零下10度の世界への旅 中国編14 故宮探訪その2(珍宝館への道)

 神武門から入ったツアー客一行は、まず、珍妃井戸を見た。 それから両側の高い赤褐色の壁を見上げながら急ぎ足で、錫慶門から九龍壁と見て回った。  一行は寧寿宮区に向かう。 ここには、清の乾隆帝が隠居所として準備して建造した建物群が並んでいる。 まずは、寧寿門へ向かった。  北京市はこの正月に40年ぶりの大雪となり…
コメント:0

続きを読むread more

近江街道をゆく その4  横川に入っていく

延暦寺駅から15分ほど歩いて東塔バス停に行った。 ほどなくバスはやって来て、このトンネルを潜って叡山三塔の中で一番遠くにある横川にまず向かった。 横川は司馬遼太郎が何回も訪れた場所で、一番気になる場所で一番行きたかった所なので、心を弾ませながらバスに乗り憧れの横川へ行った。 ここから横川に入っていく…
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 長江の旅 その9 チベット(そして源流へ・・...)

  チベット族の居住区域、中国の4分の1の区域に住む。 ↑   最後に問題あり、今回も回答よろしくです。  東シナ海に注ぐ長江の河口からさかのぼり、青蔵高原の西の端に位置するタングラ山脈の大氷河の末端を源流とする6380kmもの河川延長を誇る長江の旅も今回で終了。  今回の旅は最終ゴール地点への到達を目的とする…
コメント:0

続きを読むread more

日本を代表する女流画家  ―小倉 遊亀―   

小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。滋賀県生れ。奈良女子高等師範学校。  1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となる。色彩に富む人物画や静物画が特徴で、上村松園とともに日本を代表する女流画家。             …
コメント:0

続きを読むread more

岡倉天心 茶の本 第六章  花 その5 花の死

 花道の生まれたのは十五世紀で、茶の湯の起こったのと同時らしく思われる。 わが国の伝説によると、始めて花を生けたのは昔の仏教徒であると言う。 彼らは生物に対する限りなき心やりのあまり、暴風に散らされた花を集めて、それを水おけに入れたということである。 足利義政時代の大画家であり、鑑定家である相阿弥は、初期における花道の大家の一人であった…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その24 総持寺祖院に到着

福良港をあとに、これから能登半島の西海岸を輪島まで北上するが、最初に巌門に向かった。 ここを降りていく。 巌門は、能登半島国定公園に指定されている能登金剛の一部である天然の洞窟である。 2分ほど歩いて、日本海の荒波によってぽっかりと空いた幅6メートル、高さ15メートル 奥行き60メートルにも及ぶ巨大な洞窟である巌門…
コメント:0

続きを読むread more

「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その1 ものがたりの始まり

2015年11月5日(木)から11月12日(木)まで7泊8日で、古都鎌倉と、横須賀を基地として三浦半島を巡ってきた。鎌倉に4泊し、横須賀に3泊した。普段は車で釣り旅を中心に日本の国を気ままに旅しているので、今回のようなほぼ電車とバスだけの旅は初体験に近く、旅に出るまでいろいろと心配していた。終わってみればそう心配するようなことも起こらず…
コメント:0

続きを読むread more

最上川と「おくのほそ道」の旅 その15 兼続生涯最大の作品、米沢の町とは 

それでは、最上川最上流の町米沢市の中心部に向かってスタートである。 最上川は米沢市内に入ると、羽黒川、松川、堀立川の支流に分かれるが、松川が最上川の本流となる。まず、赤矢印の松岬公園(旧米沢城本丸)に向かう。 松岬公園(旧米沢城本丸)を中心とした現在の米沢市の姿であるが、実はこの米沢の町は400年前に造られた…
コメント:0

続きを読むread more

「日本最長10河川の旅」での釣り 奴奈川姫の川「姫川」の源流で釣る その1

 姫川の源流で渓流釣りをする機会を持った。 姫川は河川総延長距離がたった58km、しかしその平均勾配は1000分の13ということで、まさに日本の川の典型のような短い急流の川である。 姫川は名前も美しい、その急峻な流れも美しい。 川の名前のルーツは古事記にまでさかのぼるが、古代、姫川下流の越(高志)の国に、奴奈川姫という才色兼備の女性がい…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その33 神戸華僑歴史博物館 

神戸ポートタワーを降りて、次に神戸華僑歴史博物館に行った。  このKCCビルの2階に、神戸華僑歴史博物館はある。  このビルの前には、非核「神戸方式」の碑や神戸港平和の碑などがあった。  司馬さんの「街道をゆく 神戸散歩」の中に、「陳徳仁氏の管長室」という1章がある。  司馬さんが大坂外語学校に通っていた頃、神戸から通学してくる…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その11 東大という怪物その2

次に都道府県知事である。 大村秀章(愛知県知事) 舛添要一(東京都知事、元厚生労働大臣、元参議院議員)阿部守一(元横浜市副市長、元総務省過疎対策室長、長野県知事)荒井正吾(元海上保安庁長官、参議院議員、奈良県知事)飯泉嘉門(元自治省官僚、徳島県知事)石井隆一(元消防庁長官、富山県知事)石川嘉延(元自治省行政局公務員部長、前静…
コメント:0

続きを読むread more

「オホーツク街道」の旅 その15  泉靖一のオンコロマナイを目指す!!

