最悪の疫病地帯サッドで生活するディンカ族

 まず、最悪の疫病地帯サッドで生活するディンカ族を野町和嘉氏と一緒に紹介する。                                        ↑  野町和嘉、彼も探検家列伝に加えたヨ 野町氏は高知県出身の高名な写真家で、一貫したテーマは、過酷な風土のもとでの人びとの強靭な生きざまへの憧憬であった。         …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その20 喫茶店「駅舎」で昼食タイム

芦野公園駅に到着である。 太宰治の小説『津軽』の中で、金木町の町長が上野駅で芦野公園駅までの連絡乗車券を購入しようとした所、出札係員に「そんな駅はない」と言われ激昂し、押し問答の末とうとう発券させたというエピソードが紹介されている田舎の小さな無人駅である。 小説「津軽」の中ではこんな名場面が登場する。 「窓から首を出してその小…
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大阪散歩 その31 「街道をゆく 紀ノ川流域」の旅の始まり

 司馬さんの「街道をゆく 河内みち」を訪れる旅であったが、ほぼ計画通り旅することができ、満足して帰路についた。 その途中、大阪府富田林市にあるPL教団の大平和祈念塔(正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」)が遠くに見えた。 高さ180mもあるもので粘土細工のような造形の白い塔とのことだが、一度近くで見てみたいと思…
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秋田県散歩(2015年の旅)その13 秋田県立博物館に到着

 象潟で芭蕉の旅とはお別れである。 今日は20015年5月12日、これから秋田市まで向かうが、ほぼ1時間半もあれば秋田市へ到着となる。 これからが本格的な秋田県への旅、そしてここから、僕の旅は菅江真澄の旅と足跡をたどり訪ねる旅となる。 冒頭に記したが、「司馬遼太郎も秋田県散歩の中で多くのページをさいているように、菅江真澄は…
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探検家の歴史 第4部 その5 近藤重蔵(探検家として人間として、尋常でないレベルに達した人)

 近藤重蔵(1771年〜1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣で探検家である。間宮林蔵、平山行蔵と共に文政の三蔵と呼ばれている。  1771年に身分の低い貧しい武士である御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれ、山本北山に儒学を師事した。  幼少の頃から神童と言われ、8歳で四書五経を諳んじ1…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO3

 かくのごとき誤解はわれわれのうちからすみやかに消え去ってゆく。 商業上の必要に迫られて欧州の国語が、東洋幾多の港に用いられるようになって来た。 アジアの青年は現代的教育を受けるために、西洋の大学に群がってゆく。 われわれの洞察力は、諸君の文化に深く入り込むことはできない。 しかし少なくともわれわれは喜んで学ぼうとしている。 私の同国人…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その59 渡島半島一周の旅 岩内まで

松前街道の旅は2014年6月29日(日)に江差で終了したが、この旅は渡島半島一周の旅も兼ねていた。 黄色い実線部分がこれまで旅した渡島半島部分で、赤い実線部分と緑の実線部分がこれから旅する渡島半島部分である。 ではさっそく、6月30日(月)に旅した江差から岩内までの部分をたどってゆく。 江差を出て最初の目的地は今金、この町の開…
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耽羅紀行(済州島の旅) その27 絶景のオルレ道で海女(ヘーニョ)に出会う

 オルレ道の途中で海の見える地点があったので、ヤンガイド一行は小休止となった。  ヤンガイドは僕らに「皆さん見えますか、あのオレンジ色の浮きのある場所に海女さんがいます。仕事してます。」と指差した。その方向へ、僕もビデオカメラを向けた。  この主にオレンジ色の四角の中に、海女さんたちがオレンジ色の浮きの横で浮いたり潜った…
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直江兼続の旅 その15 大地の芸術祭

 バードガーデン周辺は「大地の芸術祭」の会場となっていた。  「大地の芸術祭」は世界最大級の国際芸術祭であり、日本中で開催されている地域芸術祭のパイオニアである。  芸術祭の舞台は、過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地、新潟県の越後妻有地域(旧松代町、旧松之山町も含めた十日町市、津南町)である。  この辺は、農業を通して大地とかか…
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「日本最長10河川の旅」での釣り木曽川への旅(2008年の旅)笹川源流地帯でアマゴを釣る

木曽川源流ふれあい館見学後は、すぐ近くにある味噌川ダムを眺め歩いた。 このダムのずっと奥に木曽川源頭が存在するが、そこへ行く技術も体力も時間も持ち合わせていないので、この辺で奥木曽湖とお別れである。 赤楕円の地を後にし、これから向かうのは赤星型印の笹川源流地帯、ここで源流釣行に挑むことになる。 なお、この近くには「平成の名水百選水木沢」…
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思い出の中の川 第8回 勝木川と大毎川

 平成21(2009)年から平成25(2013)年までの5年間、5月の連休の間に1泊2日の日程で、海府(笹川流れの)の小渓流へ釣りに出かけていた。 今回はその視察のような釣行で、2009年の4月24日に勝木川中流域と大毎川に入渓した。   具体的には、黄四角の範囲の川である。  この釣行はちょうどこの辺りの桜が見ごろとなって…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その11 崇神王朝(三輪王朝)の地を歩く

 この日はこの旅の最も大きな楽しみの一つである、「邪馬台国」を歩く旅の日である。  今日の日程であるが、午前中は昨日歩き終わった地点から歩き出し「山の辺の道」を完歩し、午後から「邪馬台国」を歩く旅となる。 日程と若干異なり、午前8時30分ころ天理駅から電車に乗り、午前8時40分頃に小さな無人駅「纏向駅」に降車した。 「纏向駅」にはこん…
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天竜川の旅その28  ジンギスカンの夕食後、下栗の満天の星空を見る 

未練の「民宿ひなた」から、今回の天竜川の旅の2日目の宿「民宿宮下」に戻って来た。平成21年9月20日(日)の夕方5時ころのことである。 「民宿宮下」の玄関は夕日に照らされて、看板の金色の文字が光り輝いていた。表札が出ていて、白い字で書かれている大きな方は野牧権、白地に少し小さめに黒い文字で書かれている方は野牧誠司となっていた。どち…
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飛騨街道をゆく(2014年の旅) その16  高山陣屋を見学

