甲州街道と佐久平みち その25 望月宿 

望月宿は海野宿からはレンタカーで14km、時間にして25分程の距離である。   この道中の景色が景色と適当に曲がりくねった道路がドライブするには格好のコンディションとなっていて、冬に行うゲレンデスキーでの滑りを思い出しながら、まるで白馬高校スキー部の方々のように、豪快にカツスピーディにこの道を走った。   午前10時ころには…
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続 思い出の中の川 第18回 天の川支流桂岡川 その1 旅館みうらで明日の釣行を考えながら夕食

今回から、「思い出の中の川」は「続 思い出の中の川」として、県外の釣行の思い出を記していくことにする。 まず、北海道の天の川支流桂岡川である。  松前藩屋敷の見学を終え、午後2時には今夜の宿である旅館みうらに入った。 部屋の窓からは松前の町並みの一部が見えるが、今日の午後は部屋で過ごしながら、明日の渓流釣りの準備と休養に充てた…
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能登(日本道)への道 その35  白米千枚田を歩く

昨日は千枚田を上から眺めただけだったが、今日は実際に千枚田の中を歩いてみる。 忙しい旅をしていると、絶景という表面の美しさだけを見るだけで終わって、本来もっと楽しく千枚田の実際の姿を味わう機会を失ってしまうので、いくらでも時間が出来た今日の午後は千枚田の中身を知る絶好のチャンスである。 まず、千枚田を下って海のすぐ傍まで…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その12 源頼朝の墓を見に行く

次に源頼朝の墓を見に行くことにした。 黄線上の道路を、上図右上の黄色矢印の源頼朝の墓まで歩いていく。 ここへ行くまでの道中が良かった。 雪ノ下3丁目という住居表示のこの辺りは、横浜国立大学付属小・中学校や清泉小学校が建てられていて完全な文教地区となっており、午前10時頃にもかかわらず小・中学生が通りを歩いていて、彼らとすれ違う…
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2021年9月11日 9月最初の釣り 

 令和2年の年賀状にはこんなことを書いていた。  「今年は東京オリンピックが開催され、日本国の新たな旅立ちの年となる。ご健康とご活躍を祈ります。」  しかし、令和2年はコロナ元年となり、世界中に恐怖が駆け巡って、東京オリンピックは1年延期となり、令和3年夏の開催となった。  この年も世界中にコロナが蔓延し、実際開催されるかは実施直…
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ジュンチャンと世界を巡る 第55回はキューバ

 西インド諸島の旅は続いていますが、今回は大アンティル諸島の国々(キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国)の中から「キューバ」を紹介します。  キューバは西インド諸島のなかで最大の島であるキューバ島とその周囲にある約1500のサンゴ礁の小島群からなる国です。  北海道に秋田県と岩手県を足したほどの面積11万0861平方キ…
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「播磨と淡路のみち」 その44  高田屋嘉兵衛の生まれ故郷で

「ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園」の丘陵を上がっていった。 しかし、期待していたものは何もなく、ただの観光地がそこには広がっているだけだった。 播磨灘も遠くに見えるだけだったので、10分もここに居ないで、嘉兵衛が埋葬されている丘陵の麓にある墓まで下った。   高田屋嘉兵衛(1769年2月7日~1827年4月30日)…
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東京散歩Ⅱ その3 谷中墓地で「最後の将軍-徳川慶喜」に会う

この徳川慶喜の墓が谷中墓地にあり、寛永寺から10分ほどの距離だという。 谷中墓地に入ってから、その辺りにいた元気のいい半ズボンのおばあちゃんに案内されながら歩き、この案内矢印の場所以後も引き続き一緒に歩いてもらって、広い敷地の墓地となっている慶喜公墓所まで辿り着いた。 最後の将軍はその後朝敵とされたが、自分を赦免した上華族の…
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中国編24 天壇(天を皇帝が祀る場)へ・・・

 天壇は故宮の南に造られている。    「天壇へ行くには、出来れば晴天の朝がよい。  人が少なくて印象が鮮明だからである。」 と「北京‐都市の記憶」;岩波新書に書いたのは東アジア地域史専攻の作家「春名徹」氏である。  今回の旅で、僕はこの「北京‐都市の記憶」と、司馬遼太郎、陳舜臣、金達寿の共著「歴史の交差路にて」を教科書と参考書として持…
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近江街道をゆく その14  「楽浪の志賀」路へドライブ開始

11月3日(木)、4日目の朝となった。 3日間寝泊まりしたこの部屋と、名残惜しいが今朝でお別れである。 化物たちが宴会でもしているような感じがしたのは最初の一日だけで、他の日は恨んでいるような感じの妖怪が常時取り付いているようだったが、極端な悪さはしなかった。 ホテルの食堂で、見た目が良くて味もなかなかの朝食を済ま…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話

  ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。)   ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。  北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その3 姫川 NO2「岡倉天心と会津八一」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その34 昼食後、石川県輪島漆芸美術館へ

