津軽街道をゆく(2013年の旅) その12 いか焼き村、千畳敷そして鰺ヶ沢へ

深浦を過ぎ、五能線沿いを道なりに、国道101号線を北上していく。しばらく行くと、道の駅ふかうら「風合瀬(かそせ)いか焼き村」という名称の道の駅があったので、そこで小休止した。  ここは東北でちょうど100番目に誕生した道の駅で、名物の生干しイカや新鮮な魚、さざえ、地元で取れた新鮮野菜や浜の「かっちゃ」が作る海産物加工品などを販売し…
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近江街道をゆく その30 埋木舎(うもれぎのや)にて

この日の最後に、井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期の15年を過ごした埋木舎(うもれぎのや)に行った。 埋木舎は井伊直弼の命名で、ここは尾末町御屋敷(北の御屋敷)と呼ばれていた。 彦根藩井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりとされていた…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その6 スーダン南部

     牛と共生生活を送るディンカ族 ↑(問題は最後ダヨ、)  スーダンは現代アフリカの縮図であり、とりわけ南スーダンはその典型と言える。  それは、誰もが連想する貧困、飢餓、感染症による病死、少数民族の間で今も続く原始的な牧畜や農耕生活の風習、アニミズムと呼ばれる原始宗教による日々の暮らしぶりという意味であるが…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その6 北上川 NO2 宮沢賢治の理想

賢治は、花巻で一、二を争う程裕福な商家に生まれた。                                 宮沢賢治生家 父親の政次郎は理財の才能のある人で、彼は知人にもし自分が宗教というものにまったく縁のない人間だったら、三井や三菱のような財閥を築いていただろうと語っていたというエピソードがあるが、それ程賢治の父は…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その9 蝦夷共和国のこと

12月15日、蝦夷地を平定した旧幕府軍は箱館政権を樹立、この政権は蝦夷共和国と俗称された。 しかし榎本らは「蝦夷共和国」と名乗ったことはなく、また独立主権国家たると宣言したわけでもない。  総裁は入れ札(選挙)によって決められ、榎本武揚が総裁となった。 この総裁選はアメリカなどの政治制度を模範に日本で初めて行われた選挙で、投票…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その27 切通し四箇所を歩き、鎌倉五山の全てを歩く

次に建長寺の鎌倉街道を挟んで向かい側に建っている円応寺を見学した。 ここは閻魔大王を本尊としているユニークな寺である。 この寺を出て、鎌倉街道を鶴ケ丘八幡宮の方向に歩いて行く。 鎌倉には山道を行く七つの切通しが整備されていて、その中の一つが巨福呂坂切通し。 巨福呂坂切通は山ノ内(北鎌倉)方面から鶴岡八幡宮へと抜ける坂道で、朝…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その28 上杉家廟所を歩く

続いて、歴代藩主の墓である赤②の上杉家廟所である。 樹齢400年を越す老杉の奥に、厳粛な空気に満たされて御廟所はあった。 上杉景勝公が亡くなった1623年より上杉家の御廟所とされ、以後歴代の藩主が埋葬されてきたが、明治6年の米沢城解体に伴い米沢城に安置されていた上杉謙信公の遺骸も明治9年に御廟所へ移された。 …
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その5 石ノ森漫画館

旧北上川の河口に位置する石巻市 は,宮城県で二番目,約17万人の人口を持つ,北東部地域を代表する港湾都市である。 江戸時代には,水運交通の拠点に位置する「奥州最大の米の集積港」として,日本海側の酒田と並び,全国的に知られた交易都市となった。 明治時代からは,金華山沖漁場を背景に漁業のまちとして栄え,昭和39年に新産業都市の指定を受け…
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木曽川への旅(2008年) その13 妻籠からバスで馬籠まで

「桃介橋」を見終えると、妻籠に向かった。  妻籠宿は、中山道42番目の宿場(中山道六十九次)で、蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。 中心部だけを拡大してみる。 妻籠での今夜の宿は赤矢印の坂本屋である。 この宿に連絡して車の駐車場を確保し、バスの出発時間まで青矢印の「喫茶道」で時間を過ごし、黄矢印の妻籠橋バス停からバスに乗る。 …
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東京散歩Ⅱ その18 スカイツリーに初めて会う

両国のホテルまでの帰路をどう帰ろうか迷ったが、葛飾柴又駅の駅員に教えてもらって、京成高砂駅と浅草橋駅の2回の乗り換えで済ませて、午後4時過ぎに無事両国へ戻った。 ホテルに着くと、350mlの缶ビールを飲んで夕食時間まで身体を休めた。 夕食はいろいろ悩んだが、午後6時半頃に総武線両国駅のガード下で24時間営業している磯丸水産西…
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「オホーツク街道」の旅 その28 紋別で、流氷の天使「クリオネ」と対面する。

 オムサロ遺跡から次の目的地である紋別市のオホーツクタワー近辺へは距離にして15km程度、国道238号線を20分程度走行して、そこに到着した。  紋別市は明日行く予定の網走市と並んで、冬の流氷観光の拠点となっている街である。  オホーツク海の流氷は、サハリン北東部の海で生まれ北海道まで流れてきたロシア生まれの舶来流氷と、1月下旬頃に…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その11 太宰の宿「ふかうら文学館」にて

