「日本最長10河川の旅」での釣り 山女釣り師の聖地「内山節の上野村」その1

 信濃川の源流を訪ねる旅は終わり、2002年7月31日、旅の2日目はいよいよ山女釣り師の聖地「内山節の上野村」への旅である。 7月30日午前7時10分、朝飯を食べるとすぐ宿舎の金峰山荘を発ち、上野村へ向けての旅が始まった。 早朝の川上村を昨日のルートとは別のルートで走り抜けた。 川上村はまさしく高原野菜の村で、なだらかな丘陵地帯にはレタ…
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「播磨と淡路のみち」 その25 龍野のベストスポットを歩く

 露風の生家を通り過ぎ、引き続き司馬さん風に言えば「古色を帯びた龍野の街」を歩いていく。 月並みな言葉でいえば「落ち着いたいい感じの街並み」が続いていて、やはりこの龍野城跡下あたりが最も龍野らしい風景だと思われる。 この立派な白壁の平垣の中にあるのは、なんと「たつの幼稚園」である。 こんな幼稚園で学んだ子ど…
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東京散歩 その3 湯島天満宮とからたち寺を散策

これから湯島天満宮へ向かう。 湯島天満宮の旧称は湯島神社で、通称は湯島天神。 古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っている。そのため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで賑わっている。 現在境内には、「みどりの保護条例」に基づく…
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「オホーツク街道」の旅 その11 間宮林蔵の樺太や沿海州の旅のこと その2 ポリアンドリーポリ

2.ポリアンドリーポリアンドリー (一妻多夫制)に関する林蔵,シュレンク,シュテルンベルグの見解  女性の社会的地位について,林蔵はするどい観察を行なっており,シュテルンベルグは,林蔵の方がシュレンクよりも見るべきものを見ていると指摘している。  『東縫紀行』)の中に「… 殊に女を貴て,男夷は徒に奴僕の如くなれば… 」という一文がある。…
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零下10度への旅 中国編5 七宝焼き見学後、昼食は飲茶で

 万里の長城を制覇した後、ツアー客一行は北京市の郊外にある七宝焼きの工房へ。  ここで、職人さんたちの名人芸を見学した。 ほとんど手作りなので、値段もかなりなものになる。 この工房の隣には大きな七宝焼きの売店があり名のある職人の芸術作品も数多く展示されていた。(ただ、写真撮影は禁止されていた。) そして、工房の二階で昼食という…
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越前と若狭の旅 その48 三丁町と小浜公園を散策

「ホテルアーバンポート」は、今回の越前と若狭の旅では一番格の高いホテルだったと感じている。 従業員を集めての夕方の集まりと朝の集まりを垣間見たが、女社長のホテル業にかける気概と気合が半端でなかった。 その一番格の高いホテルの朝食であるが、分不相応の贅沢を舌で感じながら、美味しく残すところなくいただいた。 朝食を食べ…
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甲州街道と佐久平みち その15 「やまっちそば」を食べる

 約500メートルの唐沢そば集落には7件のそば屋が軒を連ねていて、当初は根橋屋というそば屋に決めていたが、駐車場が満杯でこの店の近くも車を停めることができなかった。  結局集落を下って、そば集落が始まる箇所に店を構えている「水舎本店」に入ることにした。  この店は昭和58年「居酒屋 水舎」として開店し、のちに「手打ち…
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僕のラブレター物語

 岩井俊二監督の映画に「ラブレター」という作品がある。確か中山美穂が一人二役で主演して、東南アジアでは冬のソナタ程度のブームを引き起こしたという話しを、何かの雑誌で読んだことがある。  山で死んだ恋人の過去を、偶然出した手紙によって少しずつ知っていく話しで、同姓同名の藤井樹(いつき)という名の男女の、中学の3年間を同じクラスで過ごした…
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思い出の中の川 第7回 海府(笹川流れ)の小渓流 NO2

 山北海府の小渓流の2番目は「普川」、その河口風景である。  ここは川の瀬音と海の潮鳴りが同時に聞こえる。遠く霞んで、待望網とわっぱ飯で有名な粟島が見える。  釣り場所は線路下のポイントをまず狙う。上流はボサが多いので、この辺を適当に流す。  早速、川に入って釣り始めるが、思ったより水の勢いは強い。…
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能登(日本道)への道 その15 渡月庵など和倉温泉を散策

 総湯の足湯でリラックスしてから、加賀屋の近くにある湯本の広場に向かった。  広場には開湯の伝説にちなんだシラサギのブロンズ像と記念碑があり、ブロンズ像の真ん中にある涌浦乃湯壺湯では、流れ落ちるお湯で温泉玉子が作れる。 和倉温泉は1200年前の開湯と伝えられていて、一羽のシラサギが傷ついた足を海中から湧き出る湯で癒していたの…
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耽羅紀行(済州島の旅) その33 夕食はKさんの凄い旅行体験で盛り上がる

 柱状節理帯の見学が済めば、今日の日程は終了である。  赤枠で示した範囲にある2日目の見学は天候にも恵まれ、終わってみれば三日間の日程の中で一番充実した日となった。  バスに乗り、1時間程かけて再び済州市に戻り、市内のレストランでアワビ定食(鮑バター焼きと鮑石釜ご飯)の夕食となった。  バター焼きの鮑は、高級品のためか切り身が小さく量も…
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ジュンチャンと世界を巡る 第45回もスペイン

