近江街道をゆく その12 石積みの門前町「坂本」を散策 その4 本家鶴喜そば本店で昼食

日吉大社を見終えて午前中の日程終了ということで、楽しみにしていたそばを食べに、最澄の生まれた寺である生源寺の向かい側あたりにあるそば屋を目指して坂を下った。
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大通りに面して「日吉そば」が店を出しているが、このそば屋は目的のそばやではない。

このそば屋の左手の小路を入っていく。
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この格調の高そうな築130年の入母屋造りの建物のそば屋が、僕の目指す「本家鶴喜そば本店」である。

このそば屋は皇室御用達のそば屋である。

もともと延暦寺は、昔より宮様が座主として御座りになられた関係で、京都御所より度々来賓があり、ここの祖先が蕎麦調製の為山上に仕出して居り、又比叡山で断食の行を終えた修行僧たちが弱った胃を慣らす為に蕎麦を食していたという。

享保初年に当代鶴屋喜八なる人が坂本の里に蕎麦の店を開設、以来三百年の歴史を持つ。
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この店で、1100円のご飯も付いたぶっかけ定食を頼み、おいしくいただいた。

司馬遼太郎はこの鶴喜そばを食べに来て、表通りの日吉そばに入って、間違いに気づいたが出ることも出来ず、日吉そばを食べたという。

司馬の食べ損なった鶴喜そばは、やはり美味であった。
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食事後、今度は街の左側を、石積みの街並みを楽しみにしながら歩いた。

まず、江戸時代末期まで歴代の天台座主が暮らした本坊である慈賀院門跡を目指して、穴太積みの美しい道を歩いていく。

坂本の街は比叡山から琵琶湖湖岸までの山麓に広がっているので、この辺りで家を建てるには石垣で傾斜地に土台を造ってからでなければ建たない。
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従って、穴太積みで積まれたお屋敷は全てがお城のように見え、実に堂々として風格があり、街並みに品があるようである。
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そしてようやく白い石垣に囲われた建物が見えて来て、どうやら慈賀院門跡に到着したようである。
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この門跡は、約2万㎡の広さがあるという。



慈賀院門跡に入ったが写真撮影が禁止だったので、江戸時代初期の小堀遠州作とされる国指定名勝庭園や、狩野派の襖絵なども記憶に全くない。

寺の由来は、1615年に江戸幕府に仕えた天台宗の僧天海が後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺で、滋賀院の名は1655年に後水尾天皇から下賜されたものとのこと。

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