横山大観 無我

芸大一期生として新しい「日本画」というジャンルを拓いた大観の出世作。 当時は藝大にはまだ、西洋画は無かった。 無我とは悟りの境地。 彼はそれを無邪気な子供にたとえている。 「無我」とは仏教用語で「諸法無我」、大観はそれを幼児の天真爛漫の姿になぞらえた。 現代風に言うとポニーテールのようなくわい頭の童子が…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その1 「一度目の北上川の旅」の不確かな思ひ出

 平成18年の源流釣行の旅は北上川となった。 この北上川を旅するのは、実は三度目ということになる。 一度目は,僕が学生であった昭和47年のことで、当時の親しい友人と、僕の当時の愛車である軽のダイハツフェローマックスで1週間くらいの間旅をした時に、確か北上川を通ったような記憶がある。                 我が愛車ダイハツフェ…
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木曽川への旅(2008年の旅) その5 木曽川源流に向かう

藪原宿に午後2時頃に到着した。  藪原のある木祖村は木曽川源流の里である。  藪原の街の入口にこんな大きな看板が出ていた。  これから今夜の宿に荷物を置き、木曽川源流で僕の川旅の定番行事である源流釣行を挙行する。  今夜の宿、正確に言えば平成20年9月11日(木)の宿は、中央本線藪原駅の真ん前の駅…
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東京散歩Ⅱ その10 芭蕉 矢立初めの地「千住大橋」を訪ねる

 午前8時40分頃に両国駅から総武線に乗った。  総武線で秋葉駅まで行き、そこからまた乗り換えである。  秋葉原からは山手線で上野駅まで行った。  上野駅から少し歩いて、京成上野駅から午前9時頃の京成本線の電車に乗り換えて、午前9時20分過ぎに千住大橋駅で降りた。 駅から15分ほど歩いて千住大橋まで行った。 この橋…
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「オホーツク街道」の旅 その24 目梨泊遺跡を訪ねる!!

 6月28日(木)の朝となった。  今日から釣師の顔は捨て、考古学者の顔でオホーツク街道を歩くことになる。 大崎旅館でしっかりと朝飯を食べ、午前8時には旅館を出て、今日の最初の目的地となる目梨泊遺跡に向かった。  旅館から目梨泊までは15kmほどの距離、車で20分も行けば十分つけると考えていたが、神威岬の直前まで行っても、どこにも目梨泊…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その4 日本キャニオンを探検

 今日の旅、それは2013年9月27日(金)の旅のことだが、「五能線沿線の旅」となる。 最初の目的地は12湖である。 五能線沿いの国道101号線を午前9時半頃には十二湖(じゅうにこ)の入口に到着した。十二湖(じゅうにこ)は青森県西津軽郡深浦町にある複数の湖の総称で、白神山地の一角にあり、そこは津軽国定公園内となる。 この案…
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近江街道をゆく その21  鉄砲の里国友を歩く

 寝物語の里から40分ほどかけて、長浜市南部の姉川沿いにある鉄砲の里で有名な国友町に入り、そこの資料館前に車を留めた。 国友鉄砲の里資料館は滋賀県長浜市にある博物館で、戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友の歴史資料の保存と紹介を目的として1987年10月10日に開設された。 さっそく館内に入った。 …
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甲州街道と佐久平みち その28 追分宿 

 午後から、追分宿まで行った。  佐久平駅近くの食堂から、レンタカーで12km程の距離である。追分宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて二十番目の宿場で、今は北佐久郡軽井沢町追分という住所で、北国街道との分岐点であり、追分の名はこれに由来する。  まず、信濃追分駅を見た。それから、追分宿に向かった。  追分宿は元禄時代…
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松前街道をゆく(2014年の旅) プロローグ

 僕の旅は、旅をして翌年まで1年がかりでブログ化し、そのブログが完了する頃に、次の街道の準備に入り、旅に出るという流れとなる。  ところでこの「松前街道の旅」は、去年の「津軽街道の旅」の中で津軽や下北の武将である安藤氏や蛎崎氏の史跡を見て、なおのこと楽しみにしていた旅である。   北海道の松前氏や松前藩との関係が曖昧のま…
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続 思い出の中の川 第21回 月光川 その1 あこがれの月光川へ  

 この後、鶴岡での芭蕉関連の旧跡巡りを行ったが、それはここでは省略する。 旧跡巡りの後、上州屋鶴岡店で明日の渓流釣用の餌のミミズを購入、念のため保冷剤も購入した。 このミミズは大切に扱われて、今夜の宿のホテルイン鶴岡の僕の部屋に設備されている小型冷蔵庫の中で、一晩を過ごすことになった。 &a…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その18 宿泊ホテルと食事の話

 ホテルシャングリラ鶴岡で、前夜の11月5日(木)と今夜の11月6日(金)宿泊した。  今回は宿泊したシャングリラ鶴岡とここでの食事を紹介する。  ここは自室前の三階の廊下で、隠れて見えないが写真の左手にフロントがある。  そして、この部屋が前夜の11月5日(木)と今夜の11月6日(金)過ごしたマイルームである。  鎌倉…
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2021年9月25日 今年最後の釣り その1 以前の生活が、一つずつ復活