 スペインを愛した三人の日本人からスペインを紹介してもらおうと思っていましたが、釣り師の個人的都合!(^^)!で、今回は通常のスペイン観光旅行となります。  多様な文化が混在し見どころ満載のスペインを紹介するのはなかなかたいへんなので、スペインを4つのブロックに分けて見ていきます。 第1ブロック スペイン北部と巡礼の道  …
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「播磨と淡路のみち」 その24 本丸跡から三木露風生家まで歩く

隅櫓を後ろにして坂道を上がっていく。 本丸までの道は、右手に石垣左手に白塀の、このような石段の坂道である。 坂道を歩き終えると、正面に本丸西隅に再建されている西門が建っていた。 大きな門は開かなかったが、その右脇にある小さな門が開いていて、ここから本丸に入った。 本丸跡は公園のようになっていて、ちょうど散歩してい…
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東京散歩 その2 旧岩崎邸

 旧岩崎邸へ向かう。  旧岩崎邸の敷地は、不忍池の南西方、台東区池之端一丁目(旧下谷区茅町)に位置し、文京区湯島と境を接している。   旧岩崎邸の敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷であった。  明治時代初期に牧野弼成(旧舞鶴藩主)邸となり、1878年(明治11年)に三菱財閥初代の岩崎弥太…
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零下10度への旅 中国編4 万里の長城を制覇!!

 万里の長城は今回の旅では異色の場所。 ここの気温は零下15度~17度。 事前に長城を検索して、ある程度の知識はあったがそれが、まったく役に立たなかった。 誤算だったのは、予備デジカメの電池をホテルに置いてきたことと、バスの中に常用デジカメを置き忘れてきたこと。 結局、万里の長城の写真は、携帯での撮影となった。  女坂をある…
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越前と若狭の旅 その47 小浜市で「 若狭マリンピア2015花火大会」を見学

若狭国分寺跡を発ち、小浜市に入った。 昼食をどこでとろうか迷ったが、黄星印のフィッシャーマンズワーク2階にある「レストラン海幸苑」に決めた。 午後1時半になっていた。 この「レストラン海幸苑」で、若狭名物の鯖寿司と漁師汁が両方味わえる税込1404円の「潮風膳」をおいしくいただいた。 この越前と若狭…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その4 三峡にて(K)

  中国三峡、宜昌から重慶までの地図、大きくして見てね。 ↑   長江の中流域に、今とてつもない工事が進められている。  三峡ダム工事である。       工事現場です。 ↑  このプロジェクトは1919年、中国革命の父孫文が提唱、中国建国の父毛沢東がダム着工の方針を固めた国家の威信を賭け…
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菱田春草、《落葉》《黒き猫》

 菱田春草は明治7年、飯田・仲之町の生まれです。東京美術学校で絵画の諸技法を学び、明治31年には岡倉天心の指導下で創立された日本美術院に参加しました。そして同院にて没線主彩の絵画技法の研究に取り組みますが、画面が暗濁化する傾向をともなうこの技法は「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれて批判を受けました。  明治36年、春草は天心の…
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能登(日本道)への道 その14 弁天崎源泉公園から総湯に

 昼食後、1時間半ほど和倉温泉を散策した。  まず、弁天崎源泉公園を見て、それから総湯に行き、湯本の広場を見たあとに、渡月庵を見ながら渡月橋を渡った。  ここから少し歩いて少比古那神社に参拝し、また少し歩いて靑林寺を訪ねた。  では、弁天崎源泉公園から和倉温泉散策を始める。  この公園は温泉街のほぼ中央に位置し、…
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耽羅紀行(済州島の旅) その32 柱状節理帯を見学

 大浦海岸は雄大である。  僕等ツアー客はヤンガイドに遅れないようについて行きながら、記念写真の撮影に夢中である。  ヤンガイドはこの場で柱状節理帯の説明をしていく。  この海岸に溶岩が流れ込み、そして冷却されて柱状に形作られ、やがて溶岩石群は風化によって原型を変えていく…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その10 山寺に登る

大石田を後に、次の目的地である山寺へ向かう。   午前10時22分に黄星印の山寺を出て、村山市、東根市、天童市を通過し、午前11時38分に黄矢印の山形市の山寺に到着した。  山寺は通称で、寺号は宝珠山阿所川院立石寺立石寺といい、本尊は薬師如来である。古来から悪縁切り寺として信仰を集め、平泉中尊寺・毛越寺、松島瑞巌寺とともに「四…
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奴奈川姫の川「姫川」の源流で釣る その1

 姫川の源流で渓流釣りをする機会を持った。  姫川は河川総延長距離がたった58km、しかしその平均勾配は1000分の13ということで、まさに日本の川の典型のような短い急流の川である。  姫川は名前も美しい、その急峻な流れも美しい。  川の名前のルーツは古事記にまでさかのぼるが、古代、姫川下流の越(高志)の国に、奴奈…
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「播磨と淡路のみち」 その23 龍野城まで歩く 

この白壁が続く屋敷は「霞城館」と「矢野勘治記念館」の二つの記念館を併設した建物である。 白壁には入り口が二つあった。 ここが、旧制一高の西寮寮歌「春爛漫」、東寮寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の作詞者である矢野勘治の旧居である矢野勘治記念館の入り口である。 こちらが、龍野出身の近現代の文化人である三木露風、内海信…
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東京散歩 その1 不忍池

