近江街道をゆく その31 屋形船に乗って、八幡堀をゆく

彦根から近江八幡に帰り、その夜も近江八幡ステーションホテルで快適に眠った。 そして11月6日(日)、旅に出て7日目の朝となった。 毎日同じメニューではあるが、しっかりした朝食をこの日もおいしくいただいた。  今日の日程だが、午前中は近江八幡の街並みを見て、午後から五個荘をガイド付きで散歩する予定である。  近江八幡駅前か…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その68 洋館巡りの途中で「藩士のコーヒー」でお茶 

二つの教会を見てから、③ 青森銀行記念館に向かった。 側面から見ているが、実に堂々とした建物である。 これが、正面の顔である。 青森銀行本館(旧第五十九銀行本店本館)は弘前市にある歴史的建造物で、1904年に建設されたもので、1972年に国の重要文化財に指定さ…
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四国のみち その8 善通寺東院を歩く

東院は空海が創建した善通寺の伽藍があったので通称「伽藍」と呼ばれている。  上図のように、金堂、五重塔、南大門などが配置されている。  この門は中門で、この門をくぐって東院に入っていく。 東院の中央部にあるのが善通寺の本堂である金堂である。創建時の金堂は南大門と一緒に1558年の兵火によって焼失、現在の建物は1688年…
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能登(日本道)への道 その31 キリコ会館 

 朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りの続きで、キリコ会館に行った。  ここでは能登の伝統的な夏祭りである「キリコ祭り」に実際に使われているキリコの展示や、神事の紹介をしている。 キリコとは、「切子燈籠」の略であり、「切籠」でキリコと読ます。  キリコは祭りの御神灯であり、神輿の足元を照らす照明役として、神輿とともに担ぎ出され…
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2018年8月4日 アブの出ない8月の大石川 その1「日本国の異常気象」の中で(k)

 今年の7月はこれから将来に頻繁に起こるだろう「日本国の異常気象」を象徴するようなことになった。 7月初旬の西日本豪雨は、広島、岡山、愛媛の三県を中心に、中国、四国、九州地方に甚大な被害をもたらした。 豪雨被害は、このところ毎年日本各地に起こっていて、しかも年々被害の規模が大きくなっているようである。 特に倉敷市真備町(このあたりに鉄…
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砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その46 銀山街道をガイドと少し歩く

ガイドの寺本さんとは、このゆうゆう館で午後1時に初対面となった。 当初、ガイドの寺本さんとは午後2時に待ち合わせの予定であったが、待ち時間が長くなるのでガイドの了解を得てスタートを午後1時にしてもらったのである。彼女は自家用車を用意してくれていて、これから温泉津の街を3000円のガイド料で2時間程案内してくれる。 ここは沖泊…
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(動画)台湾紀行その9 「千と千尋の九份の街」を観光

(動画)台湾紀行その9 「千と千尋の九份の街」を観光    この旅は、「びっくり台湾ぐるり周遊5日間」と銘打ち、その旅の間に、台中、日月潭、鹿港、高雄、台東、花蓮、太魯閣、九フン、台北などを見て回る旅。 今回は「千と千尋の九份の街」を観光 である。 動画をクリックです!! ↓↓  http://ww…
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台湾紀行 その35 九份(ゴールドラッシュの街)を歩く

 九份は東洋随一の金鉱があった金瓜石に近く、かってゴールドラッシュに沸いた街。 清朝時代の1890年(明治23年)、基隆川に架ける鉄道橋工事の最中、作業員によって渓流から砂金が発見された。 1893年には九份にて金鉱を発見、一躍ゴールドラッシュの様相を呈し、翌1894年には金瓜石でも金鉱が発見された。 金瓜石鉱山は日本統治時代に東洋一の…
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青春交響の塔

 維新発祥の地・下関のシンボルとして、平成15年(2003)に維新の志士「高杉晋作」、「坂本龍馬」のモニュメントが、慶応2年(1867)6月小倉戦争で共に幕府軍と戦った関門海峡を望める場所に建立されました。  新しい時代の幕開けを共に夢見ながら、新時代の誕生を見ることなく逝った高杉晋作と坂本龍馬の友情が、二本のそりのある石柱で…
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2018年7月14日 「夏の盛り、7月の女川」 その4 一生幸せになりたかったら

今日の釣りは終わった。 釣りを終えて着替えると、すぐに「女川ハム工房」へ向かった。 工房で作られた美味しそうなハムが大きな冷蔵庫の中に並んでいる。 この中から選んだのが、豚肉のモモの干し肉で作った「ちょいワルの酒の肴」と豚肉のウデの干し肉で作った「湯上り熟女の酒の肴」である。 実は子どもの結婚相手…
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新神戸ものがたり その8 「山手八番館」、「北野外国人倶楽部」、「旧中国領事館」 

