訪ねる

北の荘城址公園の次は、福井県にゆかりのある郷土の偉人である松平春嶽と岡倉天心のゆかりの地を訪ねた。 赤星印の場所に今夜の宿である宝永旅館があるが、旅館の近くにア;郷土歴史博物館とイ;松平春嶽ゆかりの養浩館庭園があり、そこからかなり離れてウ;岡倉天心郷家の跡(岡倉家の実家跡)がある。 まず、郷土歴史博物館に入った。 …
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甲州街道と佐久平みち その8 山梨県立文学館にて

 せっかく明野まで来たので、アルプスの少女ハイジをモチーフにしたテーマパーク「ハイジの村」に寄った。  アルプスの少女ハイジは動画の方が有名だが、もともとはスイスの作家ヨハンナ・スピリの児童文学作品である。1880年から1881年に執筆されたもので、原題は「Heidis Lehr- undWanderjahre」(ハイ…
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思い出の中の川 第1回 2004年6月の中継川

 今回から、過去の釣行時に撮影した記録写真を元に、思い出の中に入ってしまった、もしくはすっかり忘れてしまった釣行のことを書くことにする。  初回は2004年6月に釣行した中継川である。  中継川は釣り師の現職時代に、その職場で非常勤嘱託をしていた山田さんについて行って初めて釣った川で、その後も十数年の間山田さんと誘い合わせてこの…
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能登(日本道)への道 その1 七尾まで

「能登(日本道)への道」は2017年5月16日から始まった。 この頃の旅は日本の国の中では一部の地域を除いてほぼ好転に恵まれるので、安心して旅に出れるが、1週間予報で雨の日が無くても、一応の用心として雨具や傘はリュックに入れて、旅に出発した。 靴もいつもの履き慣れた靴を今回はやめて、主に肉体労働をする人たちのための商品を扱っている店…
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耽羅紀行(済州島の旅) その19 ラマダプラザホテル済州のカジノまで

 これからラマダプラザホテル済州の内部を紹介する。  ラマダプラザ JEJU ホテルと入口に表示されている。この入口から僕の宿泊している340号室まで、ホテル内部を紹介しながら歩いて行く。  ホテル内部は豪華の一言、僕が普段泊まっている素泊まり5000円程度の安いビジネスホテルや2食付きで8千円まで行かない民宿旅館とは全く違っているので…
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ジュンチャンと世界を巡る 第38回はフランス

 フランスは西ゲルマン民族のうちのフランク族が建国した国で、フランカ(投げ槍)を武器にしていたためフランク族と言われ、それが国の名前となりました。(フランスとは、投げ槍のうまい国の意味)  フランスはドイツ、イタリア、イギリス、ロシアと並ぶ大国で、19世紀から20世紀半ばまでの帝国主義時代は、イギリスと並ぶ植民地王国でした。 …
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「播磨と淡路のみち」 その10 姫路城天守にて

天守の入り口から姫路城に入った。 姫路城の内部はほとんど木造建築となっていて、その配置や構造や装飾の美しさは世界屈指と評されている。 大天守は約15mの石垣に高さ約31mの木造建築が乗った構造となっていて、外から見ると五階建に見えるが、実は地上五階地下一階の七層になっている。 今はこの建物の三階部分にいて、城の構造を確認し…
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奈良散歩 その66 法隆寺大宝蔵院 

 大宝蔵院全体は西と東の2つの宝蔵、そして北側の部分にある百済観音堂で構成されていて、この大宝蔵院の展示は下図のようなロの字型となっている。 ここを入り口から西の宝蔵に入って行き、百済観音堂を見てから東の宝蔵に入り、出口までの間に展示されている仏像等を見て回った。 展示物等を幾つか紹介する。 まず⓵の位置に、白鳳時代の国宝の夢違観音があ…
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死ぬ程笑える話

ある日、上司が髪の毛を短く切ってきました。 それを見た同僚のS君が、自分の頭を指さして 「頭、行ったの?」を上司用に尊敬語に変換して言いました。 「あたまいかれたんですか?」 僕は、笑いをこらえることができず、トイレに駆け込んで、死ぬ程笑いました。
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モニュメント・バレー(Monument Valley)(k)

モニュメント・バレー(Monument Valley)は、アメリカ合衆国西南部のユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がる地域一帯の名称である。メサといわれるテーブル形の台地やさらに浸食が進んだビュートといわれる岩山が点在し、あたかも記念碑(モニュメント)が並んでいるような景観を示していることからこの名がついた。 …
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越前と若狭の旅 その33 北の庄城跡を見学