 オホーツク街道の旅は、稚内北方記念館に別れを告げこれから宗谷岬へ向かう。  去年のオホーツク街道序章の旅では、司馬遼太郎のオホーツク街道を真似て抜海岬、野寒布岬、声問岬、宗谷岬の4箇所の岬を巡り、更に間宮林蔵渡樺の地にも立ち寄った。  今年のオホーツク街道の旅は去年立ち寄れなかったオンコロマナイ遺跡と宗谷丘陵に行こうと考えている。 …
コメント:0

続きを読むread more

満漢全席(まんかんぜんせき)とはこんなもの

 満漢全席(まんかんぜんせき)とは清朝の乾隆帝の時代から始まった満州族の料理と漢族の料理のうち、山東料理の中から選りすぐったメニューを取りそろえて宴席に出す宴会様式である。  後に、広東料理など漢族の他の地方料理も加えるようになり、西太后の時代になるとさらに洗練されたものとなった。  盛大な宴の例では途中で出し物を見たりしな…
コメント:0

続きを読むread more

中国編13 故宮(紫禁城)探訪その1 珍妃井戸など

神武門から故宮に入った。 真北の方角に景山公園が築かれている。  この景山公園は、元代に北海が掘られた際、その土砂を積み、造成された。 標高約45mの万春亭からは故宮の全貌が見渡せる。 まず最初に、珍妃の井戸を見学。  正式なルートで見学してないので金妙珍と管理人のおじさんの間で5分程、見学のための交渉がありやっと、ここから…
コメント:0

続きを読むread more

近江街道をゆく その3 坂本ケーブルに乗る

坂本ケーブルは昭和2年に開設された全長2025mの日本一長いケーブルカーで、麓の坂本駅から延暦寺駅迄を11分で結んでいる。 初発が午前8時で毎時00分と30分に出発するので、僕はしばらく待合室で時間を過ごし、午前9時30分の便に乗って坂本駅を出発した。 ここは坂本駅を出てから5分程経過した地点だが、ケ…
コメント:0

続きを読むread more

甲州街道と佐久平みち その19 上田城跡と真田氏 

 川中島古戦場から、次に上田城跡に向かった。  上田城跡まで距離にして30km程で、午前11時半頃には上田城跡駐車場に到着した。  ここから城内までは500m以上あり、ペットボトルの水を飲みながらとぼとぼと歩いた。 後でわかったことだが、レンタカーを停めた駐車場が適切でなく、真田神社の近くの駐車場に停めればこんなに歩くこ…
コメント:0

続きを読むread more

思い出の中の川 第11回 小俣川と日本国

 これから府屋大川を遡上し、それから小俣川へ向かう。  小俣川は清酒「日本国」の名前の由来の新潟県と山形県との県境にある日本国の山裾を流れる川である。  日本国は海抜555mの山であり、覚えやすい高さの山である。今回の「思い出の中の川」は、その日本国の登山口がある小俣集落までの小俣川沿いの川旅である。  ここはまだ府屋…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その23 渤海の話Ⅲ

日本との交易のために渤海が整備した道が中国の歴史書にも記されている「日本道」である。 「日本道」は上京の都を出て、そこからロシア沿海地方に出て日本海を渡るルートである。渤海使が船出した地点がクラスキノ遺跡である。 ウラジオストクから車で6時間、クラスキノ遺跡はそこにある。 中国とロシアの国境付近、ロシア沿海地方にクラス…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その41 そして済州島の旅の終わり

 済州島の旅も、今回で最後とする。  最終回は、世界自然遺産である万丈窟を探険しながら、巫堂(ムーダン)の話で締めたいと考えている。  海女(ヘーニョ)の続きについては、機会があったら他の旅の時に触れたい。  それでは万丈窟へ出発である。  万丈窟は、今から約30万年~10万年前に形成された世界最長の溶岩洞窟で、全長約7.4km、洞…
コメント:0

続きを読むread more

ジュンチャンと世界を巡る 第49回はイギリス

 さて、ついにイギリス到着です。  イギリスといえば、バラの花咲くイングリッシュ・ガーデン、歴史と伝統を残したマナー・ハウス、そして優雅な午後の紅茶などが思い浮かびます。 またイギリスには、ロンドンという刺激的な大都市もあり、ショッピング、エンターテインメント、ビートルズなどあらゆる文化の最先端と伝統が混在し、カントリー・サイドと…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その32 神戸ポートタワーから神戸を展望 

神戸ポートタワーは神戸港中突堤の袂に建つタワーで、世界初のパイプ構造の建造物である。 和楽器の鼓を長くしたような外観が特徴で、その独特の構造・形状から「鉄塔の美女」とも称されている。   神戸ポートタワーの高さは108m、入場料金は700円である。展望5階が最上階であるが、これからこの塔の上にエレベータで上がる。 展望5階…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その10 東大という怪物その1

東京大学の起源は、1684年に江戸幕府が設立した天文方と、1858年に江戸の医者の私財によって設立された神田お玉ヶ池種痘所、1797年に創設された昌平坂学問所である。 天文方はその後、1857年に蕃書調所、1862年に洋書調所、1863年に開成所と変遷していった。また、種痘所も1860年(万延元年)に江戸幕府へ移管された後、1861年…
コメント:0

続きを読むread more

中国編12 「故宮(紫禁城)」は北門から入城

 金妙珍のホテル1階ロビーへの集合指示時間は午前7時50分、そして一日目と同じ時刻の午前8時に出発。 1月23日、土曜日の朝、故宮が非常に混み合うことが予想されたため、僕達のツアーは、指示棒の先が示す位置にある、北の入り口(神武門)から入ることになった。   オレンジの囲いの中が故宮(もと宮殿の意味)、ここは、明、清の時代に皇帝の宮殿と…
コメント:0

