近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。
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彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。

26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。

継体天皇は応神天皇5代の末裔とされているが、これが事実かどうかは判断がわかれており、三王朝交替説を唱えた水野祐は、継体天皇は近江か越前の豪族であり皇位を簒奪したとした。
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日本書紀の注釈書である釈日本紀から系図を書くと、彦主人王は応神天皇の四世孫となる。

ここで王朝を再確認すると、葛城王朝が神武天皇から開化天皇まで、三輪王朝が崇神天皇から仲哀天皇まで、河内王朝が応神天皇から武烈天皇まで、近江王朝が継体天皇から天智天皇までとなる。
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近江王朝の祖の父である彦主人王の墓は、地図左上の矢印の場所にあり、何回か迷いながら30分程かけて、ようやく田中神社近くまで辿り着いた。
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ここで、どう彦主人王の墓まで行けばいいかわからなくなって、近くの家に道を訪ねに入ったところ、偶然にそこが田中神社の宮司の家だった。

田中神社の宮司の名は伊藤さんで、80歳は過ぎておられたという感じだったが大変姿勢のいい方で、この方から彦主人王墓の場所を教えていただき、車を神社下に置いたまま歩いて王墓まで坂道を登って行った。
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坂道を上がって上の舗装道路に出ると、道路脇に王陵への道標があった。
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 王陵への道は杉木立の並木道となっており、宮内庁の管理の下でたいへんりっぱに整備され、手入れがいき届いていた。
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ここが彦主人王墓の正面で、地元では王塚又はウシ塚と呼ばれており、応神天皇の皇玄孫彦主人の墳墓として伝承されている。

伝承では彦主人王は近江国、北越五カ国を治めており、越前国坂中井の里より垂仁天皇の子孫である振姫を妃として迎えられ、この地で三つ子を出産され、その末子が継体天皇となったという。

王陵を出ると、王陵の入口で伊藤宮司が待っておられ、宮司の軽トラックに乗せていただき、「安産もたれ石」と「三重生神社」を見学した。

運転慣れしている道なのか下りのかなり急な坂道をスピードもそう落とさず運転されて、80歳を過ぎておられると思われる伊藤宮司の軽トラの助手席に乗っているのは少々怖かった。
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しかし何事もなく、無難に三尾神社旧跡にある「安産もたれ石」の前で軽トラは留まり、伊藤宮司は懇切丁寧にこのもたれ石の由来などを話された。

この石にもたれて振姫は三つ子を出産され、その末子が継体天皇となったのである。
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ここは三重生神社入口で、三重生神社は継体天皇の両親である彦主人王と振姫を祭神とする古社で、毎年429日の大祭はうしの祭と呼ばれているという。

ここでも伊藤宮司は丁寧に神社の古譚などについて説明され、僕は神妙な心持ちで宮司の話を聞いていた。
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実は軽トラの中で、新潟から来る予定の他の方と僕を勘違いされ、その方のために用意した貴重な話と親切なガイドを他人の僕にしてくれていたことが発覚したからだ。

その勘違いのおかげで思いがけない貴重な体験ができ、結果として今日一番のうれしい出来事となった。

ただ、宮司の運転だけはヒア汗もので、軽トラに乗っている間はほんのちょっぴりは覚悟も決めていたのだった。




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