昼食後、福井を本拠地に選び現在の福井のまちの礎を築いたもう一人の武将である柴田勝家の居城である北ノ庄城があった北の庄城址公園に行った。 この辺り一帯に北ノ庄城本丸があり、向こうにある柴田神社の辺りに天守がそびえていたと推定されている。 上図は北ノ庄城下の推定復元図であるが、この薄茶の部分が城下である。 現在の地図と重ね合わせると、ほ…
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探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その3 セントルイス

 セントルイスはミシシッピー川の中流に位置することから、古くから河港都市として栄え、現在も全米有数の工業都市のひとつとなっている。  また、セントルイスは西部開拓への入り口となった都市でもあり、そのシンボルとして1965年に建てられた、高さ192メートルのゲートウェイ・アーチは有名。  だが、ゲー…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 名人とわれわれの間の内密の黙契

宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」 現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。 われわれは、手のつけようのない無知のために、…
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能登(日本道)への道 プロローグ

2017年春5月に旅した「能登(日本道)への道」は2015年に旅した「越前と若狭の旅」に続く旅である。 この旅の途中で石川県を通過したが、能登へは行かずじまいであった。 まだ日本でなかった時代のことだが、今の福井県から新潟県に渡って、越国(こしのくに)と呼ばれた地域があった。  この上図で赤く塗られた広大な越国は、ヤマト王…
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耽羅紀行(済州島の旅) その18 ラマダプラザホテル済州の周りを散策

 20014年4月15日(火)の朝となったが、ラマダプラザホテル済州での最初の夜は快適だった。  白州(サントリーウィスキー)の水割りが効いたせいか、朝まで一直線だった。   2連泊するラマダプラザホテル済州は2003年7月にオープンしたばかりで、遊覧船をモチーフに設計された済州市内の大型特1級ホテル。  玄関を出ると時間はちょうど朝日…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その3 戸沢村の「ソウルプルコギ」で昼食

酒田市を出たあと、朝食の場所を探して車を走らせているうちに、矢印の戸沢村まで来てしまって、結局そこで朝食兼昼食を食べた。   この地図の赤矢印の場所が戸沢村である。最上川に沿って下り芭蕉は日本海に出たが、僕は芭蕉とは逆に、最上川をこれから遡上して行く。戸沢村までの間に目にした風景を紹介して行く。   このあたりは庄内…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その3 ノシャップ岬にて(A)

 国道40号線を北へ、稚内方向へ向かう。  向かう先は野寒布岬(のしゃっぷみさき)、ノシャップはアイヌ語でノッ・シャムといい「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味があるという。  この丘陵の左端が海に落ちるところが野寒布岬である。  司馬遼太郎の「オホーツク街道」冬の旅にはノシャップ岬はこんな風に紹介されてい…
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「播磨と淡路のみち」 その9 ようやく天守の入り口に到達

「はの門」を抜けると、また天守が見えてくるので、天守の方向に向かって引き続き歩いていく。  この道を進んでいくと、左方に道が曲がっていく。 左方に曲がると、左手に東方下土塀が現れて来て、突き当りが「にの門」となる。 ここが「にの門」で、天井が低く通路が直角に曲がっている上に、更に上がり坂となっている変形門で…
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奈良散歩 その65 法隆寺金堂 Ⅱ

 次に「東の間本尊」の薬師如来像である。 法隆寺金堂内陣の「東の間」に安置されている薬師如来像(国宝)は、像高63.0cmの金銅製の坐像である。 この薬師如来像にも、光背裏面に銘文が刻されている。 本銘文は縦29.7cm余、横13.2cm余の範囲に、90字が5行で陰刻されていて、1行目から順に、16字・19字・18字・19字・18字ある…
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「オホーツク街道」の旅 その3 暑寒別川にて

天塩町まで走破後に分かることなのだが、ここから留萌までが鰊街道の一番の難所で、トンネルも多く、気の抜けない道となっていた。  カムイエト岬を過ぎたあたりで、レストランがあったので本格的な朝食(ラーメンですが、即席やカップのラーメンではない。)を食べた。  わかめがたっぷりと入っていて、チャーシュウの大きさも半端でなかった。 僕的には…
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越前と若狭の旅 その32 福井城址跡を見学