続きを読むread more

近江街道をゆく その2 旅の初日はウトウト、翌日は比叡山へ

旅は11月から始めた方が111と続く数字の関係で縁起がいい?かなとも考えたが、あえて古代ケルト人の祭りの日であるハロウィンの日を旅のスタートとした。 旅の最初から化物が出てくるような予感がするが、それも案外面白いかもしれない。 そんなことを思ったり、旅の装備を考えたりしている間に色々と迷いが生じて、結局旅の前夜は4時間程しか眠れなか…
コメント:0

続きを読むread more

長江の旅 その8 香格里拉(シャングリラ)にて 最後に問題あり、回答もヨロシクね。 

                        ナシ族の分布図麗江、雲南省の西北部。正式には麗江ナシ族自治県という。標高5596メートルの玉龍雪山の麓に開けた街である。                 向こうに見えるのは、玉龍雪山 ↑ 青海省に源を発した長江は地勢に従い北から南へ流れてくる。それが、石鼓で一転北へ向きを変え、玉…
コメント:0

続きを読むread more

岡倉天心 茶の本 第六章  花 その4 様々な花の話

 東洋では花卉栽培の道は非常に古いものであって、詩人の嗜好とその愛好する花卉はしばしば物語や歌にしるされている。 唐宋の時代には陶器術の発達に伴なって、花卉を入れる驚くべき器が作られたということである。 といっても植木鉢ではなく宝石をちりばめた御殿であった。 花ごとに仕える特使が派遣せられ、兎の毛で作ったやわらかい刷毛でその葉を洗うので…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その22 渤海の話Ⅱ

これからロシアに200箇所以上ある渤海の遺跡の一つを、ロシアのウラジオストク郊外まで訪ねていく。最初に向かったのが、渤海時代の山城の跡である。 ここは山城の跡で、山城は4mの石垣で囲まれていたということで、NHKの杉浦知紀アナウンサ-の手の高さの2倍位の高さがあったことになる。 渤海人はこのような山城を幾つも造り、山城を拠点とし…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その40 セウォル号事件を見ながらの昼食

 僕らツアーは、この頃韓国史上最悪の事故が起こっていることも知らず、昼食場所の咸徳海岸に、午後1時頃到着した。  曇天の日だったが、このあたりの風景は美しく、砂浜の向こうには風力発電の風車が設置されていて、そういえば済州島は風と石と女の多い三多の島と呼ばれていたという事前知識を、この時になって初めて思い出した。  ここが、…
コメント:0

続きを読むread more

最上川と「おくのほそ道」の旅 その14 上杉の米沢はまず芋煮汁から 

上山の次は上杉の米沢である。 今回の『平成19年最上川と「おくのほそ道」の旅』は2泊3日の旅、米沢は本来ならば最低でも1泊して、直江兼続の作ったこの町を、歴史をたどりながらじっくり歩きたいところである。 しかし、今日の宿は最上川源流の地である西吾妻連峰のふところにある白布温泉の白布屋、日が沈まないうちに源流の地にたどり着く予定にして…
コメント:0

続きを読むread more

「日本最長10河川の旅」での釣り 山女釣り師の聖地「内山節の上野村」への旅 その4

 この満腹状態で、やまびこ荘で少し休んで、再び中ノ沢へ釣りに出掛けた。  塩ノ沢は水の量が極端に少なく、とても釣りどころではなかった。 中ノ沢の、浜平方面から神流川本流が流れ込むあたりに車を停め、僕はいつもの僕ではなく、内山節になった気分で、中ノ沢に降りた。  心は内山節になって、気温は今日も体温並の真夏の昼下がりに、山女釣りを始めた。…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その31 旧居留地を散策 

ランチを食べ終え、南京街を出てこれから旧居留地を散策する。 神戸の街は外人の造った街で、この旧居留地に最初に外人たちが居住していた。 旧居留地は神戸の街の発祥の地でもある訳である。 旧居留地に住まわれていた神戸の街の最初の住人である中国や韓国や東南アジアやヨーロッパから来た方々は、神戸の街を流れる生田川の度々の氾濫でこの街…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その9 東大散歩で理学部2号館まで

東京大学東洋文化研究所(略称は東文研)は東洋の文化の総合的研究を目的として設置された研究所である主に人文・社会科学の研究者が所属し、アジア地域の文学、歴史、社会、政治、経済などの研究・教育を行っている。また、附属施設に東洋学研究情報センターを置き、アジア研究に関する情報の発信を行うなど、日本のアジア地域研究の研究・情報センターを目指して…
コメント:0

続きを読むread more

「オホーツク街道」の旅 その14 ギリヤクと犬との濃厚過ぎる関係 

9,犬の飼養について シュレンクは,ギリヤクの生活における犬の圧倒的役割を指摘し,それが輸送だけでなく,衣服に用いられる毛皮,食糧としても重要であること,しかもアイヌをのぞいて,アムール河下流部のいかなる民族もギリヤクのようにこれを食用にするものはないとのべている。 林蔵はギリヤクの犬飼養について「貧富の者に論なく家々是を飼さるものなし…
コメント:0

続きを読むread more

零下10度の世界への旅 中国編11 「憧れの北京ダック」を初めて食べたよ。

北京人なら誰でも知っている北京ダックの名店「全じゅ徳」で、夕食タイム。 日本にも支店があるが、北京でも支店が多くあり、どこの「全じゅ徳」に入ったかは解らず仕舞い。 写真が幾分不鮮明なのは、彪さん撮影のDVDを御土産で買い、それを一次停止させてデジカメで撮影したせい。 ちなみに、DVDのお値段は日本円で、五千円。 僕は、いい記念になったの…
コメント:0