いよいよ⑤高山陣屋である。 高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所(陣屋)である。 元来は飛騨高山藩主であった金森氏の所有する下屋敷だったが、1692年に幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備され、代官所として用いられるようになり、1777年(安永6年)以降は郡代役所となった。 入…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その19  「太宰治思ひ出広場」や「明治高等小学校跡」を歩く

斜陽館の見学後は、黄色いだ円で囲んだ「太宰治思ひ出広場」や「明治高等小学校跡」や芦野公園駅に立ち寄りながら、昼食場所となる「喫茶店駅舎」に向かった。 赤線の道をのんびり歩きながら辿っていく。 最初は「太宰治思ひ出広場」である。 金木小学校に通学する子供たちのかよう道、通称「学校通り」の一角に平成10年3月に造られた。 左…
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大阪散歩 その30 高貴寺にて

 弘川寺から、今度は高貴寺に向かった。 ここはネットで事前に調べた通り、本道から寺までの道が本当に狭くて、すれ違いも全くできないたいへんな道だった。   それでも、5km程の道のりを20分程かけて高貴寺に到着した。 ここは高貴寺山門である。 寺の開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれている。 仏に供養する香花(こう…
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秋田県散歩(2015年の旅)その12 象潟の海苑蕉風荘

 松尾芭蕉が樹立した俳風を蕉風と呼ぶが、その名をとった海苑蕉風荘は秋田県が贅沢だった時代に、象潟の一番見晴らしの良い所に県職員の保養所として建てられた。  この黄星印の場所に、海苑蕉風荘が建っている。 県職員の保養所として誕生した蕉風荘はその後売却され、現在のオーナーが蕉風の名を消左内で残したいということで、同じ名でホテルとして…
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能登(日本道)への道 その5 国守の印と、正倉を祀る印鑰(いんにゃく)神社を見学

印鑰神社の次に、30分ほどかけて能登国分寺跡に向かった。 この黄矢印の地点の能登国分寺公園内に能登国分寺跡がある。 まず能登国分寺展示館に入って、国分寺跡の概要を知り資料等をいただいた。 能登国分寺は、かつてこの地方を支配していた能登臣(のとのおみ)の一族が白鳳時代末に建てた大興寺を、843年に国分寺として昇格…
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旧女川村の釣り旅から その3 終戦直後まで熊狩りをやっていた田麦集落で

 旧女川村の田麦集落は藤沢川沿いの個数5戸の小さな集落で、村の中心地からは道路距離で約15キロくらい離れている。  ここは関川村の最北の地であり、標高も194mあり、ちょっとした秘境気分が味わえる。  この田麦と書かれている立て看板を入ると、そこは田麦集落である。 春先の4月末にここに釣りに来た頃は、道路の左側の小屋の横で…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その58 江差追分会館 で松前街道を終了

旧関川家(別荘)の見学を終えると、う;江差追分会館に向かった。 追分会館の前には、生涯の大半を旅人として過ごした江戸後期の国学者で紀行家でもあり民俗学の祖とも言われた菅江真澄の歌が標柱になっていた。 すくも焚く 煙りの末も 治まれる 風にしたがふ 浦の夕なぎ 意味はこうである。 1789年の初夏、この年もまた鰊は不漁のうちに…
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耽羅紀行(済州島の旅) その26 絶景のオルレ道の散策 

 昼食が終わると、午後1番目は赤字2のオルレ道の散策。  オルレ道の入口の済州ロッテホテルまでバスで向かった。  まるで王宮のような済州ロッテホテルに到着した。  この済州ロッテホテルはオールインなど数々の韓ドラのロケ地として使用されたホテルで、オールインを完全に1回ぶっ通しで視聴し、オールインのシナリオ集まで通販で購入…
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ジュンチャンと世界を巡る 第86回はソロモン諸島

 ソロモン諸島は、南太平洋のメラネシアにある島嶼群であり、またその島々を国土とする国家です。  ただし、地理的にはソロモン諸島に属するブーゲンビル島は、国家の領域的にはパプアニューギニアに属します。  ソロモン諸島はオーストラリアの北東、パプアニューギニアの東に位置し、北にはナウル、東にはツバル、南東にはフィジー、南にはバヌア…
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天竜川の旅その27  「民宿ひなた」まで下栗の里を歩く

寄り道しながら今日の宿である下栗の里「民宿宮下」に向かった。下栗の里には民宿が2件ある。本村の一番上にある「民宿宮下」と一番下にある「民宿ひなた」。結構悩んだ末、「民宿宮下」に宿泊予約した。 この民宿は「下栗捨五社」の下にある民宿というキャッチフレーズで、ネット上では紹介されている。下栗の霜月祭りは、毎年12月13日に「下栗拾五社」で…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その10 「景行天皇陵」で今日の旅を終える

「卑弥呼庵」を出て、桜井市の方角にある「景行天皇陵」に向かって歩いていく。 「景行天皇陵」が今日最後の見学場所である。 写真真ん中の三輪山を眺めながら、写真右手の方向に歩いていく。 右端の白い標柱に書いてあるが、この辺りは「歴史的風土崇神天皇景行天皇特別保存地区」である。 この二人の天皇のことは日本最古の歴史書である「古事記…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その18 太宰治の生家「斜陽館」を見学

それではこれから、太宰治の生まれ育った五所川原市金木町へ向かう。 木造から金木町の斜陽館(黒字Aの場所)までは約20km程、時間にして40分位かかった。 金木斜陽館前には10時半に着いた。 ここでの日程だが、まず斜陽館を見学、それから芦野公園近隣を散策、昼食は旧芦野公園驛を使って営業している喫茶店「驛舎」で激馬カレーをいただく…
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大阪散歩 その29 西行墓(西行墳)にて

