東京散歩Ⅱ その7 「赤塚ベッ甲店」から「古井戸」まで

引き続き「谷根千」を歩いている。 ここは「赤塚ベッ甲店」で、昭和41年の創業以来高級なべっ甲の眼鏡フレームなどを作っている店舗兼工房。 ここで制作体験もできるとのこと。 手前の「愛玉子」という店はスイーツの店で、愛玉子はオーギョーチと読む。 愛玉子は台湾でしか採れない果実で、これを寒天状に固めてシロップで固めて作る。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その1 往路は 能代まで381.8km

 津軽街道の旅は、当初思っていた以上に見所の多い旅となった。 11泊12日の旅の間に撮影した写真は1000枚を軽く超え、デジカメに収録したビデオカメラ撮影時間も45分程度となった。  津軽街道の旅は青森県に入ってからということで、新潟から山形そして秋田の能代までの往路は簡単な記録と数枚の写真で記載することとする。 2013年9月26…
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近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。 彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。 第26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。 継体天皇は応神天皇5代の末裔とされているが、これが事実かどうかは判断…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 序章

探検家リビングストンが発見したビクトリアの滝 (ジンバブエのザンベジ河畔の町、リビングストンにある) ↑  ナイル河、「5大陸最長河川の旅」最後の河であり、世界最長の川である。  その長さは6695km、アフリカ大陸の東側を、赤道直下から悠々と北上して流れ、地中海に注ぐ。  ナイル河の源流につ…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その4 阿賀野川 NO1「野口英世青春通り」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その38  最果ての禄剛埼灯台にたどりつく

 ほぼ2時間かかって、禄剛埼灯台にたどり着いた。  「さいはてにて」のロケ地などを色々見てくればもう1時間はかかっただろうが、夕方までに七尾の宿泊ホテルに着くには、今のペースが適当である。  このシーンは、350m程の禄剛埼までの登り道を振り返って見たところだが、勾配がきつくて息が切れ、何度も立ち止まって休んだ。  丘…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その15 浄妙寺から報国寺へ

 青砥藤綱旧邸跡を発ち、金沢街道を浄妙寺そして報国寺と歩いた。  まず浄妙寺である。  浄妙寺は鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院で、山号は稲荷山(とうかさん)、本尊は釈迦如来、開基は足利義兼、鎌倉五山の第五位の寺格である。  ところで五山制度とは我が国の禅宗のうち臨済宗寺院の格付制度で、幕府が任命した住持(住職)を順次…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その22 上杉景勝公生誕の地樺沢城跡へ 

雲洞庵を出てこれから樺沢城跡へ向かうが、朝食がまだだったので、途中のおにぎり屋で遅い朝食をとった。 朝食は魚沼産コシヒカリを使ったおにぎりと豚汁で済ませた。 おにぎりとはいえ、地元魚沼産のコシヒカリを使ったおにぎりは全国レベルの食べ物となる。 新潟県が誇る全国レベルの超一級ブランドで作ったおにぎりは、かなりの空腹感の中…
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佐藤哲三 みぞれなど

 佐藤哲三(さとう てつぞう、1910年1月26日 - 1954年6月25日)は、日本の洋画家。新潟県長岡市生まれ。同県新発田市で生涯を過ごす。蒲原平野や農民などをモチーフに、郷土に根ざした作品を制作し続けた。1954年、白血病で死去。  みぞれ                 帰路 柿を持つ女
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木曽川への旅(2008年の旅)その1 奈良井宿まで

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 平成20年の旅は、7番目の川である木曽川ということになった。ここには川に並行して走る木曽路(旧五街道の一つである中山道の庶民的呼称)が走っているが、木曽路の代表的な宿場だった妻籠宿が以前から気になっていた。妻籠宿の風景はコマー…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その4 先祖代々大切にしてきた山里の暮らしを集めた郷土資料館で 

