奈良散歩 その65 法隆寺金堂 Ⅰ

 法隆寺で一番古い飛鳥時代建築となる西院伽藍内の金堂、五重塔、中門、回廊をさっと回って、次に金堂に入った。
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 法隆寺は607年に創建された寺院だが、日本書紀によると670年に火災によって焼失しており、現存する建物は再建されたものであるといわれている。
 しかし再建された建物といってもその建築様式などから、金堂は実質的に世界で一番古い木造建築物とされている。
 金堂の内陣には「中の間本尊」の釈迦三尊像、「東の間本尊」の薬師如来像、「西の間本尊」の阿弥陀三尊像の3組の本尊が安置されている。
 「中の間」「東の間」「西の間」は相互に壁などで明確に仕切られているわけではなく、柱の位置と天井に吊るされた3つの箱形天蓋とによって、ゆるやかに区切られているだけである。
 まず、「中の間本尊」の釈迦三尊像である。
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 内陣中央部、木造二重の箱形台座の上に、中尊の釈迦如来坐像と両脇侍菩薩立像が安置され、三尊全体の背後に大型の蓮弁形光背があり、これとは別に両脇侍はそれぞれ宝珠形の光背(頭光)を背負っている。
 銅造鍍金で像高は中尊が87.5センチ、左脇侍(向かって右)が92.3センチ、右脇侍(向かって左)が93.9センチである。
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 この釈迦三尊像の蓮弁形光背の裏面中央に、196文字の下記の銘文が刻されている。
  法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼
  前太后崩明年正月廿二日上宮法
  皇枕病弗悆干食王后仍以勞疾並
  著於床時王后王子等及與諸臣深
  懐愁毒共相發願仰依三寳當造釋
  像尺寸王身蒙此願力轉病延壽安
  住世間若是定業以背世者往登淨
  土早昇妙果二月廿一日癸酉王后
  即世翌日法皇登遐癸未年三月中
  如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴
  具竟乘斯微福信道知識現在安隠
  出生入死随奉三主紹隆三寳遂共
  彼岸普遍六道法界含識得脱苦縁
  同趣菩提使司馬鞍首止利佛師造
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 銘文の大意は以下のとおりである。
 西暦621年にあたる年の12月、聖徳太子の生母の穴穂部間人皇女が死去。
 翌年(622年)正月22日には太子も病に臥し、膳妃も看病疲れで並んで床に着いた。
 これを憂いた王后王子等と諸臣とは、太子の等身大の釈迦像を造ることを発願。
 太子の病が治り、長生きすることを望み、もしこれが運命であって太子のこの世での寿命が尽きるのであれば、極楽浄土に往生されることを望んだ。
 しかし、2月21日に膳妃が、翌日に太子が相次いで亡くなった。
 所願のとおり623年3月に釈迦像、脇侍像と荘厳具(光背や台座)を造り終えた。
 作者は司馬鞍首止利仏師である。
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 銘文には造像の年紀(623年)や聖徳太子の没年月日などが見え、法隆寺や太子に関する研究の基礎資料となっている。

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