この後、福井県立歴史博物館で時代の流れを追いながら福井県の歴史ざっと見たりして1時間程過ごしたが、ここは省略する。 時間は昼ころになっていたが、これから福井を本拠地に選び、現在の福井のまちの礎を築いた二人の武将を訪ねる。  一人は結城秀康、もう一人は柴田勝家である。  まず、結城秀康の居城のあった福井城址跡から見ていく。 …
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甲州街道と佐久平みち その7ー1 明野のひまわり畑

 その明野のひまわり畑に突入した。 ひまわり畑は家族連れや、絶景を撮影に来たカメラマンで賑わっていた。 これからこのひまわり畑を歩いていくが、雲が出ていてひまわり畑の背景となる南アルプスの山並みが霞んで見えるのが残念というとこである。 すぐ横で家族連れが横一列になって、お父さんから記念の1枚を撮影してもらっていた。 大人になってから、こ…
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千曲川旅情の歌      島 崎 藤 村

    一小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(いうし)悲しむ緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず若草も藉くによしなししろがねの衾(ふすま)の岡邊日に溶けて淡雪流るあたゝかき光はあれど野に滿つる香(かをり)も知らず淺くのみ春は霞みて麥の色わづかに靑し旅人の群はいくつか畠中の道を急ぎぬ暮れ行けば淺間も見えず歌哀し佐久の草笛千曲川いざよふ波の岸近き宿に…
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近江街道をゆく その48 旅の終わり  

「近江街道の旅」は今回が最終である。 ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地を訪ね、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着き、琵琶湖の周囲をほぼ一周することができたので、「近江街道の旅」は収穫の大きい旅となった。 予定では天智天皇陵や草津宿本陣など…
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耽羅紀行(済州島の旅) その17 黒豚のカルビ焼肉の夕食

さて楽しみな夕食タイムとなった。 どこで食べるかヤンガイドの説明はなかったが、夕闇迫る中をバスは夕食会場となる店へ向かって走行、無事に店に到着した。  店の敷地内に제주늘븜の看板が見えたが、夕食はどうやら昼食を食べた敷地内に建っている「チェジュ ヌルボム」らしい。 「チェジュ ヌルボム」はぺ・ヨンジュンも来店したことのある程の、超…
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ジュンチャンと世界を巡る 第37回はイタリア

 今回は世界的な観光地のイタリア、ピザやパスタでも有名ですね。  ファッションと芸術の都ミラノ(ミラノ大聖堂など)、水の都ベネチア(サン・マルコ大聖堂、ドゥカーレ宮殿、ブラーノ島)、花の都フィレンツェ(ウフィツィ美術館、サンタ・クローチェ教会)、永遠の都ローマ(コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場)などなど、観光地だらけの国です…
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「播磨と淡路のみち」 その8 姫路天守へ、「はの門」まで歩く

料金所で入場料1000円を払っていよいよ姫路城内に入場である。 料金所の辺りが余りに絶景だったので、この菱の門の前でビデオ撮影していたら、城内整理のガードマンに料金不払い者と疑われてしまった。 しっかりと入場券の半券をガイドマンに見せて、あわてて「菱の門」をくぐった。  上図でわかる通り、姫路城天守までの道は曲がり…
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奈良散歩 その65 法隆寺金堂 Ⅰ

 法隆寺で一番古い飛鳥時代建築となる西院伽藍内の金堂、五重塔、中門、回廊をさっと回って、次に金堂に入った。 法隆寺は607年に創建された寺院だが、日本書紀によると670年に火災によって焼失しており、現存する建物は再建されたものであるといわれている。 しかし再建された建物といってもその建築様式などから、金堂は実質的に世界で一番古い木造建築…
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越前と若狭の旅 その31 足羽神社と継体天皇像

橘曙覧記念文学館の次は足羽神社である。 足羽神社は、福井県福井市足羽に鎮座する神社で、継体天皇と大宮地之霊が祀られている。 男大迹王(継体天皇)が越前国にいる時に越前平野の大治水事業をされたが、その時に越前平野が一望できる足羽山に宮を建て、朝廷に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を勧請して事業の安全を祈願したのが足羽神…
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探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その2 メンフィス

音楽あり、↓クリックです!! ↑ 赤ポッチの場所がメンフィスです。  メンフィス (Memphis) は、アメリカ合衆国のテネシー州西端、ミシシッピ川に面する都市で、同州最大の都市。人口は約65万人で、その半数を黒人が占める。19世紀後半に綿花の集散地として発展、その綿花産業は奴隷としてアフリカ…
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