俺の仕事は俺一代という本の中に、大坪さんは「山里のロマン」という、18ページほどの挿絵つきの文章を書いている。こんな書き出した。 「俺が広い世界があるということを知ったのは、4歳の時だった。藤原の冬は寒くて長い。12月になればもう外では遊べない。子どもたちは家の中に閉じこもり、囲炉裏でジャガイモを焼いたり、焼き餅を食ったりして春を待つ。…
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東京散歩Ⅱ その6 谷根千散歩スタート、観音寺の築地塀まで

これから谷根千を歩くが、当初は岡倉天心旧宅を中心に岡倉天心に関係する旧跡を巡る旅を考えていた。 岡倉天心は明治時代を卓越した識見と天才としての歩みで駆け抜けた巨星で、その活動は美術分野に留まらず、僅か51年の人生の中で後世に残る大きな業績を沢山を残し、彼の偉大な精神遺産はその後も多くの日本人の中に受け継がれている。 この岡倉天心の旧…
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「オホーツク街道」の旅 その22  気分だけは最高潮のまま、今回のイトウ釣りの全日程を終える

 猿払川のセカンドステージは新猿払橋の下(2の場所)である。  この川を熟知していて年間50匹以上のイトウを釣り上げる地元釣り師とは違って、僕はこの川を何も知らないのである。  今日初めてこの川に会って、今日初めてキャストするのである。  ただ、出会い頭の偶然ということも世の中には有りうる事で、石狩川で58cmの虹鱒に出会った時のこ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) プロローグ

司馬遼太郎の「街道をゆく」は、司馬遼太郎自身が「もし自分の仕事の中で後世にまで読み続けられるものがあるとすれば、それは街道をゆくになるのだろう」と語っていたという程のもので、唯の旅行記ではない。「街道・みち」に視点を傾けることで日本そして世界の歴史を展望、最終的には「日本とは何か、日本人とは何者か」という司馬遼太郎の永遠のテーマを自らの…
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近江街道をゆく その17  中江藤樹の藤樹書院に行く

これから日本陽明学の祖で、故郷の近江高島で書院を開き近江聖人と呼ばれた中江藤樹の藤樹書院に行く。 江戸時代人の知的基盤は儒学であり、これを発展させ封建社会の教学となっていたのが朱子学(11世紀に宋の朱熹が大成した教えで、身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように…
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甲州街道と佐久平みち その26 八幡宿を散策 

 望月宿からは、旧中山道の佐久平にある宿をたどって歩くことにした。  具体的には上図の黄枠に囲った八幡宿、塩名田宿、岩村田宿、追分宿である。まず八幡宿に向かったが、八幡宿では最初に本陣跡に行った。 この本陣(小松家)では皇女和宮も宿泊している。  ここには当時のままの本陣門が残されており、中山道八幡宿本陣跡と刻まれた石…
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続 思い出の中の川 第19回 天の川支流桂岡川 その2 桂岡川で渓流釣りに挑戦

散歩を終え出発の準備をした後、午前7時頃に朝食となった。 旅館みうらの朝食は、いかにも朝食らしい朝食で、オカズは全部食べきった。松前町を午前7時半過ぎに出発した。 愛車レガシーに乗って松前街道を快調に北上、目指すは上ノ国町である。北海道の川は熊が怖いので、渓流釣りは過去にしたことがない。比較的平場で熊の危険もそうない…
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能登(日本道)への道 その37 奥能登絶景街道をゆく 

 今日は能登半島の最北端最果ての地である禄剛埼灯台を目指し、それから能登半島の東海岸を南下して七尾に向かい、そこで泊まる計画である。  まず、新橋旅館から47km時間にして1時間ほどかかる、最北端最果ての地である禄剛埼灯台に向けて出発である。  この道は奥能登絶景街道と呼ばれていて、運転する者にとっては誘惑の多い魅力的な道で…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その14 足利公方と青砥藤綱

帰りは朝比奈峠から十二所までバスに乗り、そこから金沢街道を鎌倉駅の方向へ向かって歩き始めた。 金沢街道沿いには鎌倉幕府高官の旧居が立ち並んでいたが、その中から赤字ア;足利公方邸旧蹟と赤字イ;青砥藤綱旧居跡を選んで立ち寄った。 金沢街道の明石橋を通り過ぎ、泉水橋交差点から鶴岡八幡宮方面へ向かうと、最初の目的地である赤字アの足利公方…
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ジュンチャンと世界を巡る 第56回はジャマイカ