続きを読むread more

近江街道をゆく その1 旅の始まり

 「近江街道の旅」は、去年の「越前と若狭の旅」の続きである。「越前と若狭の旅」は「越国(こしのくに)」と呼ばれ、ヤマト王権の勢力が十分に及ばない日本海側の地域でありながら、朝鮮半島や大陸からの交通路になっていて先進文化が栄えていた地域の南端部の旅であった。 「近江街道の旅」はヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃とな…
コメント:0

続きを読むread more

甲州街道と佐久平みち その18 八幡原史跡(川中島古戦場)にて 

 長野トヨタレンタ長野店から、まず八幡原史跡(川中島古戦場)公園を目指した。  距離にして6.5km、時間にして20分もかからない。  午前10時には川中島古戦場に到着した。 川中島と言えば武田信玄と上杉謙信の合戦で有名な場所である。 川中島の戦いは、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信との間で、北信濃の支配権を巡って行…
コメント:0

続きを読むread more

思い出の中の川 第10回 府屋大川河口

 2009年5月2日午後3時半頃に勝木川を見たが、それから府屋に向かい、この日は府屋の「通年民宿長平」に泊った。  府屋は新潟県の最北端に位置する旧山北町の中心街区で、2008年4月1日に村上市、荒川町、神林村、朝日村と合併し、村上市となるまでは、この府屋に町役場があり、町の行政や経済活動の中心となっていた。 この府屋に流れ込む川が府屋…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その21 渤海の話Ⅰ

これからは渤海の話となる。 渤海は、西暦698年から926年まで、今の北朝鮮と中国東北部とロシア沿海州の一部を領土として、228年もの長い間栄えた国である。 日本の時代では飛鳥・奈良・平安時代のことで、その間渤海は34回も日本に使者を送り、その延べ人数は2500人にもなった。  これに応えて、日本からも渤海に使者が…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その39 城山日出峰を制覇後のバスの中で

 頂上で5分程城山日出峰を制覇した喜びを噛み締めて下山した。  下山道は傾斜度が30度くらいはありそうで、そこから下界へのダイナミックな眺めはなかなかのものだった。やはり、世界遺産の風景である。  下界に近づくに連れ、さらに風景の迫力はアップする。やはり、この山は登りより下りがずっと眺めが良さそうである。  ここ…
コメント:0

続きを読むread more

ジュンチャンと世界を巡る 第47回はオランダ

 ベルギーはネーデルラント王国(オランダ)に支配され、オランダの一部となっていたが、1830年にオランダから独立しました。  ベルギーの歴史は独立よりもずっと古いので、先史を見ていきます。  ベルギーと称される地域には、旧石器時代ごろより農耕と漁労を主とする人類の定着が見られ、新石器時代に入って大西洋の海進によって温暖化が進むと…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その30 南京街でランチ

三宮駅からJRに乗って一駅先の元町駅に降りた。 今日は神戸の海側の主な場所を一日かけて見る予定にしている。 主な場所とは、南京街、旧居留地、メリケンパーク、ポートタワーなどである。 まず最初に、元町にある南京街に向かった。  ここは、南京街の入り口にある「長安門」である。 さっそく長安門をくぐって南京街…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その8 東大散歩は赤門から

 東京散歩はこれから東大散歩となる。  菊坂から赤門に向かった。   赤門は参勤交代制度の確立によって造成された加賀前田家江戸上屋敷の正門である。 参勤交代制度は鎌倉時代にみられた御家人の鎌倉への出仕が起源とされ、将軍に対する大名の服属儀礼として始まった。 1635年に徳川家光によって徳川将軍家に対する軍役奉仕を目的に制度化…
コメント:0

続きを読むread more

中国編10 胡同(フートン)探索その2

什刹海の什は数字の10、刹はお寺のことでこの辺りには多くのお寺があったことから銘々された。 胡同(フートン)の始まりは元の時代、胡同とはモンゴル語で井戸を表し、人びとが生活する横丁を意味する。   胡同の家は、中庭を囲むように東西南北に石造りの平屋が建てられていて、そういった建築様式「四合院」という。北京にはそうした胡同が何千もあって迷…
コメント:0

続きを読むread more

越前と若狭の旅 その53 「敦賀鉄道資料館」で旅を終える 

敦賀にいるが、ここに来ると渤海(698年〜926年)のことを思い出す。 渤海は、建国以後唐や新羅の勢力を牽制する目的で日本への遣使を行っていて、この渤海の日本への海上交通は「日本道」とよばれていた。 この日本道とほぼ同じ海上の道を利用し、敦賀港は1902年から1941年にかけて、日本とヨーロッパとの交通の拠点として賑わった。 …
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 長江の旅 その7 大理にて

 雲南省の代表的な都市である大理は、昆明の西、麗江の南に位置する白族(ぺーぞく)の都市である。    大理を代表する風景(洱海(アルカイ)と聖寺三塔) ↑  都市の人口は50万ほど、その3分の2は白族(ぺーぞく)で占める。この都市には白族の歴史と伝統がそのまま残っている。  大理は、中国のどこにでも…
コメント:0

続きを読むread more

ネットで拾った、冗談話 焼き肉屋でのこと(k)

ある焼肉屋で骨付きカルビを頼んだのだが、普通のカルビがきた。 店員が間違えに気づき謝ってきたが、 俺は特に気にしなかった。 数分後、その店員がキムチを持ってきてこう言った。 「本当にすみません…。これほんのキムチですが…。」 俺は 「冗談は顔だけにしろ」 と、マジで言った。
コメント:0

