「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その5 宮沢賢治の書いた童話や物語から その2「グスコーブドリの伝記」

「グスコーブドリの伝記」は自己犠牲を扱った物語で、この種の物語のテーマは、「至高の愛=自己を捨てること」による他者の生存ということになる。
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よくある例としては、水難事故に会って救命ボートで脱出しないと助からないが、たとえば恋人の男女とか、夫婦とか、親子とかが取り残されている。

一人しか助かるスペースがないので、どちらかは死ということになる。

こういう命の瀬戸際とか限界状況の中で、至高の愛「自己犠牲による他者の生存」が生まれることになる。

有名な話としては、宗教者としての三浦綾子氏が実話に基づき小説化した、鉄道マンの事故犠牲による大勢の乗客の生存を扱った「塩狩峠」、あるいは、どこかの戦場で実際にあったという、助かる見込みの無い大怪我をした人が、飢えた戦友を助けるために命を絶ち、その死肉を喰って生き延びた話。

自分の命を捨てて愛する者の命を守ることは、動物の世界では日常的な行為として描かれている。

母親が幼い子どもを守るために犠牲となり、その結果として母親の命を引き継いだ子どもは、母親の失われた命の分まで生きれることになる、自己犠牲による至高の愛の完成の図式である。

「グスコーブドリの伝記」はこういう話の仲間で、僕の印象としては、三浦綾子氏の「塩狩峠」の世界に近いと感ずる。

 イーハトーブに住むブドリ一家は幸せな生活を送っていたが、ある年から冷害に襲われ、農作物の収穫が激減した。
 
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 冷害による飢饉の結果、父母は行方不明(たぶん餓死)となり妹は人さらいにさらわれ、ブドリは1人となりあちこちを転々として生き延びる。

 やがて、イーハトーブの気候を管理する火山局の気象科学者となったブドリ、農作物の生育管理や雨に含ませての肥料の散布まで行うようになる。

 幾分SF的だが、賢治の科学者としての知識が惜しみなく使われていて、このあたりは面白い物語となっている。

そして、また子どもの時に体験した冷害がやって来る。
 飢饉となり、人々は飢え始め、餓死するものが出始めた。

人々を救う道は唯一つ、大火山を爆発させ、空気中に含まれる炭酸ガス量を増加させ、地球の温度を一気に上昇させること。
 
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 ただ、この作業をやるためにはどうしても1人だけ犠牲者が出ることになる。(何故、犠牲者が1人だけ出るのか、その理由が物語には明確に書かれていない。)

この岩手県という冷害多発地帯の悲惨な生活実態をつぶさに見てきた賢治は、常日頃から、火山でも爆発させて深刻な冷害を吹き飛ばそうと、荒唐無稽な空想に浸っていたのかもしれない。

海の向こうの大火山はブドリの犠牲により無事爆発し、その結果地球の気温は五℃上昇し、イーハトーブの飢饉は収まり、人々の生活はもとのように豊かになった。

ブドリはしかし、救われた生活者すべての記憶の中に永遠に残り、生活者とともに実は歩いているのだと僕は考える。
 
ブドリの死は、地球上の命全体から見ればその一部であり、彼は死ぬことによって全体の生に戻っていく。

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