不完全燃焼のまま輪島市街に戻り、やぶ新橋店で昼食とした。  この店は輪島では有名で、蕎麦のほかに海鮮丼などもメニューに並び、いつも大賑わいとなっているとのこと。  今日は1300円の天ざるを美味しくいただいた。  午後いっぱいは大沢集落で過ごす予定だったので、急きょ予定を変更し輪島塗関連施設を回ってみようと、まず石川県…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その11 鎌倉国宝館を見学

これから鎌倉国宝館へ向かう。 鎌倉国宝館は昭和3年4月3日に開館した歴史・美術の博物館である。 大正12年の関東大震災で鎌倉でも多くの歴史ある社寺が倒壊して貴重な文化財を損失したが、これを教訓として不時の災害から由緒ある文化遺産を保護し、あわせて鎌倉を訪れる方々がこれらの文化財を容易に拝観見学できるよう、一堂に展示する施設として…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その20 雲洞庵の参道を歩く

曹洞宗の寺院である雲洞庵の参道を歩いている。 石畳の下には法華経が一石一字ずつ記されている参道を歩いている。 ところで法華経は、初期大乗仏教経典の1つである『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』、「正しい教えである白い蓮の花の経典」の漢訳での総称である。 法華経は日本人にとって古くからなじみのあった経典であった。 6…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その2 奥利根湖の矢木沢ダムにて

 奥利根湖は八木沢ダムの建設によって出来たダムである。昭和42年8月完成したダムだが、ここに溜まる水の量は2億430万㎥、25mプールの68万個分に相当し、東京都の人たちが一日に使う水の量の約44日分という。  矢八木沢ダムに代表されるように、ここ奥利根のダムは首都圏の水がめとして使われており、環境保護団体から言わせれば、…
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「播磨と淡路のみち」 その43 松の島 

話は変わるが、淡路島は昔慶野松原に代表されるような松が島のいたるところに生い茂る松の美しい島であった。    今は相当数の松がこのように松くい虫にやられて、往時の面影はこの島にはないという。このような状態は日本の松の運命とも言えるもので、松は本来痩せた土地を好んで成育する植物である。   人が頻繁に手を入れて、松の下の土の下…
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東京散歩Ⅱ その2 東叡山寛永寺にて

子規庵から歩いて10分ほどで寛永寺通用門に到着した。 この門から現在の寛永寺に入った。 寛永寺は1625年に慈眼大師天海大僧正によって創建された。 徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した。 天海は江…
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「オホーツク街道」の旅 その20 猿骨川で釣り師の夢を満喫!!

 僕は今、猿払村のど真ん中にいる。  「思いっきり大きいイトウに会いたいなら猿払村に行け」、イトウ釣りを少しでも目指す者が最初に出会う言葉が、この言葉である。  猿払村は北海道最北の村、日本で2番目に広い。北海道の中でも特に寒さの厳しい地域で真夏は最高でも30℃に達しない年も多く、厳冬期には気温が-20℃くらいまで下がり、もちろん海には…
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『本格派 中国四川美人歌手 』 張靚穎(チャン・リャ...)

『 中国の美人歌手 』 張靚穎(チャン・リャ...   張靚穎は、現在の中国本土で一番有名な実力派女性歌手。この写真は、2005年超人気オーディション番組『超級女声』に応募した張靚穎で、プロになる前の四川大学生20歳のころのリャンインです。 予選参加者は15万人。このオーディションで第3位となっています。歌唱力では、確実に1位であ…
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中国編23 周恩来と田中角栄の歓談の場へ出陣

これから僕らが向かうところは、日中の共同声明が行われた場所。  金妙珍は熱狂的な田中角栄ファンなので、ここへ案内しないことには自分のガイドとしてのプライドが無くなると考えていたのだろう。  日本と中国は、日清戦争後不幸な歴史を持ったが、また再びこの共同声明以降、お互いの手を取り合い、現代史の中を進んで行くことになる。  ホテルの入り口に…
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近江街道をゆく その13 石積みの門前町「坂本」を散策 その5 徳川ゆかりの寺社を見学

滋賀院の裏手に天海(慈眼大師)の廟所である慈眼堂がある。 慈眼大師天海は徳川家康・秀忠・家光の時代に幕府の顧問として遇された大僧侶である。 織田信長の叡山焼打ちにより全山焼土と化した比叡山の復古に尽力したことにより、家光の命で慈眼堂が建立された。 慈眼堂の境内に入ったが、雰囲気はこんな感じの場所である。 ところで、信長の叡山焼き…
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甲州街道と佐久平みち その24 海野宿  

 今日8月2日(金)は、2019年夏の旅「甲州街道と佐久平みち」の事実上の最終日である。  これが今日の日程であるが、今日は1日佐久平と言われた地域を走り抜け、そこを歩く旅となる。  お世話になった「かわせみの宿」に別れを告げ、佐久平へ出発する。  まず海野宿に向けて出発するが、ここまで17km、30分程の道のりである。 午前9時…
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