深浦町の散策の次の目的地は秋田屋旅館である。秋田屋旅館は、今はふかうら文学館として一般公開されている。 文学館へ向かって、太宰が「何かあきらめた、底落ち着きに落ち着いている」とその印象を書いていた深浦町の1本路を歩いていく。落ち着いてはいるが、前に歩いたことがあるような懐かしさを感じさせてくれる静かな北のまほろばの湊街であ…
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近江街道をゆく その29 彦根城下を散策

ガイドと別れ、これから城下町を散策ということになるが、まず赤字1の四番町スクェアで昼食、それから赤字2、3、4の順に街を廻る。 四番町スクェアは彦根市場商店街が前身で、商店街の再開発を策定し、大正時代の町並みをイメージした商店街が2006年5月に完成したのである。 こんな看板が出ている街の中に入っていく。 この街の…
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金沢紀行 その3 「金沢文芸館」にて 

次に歩いたのは、兼六園の北東に位置する浅野川の両岸である。 具体的には、浅野川左岸の浅野川大橋付近の「主計町茶屋街」と、浅野川右岸の浅野川大橋から梅の橋までの広がりを持つ「ひがし茶屋街」である。 まず、「主計町茶屋街」近くの「泉鏡花記念館」に入った。 記念館は、泉鏡花の生家跡(生家は明治時代の火災により焼失)に建つ…
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歴史・地理雑学 日本という呼称の起源について

 言語の歴史は人類の起源ほどにはわかっていないらしいが、人類の移動・拡散に伴ってどんどん数を増やしていった言語の数は、かって1万種以上もあったということだ。  それが文化のグローバリゼーション(地球規模の文化の均一化)によって、現在は6千語くらいしか話されていないという。  その言語を語族として分類すると大まかに20くらいの…
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2018年 幻の40cmオーバーを撮り損ねた その1

 このところ、毎年4月1日の荒川水系の解禁日には関川村女川の支流のA沢に出かけている。 関川村の女川では合計17匹の尺岩魚を釣りあげているが、その中の15匹はA沢(いろいろと支障があるので匿名で)である。  「最長尺岩魚36cm」を釣り上げたのもこのA沢である。  解禁日の今日の風景であるが、霊峰「光兎山」には山名由来となっ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その8  箱館戦争(旧幕府軍、蝦夷地制圧)

蝦夷地は幕藩体制下では「異域」とされ異国に等しい存在であったため、日本の版図としては認識されていなかった。 一連のロシア南下の脅威により、幕府内ではこれまでの「蝦夷地=異域」という見方から、蝦夷地は「日本の一部」であり早急に移民を送り込んで開拓を行ない蝦夷地の内国化を図る必要があると、はじめて認識されるようになった。 幕府は…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その26 建長寺の仏殿などを見学

三門の次は仏殿である。 この仏殿も重要文化財で、寄棟造となっており単層裳階が付いている。 もとは芝(東京都港区)の増上寺にあった徳川秀忠夫人崇源院の霊屋で、建て替えに際して1647年に建長寺に移築譲渡された。 仏殿の中に入ると、釈迦仏の本尊が多い禅寺としては珍しく、地蔵菩薩像(室町時代の作、像高2.4メートル)が本尊として…
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ジュンチャンと世界を巡る 第62回はニカラグア

 今は憧れの中央アメリカに来ています。  中学生に地理の時間の前に遊んでいた、「グアテマラ、ニカラグア、ホンジュラス、コスタリカ、エルサルバドル、パナマ」という国々が登場しています。  今回は、ニカラグア(国名はニカラグアの地に勢力を保っていた先住民の一つ、ニキラノ族の首長ニカラオがその由来)です。  ニカラグアは…
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木曽川への旅(2008年の旅) その12 南木曽町(なぎそまち)の桃介橋を見学 

木曽川の旅、2日目の9月12日(金)の日程は以下のとおりである。 藪原から妻籠までは案外近く、寄り道しないで行くと1時間で付ける距離で、途中の名勝・史跡等には目もくれず、南木曽町(なぎそまち)を目指した。 南木曽町では馬籠〜妻籠間の8kmを踏破することをメーンに妻籠宿や馬籠宿をしっかり見て回ることが最大の目的。 その他に、前泊…
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東京散歩Ⅱ その17 「寅さん記念館」で寅さんと会う

帝釈堂を出て、これから「寅さん記念館」に向かう。 ここは葛飾柴又の旅で最も楽しみにしていた場所で、ここで寅さんの世界にゆっくり浸りきりたかった。 歩いて5分ほどで「寅さん記念館」に到着した。 撮影セット「柴又帝釈天参道」で、寅さんの少年時代から故郷の柴又へ帰ってくるまでの物語を聞きながら、帝釈天参道のセットの中を歩いて…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その10 円覚寺薬師堂を訪れる

それでは、深浦町の散策である。   赤地に白文字で表記された箇所が、深浦で太宰治が訪れた場所である。円覚寺、料亭二葉、秋田屋旅館、元郵便局、海辺、元灯台である。 まず、円覚寺である。太宰は円覚寺訪問をこう書いている。駅から真っ直ぐに一本道をとおって、町のはずれに、円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は、国宝に指定されているという…
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近江街道をゆく その28 絶景の彦根城と玄宮園をゆく

