東京散歩 その4 かねやすから菊坂へ

 今僕は本郷三丁目の、赤ハートマークの場所にいる。

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これから黄線に沿って見返り坂・見送り坂を確認しながら左折し、多くの文豪が住んでいた菊坂界隈を散策する。

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 眼の前に本郷三丁目の標識が見えているが、江戸の市域がどこまでかという目安になるのが、道路を挟んで左手に見えている「かねやす」ビルである。

 もう少し歩いて正面からこのビルを拡大してみると、確かに「かねやす」というひらがなが看板となっている。

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 「司馬遼太郎の本郷界隈」によれば、かねやすは江戸時代から続いている店で、享保年間に口中医師の兼康友悦という人が、この本郷三丁目の角に店を開いて、「乳香散」という粉歯磨きを売っていた。

 大いに繁昌して江戸中にしられるようになった。

 有名な川柳に「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という句があるが、享保15年の大火以後大岡越前守の献策が採用され、火事対策として江戸の町家は瓦葺きや土蔵造りとなった。

 その瓦葺きや土蔵造りの町家の家並みは、この「かねやす」まで続いており、つまりは景色として、ここまでが江戸の内だったのである。

 ちょっと北の本郷四丁目になると、景色が寂しかったという。

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 その寂しい方向に、いまは普通のまっすぐな道であるが、見返り坂・見送り坂があった。

この辺りは地層が少し凹んでいて、そこに「別れの橋」と呼ばれた橋が架けられていた。

江戸を追放された者がこの「別れの橋」で放たれ、手前の坂で親類縁者が見送ったから見送り坂、追放された人が振り返りながら去って行ったから見返り坂となったとのこと。

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見返り坂・見送り坂を確認後、左手に伸びている菊坂に足を進めた。

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