奈良散歩 その24 法相宗というもの
法相宗の始祖は玄奘三蔵で、玄奘は7世紀初頭に中国からインドに渡って多くの経典を持ち帰り、経典の漢訳に励んだ。
その中の一つである「成唯識論」という経典を拠り所にして法相宗を開いたのが、玄奘の弟子の慈恩大師である。
法相宗が日本に伝わったのは653年で、道昭という僧が遣唐使として中国に渡り、玄奘に直接師事した後に日本に持ち帰って広めた。
法相宗は南都六宗の中で最も早く日本に伝わり、最初は元興寺を中心に隆盛を誇ったが、のちに興福寺に吸収されて、興福寺が法相宗の本山となった。
法相宗が拠り所にしているのは、「唯識」という概念である。
唯識とは文字通り、「唯(ただ)、識(こころ)ばかり」という意味である。
一般的に人間は世の中のものを認識する時、目で見たり、耳で聞いたり、肌で感じたりなど目耳口鼻肌の五つの感覚器官を通して認識する。
そういう実態があるため、全てのものは心の外にあると考えてしまう。
しかし唯識は、あらゆるものは心の中にあると考える、つまり、存在しているものがそこにあるから見えるのではなく、見ようとする心が働くからこそ対象物がそこに存在していると考える。
10人の人がいれば、10通りの世界が存在するのである。
同じものを見たとしても、人の個性や状況や経験によって見え方や感じ方が違ってくる。
個々人の認識の差は、人間の五感に意識を加えた六識と、その奥の無意識の中にある末那識と阿頼耶識の二識が加わることで成り立っている。

法相宗の思想は、こういうものである。
華厳宗もそうだったが法相宗も、宗教というよりはむしろ学問や哲学に近く、僧たちは教えを広めたり修行をしたりせず、世の中の多くの苦しんでいる人たちのために祈ることなどもせずに、唯識理論の研究に没頭していたようである。
それでは、また境内を巡っていく。
東金堂は726年、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願して、薬師三尊を安置する堂として創建した。
重なる兵火による焼失後、室町時代の1415年に現在の建物が再建された。
これから東金堂の中に入っていく。
東金堂の仏像配置は上図のようになっている。
薬師如来坐像(重要文化財)を中心に、右隣りに文殊菩薩坐像(国宝)、その右に日光菩薩立像(重要文化財)、薬師如来の左隣りに維摩居士坐像(国宝)、その左に月光菩薩立像(重要文化財)を安置、四隅に四天王(国宝)、後じんに十二神将(国宝)を配置している。

この薬師如来坐像は、15世紀初期の室町時代に東金堂が再建された時期と同じころに造立されたとされている。
東金堂では取り立てて印象に残るものはなかった。





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