これから天守を下って、第四代彦根藩主井伊直興によって造営された江戸時代の大名庭園である玄宮園に向かって歩いていく。 その途中でガイドが立ち止まって、要所要所の見所を説明していく。 ここが、先ほど天守から説明のあった搦手門(からめてもん)である。 実際に門があった当時は、ここを人一人がやっと通り抜けて城から脱出していったのだろう。 …
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その5 ハルツーム

   青ナイルのほとりで  ナイル河の旅、アブシンベルを南下すれば、そこはスーダンの国となる。  「スーダン」、アラビア語で「黒い人」を意味する。もともとスーダンは西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称。  現在のスーダンは、歴史的には東スーダンと呼ばれた地域。  人口…
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原体剣舞連(はらたいけんばいれん) 宮沢賢治の詩

原体剣舞連(はらたいけんばいれん)            (mental sketch modified)    この詩は、賢治が1922年8月30日から31日にかけ種山ヶ原に地質調査に出かけたおり、下山途中で田原村原体(現・奥州市江刺区田原)で見た民俗芸能・原体剣舞を見たことが元になり、『春と修羅』に「原体剣舞連(…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その6 北上川 NO1  宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」 

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」十数名と出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その7 歴史発見ゾーンで五稜郭と箱館奉行所の歴史を学ぶ

渡り廊下を渡りきると、見学場所は歴史発見ゾーンとなった。 ここには、箱館奉行所の役割や五稜郭のこと、箱館戦争のことなどが詳しく展示資料で説明されていた。 ここでの資料を参考にしながら、箱館奉行所や戊辰戦争最後の戦争である箱館戦争のことなどについて記していきたい。 まず箱館奉行所だが、江戸時代後期になって新たに設けられた江戸幕府の役…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その25 鎌倉五山別館で昼食後、建長寺を見学

お昼を過ぎたので、建長寺の前にある鎌倉五山別館で昼食とした。 建長寺はけんちん汁が生まれた寺であり、この店では看板メニューがけんちん汁となっていた。 食べたのはけんちん汁と山菜ご飯がセットされているけんちんセットで値段は1,250円、  サッポロ黒ラベル中瓶が500円で、合わせて1,750円の豪華な昼食となった。  …
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その27 春日山林泉寺で墓巡り

春日山林泉寺は、ほぼ墓巡りだけである。 ここで一番目に付くのが、直江兼続と妻お船の墓である。 直江兼続は40歳から20年間を米沢でお船と過ごした。 米沢は壮年からの、兼続が人生の最も充実した時期を過ごし、その足跡を最も多く残した土地である。 直江兼続は主君の命により名門直江家の婿となったが、妻となったお船は再婚で…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その4 僕の青春の旅はSFから始まる!!

オムカレーの朝食後,道の駅「いいで」を出発し,南陽市で国道113号線から国道13号線に入った。山形市に入ってすぐに渋滞がしばらく続いたが,そう長い渋滞でもなく,山形蔵王インターチェンジから高速道路「山形自動車道」に乗り入れた。カーナビシステムは非常に便利で,目的地を入力するとそこまでの最短距離と時間が表示され,その指示に従って走っていけ…
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木曽川への旅(2008年の旅) その11 駅前旅館の井筒屋旅館で夕食タイム 

宿に帰ると、時間は午後6時に近かった。 風呂に入り、しばらくすると夕食が出た。 岩魚の味噌かけ塩焼き、マグロの赤みの刺身、ミョウガの酢の物、鶏肉とキノコの一品、ソバ、キュウリの漬物、サヤエンドウと一緒の黄色い食材は不明。 これらをアサヒスーパードライと共に美味しくいただいた。 1泊2食付きで7,500円で予約したが、ビールの追加…
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東京散歩Ⅱ その16  帝釈天を歩く

昼飯を食べ少し歩くと、柴又帝釈天が見えてきた。 寺の正式名称は経栄山題経寺である。 なお、帝釈天は本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、地元では、題経寺の略称として用いられることが多い。 ではさっそく、1896年に建立されたというこの二天門から入っていく。 初層の左右には四天王のうちの増長天および広…
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「オホーツク街道」の旅 その27 植物研究家の米原ふさ子さんに案内されてオムサロ遺跡を見学

 オムサロ原生花園の国道を挟んだ反対側に、北海道指定史跡「オムサロ台地竪穴群」の一画に整備されているオムサロ遺跡公園がある。  標高10mから15mのオムサロ台地には、縄文早期から続縄文、オホーツク文化、擦文、そしてアイヌ時代と、各時代の生活の痕跡が途切れることなく残っており、その期間は何と約1万年と考えられている。  公園内に入る坂…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その9 深浦の かまど屋でそばを食う

深浦には昼頃に到着した。まず、飯を食べ、それから深浦の街を歩こうと考えた。真言宗のお寺である円覚寺(えんがくじ)の前の広いスペースに車を停めた。 適当な食堂を探したが見当たらなかったので、車を停めた円覚寺前に戻って来た。円覚寺前には「かまど屋」というそば屋があった。 最初目に付いた食堂で、結局昼食となった。無…
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近江街道をゆく その27 天守にて

天守に入り、天守から北の方角を眺めた。 森の向こうの広大な平原は、城の建てられた当時は琵琶湖の内海だった。 遥か向こうに山脈がありその一部が途切れているが、琵琶湖から途切れている場所を抜けて帆かけ舟が城に入ってきて、お殿様はその光景が大好きだったという。 そういえば司馬遼太郎は「街道をゆく 近江散歩」の中で、中学生の頃に安…
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金沢紀行 その2 兼六の園を歩く

