「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その1 「奥利根病」の地元探検家の人生を垣間見て

 奥利根には、藤原湖、ならまた湖、洞元湖、奥利根湖の4つの湖が点在しており、関東地方への電力供給のために作られたダム湖ではあるが、それぞれに美しい景観を誇っている。

 その中でも藤原湖には、奥州藤原一族が落ち延びて密かにここで生活していた長い歴史が、今も藤原ダム湖となった湖底に眠っている。

その伝説の里である藤原郷の160戸が移転した史実は、この地をそのまま過ぎていくには忍びないものを、ここを旅するものに感じさせるのだ。

 藤原郷はマタギ部落でもある。

熊を中心として、山野の動植物を糧に長い時代を生活してきた藤原郷の人々の声が、もともとマタギ的な生活形態に興味を持っていて、そんな気持ちの奥底のものが渓流釣りの世界を取り込み、ようやく開花した僕の個人的な趣味の生活の世界の中では、とりわけ魅力的に写るのだ。

藤原郷には奥利根湖への帰り道に寄ったが、そのことは後で記す事にし、今は源流地に通ずる奥利根湖に車を向ける。

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 水上の水紀行館からほぼ40分ほど奥利根4湖沿いの渓谷道を進むと、矢木沢ダムに到着した。
 このダムの前方に広がるのが奥利根湖である。

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  今日はここまでが利根川の最上流地点となる。
 いささか物足りないが、ここから三角雪渓を戴く大水上山までは、最も山歩きに慣れている人で一日かかるという。

その源流までの距離を長いというか短いというか、それは人それぞれの感じ方であるが、熟練のマタギ漁師の血が流れている者の足で、朝7時半に奥利根湖にそそぎこむ利根川の源流地を出発、丸一日歩き通して、午後5時半にピパーク、翌日は朝5時半に起床して、そのまま出発、3時間で大水上山の三角雪渓に到着した記録が残っている。

彼の名は中島仁三郎さん、昭和22年生まれだから、今はもう58歳くらいになっている方である。

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 彼は自称「奥利根病」という病気の持ち主で、思い立つと単独で奥利根源流地へ出かけていきたくなるという。
 僕はホームページで「探検家列伝」というお話を書いていて、そこの登場人物達は何れも一流の探検家・冒険家と言われる人たちで、中島さんのような地元の探検家は登場していない世界である。

 ただ、一流の探検家も地元のプレスリー程度の探検家も、心に持っている思いは同じようなもので、 上村 直巳の精神と中島さんの精神の根底にあるものはほとんど同じものである。

  上村 直巳は43歳の誕生日の日にマッキンリーに冬季単独登頂を目指し、登頂には成功したがその後行方不明となった。
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  上村 直巳の奥さんは、その後の記者会見で、「生きて帰ってくるのが冒険家だと言っていたのに、あなた少しだらしがないんじゃない。」と記者会見で語っていたというが、僕はビデオの「 上村 直巳物語」でこのシーンを見たことがある。

 倍賞千恵子が演じていたが、冒険家は命を掛けて人間の限界に挑戦するやむにやまれぬ心情を保有しており、その辺はオリンピック級のスポーツマン選手と同じようなところがあり、ただ名誉心や売名で行っているのではけっしてなく、彼等の心から湧き出す心情は本当に良く理解できる。

 ただ、冒険家・探検家と言われる人たちの中でも極地探検家やアルピニストの平均寿命は短いと感じる。

  上村 直巳と同じ年で逝った日本人の冒険家・探検家達を、彼を含めて3人知っている。
一人目は河野兵一、北極圏から徒歩とシーカヤックで日本まで帰ってくる途中で遭難した日本人初の北極圏単独到達者である。
 
 そして二人目は星野道夫、アラスカで活躍した著名な動物写真家だが、彼は熊のことを知り尽くしながらも、その熊にカムチャッカ半島のクルリ湖畔で食われてしまった。

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 中島仁三郎さんは、河野兵一程度の探検は経験を積めば出来そうな方であり、藤原郷の田舎の冒険家として一生を過ごすより、他の道もあったのではないかと思われる。

 その気持ちが奥利根病を併発するのだと、僕は確信している。

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