 西行堂でしばらく休んでから、西行墓(西行墳)を目指して石畳の急坂を登っていく。  実は去年の春桜の終わる頃に吉野山を旅したことがあり、奥千本にある西行庵まで行って西行を偲んでみたかったのだが、土日しかここまで行くバスが運行して無いということで、残念な思いをしたことがある。  今回西行終焉の地である弘川寺を訪れる機会を得たことは…
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秋田県散歩(2015年の旅)その11 絶景の象潟九十九島島めぐりコースを歩く

芭蕉が酒田から雨の降りしきる中を象潟の町に到着したのは1689年6月16日(陽暦8月1日)のことで、翌日は一転晴れ渡って波静かな潟に九十九島が浮かび鳥海山が秀麗な姿を現した。 芭蕉はこの旅のクライマックスとも言える一日を迎え、九十九島の絶景の中に我が身を置いたのである。 故熊谷能忍住職は、おくのほそ道関連の書の中で、「芭蕉の人気は衰…
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探検家の歴史 第4部 その4 松田伝十郎(樺太探検と蝦夷地経営に活躍)

 松田伝十郎は江戸時代の越後国出身の幕臣・探検家で、間宮林蔵と樺太を探検し、樺太見聞の実測図を作成した。  伝十郎は越後国頚城郡鉢崎村(現新潟県柏崎市)の貧農浅貝長右衛門の家に長男として生まれ、そこで道普請をしていた幕臣大西栄八郎にその才能を見出されて江戸に赴いて武士となるべく修行した。  その後、大西の同僚…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO2

 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。 一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。 しかるに満州の戦場…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その57 旧檜山爾志郡役所と旧関川家(別荘)を見学

黄四角で囲った横山家と旧中村家の見学を終え、あ;旧檜山爾志郡役所、い;旧関川家(別荘)、う;追分会館の順にこれから見学する。 江差の街は見所満載だが、限られた時間での旅なので、あとはこの3箇所を訪ねて「松前街道の旅」を終えることとする。 それでは、あ;旧檜山爾志(ひやまにし)郡役所からである。 旧檜山爾志郡役所は、北海道庁…
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耽羅紀行(済州島の旅) その25 レストラン牛歩苑でキジ肉のしゃぶしゃぶ料理

 天帝淵第1瀑布の見学を終えると、僕等ツアー客はヤンガイドの指示していたバスの駐車場所へ戻った。  ここで、今回のツアー初めてのトラブルが発生した。 瀑布の見学をしないでバスへ直接向かった筈の女性観光客2名が、定刻を10分程過ぎてもバスに来ない。 ヤンガイドは怒って、僕等にまで「皆さん、絶対に私の指示通りに動いてください。それでないと、…
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直江兼続の旅 その14 バードガーデン

 大厳寺高原は天水山の中腹の標高700メートルに位置していて、周囲にはブナ林や草原や池があり、始終野鳥の声が響きわたっている。  またここには、爽やかな草原が広がる開放感抜群のテントサイトやコテージ・バンガロー等の宿泊施設が完備されている。  宿泊者用のレンタル品も豊富で、初心者の方からベテランキャンパーまで、好みのスタイルでアウト…
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「日本最長10河川の旅」での釣り木曽川への旅(2008年の旅) 木曽川源流に向かう

藪原宿に午後2時頃に到着した。  藪原のある木祖村は木曽川源流の里である。  藪原の街の入口にこんな大きな看板が出ていた。  これから今夜の宿に荷物を置き、木曽川源流で僕の川旅の定番行事である源流釣行を挙行する。  今夜の宿、正確に言えば平成20年9月11日(木)の宿は、中央本線藪原駅の真ん前の駅前旅館である井筒屋旅館で…
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思い出の中の川 第7回 海府(笹川流れ)の小渓流 NO2

 山北海府の小渓流の2番目は「普川」、その河口風景である。  ここは川の瀬音と海の潮鳴りが同時に聞こえる。遠く霞んで、待望網とわっぱ飯で有名な粟島が見える。  釣り場所は線路下のポイントをまず狙う。上流はボサが多いので、この辺を適当に流す。  早速、川に入って釣り始めるが、思ったより水の勢いは強い。水温を測ったが10度程で…
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天竜川の旅その26  下栗の里に到着、そして待ち続けていた風景との出会い 

青矢印のまつり伝承館「天伯」から今日の宿泊地である下栗の里へ向かうが、赤丸の下栗の里での宿は赤矢印の「民宿宮下」である。 下栗入口の標高は578m、宿の「民宿宮下」の標高は970mである。400mの標高差のある九十九折の細い赤点線の山道を20分ほどかけて登っていく。 遠山郷自体が秋山郷や川上郷とともに信州の三大秘境と言わ…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その10 「景行天皇陵」で今日の旅を終える

「卑弥呼庵」を出て、桜井市の方角にある「景行天皇陵」に向かって歩いていく。 「景行天皇陵」が今日最後の見学場所である。 写真真ん中の三輪山を眺めながら、写真右手の方向に歩いていく。 右端の白い標柱に書いてあるが、この辺りは「歴史的風土崇神天皇景行天皇特別保存地区」である。 この二人の天皇のことは日本最古の歴史書である「古事記…
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飛騨街道をゆく(2014年の旅) その15 宮川沿いを高山陣屋前まで歩く 

ここで、高山市街図を参照する。 飛騨高山市街には富山県との県境地帯で神通川となって富山湾に注ぐ清流宮川が流れているが、まずその宮川に架かる橋を①宮前橋、②弥生橋、③鍛冶橋、④中橋の順に見学しながら、⑤高山陣屋、⑥飛騨国分寺の順に見て歩く計画とした。 まず、橋の下に錦鯉が泳いでいる①宮前橋である。 この橋を橋の左手の東の方に…
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旧女川村の釣り旅から その2 「女川ハム工房」のこと