ところで、兼六園とは「宏大」「幽邃(ゆうすい)」「人力」「蒼古」「水泉」「眺望」の六勝を兼ね備えているという理由でつけられた名である。 この六勝を共存させるのは難しく、宋の時代の書物「洛陽名園記」(北宋の済南の詩人、李格非が撰じた、洛陽の19の名園の紹介文)の中では湖園のみがこの六つの景観が共存していると記されている。 兼六園は洛陽…
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2018年渓流釣り場の下見 その2

関川村の春はまだまだ、従って本格的な渓流釣りのシーズンもこれから一月後となる。  女川の様子はある程度わかったので、今度は藤沢川を最上流の田麦集落まで上がって、イワナ釣場の現状の確認もしてみることにした。  これは藤沢川中流域の中束(なかまるけ)集落にある中束橋上からの藤沢川上流の景色であるが、春満開の頃とは違って華やかさやカラ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その6 箱館奉行所を見学

五番目の見学場所は、メインとなる箱館奉行所である。 函館奉行所の歴史は、北海道の近世から近代へかけての歴史でもある。 まず奉行所の見学を先に始め、それからじょじょに函館奉行所の歴史に入って行く。  これが再現された函館奉行所である。 では、箱館奉行所に入っていく。  玄関には、日本語(ローマ字と漢字)と英語とハングル語…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その24 長寿禅寺に立ち寄り亀ヶ谷坂切通しを歩く

明月院の次に、予定になかった長寿禅寺に立ち寄った。 この寺は臨済宗建長寺塔頭寺院で、いただいたパンフレットによると、1336年に足利尊氏邸跡に創建され、諸山第一位の列に定められた。 尊氏没後、初代鎌倉公方足利基氏が父尊氏の菩提を弔うために七堂伽藍を備えた堂宇を建立した。 足利尊氏ゆかりの寺ということで、庭も建物もな…
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ジュンチャンと世界を巡る 第61回はエルサルバドル

 今は憧れの中央アメリカに来ています。  中学生の頃、地理の時間の前に遊んでいた、「グアテマラ、ニカラグア、ホンジュラス、コスタリカ、エルサルバドル、パナマ」という国々が登場しています。  今回は、エルサルバドル(スペイン語で救世主を意味する)です。  エルサルバドルは、中央アメリカ中部に位置するラテンアメリカの共和…
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木曽川への旅(2008年の旅) その10 「野麦街道」、そして鰤(ぶり)街道

そして、「ああ野麦峠」で有名な「野麦街道」である。 野麦街道は飛騨高山と松本を結ぶ道で、江戸時代、飛騨から江戸への最短距離であったため盛んに使われたが、主な道は梓川右岸を通る山道と、中山道藪原から境峠を越える本道の二本のルート。 梓川右岸を通る山道が黄線の道、現在はこの道が野麦街道として整備されている。 中山道藪原から境峠を越…
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東京散歩Ⅱ その15 柴又の街を歩く

柴又の街は最初から楽しそうである。 洒落のわかる方のお土産に、金のうんこという土産物まであった。 柴又橋を渡って、のんびりしながらも拡張のある柴又の街を歩いていく。 しばらく歩くと、帝釈天参道の表示版が天井に掲げられていて、どうやらここが柴又帝釈天へと続く参道の入口のようである。 参道を歩いて10分程で、どこから…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その8 深浦まで

黄金崎不老不死温泉の次は深浦である。五能線の「18ウェスパ椿山駅」から車で5分のところにある温泉から深浦までは、五能線で「19艫作駅(へなしえき)」、「20横磯駅(よこいそえき)」、「21深浦駅(ふかうらえき)」となり、三つ目の駅となる。 ここからは、津軽人「太宰治」が、僕の旅に加わることになる。太宰治はあまりに有名な小説家なので、彼…
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近江街道をゆく その26 彦根城天守に立つ

ガイドと楽しくブラタモリ風に見学しているうちに、目指す天守が近くなってきた。 ただ、なかなか目指す天守は目の前に現れてこない。 こんな坂がけっこうだらだらと続いていく。 ガイドはこの坂を左に曲がって、先ほど見た天秤櫓の中に入った。 ここでも、ガイドは天秤櫓についていろいろと詳細に説明してくれたが、そのことはここで…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その4 アスワン (難問付きです!!)

    ナイル河から見たアスワン市街  アスワン(Aswan)は、エジプト南部の都市でカイロの南899km、ナイル川の東流域に位置する。  市街地は、エジプトの国家の一大事業であったアスワン・ハイ・ダムとその前に建設されたアスワンダムの間にあり、 市内には、アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞台と…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その5 利根川 NO3 萩原朔太郎と西脇順三郎

 朔太郎のことを思いながら前橋に到着した僕は、最初に前橋文学館へ行きたかったが、道を聞いた70代位の女性に、随分疲れているようだからホテルに直行しなさいと言われ、そうすることにした。  今日の宿泊先は、前橋サンホテルという名のビジネスホテルで、国道17号にも国道50号にも近い、前橋の繁華街の裏通りに合った。  何回か手を入れてはいる…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その5 五稜郭タワーに上がる

五稜郭は、江戸時代末期に蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)に建造された稜堡式(三角形の突端部を持つ)の星型城郭である。 この五稜郭をまず上空からみようと、隣接する五稜郭タワーに上がった。  五稜郭タワーは、函館市の特別史跡五稜郭に隣接する展望塔で、1964年に五稜郭築城100年を記念して高さ60mの旧タワーが開業、その後…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その23 明月院を歩く