 去年の済州島の旅は天候にも恵まれ楽しい旅となったが、その後歩いた東京散歩の旅もなかなか楽しい旅だった。   田舎都市の新潟に住んでいるので、徳川の江戸時代に形成されてから既に400年の歴史を持ち、世界に誇れる日本の首都となった東京の街を歩くのは、大いなる楽しみとなった。  これから記するのは…
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「オホーツク街道」の旅 その10 間宮林蔵の樺太や沿海州の旅のこと その1スメレンクルとは

 北方記念館には、間宮林蔵の樺太から沿海州への旅の記録が展示されていた。  彼の見た樺太は、村上貞助によって、「北夷分界余話」「東韃地方紀行」(3巻あり、林蔵の口述を貞助が編纂して挿図を入れたもの)としてまとめられ、1811年(文化8年)に幕府に提出された。  前者には樺太の地名や地勢、民俗が、後者には清国の仮府(一時的な役所)が置かれ…
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零下10度への旅 中国編3 そして万里の長城へ・・・

 北京の中心部から八達嶺(四通八達の意味)までは60km。 市街地を抜けるまでは、朝の渋滞に巻き込まれノロノロ運転を繰り返していたが、少し郊外へ出ると、バスの速度は上がり同時に、ガイドの金妙珍(キンミャオチン)の調子も良くなり、バスの中では、ズット中国や日本についての講義時間となった。 彼女は日本の京都大学に2年留学したことが…
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越前と若狭の旅 その46 若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学

熊川宿から小浜を目指して鯖街道を引き続き走り、その途中で明通寺の国宝である三重塔と本堂を見学したが、ここは省略する。 その代わり、福井県立若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学したので紹介する。 若狭歴史博物館は若狭地方の歴史・民俗など、豊かな文化遺産を調査研究、保存・公開するための施設として、昭和57年10月に若狭歴史民俗資料館として…
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甲州街道と佐久平みち その14 旧制松本高校から唐沢そば集落に 

 松本深志高校から3㎞程離れた旧制松本高校(新制信州大学の発足にあたりその母体の1つとなり、文理学部に改組された。)に向かった。  旧制松本高校は1919年4月、長野県松本市に設立された官立の旧制高等学校である。改正高等学校令に基づき9番目の官立旧制高等学校として設立された学校で、ナンバースクールの高校に続き設立されたいわゆる…
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思い出の中の川 第7回 海府(笹川流れ)の小渓流 NO1

第7回は海府(笹川流れ)の小渓流である。平成21(2009)年から平成25(2013)年までの5年間、5月の連休の間に1泊2日の日程で、海府(笹川流れの)の小渓流へ釣りに出かけていた。 この時期はゆきしろが出て、どこの川も増水して釣りにならない。それで、山菜採りを兼ねて、海府(笹川流れ)の小渓流に釣りに行っていた。宿泊したのは勝木の山北…
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比較日韓論「新・スカートの風」  呉善花 

   新スカートの風、著者は呉善花(オ ソンファ)、韓国済州島生まれ、大東文化大学(英語学)卒業後、東京外国語大学大学院修士課程修了(北米地域研究)、その後日韓ビジネスの現場で、ビジネス通訳や翻訳を仕事とする。   代表的な著作は「スカートの風シリーズ」(正、続、新が刊行されている)、「日本人を冒険する」、「ワサビと唐辛子」、…
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能登(日本道)への道 その13 和倉温泉に到着

 和倉温泉駅に到着したが、目指す和倉温泉中心部はアクセスが悪く、駅からバスに乗って10分ほどのところにある。  駅の観光案内所の女性所員に聞いて、どうにか無事、北鉄能登バスに乗って和倉温泉中心部にたどり着いた。 目の前の旅館が、超有名な和倉温泉加賀屋である。 和倉温泉の筆頭旅館の地位を占め、地上20階、約1,450…
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耽羅紀行(済州島の旅) その31 ジョアンスタジオと 柱状節理帯を見学

 薬泉寺の次はジョアンスタジオである。このスタジオノオーナーであるオ・ジョアンさんは、ペ・ヨンジュンをモデルにしたテディベアを制作したことで日本でもおなじみの方である。 僕もペ・ヨンジュンの演じた「冬のソナタのチュンサン」をブログでのハンドルネームとしているので、ここは興味を持って見学した。オ・ジョアン氏は世界的にも有名なテディベア作家…
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ジュンチャンと世界を巡る 第44回はスペイン

 今回から三回スペインを旅しますが、この国はスペインを愛した日本人から紹介してもらうことにします。  その人の名は俳優の天本英世です。  彼は戦争末期を生き延び、終戦後に東大法学部を中退し、俳優になりました。  天本がスペインに傾倒するきっかけとなったのは音楽で、少年の頃よりクラシック音楽に馴染み、やがて民族族音楽へと入…
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「播磨と淡路のみち」 その22  朝焼けの龍野を歩く

その常照寺の真ん前まで来た。 常照寺は龍野で400年以上の歴史を持つ日蓮宗のお寺で、境内には明治の文豪国木田独歩の祖父にあたる国木田国丸の墓碑も在るというが、ここは素通りして十文字川沿いを歩いて行く。 龍野は兵庫県で一番古い家並みが残っている街ということで、実に古色を帯びていい風景で、右手を流れる細流の十文字川もこの…
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零下10度への旅 中国編2 北京オリンピック会場遠望