 渓流釣りのシーズンが終わった。  2020年と2021年は、毎日コロナの感染者数が気になって、なかなか「楽しみな渓流釣り」に心から打ちこめないでいた。  上の図はコロナ災禍が始まった2020年2月から、2021年10月までの、日本の国のコロナ感染者数を1日ごとに棒グラフにしたもので、この1年8ケ月の間に、コロナは第5波まで日本…
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ジュンチャンと世界を巡る 第58回はドミニカ

 西インド諸島の旅は続いていますが、今回は大アンティル諸島の国々(キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国)の中から「ドミニカ共和国」を紹介します。(チャレンジ)  ドミニカ共和国は、西インド諸島の大アンティル諸島のイスパニョーラ島東部に位置する共和制国家で首都はサントドミンゴです。  イスパニョーラ島のドミニカは元々は米州…
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木曽川への旅(2008年の旅) その4 奈良井宿下町で100年前のカレ-

中町、上町と回り、奈良井宿の最後は宿の入口にあたる下町である。 下町を赤字1の「旅館あぶらや」から赤矢印線のように歩き、赤字2の「木曽の大橋」を見学し、ここから復路となり、緑線のように歩いて、赤字3の「カフェみやま」で100年カレーの昼食となった。 まず赤字1の「旅館あぶらや」である。 いかにもいか…
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東京散歩Ⅱ その9 旅の前半の基地 「両国リバーホテル」に宿泊

 「岡倉天心記念公園」で「谷根千」の旅を終え、日暮里駅から山手線に乗り上野駅で一旦降車してコインロッカーからリュックを出し、再び山手線に乗って秋葉原駅まで行った。  秋葉原駅から総武線に乗り換えて両国駅で降車した。  両国駅から歩いて1分(もう少しかかるかな)程のところにある「両国リバーホテル」が、今夜から4日間の宿となる。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その3 「北のまほろば」をゆく前に3冊の参考書紹介

 「津軽街道をゆく旅」は去年の「オホーツク街道をゆく旅」と同じで、引き続き司馬遼太郎の名著「街道をゆく」を参考書としての旅となる。  司馬遼太郎の街道をゆくシリーズで、津軽街道というネーミングの旅は無いが、青森県を旅した紀行書は「北のまほろば」というネーミングとなっている。  司馬は青森県を津軽藩と南部藩に分類して、それ…
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近江街道をゆく その20 寝物語の里にて

 ビジネスホテルウェルネスから中山道を岐阜県境の方向に1時間ほど走ると、滋賀県と岐阜県の間に長久寺という集落がある。  上地図の黄矢印の地点に寝物語の里があるというので、東海道本線の踏切を越えて村中の道を美濃(岐阜県)の方向に進んでいった。  寝物語の里の由来だが、国境の小さな溝を隔てて美濃側の旅籠「両国屋」と、近江側の旅籠…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その1 アレクサンドリア

 カイトベイ要塞全景  ↑  アレクサンドリア(Alexandria)は、カイロに次ぐエジプト第2の都市である。  現地語であるアラビア語ではアル=イスカンダリーヤ(الاسكندرية al-Iskandarīya)、意味は「アレクサンドロス(アラビア語でイスカンダル)の町」である。  マケドニア王アレクサン…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その4 阿賀野川 NO2「野口英世青春館」にて」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その39  絶景の東海岸で旅を終える

黄☆印の金剛岬を出発した。  奥能登絶景街道に引き続き絶景となる東海岸を40分ほど走って、恋路海岸の見附島(軍艦島)に到着した。 見附島は自然が造り出した高さ約28mの無人島で、島の形が大きな軍艦のような形をしているところから、別名軍艦島とも呼ばれており、能登半島を象徴する景勝地として知られている。 軍艦島で小休止…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その17 杉本寺等見学後、茜草屋でお茶

 昼食を終えると、黄線に従って金沢街道を引き続き歩き、黄星印の杉本寺そして鎌倉宮と進んだ。  午前中のオーバーペースがたたったのか、昼食後は足が重くなり、若宮大路にある黄菱形印の宿泊ホテルまでの道がキツかった。  そんなコンディションの中で、15分程歩いて杉本寺に辿り着いた。  杉本寺は寺伝によれば、734年に行基が十一面…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その23 関興寺の味噌なめたかの関興寺へ

龍澤寺を後に「赤字え」の越後の名刹関興寺に、ここへの到着は午前11時20分だった。 関興寺は臨済宗円覚寺派のお寺で、古くは関興庵と称し1410年に開山、関東管領上杉氏の庇護の下で、信州、佐渡、能登、越中、越後五カ国の末寺300箇所を支配したと伝えられている。 上杉景勝とともに寺を会津から米沢へ移し、江戸時代に再び現在地に…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その5 環境考古学者安田喜憲氏と利根川源流の男たちとの共通点を発見 

 僕が現在注目している環境考古学という分野の学問のパイオニアである安田喜憲氏は、ある講演会の中で、西洋文明の目的地としてのユートピアと東洋文明の目的地としての桃源郷の意味するものについて記載していた。  彼は西洋文明と東洋文明の違いを、前者は畑作牧畜民の創った文明、後者は稲作漁労民の作った文明としてとらえている。  畑作牧畜民…
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木曽川への旅(2008年の旅) その3 奈良井宿上町