続きを読むread more

平山郁夫の作品から「入涅槃幻想」など

 平山郁夫  旧制広島修道中学(現修道中学校・高等学校)3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で広島市への原子爆弾投下により被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点になっている。  第二次世界大戦後は実家に近い旧制忠海中学(現広島県立忠海高等学校)に転校した。ここでは高橋玄洋と同級生と…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その20 渤海までの二つめの話 

二つめの話は、5世紀となる。 この時代は倭の五王の時代で、大和政権は強大な力となり、朝鮮半島南部の支配をめぐって優位な立場に立つため、中国の宋に朝貢して安東将軍などの称号を得た。  例の讃、珍、済、興、武の時代で、大阪の堺市には仁徳天皇(讃と比定されている)陵などの巨大な前方後円墳が造られた。 一方朝鮮半島南部では4世紀に…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その38 城山日出峰でこの旅一のビッグプレゼントゲット

 ソプチコジから世界自然遺産の城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)までは車で約10分の距離である。  「済州火山島と溶岩洞窟」が2007年にユネスコの世界自然遺産に登録されたが、城山日出峰は済州火山島として、漢拏山天然保護地域と並んで登録された。  城山日出峰は10万年前の海底噴火によってできた巨大岩山であり、済州島を代表する景…
コメント:0

続きを読むread more

最上川と「おくのほそ道」の旅 その13 茂吉とふさこのことだけ考えて斎藤茂吉記念館を見学

ふさこを気にしながら、斎藤茂吉記念館の庭に入った。 記念館の庭には、医師であり歌人でもあった斎藤茂吉の胸像が堂々と建っていた。 展示室へは階段で地下一階に降りて行く。 展示スペース「赤き華あかき光を」では、金瓶に生まれ育った茂吉が歌集「赤光」を出した大正2年までを扱う。 展示スペース「一本の道とほりたり」…
コメント:0

続きを読むread more

サロベツ川でのイトウ釣り その1

 天塩川河口に架かる天塩河口大橋を渡り、ほぼ真北に位置するサロベツ原野を目指し、日本海沿いを北上する。  目指すはサロベツ原野南端に位置する音類橋である。  イトウ釣りは僕の夢の一つで、開高健がモンゴルで2年間に渡ってチャレンジした「モンゴル大紀行」のイトウ釣りシーンには心底感動した。  モンゴルだけでなく、北海道にも…
コメント:0

続きを読むread more

「日本最長10河川の旅」での釣り 山女釣り師の聖地「内山節の上野村」への旅 その3

 車を塩ノ沢に進め、国民宿舎やまびこ荘に向かった。 今日の宿泊場所のやまびこ荘は、イメージしていたよりずっと格調のある建物だった。 内部も絵画が適度に配置され、家具なども工夫されていた。 少し良すぎる今晩の宿舎という印象で、そこそこのホテルの宿泊と同じだと思った。 部屋に荷を置き、少し部屋で休んでいる間に、時間は12時を回っていた。 昼…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その29 生田神社から北野坂へ 

揖保川に沿っての播州の旅は、天気にも恵まれて最高のコンディションの中で行われた。 姫路では旅の最初に3連泊したホテル姫路プラザに泊ったが、前の部屋とは違ってダブルベッドとシングルベッドが入っていて、居心地が悪くて睡眠にも差し支え、二度寝までしたので、午前8時過ぎてからの朝食となった。 当初は新幹線で新神戸に行く予定にしていた…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その7 樋口一葉と菊坂旧宅

 最後に赤字ウの樋口一葉旧宅と、赤字エの樋口一葉ゆかりの伊勢屋質屋に行ってみた。  樋口一葉菊坂旧居跡は路地裏の見つけにくい場所にあるが、入り口に目印の看板があり、何とか辿りつけた。  入り口から路地に入ると緑色の井戸が目に入るが、この井戸が一葉一家使用の有名な井戸である。  この井戸の左側にあった庭付きの貸家に…
コメント:0

続きを読むread more

「オホーツク街道」の旅 その13 ギリヤクの揺藍について

4・ギリヤクにおける結婚と性関係の規準   省略 5.ギリヤクの婚資について   省略 6.ギリヤクの「理髪」について   省略 7.ギリヤクの揺藍について ギリヤクの女性は出産の時が近づくと,住居のそばにつくられた産小屋に移って子どもを産む。生まれた後は,両親は子どもの息災を願ってさまざまな儀礼を行なうが、とくに重要なものは火…
コメント:0

続きを読むread more

中国編9 胡同(フートン)探索その1

 頣和園から北京の中心部に入った。 僕らは、北京の昔ながらの街、胡同(フートン)を見学する。   オレンジ色の四角で囲った部分が紫禁城(故宮)。 その上の南から北西へ向かう矢印の道を通り、僕らは胡同(フートン)を見学した。 この辺りは什刹海(西海、後海、前海の3つの湖を総称してこういう)といい、観光客向け「人力車で行く胡同めぐり」ツアー…
コメント:0

続きを読むread more

越前と若狭の旅 その52 氣比神宮から金崎宮へ

昼食を食べたあと、「三方五湖レインボウライン」を降り、1時間程かけて敦賀まで走り、敦賀の気比神宮に午後2時ころに到着した。 敦賀の気比というと、高校野球の強豪校である敦賀気比を思い出すが、この神宮は野球の神様を祀っている神社ではない。 氣比神宮は、福井県の中央部に位置する敦賀市市街地の北東部に鎮座する越前国一宮である…
コメント:0