 中国は2008年に北京オリンピックを開催した。 このオリンピックは開催前から悪評判で、開催地北京は大気・水・治安・交通事情・食の安全・衛生医療のどれを見ても世界最凶都市と言われていて、その年の5月に起きた四川省の大地震が、悪評判に追い討ちをかけていた。 ただ、実際に8月8日の午後8時に始まったオリンピックでは事前の悪評判ほどでは…
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朱熹(朱子先生)   偶成(ぐうせい)

少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声  少年、老い易く、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)、已(すで)に秋声。  詩に云う。若い時はうつろいやすいもので、あっという間に歳をとる半面、学問は…
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越前と若狭の旅 その45 「熊川宿」を歩く

鯖街道を走って行くと、「御食国(みけつくに)」という言葉に出会った。 御食国とは、古代から平安時代まで、皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ国のことである。 既に若狭に入っているが、ここ若狭は朝廷の食卓を支えた御食国の一つで、都とは古代から交流していた。 近江から若狭に入っていくらも行…
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長江の旅 その3 武漢(ウーハン)にて クイズ付きブログ(問題は最後)

               長江第1大橋(武漢)  ↑最後に問題があります。   武漢は長江の中流域に位置し、長江と長江最大の支流である漢水の交わる地点に開けた町。漢水は陝西省の秦嶺山脈に源を発し、水量の多さでは黄河をしのぐと言われる。全長、1532キロもある。 武漢は、古来より水陸交通の要衝であった。内陸の港町としては、…
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白狐 下村観山

下村観山  1873年~1930年  日本画家。本名下村晴三郎。1873年紀州徳川家抱えの能楽師の子として和歌山に生まれ、8歳で東京に転居。藤島常興、狩野芳崖、橋本雅邦に師事する。東京美術学校(現:東京藝術大学)に第1期生として入学。卒業後、同校助教授となっている。  1898年東京美術学校校長であった岡倉天心が東京美術学校騒動で…
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能登(日本道)への道 その12 ビュースポットの風景にくぎ付け

 能登中島駅を出発して、しばらく山の中を走って再び海岸線に出ると、そこに沿線で一番のビュースポットが広がった。  上地図の中島町深浦地区である。  電車はこの場所でしばらく停車し、観光客はカメラを構えてシャッターを押していく。  見れば見るほどうっとりする風景で、何枚か撮った写真の中に、空を飛行するトビまで写り込…
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耽羅紀行(済州島の旅) その30 東洋一の薬泉寺を見学 その2

 大寂光殿の中に入る。 ここは撮影可能ということで、遠慮しつつも大胆に仏の近くに向かった。  ちょうど坊さんが二人仏に向かっておられて、その後ろに女性の二人組が参拝していた。  仏にもっと迫ってよく見ると、本尊の両脇の仏様の後ろにも沢山の仏様が居られるのが見える。  2本…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その9 大石田にて

これから大石田町へ向かうが、大石田はかつて最上川の舟運で栄えた。 大石田の南には、碁点、隼、三ヶ瀬の最上川三難所があり、物資を安全に運ぶためには、大石田河港で陸揚げし、三難所を避けて陸路運ぶ方がリスクが少なく確実であった。舟運で上流部に運ぶ場合でも三難所があるため、酒田港からの大型の川舟はここまでしか入れず、三難所を越える…
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また釣れた、今日は大漁 夢の中・・・・

  7月16日(月)は海の日、九州では大雨だが、新潟の今年は今のところはさほどでもない降り。  去年の7月の梅雨末期の季節は、福島県と新潟県で豪雨が続き、今年の九州並みの洪水となった。  もちろん、今年も予断は許さないが、梅雨空が久しぶりに晴れ、猛暑の夏空の一日となったので、山女釣りに出かけた。      …
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四月の藤沢川で今年初めての山女をゲット!!

 霊峰「光兎山」にウサギの残雪がくっきりと見えるようになる頃、山里の藤沢川沿いの集落にも遅い春が到来する。  家の周りの桜の花は満開となる。  川傍の土手に無造作に植えられた水仙の花も満開である。  1年中で一番華やかな季節が始まったのである。  この景色の…
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「播磨と淡路のみち」 その21  「片しぼ竹の宿 梅玉」

今夜の「片しぼ竹の宿 梅玉」は朝食付き8,316円の宿で、和室二部屋があり、それに玄関や廊下や洗面所やバスやトイレが付いている豪華な部屋で、宿のおかみさんの話では、「今日は一番いい部屋が空いていたので、この部屋を使ってもらいます」ということだった。 贅沢すぎると思ったが、遠慮なく使わせていただくことにした。 向こうの部屋には…
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「オホーツク街道」の旅 その9 稚内市開基100年記念塔から稚内市を眺望する。

 明治12年7月1日、現宗谷に宗谷村を開村したのが稚内市の開基となる。  昭和24年に北海道で14番目の市政がひかれ、昭和53年7月1日をもって開基100年・市政施行30年を迎えた。  稚内公園の海抜170mの丘に、80mの開基100年記念塔を建設し、その1・2階を北方記念館として開館。  その100年記念塔に向かった。  80m(海…
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零下10度への旅 中国編1 さて、中国着陸です!!

