「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その5 石ノ森漫画館

旧北上川の河口に位置する石巻市 は,宮城県で二番目,約17万人の人口を持つ,北東部地域を代表する港湾都市である。

江戸時代には,水運交通の拠点に位置する「奥州最大の米の集積港」として,日本海側の酒田と並び,全国的に知られた交易都市となった。

明治時代からは,金華山沖漁場を背景に漁業のまちとして栄え,昭和39年に新産業都市の指定を受けてからは,石巻工業港が開港するなど,工業都市としても発展を遂げてきている。

近年は,平成元年に石巻専修大学が開学するとともに,三陸縦貫自動車道の石巻までの延伸,石巻トゥモロービジネスタウン分譲開始,石巻港の整備など,21世紀を迎え,さらなる発展が期待されている。

 また,平成13年7月23 日には,マンガランド構想の中核施設となる「石ノ森萬画館」が完成,平成17年4月1日には石巻地域1市6町が合併し,新・ 石巻市 として新たなスタートを切った。

その石巻に到着したのは,午前11時を少し過ぎた頃だった。


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                                 石巻駅前大通


石巻駅前の駐車場に車を停めると,駅前のロマン海遊21「石巻観光プレミアムチケット」を購入した。

チケットは1000円で,石ノ森萬画館とサン・ファン館の観覧券がついており,その他にもいろいろな特典のついたものだった。

初めての街である石巻はどう見てよいか見当も付かず,街のぶらぶら歩きと,この2館の観光で済まそうと決めた。それで,昼から午後いっぱいがつぶれると考えた。

石ノ森萬画館はもちろん,石ノ森章太郎の漫画家としての足跡を展示した記念館である。

著名な漫画家である石ノ森章太郎のことは,石巻に来るまでほとんど知らなかったが,サイボーク009仮面ライダー,それにビッグコミックに掲載されていた佐武と市捕り物控え位しか作品が出てこない。

街の地図を見ながら萬画館へ行くためのバス亭を通りすがりの70歳くらいのおばちゃんに聞いたら,「歩いていった方がいい,マンガロードを歩きながら行けば,15分か20分で行ける」と言われて,駅前大通からマンガロードに向った。

マンガロードは正式名称を立町通りといい,石巻駅方面から石ノ森萬画館へ行く途中にある通りで,その通りの所々に,石ノ森章太郎の生み出したヒーローやヒロインが設置されていて,それを眺めながら,それを目印にして,漫画館へ辿り着けるという趣向になっている。

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                              漫画ロード入り口のサイボーグ009「島村ジョー」


マンガロードには,009のキャラクター,仮面ラーダーのキャラクターなどが通りの両側に適当な感覚で置かれており,おばちゃんの言葉どおり,15分もしないで旧北上川の中洲に創られた萬画館の建物が見えてきた。

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                             石ノ森萬画館
 石ノ森章太郎は,宮沢賢治石川啄木と同じ,北上川のほとりで生まれ育った人である。
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 彼の場合は,子どもの時から漫画を書く才能があったようで,高校時にマンガ雑誌に投稿を始め,それが認められて雑誌編集者から上京を進められ,高校卒業と同時に漫画家としての生活に入ることになったのだから,恵まれたスタートだったと言える。

 しかも,彼が暮らしたトキワ荘というアパートには先住者として,マンガ界のゴッドファザーとも言うべき手塚治虫がおり,そのトキワ荘に赤塚不二夫藤子不二雄寺田ヒロオ園山俊二鈴木伸一などが住んでおり,つのだじろうが自宅からここへ通ってきたりしていた。

 石ノ森章太郎は恵まれた環境と恵まれた仲間に囲まれて,漫画家としての才能を開花させていくわけであるが,子ども時代の石ノ森は普通の秀才で,医者か公務員を目指していたという。
 ちなみに彼の父親は町役場の役人で,退職後教育長を務めたインテリの方。

 1938年に宮城県登米郡中田町石森で生まれ,その誕生の地にあやかって本名小野寺章太郎を,ペンネーム石ノ森章太郎としたのだとのことである。

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 トキワ荘時代,彼のマンガの最大の理解者にして最愛の姉であった由恵さんの死に遭遇する。(由恵さんは当時23歳だった。)

 彼はいつも年上の女性に恋をしていたと自分で告白しているが,この病弱な姉の由恵さんのことがいつもこころにあったのだろうか。

 後に彼は手塚治虫夫妻の媒酌で利子さんと結婚することになるが,写真で見ると姉の由恵さんと奥さんの利子さんは目の辺りがそっくりである。
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 彼はマンガの編集者に,マンガのヒロインはどこか奥さんにそっくりですねと言われると,僕のマンガのヒロインに似た女性と結婚したんだよと言っていたそうだが,おおもとはやはり,彼のマンガの最大の理解者であり最愛の姉であった由恵さんへの思いが作品の中に反映された結果と考えられる。

 石ノ森萬画館の3階のカフェ「ブルーゾーン」で遅い昼食となった。
 石巻は鯨肉が名物のようで,鯨肉定食が
800チキンラーメン定食が500で,あとはサンドイッチやスパゲッティ程度の軽食がおいてあった。

 僕は,中継川など遠距離釣行の際のいつもの習慣により,質素で軽い昼食をとろうと考え,チキンラーメン定食を頼んだ。
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 チキンラーメンというと、新潟市に当時あった大和デパートか小林デパートで,確か立ち食いで食べた即席ラーメンの印象が,子ども時代の懐かしい思い出として残っている。

 僕の小学校就学前や小学生の頃は,西岸良平の漫画「3丁目の夕日」に出てくる時代である昭和30年代の世界で,その頃のラーメンは憧れの食べ物であった。

 小学校の時から高校まで学校を同じくして,僕らの中では抜きんでた秀才だったM君の小学生の作文には,母親と妹と古町(当時も新潟市一の繁華街だった。)の東華楼へラーメンを食べにいったことが綿密に書かれていて,僕はその作文をうすボンヤリと覚えている。
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                                東華楼の五目ラーメン

 今の時代のような日本各地で競って作られたラーメンブームに乗っかっての色々な手を加えたラーメンではなく,正統派のしょう油ラーメンを彼は食べたのだと思う。

 ラーメンを家族で食べに行くという出来事は,当時は家族でフランス料理のコース料理を食べに行くに匹敵するような贅沢なものだった。

 チキンラーメンというと,遊びに忙しくて,ほとんど悩みもほとんどなく,毎日が面白おかしく過ぎていった幸せな子ども時代の風景がよみがえって来る。

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