奈良散歩 その49 第一次大極殿 

 第一次大極殿の周りをぶらぶらと歩いているが、とにかくやたら広いという感想が一番に浮かんでくる。
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 平城宮跡の大きさはたぶん1km四方だと思うが、その大きさがどのくらいのものか、実際に歩いて感じてみる。
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 ここからも、はるか遠くに朱雀門が見えている。
 平城宮は平安京が都としての地位を確定すると放置され、しだいに農地となっていった。
 1852年には奉行所の役人であった北浦定政が「平城宮大内裏跡坪割之図」を著し、平城京の跡地を推定した。
 明治時代に建築史家の関野貞が田圃の中にある小高い芝地が大極殿(第二次)の基壇である事を発見、1907年に「平城京及大内裏考」を奈良新聞に発表した。
 この研究記事がきっかけとなり、棚田嘉十郎・溝辺文四郎らが中心となり平城宮跡の保存の運動が起こった。
 1921年には平城宮跡の中心部分が民間の寄金によって買い取られ国に寄付され、その後平城宮址は1922年に国の史跡に指定された。
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 これから、この第一次大極殿に入っていく。
 大極殿の中に入ると、ここにはボランティアガイドの方がおられて、その方の説明付きでここを見ることができた。
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 まず平城京の説明からである。
 平城京は東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の東側に東西約1.6km、南北約2.1kmの外京を加え、その総面積は約2,500ヘクタールもあった。
 都の南端にある羅城門から朱雀門までまっすぐにのびるメインストリートの朱雀大路は幅約74mもあり、この朱雀大路の西側を右京、東側を左京と呼び、碁盤の目のように整然と区画されたスケールの大きな都に10万人以上の人が暮らしていたといわれている。
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 平城宮は平城京の北端に置かれ、天皇の住まいである内裏すなわち内廷と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙のいわゆる外朝から成り、約120ヘクタールを占めていた。
 第一次大極殿は奈良時代前半に平城京の中心軸に建てられた平城宮の中心的建物で、天皇が様々な国家儀式を行う施設だった。
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 太極とは宇宙の根源のことで、古代中国の天文思想では北極星を意味することからも、ここが文字通り平城宮の中心だった。

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