 西インド諸島の旅は続いていますが、今回は大アンティル諸島の国々(キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国)の中から「ジャマイカ」を紹介します。  ジャマイカは、キューバから160km南に位置する大アンティル諸島で三番目に大きいジャマイカ島を国としていて、その面積 は10,991km2 と岐阜県ほどの広さで首都はキングストン…
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「播磨と淡路のみち」 その46 旅の最後は、明石海峡と明石海峡大橋

この日の昼食は、伊弉諾神宮の前の食堂である。 淡路島で目にしたことを何シーンか思い出しながら、とんかつ定食を食べた。 淡路島を1泊2日で駆け抜けた旅も終了直前、その最後に兵庫県立淡路島公園に向かった。 ここからは、明石海峡と明石海峡大橋が実によく見えるという。   県立淡路島公園までの距離はおよそ25km、午後1時半にはこの…
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東京散歩Ⅱ その5 谷中銀座を散策、児童遊園で昼食 

午後から谷根千を歩く旅となるが、その前に谷中銀座の適当な店で昼食を食べようと、谷中霊園から15分程歩いて、谷中銀座前にある夕陽の名所となっている「夕焼けだんだん」まで来た。 この坂の上からは谷中銀座の街が実によく見える。 坂を勢いよく下って、そのまま街の中に突入した。 街中は日本人の観光客も多いが外人の観光…
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ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」 最終回 抜粋

わが百姓女が手に入れた恍惚がよし、どれほど高値につこうとも 何の不足がそこにあろう? かの女はほお笑んでいるわれらはかの女のために悲しむまい。森の贈る 静けさにもまして深く、甘やかなものはない冬空の 寒さの下に身動きもせず戦(おのの)きもせず 立ちつくす時。何処として、ここより他に こんなにも深くのびのびと疲れた胸の息づける処はないされ…
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中国編26 パンダに会う(最終回)

 中国はかって、パンダ外交を展開し、それまで疎遠だった国々と友好を深めた。  現在、パンダはペアに付き1億円でレンタルされている。(それも1年間で1億円である。)  中国人の子どもでも、パンダを見ることは滅多に出来ないという。  その宝物のような生き物に会ったのは、北京を出発する日の午前8時半頃。  この時間には、餌を食べるため、パンダ…
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近江街道をゆく その16  継体関連の鴨稲荷山古墳を見学

これから継体天皇の先祖の血を訪ねる旅に出るが、その場所は近江高島市である。 高島市内には、364を数える「埋蔵文化財」が存在しているが、その中に継体天皇関連遺跡も沢山含まれている。 ここ高島は、現天皇家の直接の祖先でヤマト王権の主要な血ともなった継体天皇の、祖先やその妃となった人々の住んでいた地である。 継体天皇関連遺跡だ…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回)(K)

  市内の小公園「白鳥の湖」  アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。  人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から市街地は形成されて…
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五浦釣人 平櫛田中作品

  これは五浦(茨城県北茨城市)の海岸で、釣りにでかける岡倉天心を撮影した写真をもとに制作したものです。天心は五浦で、日本画の下村観山・横山大観・菱田春草・木村武山などを指導する一方、思索にふけったり、暇をみては釣りを楽しんでいました。  僧衣にも似た広い袖の着物の上に大きな毛皮をはおり、素足にわらじを履き、支那帽をかぶっている天…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その3 姫川 NO3「ポラリス 岡倉天心」(K)

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その36 新橋旅館にて  

 今日の宿舎は、輪島川に架かる新橋近くに建っている新橋旅館である。  この旅館は一泊二食の6,640円で予約していたが、第一印象は値段相当の外観だった。 しかし、旅館の中に入ると館内全体が和紙のギャラリーとなっていて、和紙は輪島市三井で作られている仁行和紙を主に使っているとのこと。  廊下には棟方志功を思わせるよう…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その13  金沢街道を朝比奈峠まで歩く

