奈良大和路散歩(2016年の旅) その9 崇神天皇陵を見学後、「卑弥呼庵」で小休止
長岳寺の次は、崇神天皇陵と景行天皇陵を目指す。

まず、崇神天皇陵へ行く。
崇神陵は宮内庁により「山邊道勾岡上陵」として大和朝廷の創始者とされる第10代崇神天皇の陵に治定されているが、実際の被葬者はそれ程定かではなく、最近では陵墓の所在地から「行燈山古墳」と呼ばれている。

前方のこんもりした森で覆われた山全体が崇神天皇陵である。
全長約242m、後円部径約158m、口縁部の高さ約31m、前方部の幅約100m、前方部の高さ約13.6m、周濠を含めた全長は約360m、最大幅約230mの巨大な前方後円墳となっている。

崇神天皇陵は近くに寄ってみるとその大きさが理解出来るが、写真では陵の全体は捉えられず、陵の周囲には水をたたえた周濠をめぐらしている。
築造された年代は4世紀後半(古墳時代前期後半)の早い時期と推測されている。
宮内庁の管轄する古墳で中に入ることはできないので、周濠に沿って陵の周囲を歩いてみた。

崇神天皇と治定される大和国の大王は、鬱蒼と繁茂する原始さながらの大森林と満々と水を湛えた周濠に守られて、太古から続く永遠の眠りに付いていた。

崇神天皇陵に別れを告げ、引き続き景行天皇陵を目指し、山の辺の道を歩いていく。

途中に「卑弥呼庵」という和風喫茶店があったので立ち寄って小休止、時間は午後2時20分になっていた。
「卑弥呼庵」はご主人が自宅の日本間家屋を開放して始めたという和風喫茶店で、お茶の先生である奥様が点てる抹茶や、ご主人考案のコーヒーフレッシュを茶せんで泡立てた和風コーヒーを座敷や縁側でいただける。

僕はご主人(60代後半の方)の山東政幸さんと気楽な話をしながら、抹茶と和菓子のセットをいただいた。
ここで山東さんと話した内容は、1 あす尋ねる予定である卑弥呼の墓とされる箸墓古墳や、邪馬台国がここにあったとされている纏向遺跡のこと。(山東さんは纏向遺跡発掘時に現地を何度か訪れていて、その時の資料を見せていただいた。)
2 山の辺の道の現状(ここを旅するツーリストへのサービスとなる食事どころが少なく、コンビニ弁当に頼らなければここを十分楽しめない不便な現状など)、3 古墳など日本古代の史跡・旧跡の真っ只中で生活すること。(年寄りとなった今は現在の生活に満足しているが、若い頃はこの生活が嫌で都会に憧れたことなど)
「卑弥呼庵」の居心地が良くて、午後3時ころまで40分程ここで小休止した。

「卑弥呼庵」の縁側からは、太古(縄文時代または弥生時代)から、原始信仰(自然物崇拝)の対象であり、ヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が山麓に存在したと考えられている三輪山のなだらかで秀麗な姿がはっきりと見えた。
僕にとっては、これが初めて見る三輪山であった。
この記事へのコメント