関川村の旧女川地区に上野新(うえのしん)と言う集落があるが、もちろんこの名は上野新田を省略して付けた名である。 この集落は旧女川郷のほぼ真ん中にあり、かっては旧女川村の役場があり、女川郷学校教育発祥の地でもあった。 この上野新に、「真面目に、ねぇぞぉー(丁寧に)手作り」で有名な「女川ハム工房」がある。 最近は手作りハム…
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ジュンチャンと世界を巡る 第85回はフィジー

 「メラネシア」には、パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツ、フランス領ニューカレドニアなどの国がありますが、今回はフィジーを取り上げまず。  フィジーはイギリス連邦加盟国に加盟していて首都はビティレブ島のスバ、南太平洋のフィジー諸島と北500km程離れた保護領のロツマ島に位置する群島国家で、300余の火山島と珊瑚礁…
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天竜川の旅その25  「霜月祭りの世界」を訪ねる その2  

この館で、遠山霜月祭の概要を覗いてみる。館の1階は、上村の表情をつたえる歴史・民俗・自然そして観光を1つの空間に凝縮して展示している展示室『山と祭りのふるさと』。館の2階が伝習室『霜月祭りの世界』。国の重要無形民俗文化財霜月祭のすべてを紹介し、保存伝習の場として村内4地区の祭り面や祭のクライマックス四面の舞の再現を行っている。遠山の霜月…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その9 崇神天皇陵を見学後、「卑弥呼庵」で小休止

長岳寺の次は、崇神天皇陵と景行天皇陵を目指す。 まず、崇神天皇陵へ行く。 崇神陵は宮内庁により「山邊道勾岡上陵」として大和朝廷の創始者とされる第10代崇神天皇の陵に治定されているが、実際の被葬者はそれ程定かではなく、最近では陵墓の所在地から「行燈山古墳」と呼ばれている。 前方のこんもりした森で覆われた山全体が崇神天皇陵であ…
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更に更に更に更に更に続いてロシア人とウォッカの話を その7

その1 「大事な会議に遅刻して発表の持ち時間が半分になった。さて、彼らはどうするだろう?」ドイツ人は、いつもの倍のスピードで話す。アメリカ人は話を適当に省略して時間内に収める。フランス人はいつものペースでしゃべり続け、次の人の時間に平気で食い込む。さあ、ロシア人ならどうするか。ロシア人は、いつもの小話をカットすれば、半分の時間に十分収…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その17 木造駅で「張り付きシャコちゃん」に出会う  

つがるし縄文住居資料館カルコから黒字Aの五能線JR木造駅まで歩いて行くことにした。 木造駅舎には亀ケ岡遺跡から出土したシャコちゃんの巨大モニュメントが駅舎の表玄関を飾っているという。 司馬遼太郎もこの駅舎を見て度肝を抜かれたというようなことを「北のまほろば」に書いていた。 その巨大シャコちゃんに会いにいくのに簡単に車でというよ…
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大阪散歩 その28 弘川寺の西行堂まで歩く

 昼食後、西行法師終焉の地で彼の墓のある弘川寺へ向かった。  距離にして13km、時間にして30分程かかった。  ここは弘川寺本堂である。  ここの目当ては何といっても西行の墓であるが、この矢印の方角に進むと西行墳(墓)、西行堂、似雲墳などに辿り着くので、矢印の示している山道を登っていく。 似雲墳にも行くことになるの…
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秋田県散歩(2015年の旅)その10 歴史に名高い蚶満寺を散策

蚶満寺の山門をくぐると寺の受付らしいところがあり、300円払ってパンプをいただいて見学しようとした時に、象潟・蚶満寺ボランティア案内人と名乗る方と運良く遭遇し、彼から蚶満寺の案内をしていただいた。 司馬遼太郎は、「街道をゆく 秋田県散歩」の中で、かつての古い友人であり戦友でもあり、当時は蚶満寺の住職となっていた熊谷能忍氏に会うため蚶満…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回)

  市内の小公園「白鳥の湖」  アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。  人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から市街地は形成されて…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO1

岡倉天心「茶の本」 原文は英語(原題"The Book of Tea")村岡博(1895-1946)氏翻訳全文掲載 第一章・人情の碗第二章・茶の諸流第三章・道教と禅道第四章・茶室第五章・芸術鑑賞第六章・花第七章・茶の宗匠 第一章・人情の碗 NO1  茶は薬用として始まり後飲料となる。 シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その56 「旧中村家住宅」を見学

横山家と並び江差の代表的な建物で国の重文となっている「旧中村家住宅」をこれから見学する。 中歌町に残されている旧中村家住宅は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたもの。 大正初期に大橋家から中村米吉が譲り受け、昭和46年に重要文化財となり、昭和49年に中村家より町に寄贈、昭和…
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耽羅紀行(済州島の旅) その24 天帝淵瀑布を歩く

 これから天帝淵瀑布へ降りて行く。  派手な七人の仙女像のレリーフを左手に見ながら谷底まで降りて行くが、ヤンガイドの話では、歩く距離は昨日行った龍頭岩の3倍ほどの距離だとか。  ヤンガイドご推奨のマイナスイオンたっぷりの場所を、いつもの渓流釣にでも行くような気分で歩いて行く。  ここは紛れも無く、渓流釣りの世界に入っ…
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直江兼続の旅 その13 狐塚の棚田まで

 「安吾岩」から次に黄☆印の場所にある「管領塚」に向かった。  ここは温泉街から約一キロ離れた旧松里小学校の校庭の隅である。  この地に「管領塚」の碑と「正四位上杉房能自刃之跡」の石柱が建っている。  「管領塚」の説明看板に、越後守護上杉房能の自刃の経緯がこのように書かれている。  今から500年前春日山城の重臣長尾…
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思い出の中の川 第7回 海府(笹川流れ)の小渓流 NO1

第7回は海府(笹川流れ)の小渓流である。平成21(2009)年から平成25(2013)年までの5年間、5月の連休の間に1泊2日の日程で、海府(笹川流れの)の小渓流へ釣りに出かけていた。 この時期はゆきしろが出て、どこの川も増水して釣りにならない。それで、山菜採りを兼ねて、海府(笹川流れ)の小渓流に釣りに行っていた。宿泊したのは勝木の山北…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 最上川の旅 プロローグ

