砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その48 温泉津の歴史

寺本ガイドの話は続いていく。
「最盛期、世界の銀の三分の一は石見の銀だったといわれており、その銀を求めてポルトガル船、オランダ船、スペイン船が日本目指してやって来た。諸外国と日本は交易を開始し、鉄砲が伝わりキリスト教が伝来するなど諸外国の文化が次々に日本にやって来た。今の日本文化の基礎は石見銀山から始まったようなものです。」と、寺本ガイドは一つの話を締めくくった。
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奥深い入り江となっていて、風待ちや風よけの港として優れていた温泉津港の絶景を見ながら、話は続いていく。
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港の先端右側の山の上には櫛山城があった。
櫛山城は弘安年間に築かれた元寇防塁石見十八砦の一つといわれていて、戦国時代には石見に侵攻した毛利氏に最後まで抵抗した尼子方の温泉氏居城となっていた。
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一方、港の先端左側の山の上には毛利氏側の出城である鵜の丸城があった。
1571年、山陰側の毛利水軍の拠点として毛利元就によって築かれた。
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この穏やかな入り江を挟んで、出雲の尼子氏と安芸の毛利氏が鉄砲や弓矢で戦いを繰り広げたというのであるが、子どもたちが夏になるとキャンプするというこの美しい風景を見ている限りでは、戦国時代の戦いなど想像することもできない。
入り江先端からの帰り道で面白い話も聞いた。
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石見銀山と並ぶ有名な佐渡相川金銀山では、海からの食料を確保するために技術を持った漁師が集団で佐渡へ移住し、姫津という新しい村に住んで漁業に専従した。
いまでも相川金銀山近郊の漁村には石見姓を持つ人々が多く住んでいて、数年前に佐渡から先祖のルーツを訪ねてこちらへ来られた方がいて、熱心にこの辺を歩いて行かれたという。
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再び元に戻って来ての話である。
石見銀山は当初は銀の精錬技術が無く、朝鮮に銀鉱石を送って精錬させていたとのことで、朝鮮から技術者を連れてきて石見銀山で精錬も一緒に行ってから、飛躍的に銀の生産高が増加したとのことである。
色々と面白い話が寺本ガイドから聞けた。
ここからまたガイドの車に乗って移動である。

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