鎌倉五山第4位の浄智寺の次は、午前中の最後となった明月院ブルーとよばれる紫陽花で有名な明月院である。 寺までの道中が田舎道で、道路脇の川の流れの音や11月7日というのに季節外れのような鈴虫が鳴いていて、野鳥の鳴き声も聞こえてきて、自然の発する音に癒されながらの散策となった。 ふと左方を見ると、ちょうど紅葉して枯れた1枚の葉が木か…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その26 直江屋敷跡から春日山林泉寺へ 

上杉鷹山に思いを残しながら東光の酒蔵を出た。 それから赤矢印のように歩いて、青星印の場所にある直江屋敷跡に到着した。 モダンな住宅の横が空き地になっているが、この一角に直江屋敷があったと伝えられている。 直江兼続は後継を残さなかったため、兼続・お船夫妻の死後直江家は断絶し屋敷も廃された。 そのため現存最古…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その3 青春の旅のスタートは、こだわりの「オムライス」と「別れの曲…

恒例の夏季行事である源流釣行の旅は始まり,僕は,旧北上川の河口の街である石巻を目指し,自宅を出発した。 一日目の日程である。  愛車の「スバルレガシーツーリングワゴン2000TX」には今年の5月27日にカーナビシステムを取り付けたので,今までの旅とどう違った旅になるかも楽しみの一つとなった。 既にカーナビシステムを使用…
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木曽川への旅(2008年の旅) その9 アララギ派の重鎮「伊藤左千夫と野菊の墓」

この子規の弟子が伊藤左千夫。彼は「歌よみに与ふる書」に感化され、正岡子規に師事し、子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となって、斎藤茂吉、土屋文明などを育成した。 伊藤左千夫は歌人であり、代表作「野菊の墓」で有名な小説家でもある。 本名は幸次郎、上総国武射郡殿台村(現在の千葉県山武市)の…
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東京散歩Ⅱ その14 柴又駅前の寅さん

「矢切の渡し」から再び葛飾柴又に戻っていく。 時間も戻して、葛飾柴又駅に着いたときから話を進めていく。 ここは葛飾柴又駅で、改札ゲートにキップを入れて、ゲートを通り抜けたところである。 東京の電車の旅は、電車が引っ切りなしに来るので、そう時間を気にしなくてもいいので気楽である。 先日友人が訪ねてきて、どの交通機関で旅するのが…
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「オホーツク街道」の旅 その26 今日の昼食は、「韃靼コロッケそば」

 枝幸に別れを告げ、オホーツク国道を南東に下っていく。  海はどこまでも青く、森は深い緑の中、今は北海道の自然が黙っていても笑いかけて来るような季節である。  雄武町に入ってまもなく、幌内川を通り過ぎた。この川の上流には北見山地が広がり、明治・大正の頃は上流のほとんどの場所から砂金がとれたという。  ここから網走までは164…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その7 黄金崎不老不死温泉に行く その2

鉄さび色の内風呂を上がり、シャワーを使ってたっぷり鉄分に浸かった全身の皮膚を良く洗い流し、タオルでしっかり水分を拭き取り、下着から上着まで順に衣類を着る。 そして、ようやく目的の露天風呂に向かって歩き出した。  海辺の露天風呂まで、真っ直ぐな道が続いている。 ここの露天風呂は風呂に浸かりながら海に沈む夕陽が眺められるの…
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近江街道をゆく その25 彦根城の防備の仕組み

これから天下の名城として名高い彦根城に登る。 しかし漫然と見ても何も面白くないので、2時間案内で1000円のボランティアガイドを頼んで、この方の説明を聞きながら彦根城を散策した。 まず、このおもて坂を登っていく。 城は敵が攻めてくるのを前提に造られているので、彼らが攻めてきた場合に混乱するように、階段の高さや幅を不揃いにしてあ…
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金沢紀行 その1 旅の始まりは兼六園から

2015年には「越前と若狭の旅」のプロローグで7月26日に、2017年には「能登(日本道)への道」のエピローグで5月22日から24日まで、計4日間金沢を旅した。 目的の旅のプロローグとエピローグの旅とはいえ、金沢は旅人にとっては魅力的な街で、このまま埋もれさせることもできなかったので、今回この4日間の旅のことを書いてみることにした。 …
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2018年渓流釣り場の下見 その1

関川村を流れる女川やその支流の藤沢川は荒川本流の支流で、荒川でのイワナ・ヤマメの解禁は毎年4月1日からである。 以前は別の川で3月解禁に合わせて釣行に出ていたが、積雪やスギ花粉に悩まされたりしていい思い出もないので、僕の渓流釣りの解禁はここ数年は4月1日である。 解禁前の事前下見ということで、このところ3月下旬になると釣り場視察とい…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その4 ローソンで朝食タイム

 絶景街道とお別れし、長万部へ入った。  ここからは内浦湾沿いに海沿いの道を進むことになる。  小樽から150km程進んだところで午前8時を過ぎ、空腹感もかなり進んだので、長万部の入口辺りのローソンで朝食タイムとした。   ローソンは北海道ではどこにでもあるコンビニで、今回の旅では特にお世話になった。  ところで、コ…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その22 浄智寺を見学