中町の見学の次は上町に向かった。 赤字1の鍵の手、赤字2の資料館中村邸、赤字3の高札場と水場の順に見て回った。 最初は赤字1の鍵の手である。 ここが上町と中町の境で、この「鍵の手」と呼ばれるクランク形状の道路で区切られている。 ここから先が上町となる。 事実上の上町での最初の見学は、赤字2の資料…
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東京散歩Ⅱ その8 「谷根千」散歩で「岡倉天心記念公園」まで 歩く

「古井戸」の次に道に迷いながらも近くの住人に聞いて、谷中の超有名店である「ねんねこ屋」への坂道に辿り着いた。 坂道を5分程上ると、「ねんねこ屋」に到着である。 ねんねこ屋はネコ好きにはたまらない店で、店の外観も中もネコのアクセサリーで溢れかえっている店である。 ここで小休止ということでラムネを買って、二階の休みどころに…
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「オホーツク街道」の旅 その23 毛がにの漁獲高日本一の町でちょっぴり贅沢な夕食

 3時頃にこの近くのコンビニで、306円でカレーパンとハムを買い、クッチャロ湖畔の白鳥の舎前でコーヒーを沸かし、遅い昼食とした。  湖は逆光の時間となっていて、太陽光が薄いレンブラント光線のようにクッチャロ湖に注いでいた。  今日はイトウ釣りの日としたので、明治中期に金の採掘で賑わったことがあるウソタンナイ砂金採掘公園とかこのあたり…
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冒険小説を愛した詩人−丸山薫−の詩の中から

  探検生活は文明に切り離された地で行うことになるので、情報社会から隔絶された世界を日常的に過ごし、楽しみと言えば読書となる。   そんな生活の中で、丸山薫のこんな詩を見つけた。   探検生活者の心に沁みます!!!  狼群         狼の群が旅人を追っていた      日没になると かれらは    …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その2 能代から五能線沿線へ

 能代のホテルニューグリーンは快適なビジネスホテルだった。 1泊朝食付きで4,900円のシングルルームで頼んだのだが、部屋には邪魔にならない配置でベッドが3個も入っているトリプルルームで、どのベッドで寝ようか困った。  結局真ん中のベッドで寝たのだが、寝心地も良かった。 夕食は頼んでなかったが、外に出て食べる気も全…
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近江街道をゆく その19 長浜のビジネスホテルウェルネスに宿泊

 今日の日程は終了し、これから湖西から湖北までの琵琶湖畔をほぼ半周し、今夜宿泊する長浜のビジネスホテルウェルネスまでレンタカーで走っていく。 黄枠で囲った田中王塚古墳から黄星印のホテルウェルネスまで、幾つかのトンネルを潜りながら、琵琶湖畔の黄線の道を進んでいくことになる。 このコースは、走る前からこの旅一番の難関になるだろうと考…
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甲州街道と佐久平みち その27 塩名田宿 

八幡宿の次にその隣の塩名田宿を見た。 塩名田宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場で、現在は長野県佐久市塩名田となっている。  この下の道が旧中山道で、千曲川の旧渡し場まで続いている。橋が掛けられたこともあったが、洪水の度に流失して、船や徒歩で渡るのが専らであった。 塩名田宿は暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠…
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続 思い出の中の川 第20回 天の川支流桂岡川 その3 熊にも会わず、入れ食いの初渓流釣りに大満足

 続いて2匹目が、すぐ釣れた。 小石を置いて、後で何匹目か区別がつくようにして撮影し、すぐリリースした。夢中になって釣っている間に、いよいよ森は深くなっていく。熊の影に怯えながら、減水気味の川の中ではまだ水深のあるポイントに到達した。そのポイントが、この小さな淵となっている地点である。   何か釣れるだろうと半分位は確…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その16  報国寺の竹林にて

今回は報国寺の竹林から始める。 竹林の入口から入って行ったが、天井から降り注ぐ光と竹林群の奏でる光と影の造形があまりに美しいので十枚程の竹林の写真をここで撮影したが、その中から2枚ほどを紹介する。 少しだけ目線を上げると、目の前の竹林の世界はこんなである。  真上に視線を向けると、真上に1箇所の丸い穴が開き、その穴を囲むよ…
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26年の恋  Bertie

 昔々のその昔、ホム友だったBertieの著書です。幼稚園の初恋時代の頃の顔も出てる。↑  その彼の初恋の物語の始まりだよ。  僕は中学卒業と同時に一人暮らしを始めた。  一人暮らしで、高校生とくれば、いろんな人が面白がってやってくる。  その中でKちゃんという幼なじみの女の子がいた。  彼女の…
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ジュンチャンと世界を巡る 第57回はハイチ

 西インド諸島の旅は続いていますが、今回は大アンティル諸島の国々(キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国)の中から「ハイチ」を紹介します。  ハイチは中央アメリカの西インド諸島に含まれる大アンティル諸島のイスパニョーラ島西部を領土とする共和制国家で、東にドミニカ共和国と国境を接し、カリブ海のウィンドワード海峡を隔てて北西に…
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木曽川への旅(2008年の旅) その2 奈良井宿中町