 2007年(平成19年)の「日本最長10河川の旅」は最上川と阿武隈川となった。 まず、最上川の旅から始まる。 最上川は隣県の山形県だけを流れる川ということで、旅行や釣りで度々訪れているが、正確に何回最上川に遭遇したかは曖昧なところがあり、はっきりとは言えない。 2007年のこの「最上川の旅」以前の旅のこととなると、はっきりと思い出すの…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その8 長岳寺を見学

山の辺の道のほぼ中間点に位置している長岳寺まで100mのところまで来た。 卑弥呼の里とあるのは、この辺りの間近に卑弥呼の墓と推定されている箸墓古墳があるからであろう。 長岳寺は天理市柳本町にある高野山真言宗の寺院で本尊は阿弥陀如来、約1200年の歴史があり開基は空海とされている。 盛時には僧兵300、宿坊48、境内9万4千坪の…
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天竜川の旅その24   「霜月祭りの世界」を訪ねる その1

次に、遠山郷の各地に伝承されている「霜月祭りの世界」を見て行く。霜月祭りの展示は遠山郷土館(和田城)にもあるが、メインとなる展示は、後程見学する「まつり伝承館天伯」である。遠山郷土館の2階には、霜月祭りに使用する面がこんな風に展示されている。   全国の神々を送り返した後で村内に祀られる神々が登場するが、その場面で神々に扮した舞手が…
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飛騨街道をゆく(2014年の旅) その14 飛騨高山「朝市の宿いぐち」に到着

飛騨ともえホテルでくつろいでから、夕食を食べにホテル近くを散策し、安そうな食堂で野菜炒め定食を食べた。 麦焼酎も飲んだが、1230円で足りた。 店を出ると二十歳くらいの若い男女7〜8人が食事場所を物色していて、「ここ安いですか」と聞かれたので、いい返事をすると彼らは店の中に入っていった。 飛騨ともえホテルは飛騨古川駅前に立地し…
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青銅の騎手──ペテルブルグの物語── プーシキン

 序  言  この物語に書かれた事件は事実によっている。洪水の詳細は当時の記録からとられたものである。好事家はヴェ・エヌ・ベルフの編纂になる記事によってただすことができる。   序  詩 荒寥とした水の岸辺に、 彼*はたっていた、偉大な思いにみちて、 そして遠くを眺めていた。彼の前には広々と 川が流れ、見すぼ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その16  「つがるし縄文住居資料館カルコ」を見学

9月28日(土)、津軽街道の旅の3日目が始まった。 今日の日程は、まず「つがるし縄文住居資料館カルコ」を見学、併せてその近くのJR木造驛舎を見学、その後太宰治の生家のある金木町へ向かい、太宰治斜陽記念館など金木町にある太宰治関連の史跡等を一日探訪。 上の写真は「つがるし縄文住居資料館カルコ」へ向かう途中で、津軽平野の一角から見た…
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大阪散歩 その27 観心寺境内のお堂を見てから昼食

 このあと、観心寺境内にあるお堂をいくつか回った。 ここは建掛堂である。 建武中興の無事を祈って楠木正成が願主となり三重塔を建立しようとしたが、湊川戦役のため建立できず、初重で中止となったもので、内部に大日如来を安置している。 ここは開山堂(本願堂)である。 観心寺の開祖を祀るお堂で、空海の弟子でこの寺の開祖となった道興…
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秋田県散歩(2015年の旅)その9 象潟散歩のスタート 

女鹿から30分程国道7号線を走って午後2時半に象潟駅に到着した。  象潟駅の後ろには、まだまだ残雪の残る鳥海山が悠然とそびえている。  象潟は松尾芭蕉の「おくのほそ道」の中で「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と歌われており、歌枕の地としては松島と並び称される程の景勝地である。  絶景の生成過程だが、紀元前466年に鳥海山が噴火し…
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能登(日本道)への道 その4 石川県立七尾美術館で長谷川等伯展を見学

 山の寺寺院群をさわりだけ散策して、これから石川県立七尾美術館に向かって歩いていく。  靴の調子も心配しながら、その後20分以上歩いて七尾美術館に到着した。 七尾美術館はドーム型の七つの屋根が特徴的な能登唯一の総合美術館で、能登にゆかりのある作品を中心に優れた作品を展示している。 春には、桃山時代に活躍した七尾出身の画家で…
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旧女川村の釣り旅から その2 「女川ハム工房」のこと

関川村の旧女川地区に上野新(うえのしん)と言う集落があるが、もちろんこの名は上野新田を省略して付けた名である。 この集落は旧女川郷のほぼ真ん中にあり、かっては旧女川村の役場があり、女川郷学校教育発祥の地でもあった。 この上野新に、「真面目に、ねぇぞぉー(丁寧に)手作り」で有名な「女川ハム工房」がある。 最近は手作りハム・ソ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その55  ニシン御殿の横山家を見学

蝦夷における商業・文化の中心地として発展した江差町には歴史的な建物がいっぱいあるが、漁業や回船問屋を営んでいた横山家と海産物問屋を営んでいた旧中村家住宅が代表的な建物。 これから、「江差の五月は江戸にもない」と言われていた頃に建てられたこの二家を見て歩いていく。 ます横山家であるが、このように建物の入口のあるいにしえ街道から表通…
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耽羅紀行(済州島の旅) その23 天帝淵瀑布到着

 トケビ道路を後に、僕等のツアーは漢拏山を左手に眺めながら、一路中文を目指す。ここで、今日の大まかな見学日程を紹介する。  午前中の見学は赤字1の天帝淵瀑布だけで、昼食は中文観光団地から車で10分の大侑狩猟場の中にある牛歩苑でキジ肉のしゃぶしゃぶ料理。  午後1番目は赤字2のオルレ道の散策で、済州ロッテホテルから済州新羅ホテルまでを歩く…
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旧女川村の釣り旅から その1 宮前集落の光兎神社を見学