 今回の中国の旅は、万里の長城、故宮博物館、天壇公園の3つの世界遺産を見て回り、ついでに、北京オリンピック会場やパンダなども見てこようという贅沢な旅。 この他にもいろんなとこを見てきた。  紀元前と紀元後を合わせ4千年の歴史を誇り、中華の国として栄えた大人の国「中国」をこの厳冬期に訪れようとは考えもつかなかったが、格安ツアーに惹かれて参…
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越前と若狭の旅 その44 海津散策後、鯖街道へ

海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり、同時に港町でもある。 この通りをこのまま進んで行くと、琵琶湖湖岸側に風や波から家を守るために造られた石積みが目に入って来た。 これが「海津浜の石積」と呼ばれているものである。 1701年に甲府藩領高島郡の代官として赴任した西与一左衛門は、風波の…
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甲州街道と佐久平みち その13 旧開智学校の中に入る 

 旧開智学校の中に入ったが、特に印象に残るような展示は無かった。 親切に説明してくれたガイドとも別れたので、全く訳の分からないものにとっては、さらっと建物の中を一階から二階へ通り抜けるような見学しかできなかった。  ここは一階の廊下で、目立つような展示は無かった。  二階に入っても展示教室はガランとしていて、印象…
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思い出の中の川 第6回 小川(k)

 第6回は小川である。  大石川の本流に金俣集落を通り大石川に注ぐ支流が小川である。 この川はけっこう上流までいい釣り場が続くということだが、釣り師は堰堤までの黄線部分でしか釣ったことがない。 この小川で、2006年(平成18年)6月18日に27cmの山女と26cmの山女を釣り上げた。 27cmのこの山女は銀毛化していてパーマークが消え…
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能登(日本道)への道 その11 「里山里海号」で七尾湾沿線の旅

 翌5月18日(木)は、朝から気持ちの良い晴天だった。 朝食はホテル・ルートイン七尾駅東で、おかゆと梅干しを中心に軽く済ませた。 今日は午前中に予定していた一本杉通り散策を取りやめ、偶然に乗った能登鉄道観光列車「里山里海号」で、大相撲の遠藤関の出身地である穴水町まで、絶景の七尾湾沿線の旅を楽しんだ。 「里山…
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耽羅紀行(済州島の旅) その29 東洋一の薬泉寺を見学 その1

 僕等のツアーは、このあとロッテホテルの免税店で40分ほど買い物となったが、買う気も買うものも無く、ロッテホテルの広大な敷地をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら過ごした。  ロッテホテルの正面玄関から前を見ると、こんな景観が広がる。 一流ホテルの貫禄が、このホテルには漂っていた。 免税店での買い物のあとは、済州島のお寺である薬泉寺…
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ジュンチャンと世界を巡る 第43回はバスク国

 これから、日本人が「南蛮」と呼んでいたスペインとポルトガルに入っていきますが、ジュンチャンはこの二つの国が、ひいきと言っていいほど好きな国です。  今回はその前座として、この両国にまたがるバスク国(スペインに認められている自治州で独立国家ではない。)を取り上げます。  この国はピレネー山中にあり、大人気の「フランス各地からピレネー…
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「播磨と淡路のみち」 その20  播磨の小京都に到着

大石神社から、今夜の宿である龍野市の「片しぼ竹の宿 梅玉」へ向かった。 距離で23km、時間で45分程の場所である。 午後3時前には、「片しぼ竹の宿 梅玉」へ到着した。 「片しぼ竹の宿 梅玉」は、城下町龍野の脇坂藩筆頭家老屋敷跡に建つ、創業約100年余りの旅館である。 この宿に荷物を降ろして、日が暮れるまで時間が…
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なるほど、The 中華料理

中華料理  多彩な技法や味のバラエティーを持ち、世界三大料理の一つに挙げられている。  ヨーロッパ全体に匹敵するほどの広大な国土を持ち、地理的、気候的条件が各地で大きく異なる中国では地方ごとに食材が異なり、また、漢民族に同化していった、もしくはかつて漢民族を支配した多彩な民族を基層としているため、その調理法や味付けも地域差が…
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少年行  李白

    少年行  李白    五陵の年少 金市の東      銀鞍白馬 春風を度わたる         落花踏み尽くして      何れの処にか遊ぶ         笑って入る         胡姫の酒肆の中 五陵の遊侠の少年たちが、金市の東の盛り場で 銀の鞍をおいた白馬に…
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越前と若狭の旅 その43 渤海国の使節のこと

西近江路を海津に向かって走っている。 この辺りは敦賀市追分で、もしかすると愛発関がこのあたりにあったのかもと思って、車を停めてしばらくあたりの風景を眺めた。 西近江路を更に走ること5分程、大津まで76km、京都まで89kmと書かれた道路標識が前方に見えて来た。 あと90kmもこの道を走れば京都である…
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長江の旅 その2 南京にて(クイズ付き、ご回答ください!!)

