「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その4 先祖代々大切にしてきた山里の暮らしを集めた郷土資料館で 

俺の仕事は俺一代という本の中に、大坪さんは「山里のロマン」という、18ページほどの挿絵つきの文章を書いている。こんな書き出した。
 
「俺が広い世界があるということを知ったのは、4歳の時だった。藤原の冬は寒くて長い。12月になればもう外では遊べない。子どもたちは家の中に閉じこもり、囲炉裏でジャガイモを焼いたり、焼き餅を食ったりして春を待つ。・・・・・・・」

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 彼は金持ちの子ではなかった。高校へは進学せず、外へ出ての就職もせず、中学を出るとすぐ、親を手伝って百姓と炭焼きを職業とした。
広い世界が外にあるのに、藤原の里での親との百姓の生活は、若い彼には絶望的な暮らし方にしか思えなかった。
 
そんな中、彼は新聞で偶然見た「挿絵画家養成」の通信教育を知り、それを受け始めた。2年間の通信教育を受け、その指導を受けた人たちの中から本当に挿絵画家になった人たちが何人も出たという。

そのうちダムなどの完成で、水上温泉などを基地に、藤原には沢山の観光客が押しかけてくるようになった。

義一さんは、大勢の観光客を前にして、自分が捜索した手作りの郷土玩具を売りたいと思っていた。
材料は白樺の木、手作りの人形を宝川温泉や湯の小屋温泉に置いて置いたら、予想以上に売れたという。

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 そのうち、義一さんは藤原独特の郷土玩具を作りたいと思うようになった。

藤原は山仕事や猟師を生業としていた山郷である。そういうところには山の神の信仰が育っている。藤原も例外ではない。
藤原の山の神は12人おり、山で働く人の守護神、山の神様は十二様と呼ばれ、年が明けて新年の12日を「初十二様」と呼んだ。
この日は木を切ることは厳禁で、御神酒やお供え物でお祝いをする日となっている。

義一さんは、この十二様を藤原の郷土玩具にしようと決心した。
十二様に関係する親の言った言葉を思い出し何回もの試行錯誤の末、出来たのが「大利根仙人」という郷土玩具である。
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昭和50年頃からは、宝川温泉に居住する利根川源流の男たちの一人である小野伊喜雄さんを会長に、「奥利根物産研究会」を作って活動した。

そのうち、藤原がまだ昔のままの面影を残している内に、郷土資料館を建てようと思い始めた。
先祖伝来の田の一番いい田を埋めて、そこに、念願の郷土資料館を作ったのは、昭和56年の9月のこと、その資料館は「藤原の里ふるさと村 郷土館」と命名された。

こうして、藤原の里に、昔の生活を紹介する郷土資料館が建った。
 「藤原の里ふるさと村 郷土館」の周りには義一さんが色んな色のコスモスやミソハギを植え、丸で絵のようにのどかで平和な風景が創られている。

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  そこには、義一さんたち藤原の人々が先祖代々大切にしてきた山里の暮らしの意味が凝縮して表現してあるように、僕には感じられた。

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