続きを読むread more

甲州街道と佐久平みち その17 松本城

午後1時半には大王わさび農場を出発した。  16km程の安曇野の道を走って、午後2時半には松本城に入った。  今まで現存12天守(北から弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、姫路城、松江城、備前松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)のうち9か所(弘前城、丸岡城、彦根城、姫路城、松江城、丸亀城、松山城、宇…
コメント:0

続きを読むread more

思い出の中の川 第9回 勝木川河口

勝木川は鮭の上る川で、この川の河口部では鮭のカギ漁(ひっかけ漁)が鮭の上る秋になると行われると聞いている。 その釣り場に、2009年5月2日午後3時半頃に行ってみた。  その途中でカニの加工場を通り抜けていくのだが、そこから出るカニ独特の生臭い強烈な臭いがこの辺り一帯に立ち込めていて、勝木集落は感じのいい町だが、この…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その19  弥生時代末期頃の朝鮮半島南部との交流

渤海のことを取上げたちょうど良い資料がNHKスペシャルで放映された「日本と朝鮮半島2000年」である。  その第5回のテーマが、「日本海の道~幻の王国・渤海との交流~」である。  古代の朝鮮半島との交流は、玄界灘から瀬戸内海を通る青線の「瀬戸内海ルート」が主流だったが、直接日本海を渡る赤線の「日本海ルート」での交流も…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その37 たった一つ残ったものが人生の宝物

 これからオールインハウスに向かって歩いて行く。  ここには韓国人だけでなく実に様々な国の人々がいて、それぞれの国の言葉で、大声で話しながら通り過ぎていく。 韓ドラは日本のみでなく、東南アジアの多くの国々に輸出されているというが、唯のツアー客の中にも韓ドラに魅せられた人々が大勢いて、オールインのロケ地のような場所で、思い出のワンシーンを…
コメント:0

続きを読むread more

ジュンチャンと世界を巡る 第47回はオランダ

 今回はオランダ、ヨーロッパ北西部に位置し、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面し、ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクス三国と呼ばれています。  オランダの歴史ですが、現在のベネルクス地方は神聖ローマ帝国の領域の一部で、15世紀末からスペインを本拠とするハプスブルク家の領土となっていました。  宗主国スペイ…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その28 「赤とんぼ」の町

午前11時前には龍野に戻った。 龍野でまだ見てない場所や、朝食前に散策したいかにも龍野らしい立派な風景をもう一度心に焼き付けた。 龍野は鶏籠山をバックに、コンパクトに古い美しい町並みが残っていて、その中でも龍野の中心となる醤油蔵や古寺は、再度見直しても見事だった。 昼食は鶏籠山の良く見える場所にあるレストラ…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その6 宮沢賢治の青春時代の旧居で、彼の世界で遊ぶ

 続いて、イの宮沢賢治旧宅に向かった。  この坂を下って突き当りにあった稲垣という家主の家(当時の住所は本郷菊坂町75番地)の二階六畳間を借り、賢治は馬鈴薯中心の菜食主義者らしい自炊生活をしていた。  菜食主義者としての彼の思想を示したものに「ビヂテリアン大祭」という作品がある。この中で賢治は彼の思想を語っていると思われる語…
コメント:0

続きを読むread more

零下10度への旅 中国編 8 西太后の世界を覗く

 中国ガイドの金妙珍は、今回のガイドは日中友好のためにやる、僕らツアー客一行は全員新潟県人、日中の国交を回復した田中角栄の郷土新潟県人は田中角栄と同じ扱いにするという。 金妙珍の熱の入れようは尋常でなく、彼女の言葉に嘘は無いと感じた。もうみんなサービスですよ、みんな奢りですよ!!みんな見せて上げると金妙珍は繰り返した。   ここが、…
コメント:0

続きを読むread more

越前と若狭の旅 その51  「三方五湖レインボウライン」にて

これから絶景で有名な「三方五湖レインボウライン」に向かう。 ラインは全長11.24kmあり、標高400mの梅丈岳を縫うように走り、ライン眼下から五湖の絶景が見渡せる有料道路である。 ゲートで普通車1000円の料金を払って「三方五湖レインボウライン」に乗り入れた。 しばらくすると、眼下に唯一の海水湖で…
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 長江の旅 その6 昆明にて

 長江の旅は、四川省から雲南省に入った。  長江という名も、四川盆地を流れる岷江との合流点である宜(ぎ)賓(ひん)からは、金沙(きんさ)江(こう)と名前を変える。  雲南はアジア大陸の古人類発祥の地といわれ、400万年前には猿人類「東方人」、187万年前には直立人「元謀人」が生息していたと言われている。 …
コメント:0

続きを読むread more

岡倉天心 茶の本 第六章  花 その3 西洋での花の運命

 西洋の社会における花の浪費は東洋の宗匠の花の扱い方よりもさらに驚き入ったものである。  舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数はなかなか莫大なものに違いない。  いっしょにつないだら一大陸を花輪で飾ることもできよう。  このような、花の命を全く物とも思わぬことに比ぶれば、花の宗匠の罪は取るに足らな…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その18 旧福浦灯台まで歩く

福良津を見下ろす高台に石川県指定史跡に指定されている旧福浦灯台がある。 この金比羅神社の向こうに、旧福浦灯台の方向を示す看板が立ててあるので、そこから右手に曲がり、灯台までのんびり歩いていく。 歩いているのはこんな細い崖道で、左はガードブロックで固められており、右手はガードレールで守られている。靴音が一番大きく響いて聞こえて…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その36 オールインハウス発見