奈良井宿は木曽路最大の難所の鳥居峠を控え多くの旅人で栄えた宿場町で、「奈良井千軒」といわれていた。(天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人。) 宿は江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鍵の手と呼ばれるクランク…
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東京散歩Ⅱ その7 「赤塚ベッ甲店」から「古井戸」まで

引き続き「谷根千」を歩いている。 ここは「赤塚ベッ甲店」で、昭和41年の創業以来高級なべっ甲の眼鏡フレームなどを作っている店舗兼工房。 ここで制作体験もできるとのこと。 手前の「愛玉子」という店はスイーツの店で、愛玉子はオーギョーチと読む。 愛玉子は台湾でしか採れない果実で、これを寒天状に固めてシロップで固めて作る。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その1 往路は 能代まで381.8km

 津軽街道の旅は、当初思っていた以上に見所の多い旅となった。 11泊12日の旅の間に撮影した写真は1000枚を軽く超え、デジカメに収録したビデオカメラ撮影時間も45分程度となった。  津軽街道の旅は青森県に入ってからということで、新潟から山形そして秋田の能代までの往路は簡単な記録と数枚の写真で記載することとする。 2013年9月26…
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近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。 彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。 第26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。 継体天皇は応神天皇5代の末裔とされているが、これが事実かどうかは判断…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 序章

探検家リビングストンが発見したビクトリアの滝 (ジンバブエのザンベジ河畔の町、リビングストンにある) ↑  ナイル河、「5大陸最長河川の旅」最後の河であり、世界最長の川である。  その長さは6695km、アフリカ大陸の東側を、赤道直下から悠々と北上して流れ、地中海に注ぐ。  ナイル河の源流につ…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その4 阿賀野川 NO1「野口英世青春通り」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その38  最果ての禄剛埼灯台にたどりつく

 ほぼ2時間かかって、禄剛埼灯台にたどり着いた。  「さいはてにて」のロケ地などを色々見てくればもう1時間はかかっただろうが、夕方までに七尾の宿泊ホテルに着くには、今のペースが適当である。  このシーンは、350m程の禄剛埼までの登り道を振り返って見たところだが、勾配がきつくて息が切れ、何度も立ち止まって休んだ。  丘…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その15 浄妙寺から報国寺へ

 青砥藤綱旧邸跡を発ち、金沢街道を浄妙寺そして報国寺と歩いた。  まず浄妙寺である。  浄妙寺は鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院で、山号は稲荷山(とうかさん)、本尊は釈迦如来、開基は足利義兼、鎌倉五山の第五位の寺格である。  ところで五山制度とは我が国の禅宗のうち臨済宗寺院の格付制度で、幕府が任命した住持(住職)を順次…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その22 上杉景勝公生誕の地樺沢城跡へ 

雲洞庵を出てこれから樺沢城跡へ向かうが、朝食がまだだったので、途中のおにぎり屋で遅い朝食をとった。 朝食は魚沼産コシヒカリを使ったおにぎりと豚汁で済ませた。 おにぎりとはいえ、地元魚沼産のコシヒカリを使ったおにぎりは全国レベルの食べ物となる。 新潟県が誇る全国レベルの超一級ブランドで作ったおにぎりは、かなりの空腹感の中…
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佐藤哲三 みぞれなど

 佐藤哲三(さとう てつぞう、1910年1月26日 - 1954年6月25日)は、日本の洋画家。新潟県長岡市生まれ。同県新発田市で生涯を過ごす。蒲原平野や農民などをモチーフに、郷土に根ざした作品を制作し続けた。1954年、白血病で死去。  みぞれ                 帰路 柿を持つ女
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木曽川への旅(2008年の旅)その1 奈良井宿まで

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 平成20年の旅は、7番目の川である木曽川ということになった。ここには川に並行して走る木曽路(旧五街道の一つである中山道の庶民的呼称)が走っているが、木曽路の代表的な宿場だった妻籠宿が以前から気になっていた。妻籠宿の風景はコマー…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その4 先祖代々大切にしてきた山里の暮らしを集めた郷土資料館で 

俺の仕事は俺一代という本の中に、大坪さんは「山里のロマン」という、18ページほどの挿絵つきの文章を書いている。こんな書き出した。 「俺が広い世界があるということを知ったのは、4歳の時だった。藤原の冬は寒くて長い。12月になればもう外では遊べない。子どもたちは家の中に閉じこもり、囲炉裏でジャガイモを焼いたり、焼き餅を食ったりして春を待つ。…
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東京散歩Ⅱ その6 谷根千散歩スタート、観音寺の築地塀まで

これから谷根千を歩くが、当初は岡倉天心旧宅を中心に岡倉天心に関係する旧跡を巡る旅を考えていた。 岡倉天心は明治時代を卓越した識見と天才としての歩みで駆け抜けた巨星で、その活動は美術分野に留まらず、僅か51年の人生の中で後世に残る大きな業績を沢山を残し、彼の偉大な精神遺産はその後も多くの日本人の中に受け継がれている。 この岡倉天心の旧…
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「オホーツク街道」の旅 その22  気分だけは最高潮のまま、今回のイトウ釣りの全日程を終える

 猿払川のセカンドステージは新猿払橋の下(2の場所)である。  この川を熟知していて年間50匹以上のイトウを釣り上げる地元釣り師とは違って、僕はこの川を何も知らないのである。  今日初めてこの川に会って、今日初めてキャストするのである。  ただ、出会い頭の偶然ということも世の中には有りうる事で、石狩川で58cmの虹鱒に出会った時のこ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) プロローグ