東慶寺の次に、鎌倉五山第4位の格式の高い臨済宗円覚寺派の浄智寺に行った。 この浄智寺は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために1283年に宗政の妻と兄北条時宗により創建された寺である。 総門の前には、鎌倉十井のひとつである甘露の井がある。 水道が普及する以前は海辺の町である鎌倉、潮混じりの湧き水…
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ジュンチャンと世界を巡る 第60回はホンジュラス

 今は憧れの中央アメリカに来ています。  中学生に地理の時間の前に遊んでいた、「グアテマラ、ニカラグア、ホンジュラス、コスタリカ、エルサルバドル、パナマ」という国々が登場しています。  今回は、ホンジュラスです。  ホンジュラスは、中央アメリカ中部に位置する共和制国家で、西にグアテマラ、南西にエルサルバドル、南東…
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木曽川への旅(2008年の旅) その8 藪原宿の散策(子規達の世界)

東西文化の十字路となった藪原で、もう少し子規達の世界に浸る。 子規は、慶応3年(1867年)9月に伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)に松山藩氏・正岡常尚・八重の長男として生まれた。母八重は藩の儒学者大原観山の長女。 彼は、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の一人でもある。 小学校時代に竹馬の友・秋山真之と出会う。 …
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東京散歩Ⅱ その13  「矢切の渡し」で舟に乗る  その2

130mの川幅が1300mにも感じられるほどの手漕ぎの渡し舟の旅も、いよいよ対岸の目的地まであと僅かのところまで来た。 対岸の岸辺には翡翠の巣があるという説明があったが、肉眼では確認出来なかった。 翡翠はこの江戸川に多分何つがいか生息して、渡し舟よりももっと自由に、川を飛翔しているのであろう。 そんなことを考え…
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古代エジプト人の食事は意外とリッチ

古代エジプト人はナイル流域に定着したその時から、ひたすら小麦(エンマー小麦)で作ったパンを主食に、大麦はビール(スープに近い)にして暮らしてきた。 パンとビールが主食。 あとは、川でとった水鳥や魚、ナツメヤシなどの木の実や野菜。 エジプトは砂漠の国だが、川沿いなので食べられる野草が多く、野菜も作っていて、タマネギや…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その7 黄金崎不老不死温泉に行く その1

十二湖の次は赤字1の黄金崎不老不死温泉、その次に赤字2の太宰治の待つ深浦である。まず、黄金崎不老不死温泉を目指した。 黄金崎不老不死温泉(こがねさきふろうふしおんせん)は、青森県西津軽郡深浦町舮作にある温泉。日本経済新聞で連載されて選定された日本百名湯の中には入っていない。ここに選ばれているのはそうそうたる温泉ばかりで、青森県…
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近江街道をゆく その24 彦根城博物館を見学

彦根城は江戸時代初期に、彦根市金亀町にある彦根山に鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。 山は金亀山(こんきやま)との異名を持つため、城は金亀城ともいい、多くの大老を輩出した譜代大名井伊氏14代の居城であった。 彦根城の敷地は広く、外堀、中堀、内堀に囲まれていて、この内堀を眺めながら表門から城内に入…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その3 ルクソールにて

   ルクソールの王家の谷から見上げたエル・クルン山 ↑  この山をピラミッドに見立て、王や王妃の墓を作った。  古代エジプトの歴史の概要だが、紀元前3000年頃から統一王朝が始まる。  第1王朝から第30王朝まであり、30もの違う血の王が国を治め、その後ギリシャ人の制服王朝プトレマイオス王朝となり、クレオ…
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ガルシア・ロルカの『ジプシー歌集』から夢遊病者のロマンセ

ラテンアメリカは大航海時代のスペイン、ポルトガルに発見され植民地化されて今日に至っているので、良かれ悪しかれ、この両国の影響を今でも引きずっている国々がほとんどである。 この両国の好みがラテンアメリカ人気質にも反映して、ロルカはラテンアメリカ人には人気のある詩人である。 彼は、多芸の人で音楽家、ピアニスト、画家等も兼務し、その才能を…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その5 利根川 NO2 朔太郎の妹「アイ」と初恋の女「馬場ナカ…

 アイは朔太郎の美人4姉妹の末の妹であるが、アイで思い出すのが三好達治である。  以前三国湊を旅した際に、世に名高い遊郭地帯で料亭を営んでいた「たかだや」跡を通ったことがある。 「たかだや」は昭和を代表する詩人三好達治が、1944年から1949年までの5年間この三国に疎開し、戦争後頻繁に通って三國湊の風情に親しんだ料亭である。  三…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その3 霧と雲の絶景街道をゆく 

 平成26年6月23日、午前3時くらいに目覚め、それから北海道着岸の準備をした。 自動販売機のモーニングコーヒーは1杯300円、それを美味しくいただいた。  今日の日程はこうなっており、まず函館を目指す。  函館までの経路だが、ほぼ函館本線に沿って、黄線上を余市、倶知安、蘭越、長万部と進んで行く。  長万部が小樽…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その21 東慶寺を歩く

次に、円覚寺とJR横須賀線の線路を挟んで向かい側に立地している東慶寺(鎌倉尼五山二位)に向かった。 東慶寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、この寺の開山者である覚山尼は円覚寺を開山した北条時宗の夫人である。 夫と妻の開山となる寺が線路を挟んで向かい合って建てられているのは、鎌倉を旅するものにとっては微笑ましい情景である。 東慶寺は正面…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その25 東光の酒蔵で鷹山にふれる