 いよいよオールインハウス入口である。  ヤンガイドがバスに11時20分までに戻ってきてと僕らに伝え、ここから30分程の時間でオールインのロケ地を見学となる。  これから、この丘を登って行く。  僕はオールインの話を全24話しっかり見ていて、主人公のキム・イナと恋人のスヨンさんの話にのめり込みなが…
コメント:0

続きを読むread more

最上川と「おくのほそ道」の旅 その12 斎藤茂吉、子規の遠縁の永井ふさこと出会う

アララギ派の名だたる歌人で精神科医としても功績を残した斎藤茂吉は、明治15年5月14日、山形県南村山郡金瓶村の農民、守谷熊次郎の三男として生まれている。   霊山として知られた蔵王山の山裾ののびたところに生家はあった。小学校時代から神童と呼ばれたところは、天才歌人石川啄木と同じである。その後同郷出身で、そのころ東京で医院を開い…
コメント:0

続きを読むread more

「日本最長10河川の旅」での釣り 山女釣り師の聖地「内山節の上野村」への旅 その2

 車は峠を、上野村に向かって降りていく。  昇る時と同じくらい苦労して峠を降りて行き、しばらくすると、右手に絶好のポイントを有する沢の流れが始まった。 ここで降車して、ぶどう峠の方を振り返った。  今来た道を少し戻って左折すると、その道は御巣鷹の尾根に続く。  1985年8月12日に日航ジャンボ機(JAL123便)が群馬県上野村御巣鷹山…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その27 山崎城跡

山崎には午前9時半頃に到着した。 山崎は黒田官兵衛ゆかりの地で、官兵衛は最初姫路に城を構えていたが、そこを秀吉に譲って、播磨宍粟郡の山崎の城に居城した。 この山崎の城は、山崎町中心部にそびえる標高324mの山上にある篠ノ丸城で、官兵衛は篠ノ丸城が中途半端な山城で不便なため、山が平地に対し崖一つで接している南の端を削って大地に…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その5 まるや肉店で休憩後、菊坂を歩く

旧菊坂町や菊坂の名前の由来が案内板に書いてあったので紹介する。  この辺一帯に菊畑があり、菊の花を作る人が多く住んでいた。  それで坂を菊坂、坂上の方を菊坂台町、坂下の方を菊坂町と名づけたと書かれている。  菊坂に入ると今はこんな景観となっているが、明治から大正の頃には、この坂の周辺に宮沢賢治、石川啄木、二葉亭四迷、谷崎潤…
コメント:0

続きを読むread more

「オホーツク街道」の旅 その12  間宮林蔵の見たギリヤクの性生活

3.性 生 活  林蔵はギリヤクの性生活が自由であり,女性が色気たっぷりであることを指摘している。たとえば,ギリヤクの女性は「其情蝦夷島女夷と大に異にして,相識ラさる人といへ共能馴泥し,言語通ぜざれば其云処瞭然ならずといへ共,時気寒暖の応接などなし,いかにも娩情妖態多ク,男子に接するのさま親意殊に深しと云」。この引用文の末尾に「と云」と…
コメント:0

続きを読むread more

零下10度の世界への旅 中国編7 昆明湖と仏香閣

 北京市の世界遺産は、7箇所あり、頣和園もその一つ。 他の世界遺産は、万里の長城、明の十三陵、承徳の避暑山荘と外八廟、周口店の北京原人遺跡それに紫禁城と天壇である。 今回は機会が無かったが、周口店の北京原人遺跡は一番行ってみたい場所(30万年前の世界に浸かってミタイヨ。)   頣和園は290万㎡の広さがあり、その4分の3は昆明湖である…
コメント:0

続きを読むread more

越前と若狭の旅 その50 「若狭三方縄文博物館DOKIDOKI館」へ立ち寄る

三方五湖は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称で国指定の名勝となっていて若狭湾国定公園に属している。 三方五湖を一覧表にすると、このような表となる。 この五湖のうち、「水月湖年縞」で有名な水月湖は前から知っていた湖である。 この水月湖年縞の展示資料がある「若狭三方縄文博物館DOK…
コメント:0

続きを読むread more

甲州街道と佐久平みち その16 万水川のほとりで 

 安曇野の大王わさび園は2003年の「姫川の旅」で一度行ったことのある場所である。  黒沢明監督の「夢」の舞台となった「万水川のほとりの水車小屋」は当時のままで、そこを流れている透明感の高い清流万水川の流れも当時のままだった。  尺を越えると思われる虹鱒も泳いでいた。 その清流の横を歩いて、まず大王わさび農場に向かっ…
コメント:0

続きを読むread more

思い出の中の川 第8回 勝木川と大毎川

 平成21(2009)年から平成25(2013)年までの5年間、5月の連休の間に1泊2日の日程で、海府(笹川流れの)の小渓流へ釣りに出かけていた。 今回はその視察のような釣行で、2009年の4月24日に勝木川中流域と大毎川に入渓した。   具体的には、黄四角の範囲の川である。  この釣行はちょうどこの辺りの桜…
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その17  福良津に到着

「花のミュージアムフローリイ」から10分ほど走って、旧福良灯台まで700mの案内標識の出ているところに来た。 古代には福浦津と呼ばれ、渤海国使の帰国船の造船,修理,係留,出航の基地として機能し、また渤海使節団の迎賓館である能登客員が置かれた場所までもうすぐである。  レンタカーは、福良港への細い道を降りていき、無事福…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その35 オールインのソプチコジに到着