 「うろこの家」と「うろこ美術館」を見終えて次に向かった。  黄線のように歩いて、まず「山手八番館」、それから「北野外国人倶楽部」、「旧中国領事館」の順番で異人館を見て回った。  ここが「山手八番館」の入口である。  入口では天燈鬼と龍燈鬼の一組の鬼が出迎えてくれるが、写真に写っている鬼は天燈鬼、 この二人の鬼は善鬼で…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その3 ノシャップ岬にて

 国道40号線を北へ、稚内方向へ向かう。 向かう先は野寒布岬(のしゃっぷみさき)、ノシャップはアイヌ語でノッ・シャムといい「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味があるという。 この丘陵の左端が海に落ちるところが野寒布岬である。  司馬遼太郎の「オホーツク街道」冬の旅にはノシャップ岬はこんな風に紹介されている。 …
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長州路(2019年の旅) その12 「龍馬と晋作 二人の英雄を下関に訪ねる旅」

今日は体調がすぐれなかったので、ここからすぐにホテルに引き返したのだが、体調が普通であれば、これから坂本龍馬の下関ゆかりの地や、高杉晋作との交流の旧跡地を訪ねたかった。 実現できなかったが、ここからは「龍馬と晋作 二人の英雄を下関に訪ねる旅」となる。 赤枠で示した、伊藤助太夫邸跡、入江和作邸跡、白石正一郎邸跡、青春交響の…
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マチュ・ピチュの高み』第七の歌 おんなじ一つ深淵の死者たち

マチュ・ピチュの高み』第七の歌  第七の歌 おんなじ一つ深淵の死者たち   おんなじ一つ深淵の死者たち 深い奈落の亡霊たちよ こうしてきみたちの偉大さにふさわしいスケールで すべてを焼きつくすようなほんとの死がやってくると 穴のあいた岩から 深紅の柱頭から 階段状の水道から きみたちは転げ落ちた 秋のなかへ…
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近江街道をゆく その30 埋木舎(うもれぎのや)にて

この日の最後に、井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期の15年を過ごした埋木舎(うもれぎのや)に行った。 埋木舎は井伊直弼の命名で、ここは尾末町御屋敷(北の御屋敷)と呼ばれていた。 彦根藩井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりとされて…
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四国のみち その7 善通寺西院まで

帰りは20分くらいで785段の階段を降りて駐車場へ向かった。次の目的地は善通寺である。 善通寺まで6.5knほどである。 15分程走ると善通寺の5重の塔が見えてきた。善通寺は、平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された寺である。空海の入唐中の師であった恵果が住んでいた長安の青龍寺を模して建…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その67 レトロ洋館散歩で弘前の教会を見学 

夕暮れ路地裏散歩の余韻が残っていたのか帰り道で迷ってしまい、弘前プラザホテルへ到着したのは午後8時近くになっていた。 ホテル内のレストランで1600円の生姜焼き定食を食べ、その夜はぐっすり眠った。 ホテルからの朝の弘前市内風景だが、雲を頂く岩木山が見事な市街景観を作っている。 …
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その8 秘都ビルカバンバまで

(ビルカバンバ(一番左のエスピリトウパンパと書いてあるところがインカ最後の秘都ビルカバンバです。)はワンカカイエからコンセビダヨク川を下っていく。↑ 大きくして見てください。資料は高野淳「インカを歩く」から抜粋) インカ帝国の歴代皇帝の名前である。 1 マンコ・カパック 2 シンチ・ロカ 3 ヨケ・ユ…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その4 真の鑑賞力

 現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない これに連関して小堀遠州に関する話を思い出す。 遠州はかつてその門人たちから、彼が収集する物の好みに現われている立派な趣味を、お世辞を言ってほめられた。 「どのお品も、実に立派なもので、人皆嘆賞おくあたわざるところであります。これによって先生は、利休にもまさる趣味をお持ちにな…
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砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その45 石州瓦の町並みを見てから昼食

温泉から上がると休憩スペースがあるということで、まず2階に上がった。 2階の休憩スペースは丸窓の全面ガラスの丸窓の部屋で、ここで椅子に腰を下ろし、風呂上りの余韻を楽しんだ。それから屋上階に上がった。屋上階の踊り場にはコーヒーマシンが置いてあり、セルフサービスで景色を眺めながらコーヒー(無料)を楽しめる。 このテラスから見た石…
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台湾紀行 その34  台湾高速鉄道に乗る