米沢織物歴史資料館を出て東光の酒蔵(さかぐら)に向かった。 東光の名で知られる小嶋総本店は、1597年創業の米沢藩上杉家御用酒屋であり、江戸時代頻繁に禁酒令が出された中でも、酒造りを許されていた数少ない造り酒屋のひとつ。(当時米は貴重品であり、飢饉のたびに禁酒令が出された。) 東光の酒蔵は、昭和59年4月に古い酒蔵を原形…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その2 宮沢賢治と石川啄木を訪ねる三度目の旅

北上川への二度目の旅は、ここでは省略する。  三度目の旅は、宮沢賢治と石川啄木を訪ねる旅となった。 宮沢賢治や石川啄木にとって北上川は、「北上川で産湯を使い・・」と言われるほどの川で、彼等にとっては故郷そのものの川であり、青春の川であった。今日の北上川の旅は,宮沢賢治の花巻と石川啄木の 玉山村 に途中下車ということになるが、この寄り道…
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木曽川への旅(2008年の旅) その7 藪原宿の散策(湯川酒造店など)

 笹川から宿へ戻ると午後4時に近かった。  これから藪原宿の散策ということになる。  井筒屋旅館は藪原の街並みの中にはなく、藪原駅の前で営業している、いわば本当の駅前旅館である。  藪原宿の街並みは、中央本線と木曽川に挟まれ、駅前から鳥居峠の方向へ向かって続いている。  鳥居峠を控えた藪原宿は中山道の中間地点であり、…
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東京散歩Ⅱ その12  「矢切の渡し」で舟に乗る

千住を終えて、千住大橋駅から京成本線、京成金町線と乗り継ぎ、渥美清の映画「男はつらいよ」の舞台である葛飾柴又駅に降車した。 ホームを降りてから線路を横切り、反対側の駅舎から柴又の街に出た。 駅から少し歩いて後ろを振り返ると、映画「男はつらいよ」の主人公である「フーテンの寅さん」が旅に行ったり旅から帰って来たりする度に通っ…
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「オホーツク街道」の旅 その25  「オホーツクの物語」が学べるオホーツクミュージアムえさし

 目梨泊から枝幸町に戻り、オホーツクミュージアムえさしを目指す。  宿泊先の大崎旅館が地図真ん中右手に記載されている梅ケ枝町、目指すオホーツクミュージアムえさしは地図の真ん中左手にある。  ここでは町内の遺跡から発掘された住居跡や出土品を基に、復元したオホーツク期の原寸大の竪穴式住居を中心に、オホーツク海と流氷、オホーツクに生きる動物…
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マグリブのベルベル人

マグリブとは マグリブとは「日没の地」という意味で、西アラブをさし、今日のモロッコ・アルジェリア・チュニジアを中心として、リビア・モーリタニアを含めた5カ国をさす。(アラブ・マグリブ連合:上記5カ国が1989年に結成)ベルベル人とは マグリブに住むベルベル語を話す先住民族で、先史時代から北アフリカからサハラ砂漠にかけて住んでいた。人…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その6 十二湖「青池」への道その2

キョロロでアイスを買い、それを食べながら⑨鶏頭場の池の脇の道を進んだ。青池はこの池の奥の、森の中にあった。青池を見学するため、手すり付きの木製の遊歩道が設置されており、遊歩道をいくらも歩かないで、青池の看板が設置されている見学地点に到着した。 青池は十二湖の中でも最も奥にあり、そこは十二湖駅から5.3km離れた森の中。 …
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近江街道をゆく その23 姉川古戦場跡で

小谷城跡から20分ほど走って、滋賀県北東部の旧浅井町(現長浜市)の「浅井三姉妹の郷」で昼食とした。  本駅は2016年3月にプレオープンし、僕がここに立ち寄ったのはこの期間で、2017年3月から正式に開業する予定となっていた。  駅の中で自然薯や地域の伝統料理中心のメニューで店を構えている自然薯茶屋「浅井家」で昼食と…
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甲州街道と佐久平みち その29 、「甲州街道と佐久平みち」の終わり 

午後3時過ぎにはアクアホテル佐久平に到着した。  このホテルは北陸新幹線の佐久平駅浅間口より徒歩1分の距離にあり、139室の客室と朝食会場を備え、最上階には佐久平市内を一望できる展望風呂を持っている。夕食は、佐久平駅浅間口裏の八風水産市場隣にある市場直営の寿司割烹八風で食べた。 明日は新潟へ帰るので、今夜は最後の晩餐となる。 …
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続 思い出の中の川 第22回 月光川 その2 月光川上流で再度ヤマメ釣り

月光川の送り人のロケ地で1時間程釣りをして23cm程のヤマメを釣り上げたが、ここにはどうやらこの一匹しかいないようだった。 午前10時頃に、この絶景の場所でお湯を沸かし、カレーラーメンを作って間食とした。 それから月光川の上流に向かって車を走らせ、そこで再度月光川での釣りに挑んだ。 &a…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その2 「船内コマ回し大会」に参加