司馬遼太郎の「街道をゆく」は、司馬遼太郎自身が「もし自分の仕事の中で後世にまで読み続けられるものがあるとすれば、それは街道をゆくになるのだろう」と語っていたという程のもので、唯の旅行記ではない。「街道・みち」に視点を傾けることで日本そして世界の歴史を展望、最終的には「日本とは何か、日本人とは何者か」という司馬遼太郎の永遠のテーマを自らの…
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近江街道をゆく その17  中江藤樹の藤樹書院に行く

これから日本陽明学の祖で、故郷の近江高島で書院を開き近江聖人と呼ばれた中江藤樹の藤樹書院に行く。 江戸時代人の知的基盤は儒学であり、これを発展させ封建社会の教学となっていたのが朱子学(11世紀に宋の朱熹が大成した教えで、身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように…
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甲州街道と佐久平みち その26 八幡宿を散策 

 望月宿からは、旧中山道の佐久平にある宿をたどって歩くことにした。  具体的には上図の黄枠に囲った八幡宿、塩名田宿、岩村田宿、追分宿である。まず八幡宿に向かったが、八幡宿では最初に本陣跡に行った。 この本陣(小松家)では皇女和宮も宿泊している。  ここには当時のままの本陣門が残されており、中山道八幡宿本陣跡と刻まれた石…
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続 思い出の中の川 第19回 天の川支流桂岡川 その2 桂岡川で渓流釣りに挑戦

散歩を終え出発の準備をした後、午前7時頃に朝食となった。 旅館みうらの朝食は、いかにも朝食らしい朝食で、オカズは全部食べきった。松前町を午前7時半過ぎに出発した。 愛車レガシーに乗って松前街道を快調に北上、目指すは上ノ国町である。北海道の川は熊が怖いので、渓流釣りは過去にしたことがない。比較的平場で熊の危険もそうない…
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能登(日本道)への道 その37 奥能登絶景街道をゆく 

 今日は能登半島の最北端最果ての地である禄剛埼灯台を目指し、それから能登半島の東海岸を南下して七尾に向かい、そこで泊まる計画である。  まず、新橋旅館から47km時間にして1時間ほどかかる、最北端最果ての地である禄剛埼灯台に向けて出発である。  この道は奥能登絶景街道と呼ばれていて、運転する者にとっては誘惑の多い魅力的な道で…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その14 足利公方と青砥藤綱

帰りは朝比奈峠から十二所までバスに乗り、そこから金沢街道を鎌倉駅の方向へ向かって歩き始めた。 金沢街道沿いには鎌倉幕府高官の旧居が立ち並んでいたが、その中から赤字ア;足利公方邸旧蹟と赤字イ;青砥藤綱旧居跡を選んで立ち寄った。 金沢街道の明石橋を通り過ぎ、泉水橋交差点から鶴岡八幡宮方面へ向かうと、最初の目的地である赤字アの足利公方…
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ジュンチャンと世界を巡る 第56回はジャマイカ

 西インド諸島の旅は続いていますが、今回は大アンティル諸島の国々(キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国)の中から「ジャマイカ」を紹介します。  ジャマイカは、キューバから160km南に位置する大アンティル諸島で三番目に大きいジャマイカ島を国としていて、その面積 は10,991km2 と岐阜県ほどの広さで首都はキングストン…
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「播磨と淡路のみち」 その46 旅の最後は、明石海峡と明石海峡大橋

この日の昼食は、伊弉諾神宮の前の食堂である。 淡路島で目にしたことを何シーンか思い出しながら、とんかつ定食を食べた。 淡路島を1泊2日で駆け抜けた旅も終了直前、その最後に兵庫県立淡路島公園に向かった。 ここからは、明石海峡と明石海峡大橋が実によく見えるという。   県立淡路島公園までの距離はおよそ25km、午後1時半にはこの…
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東京散歩Ⅱ その5 谷中銀座を散策、児童遊園で昼食 

午後から谷根千を歩く旅となるが、その前に谷中銀座の適当な店で昼食を食べようと、谷中霊園から15分程歩いて、谷中銀座前にある夕陽の名所となっている「夕焼けだんだん」まで来た。 この坂の上からは谷中銀座の街が実によく見える。 坂を勢いよく下って、そのまま街の中に突入した。 街中は日本人の観光客も多いが外人の観光…
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ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」 最終回 抜粋

わが百姓女が手に入れた恍惚がよし、どれほど高値につこうとも 何の不足がそこにあろう? かの女はほお笑んでいるわれらはかの女のために悲しむまい。森の贈る 静けさにもまして深く、甘やかなものはない冬空の 寒さの下に身動きもせず戦(おのの)きもせず 立ちつくす時。何処として、ここより他に こんなにも深くのびのびと疲れた胸の息づける処はないされ…
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中国編26 パンダに会う(最終回)

 中国はかって、パンダ外交を展開し、それまで疎遠だった国々と友好を深めた。  現在、パンダはペアに付き1億円でレンタルされている。(それも1年間で1億円である。)  中国人の子どもでも、パンダを見ることは滅多に出来ないという。  その宝物のような生き物に会ったのは、北京を出発する日の午前8時半頃。  この時間には、餌を食べるため、パンダ…
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近江街道をゆく その16  継体関連の鴨稲荷山古墳を見学