  宋家三姉妹デス。最後に問題があります。  ↑     南京市は江蘇省の省都で、長江下流にあり、丘陵地が多く、緑豊かな歴史的古都で中国7大古都の一つともなっている。  史跡に恵まれており、いたるところ観光の要衝となっている。  特に有名なのは、明王朝の開祖「朱元璋」を葬る陸陵である『孝陵』と、近代…
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岡倉天心 茶の本 第六章 芸術鑑賞 その2 花の過酷な運命(k)

 飢渇のほか何物もわれわれに対して真実なものはなく、われらみずからの煩悩のほか何物も神聖なものはない。  神社仏閣は、次から次へとわれらのまのあたり崩壊して来たが、ただ一つの祭壇、すなわちその上で至高の神へ香を焚たく「おのれ」という祭壇は永遠に保存せられている。  われらの神は偉いものだ。金銭がその予言者だ!  われらは神へ奉納す…
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能登(日本道)への道 その10 能登島をドライブ

「須曽蝦夷穴古墳」から10分ほど走って、ひょっこり温泉に着いた。 ひょっこり温泉は、波静かな七尾湾にひょっこり浮かぶ能登島の中心部にある、日帰り天然温泉施設である。 約2,000平方メートルの建物には、サウナやジャグジーを備えた和風・洋風の大浴場があり、一週間交代で“男湯”と“女湯”が入れ替わるという。 し…
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耽羅紀行(済州島の旅) その28 シュリの丘到達

  オルレ道を進んで行く。  ツアーの女性客たちが歓声を上げているので近づいていくと、グミが鈴なりになっている光景に出くわした。  そのうちの何名かの人達がグミを口に入れて食べていた。  「酸っぱいけど美味しい、あなたも食べてみたら・・・・」  僕も彼女たちに誘われ、グミを口に頬ばってみると、幸…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その8 養泉寺を歩く

養泉寺に到着である。   寺の前に、奥の細道と白い字で書かれた標柱が立っていた。門前の円弧を描いて北に廻り込む古道は、かつて大名が行列をつくった羽州街道。これから右に曲がって養泉寺に入る。   最初に山門が出迎えてくれる。芭蕉は清風宅で3泊、残りの7泊はこの養泉寺に身を置いた。   境内から山門を見るとこう…
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開高 健「オーパ!」アマゾンフィッシング紀行+河は眠らない から開高健の言葉

河は眠らない から開高健の言葉 森を歩いているとよくわかるけれども、 斧が入ったことがない、 人が入ったことがない森、 というのがそこらじゅうにいっぱいある。 それで土が露出していないで、 シダやらなんかに覆われているが、 草とも苔ともつかないもので森の床全部が覆われている。 それから風倒木が倒れてたおれっぱ…
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人種とは、自然環境への人の適応形のこと

 人種(じんしゅ)とは、ヒト・人間を分類する用法の1つである。  現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しない。  現代における「人種」とは、形質人類学や自然人類学などにおいて、身体の特徴を生物学的な相違に基づいて区分したヒトの集団のことで、汎地球的な分布をもつヒトの自然環境への地域的な適応形…
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「播磨と淡路のみち」 その19 赤穂の大石神社へ 

昼食は、龍野市室津出張所の隣にあるみなと茶屋で済ませた。 この町には飲食スペースがないので、ここでは軽食しか食べることができない。 港を臨むところにテーブルと椅子が並んでいて、カレーやうどんやおにぎりができるので、カレーうどんとおにぎりを頼んでちょうど550円だった。 食事後、赤穂に向かった。 23km程の道のり…
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「オホーツク街道」の旅 その8 稚内の北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)

 稚内では最初に、北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)に行った。  北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)は、北海道稚内市の稚内港にある大型の防波堤である。  高さ約14メートル、長さ427メートル、古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群が斬新な印象である。  北海道大学を卒業して3年の26歳で、稚内築港事務所に…
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越前と若狭の旅 その42 気比の松原から愛発関へ

朝食前に少しの時間ではあるが、敦賀市の景勝地である気比松原を散策したので、気比の松原を紹介してから竹野旅館を出発とする。 気比の松原には朝の6時半頃に付き、ここを20分程ほど散策した。 この松原は日本三大松原の一つとされ、1934年に国の名勝に指定されていている。 古くから景勝地として知られていて、万葉集や日本書紀…
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甲州街道と佐久平みち その12 旧開智学校

旧開智学校に入ると、学芸員と思われる男性が、十数名ほどの観光客に向かって説明しているところだった。  旧開智学校については事前知識がまったくないので、ちょうどいい機会に遭遇できたと感謝しながら説明に耳を傾けた。  説明の男性は、今は重文になっているこの建物が今年中には国宝になる予定だと話し、それから国宝に格上…
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2021年6月26日 続ワラビの季節 その3 ワラビ採りⅡ

 朝飯前に2カ所ほど釣り場を廻って、いつもの女川と藤沢川の出合いでタロウさん淵の見える場所で朝食とした。  ここは景色も良く、ここで落ち着いて食事をすると、渓流釣り場に来たんだなあという気持ちが自然に湧いてくる。  朝食は今回も、前回とほぼ同じメニューで、サンドイッチと納豆巻きと家から持参したトマトにバナナに、豚汁の味噌汁である。 以前…
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能登(日本道)への道 その9 須曽蝦夷穴古墳にて

 須曽蝦夷穴古墳の駐車場に車を停めて、正面の道を歩いていく。 150m歩けば、須曽蝦夷穴古墳に到着である。 七尾市能登島須曽町に所在するこの古墳は、660年頃の古墳時代後期に造られた横穴式の方墳で、日本の古墳には例が少ない高句麗式の構造を備えている特徴がある。 今回の旅は、日本と朝鮮半島や大陸との交流の痕跡を求めての旅でも…
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耽羅紀行(済州島の旅) その27 絶景のオルレ道で海女(ヘーニョ)に出会う