これから十二所神社までバスで行き、そこから金沢街道を鎌倉市と横浜市の境まで歩いていく。 金沢街道は鎌倉七口(七切通し)の一つの朝比奈切通しのある街道だが、この街道は六浦湊に荷揚げされた物資の運搬に利用されたことから、昔は六浦道と呼ばれていた。 六浦道は金沢八景の瀬戸神社前から鎌倉鶴岡八幡宮前までの道である。 午前11時ころ…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その21 雲洞庵を本陣から客殿まで見学 

これから、本堂の内陣に入る。 この太い柱の奥が内陣である。 煌びやかに飾られた本堂の内陣の奥に、本尊の釈迦牟尼仏を中心にたくさんの仏が祀られている。 この裏手は位牌堂で檀家の立派な位牌が立並んでおり、さらに奥には開山堂、歴代の住職の位牌などが祀られ、右手には上杉信玄と徳川家康の位牌も祀られている。 本堂を…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その3 『俺の仕事は俺一代』の世界 - 大坪義一さん-

 奥利根湖の帰り、このまま水上に帰るのももったいないし、源流釣行の場所を探すついでにこのあたりを見学しようかと考えて、車を藤原湖の方角に進めた。 すると眼前に、桃源郷なるものが此の世にあるとしたら、桃源郷はこんな景色のところでは、という風景が広がった。 しばらく景色に見とれて車を進めると、右手に「藤原の里ふるさと村 郷土館」という建…
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「播磨と淡路のみち」 その45 伊弉諾神宮

高田屋嘉兵衛の墓に参ったあと、12km程離れた伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)に向かった。  伊弉諾神宮は、兵庫県淡路市多賀にある淡路国一宮で、「日本書紀」や「古事記」によれば、国産みを終えた伊弉諾尊が最初に生んだオノコロ島(淡路島)の多賀の地の幽宮(終焉の御住居)に鎮まったと書かれてある。この幽宮が伊弉諾神宮の起源とされている …
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東京散歩Ⅱ その4 「東京都谷中霊園案内図」を手に、谷中霊園を歩く 

この後谷中霊園管理事務所に行き、「東京都谷中霊園案内図」をもらった。 この案内図にはNO1の天津乙女からNO75の鏑木清方まで75人の有名人の墓碑の位置が紹介されている。 徳川慶喜の墓を見たかったので、他の有名人の墓はさほど興味が湧かなかったが、案内図に従って、NO32ニコライ、NO52鳩山一郎、NO51横山大観、NO75鏑木清…
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「オホーツク街道」の旅 その21 猿払川でイトウに挑む!!

 地図上の3番目の川は「猿払川」である。  猿払川は北海道の中でも最も数多くイトウが生息し、個体数が安定している数少ない河川。  湿原をゆっくりと流れ、下流域の川底が深い場所では水中はほとんど見えず、スケールが大きく、力強さを感じさせるその流れは、幻の魚イトウが潜むには迫力十分。  猿払川下流部の写真の右手真ん中よりボロ沼に続く水路…
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中国編25 天壇に上がり、そこに入る

 天壇は皇帝が天を祀る場所であるが、北京にはこの他、地の神を祀る地壇、太陽神を祀る日壇、月の神を祀る月壇があり、それぞれ今は公園となって大勢の市民の憩いの場となっている。  紫禁城を囲んで、南に天壇、北に地壇、東に日壇、西に月壇の配置である。  明清の皇帝達は、季節毎の祭儀に、それぞれの神に動物の生け贄(イケニエ)などを捧げ、人々を支配…
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近江街道をゆく その15 北小松と白鬚神社を歩く 

司馬遼太郎が「街道をゆく」で訪れた数多くの町、集落、土地の中で、最初の訪問地の地となったのが滋賀県大津市小松(当時は滋賀県滋賀郡志賀町小松)で、実際に訪れたところが北小松漁港である。 司馬の街道をゆくには、北小松の小松が高麗津だったかもしれないと、ここにも朝鮮半島の痕跡の地名を想像している。 僕の旅では北小松港には立ち寄らなかったが…
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