 関川村は女川村と関村が合併して出来た村である。 旧関村にはヤマメ釣りや鮎釣りで有名な大石川が流れている。 旧女川村には女川が流れていて、その支流が藤沢川である。 先週の日曜日(四月最終週)に藤沢川でヤマメ釣りを決行。  たぶんヤマメはいるのだろうが、なかなか食いついてくれず、途中で山菜採りに目的変更。  いつもなら中束集落の脇のこ…
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天竜川の旅その23  領主「遠山氏」のこと

今向かっている遠山郷土館(和田城)は、南信濃村和田の街をのぞむかつての和田城跡地にあるが、この城は、戦国時代にこの地の領主であった遠山氏の当時の栄華を偲び再現されたもの。    遠山郷で最も興味を引くものは、かったこの地に君臨した「遠山氏」と、遠山郷の各地に伝承されている「霜月祭りの世界」だろう。  まず、「遠山氏」から始める。遠山氏の…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その7 大和古墳群と絶景の道をゆく

赤の現在地にいるが、今の時間は午前11時14分である。 ここは竹之内環濠集落と菅生環濠集落の中間地点で、JR桜井線(JR万葉まほろば線)では長柄駅がこの辺りの直近の駅となり、JR天理駅からどうやら一駅程ようやく歩いたようである。 この辺りから、天理市南部の萱生町から中山町に所在する大和古墳群(おおやまとこふんぐん)の中に入ってい…
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更に更に更に更に続いてロシア人(エリツィン)とウォッカの話を その6

その1 1941年9月、ドイツ軍がレニングラードに侵攻し、たちまち包囲されてしまった。 ソ連軍の善戦のもと、戦いは長引いた。 とある日、守備隊長から「至急送ってほしい」との電報が届く。 武器がたりなくなったのかと思っていたら、 「もっと度数の高いウォッカを送って下さい。戸外の気温は零下45度。ここにあるウォッカは40度。とても戦争になり…
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大阪散歩 その26 北斗七星を巡る

 この星塚は、厄除け・福寿増長のパワースポットとして有名で、日本で唯一の北斗七星の巡礼地である。 実際の配置は、上図の黄線で結ばれた通りの形態である。  ここはどうやら、中国式の北斗七星の呼び名で呼ばれているらしい。  左方から時計回りで、1貧狼星(トンロウセイ)、2巨門星(キョモンセイ)、3禄存星(ロクソンセイ)、4文曲星(…
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秋田県散歩(2015年の旅)その8 女鹿を散策 

女鹿は秋田県との県境付近にある山形県の小さな集落である。 地図で表すとこんな場所に位置する女鹿集落に、午後1時50分ころに到着した。 海岸ギリギリに沿って走る国道7号から旧道に入ると、旧道の両側に女鹿の集落の家々が並んでいた。 秋田には男鹿があり山形には女鹿があるが、女鹿は男鹿に比べてあまりに小さい。 奥の細道の曾良の随…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その15 鰺ヶ沢の駅前旅館「尾野旅館」にて

尾野旅館は鰺ヶ沢駅前にあった。 ナビが役に立たず、携帯で直接尾野旅館に電話して、位置の概要を確認してようやく到着した。 到着してみれば、何のことはない、尾野旅館は古くはあるが普通の駅前旅館だった。 この尾野旅館で夕食までの間、司馬遼太郎の街道をゆく「北のまほろば」の鰺ヶ沢の章を読みながら、江戸時代の鰺ヶ沢の景色を空想した。 …
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ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話

  ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。)   ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。  北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、樺太の真ん中…
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「日本最長10河川の旅」で出会った「日本を代表する人物」 その13 天塩川の旅   

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その54 かもめ島を散策する

かもめ島歩きマップに沿って、島内を歩いて行く。 まず、④のテカエシ台場跡である。 江戸時代の後期諸外国の船が日本近海に現れ始め、幕府や諸藩は海岸線に台場(大砲を備える場所)を設けた。 鴎島には、北にこのテカエシ台場が、南にキネツカ台場が設けられた。 鴎島の北側は風や波により岩盤が削られて平らになったが、もっとも広く平にな…
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耽羅紀行(済州島の旅) その22 トケビ道路を見学

 ここで、2日目の日程とコースを再度紹介しておく。  赤四角で囲まれた部分が2日目に用意されている食事である。ウニワカメスープは既に食べた。   これから神秘の道路とも呼ばれている、トケビ道路を見学、その後済州島を北から南に横断し、島の南部の中文リゾートを中心に見学する。(赤四角の範囲が見学地となる。)  まず、トケビ…
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直江兼続の旅 その12 安吾岩

 1994年10月23日・24日に「温泉同好会」のメンバーで旅した秋の旅から、2009年8月22日・23日に挙行した「直江兼継の旅」に話を戻す。  この旅では午後1時過ぎに直線道路を左折し、写真左手の家の奥に続いている横道に入り、案内看板通り500m程走って植木旅館前に到着した。  植木旅館は15年前の1994年10月に泊っ…
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思い出の中の川 第6回 小川

 第6回は小川である。  大石川の本流に金俣集落を通り大石川に注ぐ支流が小川である。 この川はけっこう上流までいい釣り場が続くということだが、釣り師は堰堤までの黄線部分でしか釣ったことがない。 この小川で、2006年(平成18年)6月18日に27cmの山女と26cmの山女を釣り上げた。 27cmのこの山女は銀毛化していてパーマークが消え…
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阿武隈川(2007年)とおくのほそ道の旅 その30 須賀川で「軒の栗」の何伸庵跡へ

 おくのほそ道の現代語訳では、この部分はこう書かれている。二本松より右に曲がり、謡曲「安達原」で知られる鬼婆がいたという黒塚の岩屋を見て、福島で一泊した。  芭蕉はここでは見学したこと以外は何も触れていない。 黒塚は、福島県二本松市(元・安達郡大平村)にある鬼婆の墓である。 伝説の鬼婆は安達ヶ原(阿武隈川東岸の称。安達太良山東麓と…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その6 夜都岐神社から「まほろばま」で歩く