 オルレ道の途中で海の見える地点があったので、ヤンガイド一行は小休止となった。  ヤンガイドは僕らに「皆さん見えますか、あのオレンジ色の浮きのある場所に海女さんがいます。仕事してます。」と指差した。その方向へ、僕もビデオカメラを向けた。  この主にオレンジ色の四角の中に、海…
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ジュンチャンと世界を巡る 第42回はリヒテンシュタイン

 今回も、ヨーロッパのミニ国家を取り上げます。  ミニ国家とは規模の非常に小さい主権国家のことで、極小国家、微小国家、マイクロステートなどともいいます。  今回取り上げるのは人口35000人くらいのリヒテンシュタインで、中央ヨーロッパに位置する立憲君主制国家となっていて、スイスとオーストリアに囲まれているため、「二重内陸国」(海…
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思い出の中の川 第5回 仙見川

 第5回は仙見川である。 「どうせ人生歩くなら、旅するように人生を歩いてみたい」 とロシアを旅した学生の頃から思っていたが、その思いが実際に実現するのは、スバルレオーネツーリングワゴン1800STを手に入れた時からである。  この車を購入したのは昭和62年のこと、西暦で直せば1987年の7月のことだったと記憶している。  車の名もツーリ…
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「播磨と淡路のみち」 その18 浄雲寺を歩く

浄雲寺は室津にある浄土宗知恩院の末寺で、法然上人霊跡の一つでもある。 遊女の元祖とされる友君や、「お夏清十郎」ゆかりの寺としても知られている。 寺のすぐ前まで歩いてきて、今まで歩いてきた道を振り返った。 どこにでもある細い道であるが、浄雲寺門前の道ということで、どこか清浄な空気に包まれている道である。 再び振り返って歩い…
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奈良散歩 その74 旅の終わりは法起寺 

 法輪寺から法起寺までは600m余りで、歩いて行ける距離である。 レンタカーをスタートさせると、法起寺の駐車場まで1分ほどで到着したが、駐車場がごった返していて、適当な場所に車をとめるのに苦労した。 結局法輪寺から20分もかかって、午後1時37分に法起寺の門前に到着した。 法起寺は聖徳宗の寺院で、古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも…
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『本格派 中国四川美人歌手 』 張靚穎(チャン・リャ...

『 中国の美人歌手 』 張靚穎(チャン・リャ...   張靚穎は、現在の中国本土で一番有名な実力派女性歌手。この映像は、2005年超人気オーディション番組『超級女声』に応募した張靚穎で、プロになる前の四川大学生20歳のころのリャンインです。予選参加者は15万人。このオーディションで第3位となっています。歌唱力では、確実に1位であっ…
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江南の春  杜牧

  江南の春  杜牧            千里鶯啼いて緑紅に映ず    水村山郭 酒旗の風    南朝 四百八十はっしん寺    多少の楼台煙雨の中  当時の人が「江南」といったとき、連想するのは広い農村と古い都。広い農村の春には明るい晴れの天気が、古い都の春にはしっとりとした小雨がよく映る。南朝、特に梁の時代は仏教が盛…
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越前と若狭の旅 その41 疋檀城跡見学後、敦賀の旅館へ

これから疋田集落にある歴史的旧跡である疋檀城跡に向かう。 疋壇城は室町時代の文明年間(1469〜1487年)に朝倉氏の部将・疋壇久保によって築かれた。 疋田の地は、柳ヶ瀬越・塩津越・海津越といった越前と近江を結ぶ道が集まる交通・軍事上の要衝であり、越前朝倉氏の最南端防衛拠点として築城されたものである。 疋壇城跡は疋…
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長江の旅 その1 上海にて(クイズ付き、ご回答ください!!)

                   長江文明がもたらした稲作伝来の道 ↑ 安田喜憲氏の著書「長江文明の謎」によれば、長江文明は今から6千3百年前に誕生したという。 地球の寒冷化によるこの地域の乾燥化の中で、長江流域の人々は城塞を築きため池を作った。 稲作を守るために水のコントロールを始めたのである。都市型集落の成立であり、文明の誕生と…
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岡倉天心 茶の本 第六章 芸術鑑賞 その1 花なくてどうして生きて行かれよう(k)

 春の東雲のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけのありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。 人間について見れば、花を観賞することはどうも恋愛の詩と時を同じくして起こっているようである。 無意識のゆえに麗しく、沈黙のために芳しい花の姿でなくて、どこに処女の心の解ける姿…
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横山大観 無我

芸大一期生として新しい「日本画」というジャンルを拓いた大観の出世作。当時は藝大にはまだ、西洋画は無かった。無我とは悟りの境地。彼はそれを無邪気な子供にたとえている。「無我」とは仏教用語で「諸法無我」、大観はそれを幼児の天真爛漫の姿になぞらえた。現代風に言うとポニーテールのようなくわい頭の童子が奈良時代の夾纈(キョウケチ:古代染めの一…
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能登(日本道)への道 その8 能登島ドライブの旅の始まり

 院内勅使塚古墳を見終えると、昼食のために七尾市街に戻った。 昼食は上地図の能登食祭市場である。 この市場の正式名称は七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場といい、七尾市の姉妹都市であるモントレーが位置するアメリカ合衆国カリフォルニア州の沿岸都市に多く見られる観光地「フィッシャーマンズワーフ(漁師の波止場の意味)」を参…
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耽羅紀行(済州島の旅) その26 絶景のオルレ道の散策 