これから継体天皇の先祖の血を訪ねる旅に出るが、その場所は近江高島市である。 高島市内には、364を数える「埋蔵文化財」が存在しているが、その中に継体天皇関連遺跡も沢山含まれている。 ここ高島は、現天皇家の直接の祖先でヤマト王権の主要な血ともなった継体天皇の、祖先やその妃となった人々の住んでいた地である。 継体天皇関連遺跡だ…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回)(K)

  市内の小公園「白鳥の湖」  アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。  人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から市街地は形成されて…
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五浦釣人 平櫛田中作品

  これは五浦(茨城県北茨城市)の海岸で、釣りにでかける岡倉天心を撮影した写真をもとに制作したものです。天心は五浦で、日本画の下村観山・横山大観・菱田春草・木村武山などを指導する一方、思索にふけったり、暇をみては釣りを楽しんでいました。  僧衣にも似た広い袖の着物の上に大きな毛皮をはおり、素足にわらじを履き、支那帽をかぶっている天…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その3 姫川 NO3「ポラリス 岡倉天心」(K)

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その36 新橋旅館にて  

 今日の宿舎は、輪島川に架かる新橋近くに建っている新橋旅館である。  この旅館は一泊二食の6,640円で予約していたが、第一印象は値段相当の外観だった。 しかし、旅館の中に入ると館内全体が和紙のギャラリーとなっていて、和紙は輪島市三井で作られている仁行和紙を主に使っているとのこと。  廊下には棟方志功を思わせるよう…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その13  金沢街道を朝比奈峠まで歩く

これから十二所神社までバスで行き、そこから金沢街道を鎌倉市と横浜市の境まで歩いていく。 金沢街道は鎌倉七口(七切通し)の一つの朝比奈切通しのある街道だが、この街道は六浦湊に荷揚げされた物資の運搬に利用されたことから、昔は六浦道と呼ばれていた。 六浦道は金沢八景の瀬戸神社前から鎌倉鶴岡八幡宮前までの道である。 午前11時ころ…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その21 雲洞庵を本陣から客殿まで見学 

これから、本堂の内陣に入る。 この太い柱の奥が内陣である。 煌びやかに飾られた本堂の内陣の奥に、本尊の釈迦牟尼仏を中心にたくさんの仏が祀られている。 この裏手は位牌堂で檀家の立派な位牌が立並んでおり、さらに奥には開山堂、歴代の住職の位牌などが祀られ、右手には上杉信玄と徳川家康の位牌も祀られている。 本堂を…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その3 『俺の仕事は俺一代』の世界 - 大坪義一さん-

 奥利根湖の帰り、このまま水上に帰るのももったいないし、源流釣行の場所を探すついでにこのあたりを見学しようかと考えて、車を藤原湖の方角に進めた。 すると眼前に、桃源郷なるものが此の世にあるとしたら、桃源郷はこんな景色のところでは、という風景が広がった。 しばらく景色に見とれて車を進めると、右手に「藤原の里ふるさと村 郷土館」という建…
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「播磨と淡路のみち」 その45 伊弉諾神宮

高田屋嘉兵衛の墓に参ったあと、12km程離れた伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)に向かった。  伊弉諾神宮は、兵庫県淡路市多賀にある淡路国一宮で、「日本書紀」や「古事記」によれば、国産みを終えた伊弉諾尊が最初に生んだオノコロ島(淡路島)の多賀の地の幽宮(終焉の御住居)に鎮まったと書かれてある。この幽宮が伊弉諾神宮の起源とされている …
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東京散歩Ⅱ その4 「東京都谷中霊園案内図」を手に、谷中霊園を歩く 

この後谷中霊園管理事務所に行き、「東京都谷中霊園案内図」をもらった。 この案内図にはNO1の天津乙女からNO75の鏑木清方まで75人の有名人の墓碑の位置が紹介されている。 徳川慶喜の墓を見たかったので、他の有名人の墓はさほど興味が湧かなかったが、案内図に従って、NO32ニコライ、NO52鳩山一郎、NO51横山大観、NO75鏑木清…
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「オホーツク街道」の旅 その21 猿払川でイトウに挑む!!

 地図上の3番目の川は「猿払川」である。  猿払川は北海道の中でも最も数多くイトウが生息し、個体数が安定している数少ない河川。  湿原をゆっくりと流れ、下流域の川底が深い場所では水中はほとんど見えず、スケールが大きく、力強さを感じさせるその流れは、幻の魚イトウが潜むには迫力十分。  猿払川下流部の写真の右手真ん中よりボロ沼に続く水路…
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中国編25 天壇に上がり、そこに入る

 天壇は皇帝が天を祀る場所であるが、北京にはこの他、地の神を祀る地壇、太陽神を祀る日壇、月の神を祀る月壇があり、それぞれ今は公園となって大勢の市民の憩いの場となっている。  紫禁城を囲んで、南に天壇、北に地壇、東に日壇、西に月壇の配置である。  明清の皇帝達は、季節毎の祭儀に、それぞれの神に動物の生け贄(イケニエ)などを捧げ、人々を支配…
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近江街道をゆく その15 北小松と白鬚神社を歩く 