「峠の茶屋わわ」から10分程歩いて、夜都岐神社(やつぎじんじゃ)に到着した。 夜都岐神社は天理市乙木集落の北端に鎮座するにある神社で、「やつき」「やとぎ」などとも読まれ、社格は村社である。 乙木には元は夜都伎神社と春日神社の2社があったが、夜都伎神社の社地を約400m東南の竹之内の三間塚池(現在の十二神社の社地)と交換し、乙…
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天竜川の旅その22  遠山郷に入り、神様王国の中心「和田宿」を歩く

今は午前11時頃、昼飯にはまだ早いので、一旦「道の駅遠山郷」から引き返し、和田宿を散策することにした。  黄色矢印のように戻ってきて、まず秋葉街道(国道152号線)に沿って発達した和田宿の赤い太線の部分を往復し、続いて2番目に遠山郷土館となっている和田城を見学、その後赤字3の場所で営業している紺屋食堂で昼食となった。  南信濃村の…
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飛騨街道をゆく(2014年の旅) その13 絶不調の中で、安国寺と荒城神社だけを見学

30分程散策して、宇津江四十八滝に別れを告げ、国府町に向け出発した。 現高山市国府町は歴史のある町で、奈良・平安時代にはここに国府が置かれていたと推測されているが、いまだその所在を決定付ける遺跡は確認されていない。 国府とは奈良平安朝における諸国の政庁で、京から国司が赴任して政治や軍事を仕切った政庁のあった場所で、古代飛騨地域の…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その14 鰺ヶ沢のアイドル犬「わさお」に会いに行く 

鰺ヶ沢のもう一人(一匹というのが正解)のスター、薬師丸ひろこ主演の映画わさおで有名になった鰺ヶ沢のアイドル犬「わさお」に会いに行く。 実は映画の方は、旅に出る前に事前に見ていた。 映画『わさお』は2011年公開の日本映画で、物語の中身だが、「わさおが元の飼い主と再会するまでが描かれたドラマである。」 ストーリー自体はフィクションで…
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大阪散歩 その25 「観心寺」に到着

 大ヶ塚を出て30分ほど走って、次に赤字2の「観心寺」に到着した。  観心寺は空海と楠正成に関係のある広大な境内を持つ、大きな寺である。  伝承では、701年に役小角(役行者)が開創し、当初、雲心寺と称したとされるが、この寺を実質的に開基したのは、空海の一番弟子にあたる実恵である。 その後、808年に空海がこの地を…
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秋田県散歩(2015年の旅)その7 月光川上流で再度ヤマメ釣り

月光川の送り人のロケ地で1時間程釣りをして23cm程のヤマメを釣り上げたが、ここにはどうやらこの一匹しかいないようだった。 午前10時頃に、この絶景の場所でお湯を沸かし、カレーラーメンを作って間食とした。 それから月光川の上流に向かって車を走らせ、そこで再度月光川での釣りに挑んだ。 今まで釣っていた地点が赤字①、再度チャレンジ…
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能登(日本道)への道 その3 山の寺寺院群のさわり部分を散策

小丸山公園を出て、七尾の街をどう歩こうか思案していたが、初日はいつもの履き慣れた靴の代わりに、主に肉体労働をする人たちのための商品を扱っている店から安くて丈夫な靴を使って歩いていたが、どうもこの日はこの靴の調子が悪くて、見学箇所を大幅に縮小することにした。 これから山の寺寺院群に向かって歩いて行く。 山の寺寺院群は、1581…
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また釣れた、今日は大漁 夢の中・・・・

  7月16日(月)は海の日、九州では大雨だが、新潟の今年は今のところはさほどでもない降り。  去年の7月の梅雨末期の季節は、福島県と新潟県で豪雨が続き、今年の九州並みの洪水となった。  もちろん、今年も予断は許さないが、梅雨空が久しぶりに晴れ、猛暑の夏空の一日となったので、山女釣りに出かけた。             小…
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釣り師の楽しみを更に紹介、それは釣れない時のための歴史散歩

ヤマメ釣りにはまだ早い4月19日の日曜日に、女川最下流の集落である桂集落にお邪魔した。  ここは、歴史や史跡に恵まれた集落で、鎌倉時代には国衙領となっていて、地頭が置かれていて、代々河村氏が世襲で受けていた。  ここで海苔弁と豚汁で朝食を取り、そのあと例によってお湯を沸かし、UCCコーヒーを飲んで締めた。いつもなら、ここからすぐ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その53 江差に到着、開陽丸見学後かもめ島へ

上ノ国では、松前街道の旅の目的だった松前氏や松前藩の謎がほぼ解明でき、その上天の川支流桂岡川で北海道初チャレンジの渓流釣りでほぼ入れ食いというボーナスまで貰い、大満足の2日間を過ごすことができた。 お世話になった若旦那の「よ志栄旅館」の朝飯を午前7時半に食べ、午前8時半には旅館を出発し隣町の江差に向かっ…
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耽羅紀行(済州島の旅) その21 市内レストランで「ウニワカメスープ」の朝食

20014年4月15日(火)午前8時10分、ホテルをバスで出発、2日目の旅の最初は市内レストランで「ウニワカメスープ」の朝食である。 バスの着いた所はこんな場所である。 この店の入口の写真からハングル文字を検索して、店や場所を特定しようとしたが上手く出来なかったので、店の名も場所も???ということでご容赦。 …
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釣師の楽しみを、もう一つ紹介、それは季節を感じる楽しみ

 釣師の楽しみは色々あるが、季節を感じる楽しみもその一つである。  雷集落は、この山がもえぎ色に山が染まる頃もいいが、その少し前の、早春の花々やコゴメなどの山菜が芽吹く頃が、僕は一番好きである。  これはキクザキイチリンソウ、スプリングエフェメラル(早春に咲くはかない短命な植物)の一つで、別名嫁泣かせとも言い、嫁たちの春の山…
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ジュンチャンと世界を巡る 第84回はパプアニューギニア

