日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その6 北上川 NO1  宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」 

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。
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 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」十数名と出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。


 2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2003年の姫川の旅では岡倉天心と、2004年の阿賀野川の旅では野口英世と、2005年の利根川の旅では萩原朔太郎と、2006年の北上川の旅では宮沢賢治や石川啄木と、2007年の最上川の旅では松尾芭蕉や斎藤茂吉や直江兼続と、同じ2007年の阿武隈川の旅では伊達政宗や松尾芭蕉と、2008年の木曽川の旅では島崎藤村や福澤桃介と、2009年の天竜川の旅では柳田国男や後藤総一郎と、2010年の石狩川の旅では小林多喜二や三浦綾子と、2011年の手塩川の旅では松浦武四郎と出会った。

今回は、2006年8月に旅した「北上川の旅」で出会った「宮沢賢治」である。

 宮沢賢治は童話作家だが、彼の詩も実にいい。

 宮沢賢治詩集は2冊ほど手元にあり、幾度かページをあいまいにめくったり、眠るまでの時間に数編だけ読んだりしたことがあるが、じっくりと詩集にかかれている作品の意味を考えたことは、これまで一度もなかった。

 中学生や高校生の当時、宮沢賢治の作品に影響され行動したというような記憶が皆無で、青春の作家と言える賢治と共通の青い時代に、共通の感情や感動を得れなかったことは、やはり心残りである。

当時身近に感じて憶えていた詩としては、あの有名な「雨ニモマケズ・・・」くらいだったと思う。

その「雨ニモマケズ・・・」の受けとめ方も、その背後の賢治の個人的背景や時代の流れというものにはまったく関係ない、ザードというグループのヒット曲「負けないで」くらいのインパクトとして受けとめていて、落ち込んだことに思い出すうつ病対策の薬のようなものだった。

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この詩については珍しく全文を暗記していて、ストイックで質素な生活を目標とした賢治の願いと、高校時代に何ものにも束縛されない自由で達観した道教徒の境地に憧れていた僕の願いに、共通点を見出してうれしかったことを憶えている。

ただ、後年になって、実はこの詩が自分の信条を力強く表現した作品ではなく、病気になって床に付き、自分の死期を身近に感じ、仏教的諦観の気持ちで書いたものであることを知ることになるのだが、高校時代の僕にはそれを知る由もなかった。

ところで、宮沢賢治のことを書いた学術書の中で、ただ一つだけ、記憶の中に染み込んだ文節がある。

「宮沢賢治の周りには善人が集まるのです。賢治の性格でしょうか、善意の輪が、賢治を中心に広がっていく、そんな感じの世界が出現しているのです。」

賢治は弟の清六が語ったように「前世から持って来たように、幼い頃から僧侶のようなところがあった。」という。

いついかなる時でもニコニコと鼻に響かすような声で静かに話をする青年、その声は凛として美しく、読経の時は声量といい響きといい、聞くもののすべてに感動を与えたという。

法華経の信徒としての一面も持ち、父親は高僧にでもしたかったという賢治には、宗教人に特有な生まれ付き持っている天賦の、人を善の使徒として感化する能力があったように思われる。

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