 新潟〜北海道航路就航40周年記念イベントで、畳敷きの昭和時代の部屋が船内で設定されていて、あの時代の遊び道具が置かれていた。  あの頃の思い出が頭の中に甦ったが、ここは見学だけで済ませた。  特2等の個室部屋で休んでいた時に船内放送が入り、午後1時15分から5階のビデオシアターで新潟〜北海道航路就航40周年記念イベ…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その20 円覚寺を歩く

円覚寺入口の階段を上がると、まず瑞鹿山の額が掲げられている総門である。 創建当時の伽藍配置は総門・三門(山門)・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ典型的な禅宗様伽藍配置であったが、現在法堂は失われている。 円覚寺の主な創建理由は文永の役と弘安の役の戦没者の慰霊を弔う為であるが、執権時宗の精神的支柱となった禅道を広めるためもあった。 …
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ジュンチャンと世界を巡る 第59回はグアテマラ

 とうとう憧れの中央アメリカに到達しました。  ところで僕が中学生の時のことですが、地理の時間の初めや終わりに、国の名前を交互に出来るだけ多く言い合う遊びが流行っていて、このゲームに勝つ秘訣を、僕は持っていたのでした。  それはメキシコの南、南米の北の中央アメリカの訳のわからない名の国をしっかり暗記していたことで、相手が暗記している…
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木曽川への旅(2008年の旅) その6 笹川源流地帯でアマゴを釣る

木曽川源流ふれあい館見学後は、すぐ近くにある味噌川ダムを眺め歩いた。 このダムのずっと奥に木曽川源頭が存在するが、そこへ行く技術も体力も時間も持ち合わせていないので、この辺で奥木曽湖とお別れである。  赤楕円の地を後にし、これから向かうのは赤星型印の笹川源流地帯、ここで源流釣行に挑むことになる。  なお、この近くには「平成の…
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東京散歩Ⅱ その11 「矢立初芭蕉像」や「やっちゃ場跡」 を見学

このあと旧日光街道沿いに歩いて、「矢立初芭蕉像」や「やっちゃ場跡」を見てまわった。 まず最初は、「矢立初芭蕉像」である。 千住宿奥の細道と書いてある建物の右手前にある「矢立初芭蕉像」の前で、ここへ来たという証拠を残すために記念撮影した。 千住宿奥の細道プチテラスから5分程歩くと「やっちゃ場跡」である。 「やっちゃ場」とは…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その5 十二湖「青池」への道その1

日本キャニオン制覇の次は十二湖の「青池」制覇を目指す。 八景の池からスタートし、②二つ目の池、③王池西湖、④王池東湖、⑤越口の池、⑥中の池、⑦落口の池、⑧がま池、⑨鶏頭場の池、そして最終目的地となる⑩青池へ到達。 十二湖を構成するこれらの湖は、1704年の能代地震による崩山(くずれやま、標高939.9m)の崩壊で塞き止め…
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近江街道をゆく その22 小谷城跡を歩く

 国友から小谷城跡に向かった。 戦国時代、「近江を制するものは天下を制す」といわれたほど、近江は天下を左右する重要な位置にあり、数多くの戦乱の場となり多くの城郭が築城された。小谷城は長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城で、日本五大山城の一つに数えられている。 城は戦国大名浅井氏の居城として標高約495m小谷山…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その2 カイロにて 

  宿泊したホテルからギザの三大ピラミッド遠望  ↑  カイロ(Cairo)は、エジプトの首都であり、ナイル川河畔の交通の要衝の地として、イスラム世界における学術、文化、経済の中心都市となっている。  現在、カイロ首都圏の人口は1500万程、中近東やアフリカ大陸の中で最大の人口を誇っている。  ナイル川が形…
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恋を恋する人 蝶を夢む いかにも萩原朔太郎っぽい詩

恋を恋する人 わたしはくちびるにべにをぬつて あたらしい白樺の幹に接吻した。 よしんば私が美男であらうとも わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいの匂ひがしない わたしはしなびきつた薄命男だ ああなんといふいぢらしい男だ けふのかぐはしい初夏の野原で きらきらす…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その5 利根川 NO1 萩原朔太郎のまち「前橋」へ向かう

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その1 カーフェリーで時間旅行を楽しむ

 松前街道の旅のスタートとなった2014年6月22日(日)は、新潟では小雨、乗船してからは曇りのち晴れの天候だった。 新日本海フェリーの新潟⇒小樽便は、午前10時半出発で翌日の午前4時半に小樽到着となる。  乗船したフェリーはライラック号である。  ちなみに、北海道の花は浜なす、ライラックは札幌市の花である。  旅客定員や車両…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その19 ホテルニューカマクラから北鎌倉へ

11月7日(土)の日程である。 午前中に北鎌倉のお寺を巡り、午後から鎌倉アルプスハイキングコースを歩く予定。 今夜の宿泊先だが、土曜日はどこのホテルも料金が高く設定されている場合が多く、ホテルシャングリラ鶴岡も例外ではなく土曜日の宿泊料金が1万円を軽くオーバーしていたので、急きょホテルニューカマクラに宿を予約した。 このホ…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その24 再び「うこぎ垣の米沢の町」を散策

それでは再び、2009年9月16日(日)の米沢に時を戻す。旅は『最上川と「おくのほそ道」の旅』、時間は午前9時41分である。 上杉博物館を出て、うこぎの垣根のある通りを歩いている。黄星印の場所を、これから順番に見学していく。 米沢市にある私立高等学校、九里学園高等学校(1901年に九里裁縫女学校が『九里とみ』によって、女性と…
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