 「メラネシア」には、パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツ、フランス領ニューカレドニアなどの国があります。 今回はパプアニューギニアを取り上げまず。  パプアニューギニアは、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる立憲君主制国家で、東南アジア諸国連合(ASEAN)の特別オブザーバーであるが、地…
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天竜川の旅その21  遠山郷に入り、神様王国の中心「和田宿」に到着

飯田市の見学を終えると、いよいよ今回の天竜川の旅の核心部となる遠山郷への道となる。 ホテルルートイン駒ヶ根インターのフロントから、赤い線の最短路は峠越えの悪路で時間が掛かるということを聞いていて、少し遠回りになるが彼に薦められた黄矢印の三遠南信自動車道(=国道474号)から遠山郷へ向かった。 途中で黄□で囲まれた矢筈トンネルを抜けた…
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奈良大和路散歩(2016年の旅) その5 内山永久寺跡から「峠の茶屋わわ」まで

 午前9時40分に、芭蕉句碑に詠われた内山永久寺の跡に到着した。  内山永久寺は奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院で、興福寺との関係が深く、かつては多くの伽藍を備え大和国でも有数の大寺院であった。 その後明治維新時の廃仏毀釈の被害に遭遇して、明治時代初期に廃寺となりなった。 この階段を歩いて、高台となっている…
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更に更に更に続いてロシア人とウォッカの話を  その5

その1 若者の一団がウォッカを積んだトラックを強奪した。 なんとか捕まえたが、積み荷はひとつも残ってなかった。「ウォッカはどこにやった」「売っちまったよ」「その金はどこだ」「呑んじまった!」 その2 日本が北方領土について、意見を求めたとき ゴルバチョフは「そのお話は、お酒を飲んだ時にでも」エリツィンは「そのお話は、酔っていない時に…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その13  鰺ヶ沢のヒーロー「舞の海」に会う

鰺ヶ沢は人口1万程の西津軽の町である。ところでこの町のスターだが、小結まで上り詰めた170cmの小さな巨人「舞の海」と薬師丸ひろこ主演の映画わさおで有名になった鰺ヶ沢のアイドル犬「わさお」である。まず、小さな巨人「舞の海」に会いに、「海の駅わんど」という道の駅の類似施設に向かった。 ここの1階は、鮮魚や水産加工品、農産物、…
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大阪散歩 その24   「大ヶ塚」を歩く

 これから、司馬さんの「街道をゆく 河内みち」の世界を散策するが、まず赤字1の「大ヶ塚」、次に赤字2の「観心寺」、更に赤字3の「広川寺」、最後に赤字4の「高貴寺」に行く。  最初に赤字1の「大ヶ塚」を目指した。  「大ヶ塚」は石川支流の梅川が東側を北方に流れる高台に位置していて、村全体が自衛のために一つの濠で囲まれた中世の環…
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秋田県散歩(2015年の旅)その6 あこがれの月光川へ 

この後、鶴岡での芭蕉関連の旧跡巡りを行ったが、それはここでは省略する。 旧跡巡りの後、上州屋鶴岡店で明日の渓流釣用の餌のミミズを購入、念のため保冷剤も購入した。 このミミズは大切に扱われて、今夜の宿のホテルイン鶴岡の僕の部屋に設備されている小型冷蔵庫の中で、一晩を過ごすことになった。 このホテルは2ヶ月ほど前から2食付き5,4…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その4 「ウリヤノフスク」にて(最後に問題あり。)

   ソビエト社会主義共和国連邦の産みの親 レーニンの像 ↑  20世紀の歴史に七十数年もの間強大な影響を与えたソビエト社会主義共和国連邦はロシア史上最大で最強の国家であった。  東はベーリング海、西はバルト海、北は北極海、南は黒海・カスピ海に臨み、その領域に住む15共和国の人民を共産主義という思想で束ね…
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「日本最長10河川の旅」で出会った「日本を代表する人物」 その12 石狩川への旅  司馬遼太郎 NO3「北海道の諸…

 新十津川町の物語は、故郷崩壊と故郷再生の物語である。 新十津川町は奈良県南部に位置する日本一広い村として有名な十津川村の住民が、大洪水で被災し、難民同然に北海道の空知地方の中央部に入植し、新しい十津川をこの地で造りあげた町として有名で、今では北海道でも有数の富裕な農村として知られている。 小松左京氏の著名な小説に「日本沈没」というSF…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その52 夷王山神社にて

これから標高159mの夷王山山頂を目指して登っていく。 山頂には永禄元年に創立されたといわれている神社が建てられていて、医王山神社・医王山薬師寺といわれていたが、明治26年に第14代(最後)の藩主である子爵松前修広が許可を得て、社名を「夷王山神社」、祭神を松前氏の祖である武田信広とした。  かなりの急坂で風も強く吹いていたが、若…
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耽羅紀行(済州島の旅) その20 ラマダプラザホテル済州の自室まで

 ラマダプラザホテル済州はエレベーターも豪華である。 そのエレベーターに乗る。  さりげない内装であるが、どこもかしこもキンキラキンである。  エレベーターの上部にはテレビまで付いていて、その上エレベーターの半面がガラス張りとなっているので、天井まで吹き抜けとなっているホテルの階段部分やエスカレーター部分が一瞬にして見通せた。   エ…
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直江兼続の旅 その11 兎口(をさいぐち)温泉

 安吾文学碑を見て、次に兎口(をさいぐち)温泉に向かった。  黄線の道路を走って、黄☆印の場所が兎口温泉である。 兎口は坂口安吾の小説「逃げたい心」に登場する温泉である。 「逃げたい心」は、失踪癖、放浪癖のある主人公蒲原氏の子供である魚則(うおのり)が再び失踪したので、長野県警から連絡が来て、家族と知り合いの一同で迎えに行く話である。…
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