 昼食が終わると、午後1番目は赤字2のオルレ道の散策。  オルレ道の入口の済州ロッテホテルまでバスで向かった。  まるで王宮のような済州ロッテホテルに到着した。  この済州ロッテホテルはオールインなど数々の韓ドラのロケ地として使用されたホテルで、オールインを完全に1回ぶっ通しで視聴し、オールインのシナリオ集まで通販で購入し、この日のため…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その7 尾花沢で芭蕉・清風歴史資料館を見学

午前中は尾花沢から大石田そして山寺へと進んでいくが、この3箇所は芭蕉がおくのほそ道で歩いた道でもある。山刀伐峠を越え、元禄2年(1689年)5月17日(新暦7月3日)、尾花沢にたどり着いた芭蕉は旧友鈴木清風を訪ねた。   季節は紅花の開花期となっており、紅花問屋を営む島田屋鈴木家は多忙を極めていた。僕も芭蕉の歩いた道を辿って鈴…
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2021年6月26日 続ワラビの季節 その2 ワラビ採りⅠ

 「旅するように人生を生きていくスタイル」を支えてくれた我がスバルレガシーツーリングワゴンに乗って、6月26日(土)午前4時半前に我が家を出発、途中でいつものようにコンビニで朝・昼食を購入、釣具屋で餌のミミズを買って、女池インターから新新バイパス(新潟~新発田間)に乗り入れ、新発田インターで下車した。 自宅から60km程走って、午前6時…
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「播磨と淡路のみち」 その17 賀茂神社に行く 

少し歩いていくと、龍野市室津出張所があり、隣にみなと茶屋というこの施設を利用した喫茶・軽食休憩スペースがあった。 この右手の建物であるが、昼食にここを利用することにして、そのまま前に向かって歩いていく。 しばらく歩くと、右手に「本陣 薩摩屋跡」の石柱が建っていた。 時の流れに押し流されて、建物自体は撤去されたが、こ…
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奈良散歩 その73 法輪寺

 法隆寺のある斑鳩の里エリアでは、法隆寺と中宮寺と藤ノ木古墳と法輪寺と法起寺を見る予定としていた。 今回の旅である「奈良散歩」はこの斑鳩の里エリアで終わることになる。 残る寺は、赤☆印の位置の法輪寺と青☆印の位置の法起寺で、まず法輪寺から巡る。 藤ノ木古墳から法輪寺までは3㎞程、午後1時頃には寺に到着した。 法輪寺は、三井寺(みいでら)…
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「オホーツク街道」の旅 その7 イトウ釣りの初日

 今日の旅、6月26日(火)の旅の日程は以下のとおり。  去年の9月にも稚内に来たのだが、その時は台風15号に追われてのまことに不遇な旅だったので、見落とした場所が沢山出来た。  今年の旅はそれを補いながらの「オホーツク街道」の旅となる。  今日からの旅が事実上のスタートとなる旅で、昨日の鰊(ニシン)街道の旅は前座の旅。  去年も泊っ…
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越前と若狭の旅 その40 疋田集落を歩く

 塩津街道は近江と越前を結ぶ古くから使われてきた街道である。 塩津から敦賀に抜ける道には二つのルートがあり、古くは沓掛から深坂峠を越えて西近江路の追分宿に出る道(深坂古道)が使われていたが、険しい山道をさけて後年新道野峠をこえる道が開削された。 現在の国道8号の原形で、この道は西近江路の疋田宿に出る。 …
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甲州街道と佐久平みち その11 信州松本の旅の始まり

 信玄堤を見たあとレンタカーを返して、甲府駅から特急あずさ号に乗って松本へ向かった。  松本駅までは計画表のとおり1時間ほどで、予定の時間に到着した。ただこの電車は特急と言っても山岳地帯を走るので、鈍行列車並みの速さとなっていた。  今夜宿泊するホテルはエースイン松本である。 松本は上高地へ行く玄関口となっている…
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思い出の中の川 第4回 山熊田川と金剛川(D)

 新潟県の最北端を流れる川が府屋大川で、その支流が中継川と小俣川である。 小俣川は雷集落で向川と雷川に分かれる。 一方、中継川は山熊田集落で金剛川と山熊田川に分かれる。  第4回は2005年5月21日に中継川の源流集落である山熊田集落に行った時に釣った山熊田川と金剛川である 新潟県村上市の山あいにある山熊田集落は人口40人あまりの小さな…
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能登(日本道)への道 その7 院内勅使塚古墳へ

実際には行かなかった七尾城跡の代わりに、七尾市街地から南南西へ6km、JR徳田駅から徒歩5分の位置にある院内勅使塚古墳に行った。 車で20分ほどでJR徳田駅に到着、駅で電車待ちをしていた七尾東雲高の生徒と思われる男子高校生達に院内勅使塚古墳までの道順を聞き出して、さっそく歩き出した。 こんな王朝時代の香りのするような…
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耽羅紀行(済州島の旅) その25 レストラン牛歩苑でキジ肉のしゃぶしゃぶ料理

 天帝淵第1瀑布の見学を終えると、僕等ツアー客はヤンガイドの指示していたバスの駐車場所へ戻った。  ここで、今回のツアー初めてのトラブルが発生した。 瀑布の見学をしないでバスへ直接向かった筈の女性観光客2名が、定刻を10分程過ぎてもバスに来ない。 ヤンガイドは怒って、僕等にまで「皆さん、絶対に私の指示通りに動いてください。それでないと、…
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