能登(日本道)への道 その4 石川県立七尾美術館で長谷川等伯展を見学

山の寺寺院群をさわりだけ散策して、これから石川県立七尾美術館に向かって歩いていく。 
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 靴の調子も心配しながら、その後20分以上歩いて七尾美術館に到着した。
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七尾美術館はドーム型の七つの屋根が特徴的な能登唯一の総合美術館で、能登にゆかりのある作品を中心に優れた作品を展示している。
春には、桃山時代に活躍した七尾出身の画家である長谷川等伯(15391610)のシリーズ展を毎年開催しているという。
今年は422日から528日の開催で、考えてもいなかった長谷川等伯展を、ここで見ることができた。
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バスに乗る時間を午後4時過ぎに予定していたので、ここで見学する時間は50分ほどあり、第1展示室で、七尾美術館所蔵の池田コレクションや、能登にゆかりのある作家の作品を中心に鑑賞した。
あとの展示室はすべて長谷川等伯展で、駆け足で彼の作品を見て回った。
長谷川 等伯(1539年~1610年)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師で、幼名は又四郎、初期は信春と号した。
狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。
彼は七尾の生まれで、20代の頃から七尾で日蓮宗関係の仏画や肖像画を描いていた。
当時の七尾は畠山氏の庇護のもと「小京都」と呼ばれるほど栄え、等伯の作品には都でもあまり見られないほど良質の顔料が使われている。
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これは七尾時代の代表作「仏涅槃図」である。
一般に仏画は平安時代が最盛期で、その後は次第に質が落ちていったとされるが、等伯の仏画はそのような中でも例外的に卓越した出来栄えをしめす。
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これは、日蓮聖人画像である。
等伯は何度か京都と七尾を往復し、法華宗信仰者が多い京の町衆から絵画の技法や図様を学んでいたと考えられる。
1571年頃に上洛して狩野派など諸派の画風を学び、牧谿、雪舟らの水墨画に影響を受けた。
千利休や豊臣秀吉らに重用され、当時画壇のトップにいた狩野派を脅かすほどの絵師となり、等伯を始祖とする長谷川派も狩野派と対抗する存在となった。
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金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立し、この展示作品である代表作「松林図屏風」(東京国立博物館蔵、国宝)は日本水墨画の最高傑作として名高い。
晩年には自らを「雪舟五代」と称している。
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1610年に江戸で没したが、代表作は他に「祥雲寺(現智積院)障壁画」(国宝)、会場に展示されていた「竹林猿猴図屏風」(相国寺蔵)などがある。
大急ぎで展示室を回ったせいか時間が余ったので、ハイビジョンコーナーで七尾時代の長谷川等伯を収録したソフトを見た。
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このバス停でしばらく待って、時間どおりに来た市内循環バス「まりん号」に乗って七尾駅で降車し、すぐ近くのホテルに向かった。
 

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