 これから済州島の東海岸へ向かうが、その前に済州市内のレストランで朝食。   ハングル文字を読むと김명자(キムミョンジャ)、굴국빕(クルグクピプ=牡蠣クッパ)、전묵점(チョンムク店)となる。  ここは牡蠣入りのクッパ、クルクッパッの専門店で、店の名前は「キムミョンジャ・クルクッパ・チョンムク店」である。  クッパは韓国料理の一種で…
コメント:0

続きを読むread more

ジュンチャンと世界を巡る 第46回はポルトガル

 ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家で、ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持ちました。  ヨーロッパでもっとも早く絶対主義を確立したポルトガルは海外進出を積極的に進め、1415年にモロッコ北端の要衝セウタを攻略したのを皮切りに、エンリケ航海王子を中心として海外進出が本格化し、「大航海時代」が始まったの…
コメント:0

続きを読むread more

「播磨と淡路のみち」 その26 伊和神社

朝食を食べるために旅館の1階の食堂に行った。  竹の宿と名乗っているだけあって、食堂にも竹が贅沢に使われていた。 朝食も食堂と同じで、一品一品手が加えられていて贅沢である。 朝食前の散策の余韻が残っていたので、この朝食がなおのこと美味しく感じた。 そして今日の日程である。 今日もレンタカーで、司馬さんの「街道…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩 その4 かねやすから菊坂へ

 今僕は本郷三丁目の、赤ハートマークの場所にいる。 これから黄線に沿って見返り坂・見送り坂を確認しながら左折し、多くの文豪が住んでいた菊坂界隈を散策する。  眼の前に本郷三丁目の標識が見えているが、江戸の市域がどこまでかという目安になるのが、道路を挟んで左手に見えている「かねやす」ビルである。  もう少し歩いて正面からこの…
コメント:0

続きを読むread more

零下10度への旅 中国編6 頣和園(いわえん)へ

 北京市の地図です。 上の黒丸が万里の長城(八達嶺)、下の大きな黒丸が、北京市の中心故宮(紫禁城)です。 指示棒のオレンジの先が頣和園の位置です。   バスから降りて、彪さん(ピンクのコート)を先頭にツアー客一行は、頣和園へ向かう。   冬枯れの街路樹、自転車で市内を行く労働者風の男、北京に来た実感を感ずる。 (やはり寒い、零下…
コメント:0

続きを読むread more

越前と若狭の旅 その49  小浜城跡を歩く

小浜公園展望台を降りて、黄星印のホテルアーバンポート前を通り抜け、南川と北川の中洲にある黄矢印の小浜城跡を目指した。 南川を渡り北川も渡ってからようやく行き過ぎたことに気付き、北川に架かる橋を渡って小浜城跡へ歩いた。 石垣の上に今盛りした森があるが、あの辺りが小浜城跡である。 小浜城…
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 長江の旅 その5 蜀の国にて(クイズ付き)

 羌族の村「桃坪村」 大きくしてみてね。 ↑                     (最後に問題があります。見てね。)  成都は四川省の省都であり、中国西南地区における科学、商業、貿易、金融、交通、通信の中心地で、その面積は1万2400km2、人口は960万人(市街地人口は330万)である。  中…
コメント:0

続きを読むread more

2021年6月・7月の豆アジ釣り 

 コロナの時代も2年目の半年が過ぎ、とうとう東京オリンピックまで始まった。  日本勢は絶好調のようで、7月末現在で金メダルを17個もゲットして、一日中テレビは日本のオリンピック選手の大活躍を報道している。  6月は渓流釣りも2回行ったが、近くで気軽に釣りがしたいと思うようになって、新潟海岸で豆アジ釣りをすることを思いついた。  6…
コメント:0

続きを読むread more

「阿房劫火」 木村 武山 

 明治9年~昭和17年(1876~1942)茨城県笠間市に生まれる。本名 信太郎。 明治23年(1890)上京し川端玉章に師事する。翌年東京美術学校に入学、29年卒業し、同校研究科で学ぶ。 31年天心の率いる日本美術院に副員として参加する。 39年日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に際し、一家を伴い移住し、制作に励む。 …
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その16 西海岸の志賀町へ

和倉温泉ではバスや電車でのアクセスに不便を感じながら、午後3時には七尾のホテルルートイン七尾東に帰った。  ホテルの1階にある「旅人の湯」という小綺麗な大風呂で汗を流した後で、缶ビールを飲みながら5月場所の5日目を見た。  それから、昨日と同じくホテル内のレストランで、1000円で作ってもらった刺身定食を美味しくいただいた。…
コメント:0

続きを読むread more

耽羅紀行(済州島の旅) その34 ハングル文字の看板で遊ぶ

 隣の部屋に眠っているKさんの夢を見ながら、朝5時頃には目が醒めた。  今日は済州島の旅の最後の一日である。  緑四角で囲った済州島の東部区域の観光地を見学する。  具体的には、世界遺産の城山日出峰と萬丈窟、それに映画オールインのロケ地として済州島最大の人気スポットとなっているソプチコジ、このビッグスポ…
コメント:0

続きを読むread more

最上川と「おくのほそ道」の旅 その11 上山へ、斎藤茂吉と妻輝子は、最悪の相性の夫婦

山寺の登りはキツかったが、下りは飛ぶように歩いて来れた。   麓の幸福の鐘の奥の食堂で蕎麦かうどん(記憶にないので推測)を食べ、この近くにある俳聖芭蕉の石像の前で記念撮影、時間は午後0時半頃になっていた。これから、おくのほそ道と別れ、上山市にある「斎藤茂吉記念館」に向かう。   赤矢印の記念館までは市街地をバイパスし…
コメント:0

続きを読むread more