司馬遼太郎が「街道をゆく」で訪れた数多くの町、集落、土地の中で、最初の訪問地の地となったのが滋賀県大津市小松(当時は滋賀県滋賀郡志賀町小松)で、実際に訪れたところが北小松漁港である。 司馬の街道をゆくには、北小松の小松が高麗津だったかもしれないと、ここにも朝鮮半島の痕跡の地名を想像している。 僕の旅では北小松港には立ち寄らなかったが…
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甲州街道と佐久平みち その25 望月宿 

望月宿は海野宿からはレンタカーで14km、時間にして25分程の距離である。   この道中の景色が景色と適当に曲がりくねった道路がドライブするには格好のコンディションとなっていて、冬に行うゲレンデスキーでの滑りを思い出しながら、まるで白馬高校スキー部の方々のように、豪快にカツスピーディにこの道を走った。   午前10時ころには…
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続 思い出の中の川 第18回 天の川支流桂岡川 その1 旅館みうらで明日の釣行を考えながら夕食

今回から、「思い出の中の川」は「続 思い出の中の川」として、県外の釣行の思い出を記していくことにする。 まず、北海道の天の川支流桂岡川である。  松前藩屋敷の見学を終え、午後2時には今夜の宿である旅館みうらに入った。 部屋の窓からは松前の町並みの一部が見えるが、今日の午後は部屋で過ごしながら、明日の渓流釣りの準備と休養に充てた…
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能登(日本道)への道 その35  白米千枚田を歩く

昨日は千枚田を上から眺めただけだったが、今日は実際に千枚田の中を歩いてみる。 忙しい旅をしていると、絶景という表面の美しさだけを見るだけで終わって、本来もっと楽しく千枚田の実際の姿を味わう機会を失ってしまうので、いくらでも時間が出来た今日の午後は千枚田の中身を知る絶好のチャンスである。 まず、千枚田を下って海のすぐ傍まで…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その12 源頼朝の墓を見に行く

次に源頼朝の墓を見に行くことにした。 黄線上の道路を、上図右上の黄色矢印の源頼朝の墓まで歩いていく。 ここへ行くまでの道中が良かった。 雪ノ下3丁目という住居表示のこの辺りは、横浜国立大学付属小・中学校や清泉小学校が建てられていて完全な文教地区となっており、午前10時頃にもかかわらず小・中学生が通りを歩いていて、彼らとすれ違う…
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2021年9月11日 9月最初の釣り 

 令和2年の年賀状にはこんなことを書いていた。  「今年は東京オリンピックが開催され、日本国の新たな旅立ちの年となる。ご健康とご活躍を祈ります。」  しかし、令和2年はコロナ元年となり、世界中に恐怖が駆け巡って、東京オリンピックは1年延期となり、令和3年夏の開催となった。  この年も世界中にコロナが蔓延し、実際開催されるかは実施直…
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ジュンチャンと世界を巡る 第55回はキューバ

 西インド諸島の旅は続いていますが、今回は大アンティル諸島の国々(キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国)の中から「キューバ」を紹介します。  キューバは西インド諸島のなかで最大の島であるキューバ島とその周囲にある約1500のサンゴ礁の小島群からなる国です。  北海道に秋田県と岩手県を足したほどの面積11万0861平方キ…
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「播磨と淡路のみち」 その44  高田屋嘉兵衛の生まれ故郷で

「ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園」の丘陵を上がっていった。 しかし、期待していたものは何もなく、ただの観光地がそこには広がっているだけだった。 播磨灘も遠くに見えるだけだったので、10分もここに居ないで、嘉兵衛が埋葬されている丘陵の麓にある墓まで下った。   高田屋嘉兵衛(1769年2月7日~1827年4月30日)…
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東京散歩Ⅱ その3 谷中墓地で「最後の将軍-徳川慶喜」に会う

この徳川慶喜の墓が谷中墓地にあり、寛永寺から10分ほどの距離だという。 谷中墓地に入ってから、その辺りにいた元気のいい半ズボンのおばあちゃんに案内されながら歩き、この案内矢印の場所以後も引き続き一緒に歩いてもらって、広い敷地の墓地となっている慶喜公墓所まで辿り着いた。 最後の将軍はその後朝敵とされたが、自分を赦免した上華族の…
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中国編24 天壇(天を皇帝が祀る場)へ・・・

 天壇は故宮の南に造られている。    「天壇へ行くには、出来れば晴天の朝がよい。  人が少なくて印象が鮮明だからである。」 と「北京‐都市の記憶」;岩波新書に書いたのは東アジア地域史専攻の作家「春名徹」氏である。  今回の旅で、僕はこの「北京‐都市の記憶」と、司馬遼太郎、陳舜臣、金達寿の共著「歴史の交差路にて」を教科書と参考書として持…
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近江街道をゆく その14  「楽浪の志賀」路へドライブ開始

11月3日(木)、4日目の朝となった。 3日間寝泊まりしたこの部屋と、名残惜しいが今朝でお別れである。 化物たちが宴会でもしているような感じがしたのは最初の一日だけで、他の日は恨んでいるような感じの妖怪が常時取り付いているようだったが、極端な悪さはしなかった。 ホテルの食堂で、見た目が良くて味もなかなかの朝食を済ま…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話

  ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。)   ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。  北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その3 姫川 NO2「岡倉天心と会津八一」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その34 昼食後、石川県輪島漆芸美術館へ

不完全燃焼のまま輪島市街に戻り、やぶ新橋店で昼食とした。  この店は輪島では有名で、蕎麦のほかに海鮮丼などもメニューに並び、いつも大賑わいとなっているとのこと。  今日は1300円の天ざるを美味しくいただいた。  午後いっぱいは大沢集落で過ごす予定だったので、急きょ予定を変更し輪島塗関連施設を回ってみようと、まず石川県…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その11 鎌倉国宝館を見学

これから鎌倉国宝館へ向かう。 鎌倉国宝館は昭和3年4月3日に開館した歴史・美術の博物館である。 大正12年の関東大震災で鎌倉でも多くの歴史ある社寺が倒壊して貴重な文化財を損失したが、これを教訓として不時の災害から由緒ある文化遺産を保護し、あわせて鎌倉を訪れる方々がこれらの文化財を容易に拝観見学できるよう、一堂に展示する施設として…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その20 雲洞庵の参道を歩く

曹洞宗の寺院である雲洞庵の参道を歩いている。 石畳の下には法華経が一石一字ずつ記されている参道を歩いている。 ところで法華経は、初期大乗仏教経典の1つである『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』、「正しい教えである白い蓮の花の経典」の漢訳での総称である。 法華経は日本人にとって古くからなじみのあった経典であった。 6…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その2 奥利根湖の矢木沢ダムにて

 奥利根湖は八木沢ダムの建設によって出来たダムである。昭和42年8月完成したダムだが、ここに溜まる水の量は2億430万㎥、25mプールの68万個分に相当し、東京都の人たちが一日に使う水の量の約44日分という。  矢八木沢ダムに代表されるように、ここ奥利根のダムは首都圏の水がめとして使われており、環境保護団体から言わせれば、…
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「播磨と淡路のみち」 その43 松の島 

話は変わるが、淡路島は昔慶野松原に代表されるような松が島のいたるところに生い茂る松の美しい島であった。    今は相当数の松がこのように松くい虫にやられて、往時の面影はこの島にはないという。このような状態は日本の松の運命とも言えるもので、松は本来痩せた土地を好んで成育する植物である。   人が頻繁に手を入れて、松の下の土の下…
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東京散歩Ⅱ その2 東叡山寛永寺にて

子規庵から歩いて10分ほどで寛永寺通用門に到着した。 この門から現在の寛永寺に入った。 寛永寺は1625年に慈眼大師天海大僧正によって創建された。 徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した。 天海は江…
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「オホーツク街道」の旅 その20 猿骨川で釣り師の夢を満喫!!

 僕は今、猿払村のど真ん中にいる。  「思いっきり大きいイトウに会いたいなら猿払村に行け」、イトウ釣りを少しでも目指す者が最初に出会う言葉が、この言葉である。  猿払村は北海道最北の村、日本で2番目に広い。北海道の中でも特に寒さの厳しい地域で真夏は最高でも30℃に達しない年も多く、厳冬期には気温が-20℃くらいまで下がり、もちろん海には…
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『本格派 中国四川美人歌手 』 張靚穎(チャン・リャ...)

『 中国の美人歌手 』 張靚穎(チャン・リャ...   張靚穎は、現在の中国本土で一番有名な実力派女性歌手。この写真は、2005年超人気オーディション番組『超級女声』に応募した張靚穎で、プロになる前の四川大学生20歳のころのリャンインです。 予選参加者は15万人。このオーディションで第3位となっています。歌唱力では、確実に1位であ…
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中国編23 周恩来と田中角栄の歓談の場へ出陣

これから僕らが向かうところは、日中の共同声明が行われた場所。  金妙珍は熱狂的な田中角栄ファンなので、ここへ案内しないことには自分のガイドとしてのプライドが無くなると考えていたのだろう。  日本と中国は、日清戦争後不幸な歴史を持ったが、また再びこの共同声明以降、お互いの手を取り合い、現代史の中を進んで行くことになる。  ホテルの入り口に…
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近江街道をゆく その13 石積みの門前町「坂本」を散策 その5 徳川ゆかりの寺社を見学

滋賀院の裏手に天海(慈眼大師)の廟所である慈眼堂がある。 慈眼大師天海は徳川家康・秀忠・家光の時代に幕府の顧問として遇された大僧侶である。 織田信長の叡山焼打ちにより全山焼土と化した比叡山の復古に尽力したことにより、家光の命で慈眼堂が建立された。 慈眼堂の境内に入ったが、雰囲気はこんな感じの場所である。 ところで、信長の叡山焼き…
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甲州街道と佐久平みち その24 海野宿  

 今日8月2日(金)は、2019年夏の旅「甲州街道と佐久平みち」の事実上の最終日である。  これが今日の日程であるが、今日は1日佐久平と言われた地域を走り抜け、そこを歩く旅となる。  お世話になった「かわせみの宿」に別れを告げ、佐久平へ出発する。  まず海野宿に向けて出発するが、ここまで17km、30分程の道のりである。 午前9時…
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