 太魯閣渓谷の見学を終えると花蓮市内に戻って大理石工場の見学を1時間程したが、たいしたこともなかったので省略する。 大理石工場の見学を終えると、僕等のツアーは青線区間を台湾高速鉄道に乗った。行く先は1年のうちの280日が雨という、千と千尋の神隠しのモデルとなった九份(チュウフン)の街である。 この花蓮駅から高速鉄道に乗り込んだ。 乗車し…
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「日本最長10河川の旅」で出会った「日本を代表する人物」 

渋民公園内の啄木歌碑が見たかった。あのやはらかに柳あをめる      北上の岸辺目に見ゆ         泣けとごとくにの歌碑である。  遠く岩手山を望む北上河畔に、啄木没後10年を記念して大正11年にこの短歌を刻んだ歌碑が建てられた。 歌碑は大勢の啄木ファンの寄付で集まった資金を元に、地元の無名の青年たちの手により建てられたもので、…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その2 抜海岬にて

 司馬遼太郎の「オホーツク街道」冬の旅には稚内付近はこんな風に紹介されている。 『地図をひろげてみた。こぶしをつきだして親指を立てると、稚内半島である。低い丘陵が背になっている。親指の爪の先が野寒布岬である。さらに人さし指を立てると、その指先が宗谷岬で、親指と人さし指のあいだの海面が、宗谷湾としてひろがっている。』 親指と人差し指という…
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「オホーツク街道」の旅 その4 猿払川でイトウに挑む!!

 地図上の3番目の川は「猿払川」である。  猿払川は北海道の中でも最も数多くイトウが生息し、個体数が安定している数少ない河川。  湿原をゆっくりと流れ、下流域の川底が深い場所では水中はほとんど見えず、スケールが大きく、力強さを感じさせるその流れは、幻の魚イトウが潜むには迫力十分。    猿払川下流部の写真の右手真ん中よりボロ沼に続く水…
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長州路(2019年の旅) その11 みもすそ川公園 

次に、みもすそ川公園に行った。 みもすそ川公園は下関市にある都市公園で、源平合戦の最後の舞台となった壇ノ浦に面し、国道9号と関門海峡に挟まれて立地している。 ここには様々な施設がある。 これは松本清張が幼少時の一時期に下関市に住んでいたことを記念したもので、自叙伝的小説「半生の記」の一節が刻まれている。 …
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飛騨街道をゆく(2014年の旅) その40 神田家と長瀬家を見学

 白川郷の田舎道は本通りの裏道となっていて、実は裏道が実際の観光地となっていて、見学できる合掌造りの家が並んでいる。 和田家を出て、黄線で塗った道を歩き、あ;神田家、い;長瀬家、う;明善寺の順に見学した。 この道にはコスモスの咲いている場所も何箇所か有り、いかにも中頃の…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その66 鹿田智嵩団長、楽しい弘前の夜をありがとう 

明治屋ゴールデン街は、起伏に富んだ地形の上にビルがいくつも増改築を続け、迷路のように複雑に入り組んでいて、そこにバーやスナックが林立する、香港の九龍城のような場所である。 そこの床に「弘前一あいその悪い店」と書いてあるやきとり屋があった。 ゴールデン街の有名店の「鳥正」である。 店の雰囲気を団長…
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近江街道をゆく その29 彦根城下を散策

ガイドと別れ、これから城下町を散策ということになるが、まず赤字1の四番町スクェアで昼食、それから赤字2、3、4の順に街を廻る。 四番町スクェアは彦根市場商店街が前身で、商店街の再開発を策定し、大正時代の町並みをイメージした商店街が2006年5月に完成したのである。 こんな看板が出ている街の中に入っていく。 この街の…
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四国のみち その6 御本宮に到着

 ようやく365段目の大門直下である。  大門は急勾配の一ノ坂上に立つ二層入母屋造の総門で、水戸光圀の兄で高松藩主となった松平頼重が寄進した。 この大門より先は神域とされている。  大門から後ろを振り返ると、琴平町と背後の山々が手に取るように見えた。  大門までが急坂の階段で、ここからは平坦な参道が続いていく。 …
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能登(日本道)への道 その30 朝市通りを散策  

朝食の後は、朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りということで、まず輪島川に架かる「いろは橋」を見に行った。 黄矢印で示した黄枠のなかの橋である。 この橋は、輪島高校に通う津村希の通学路シーンなどで度々登場した。 次に、この橋の右詰に2016年春にオープンした「輪島ドラマ記念館」に行った。  ここにはNHKのス…
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ジュンチャンと世界を巡る 第103回はエジプトのアレクサンドリア

 偉大な古代文明を築いたエジプトは、たった1回ではその全容を把握できませんので、以前「インターネットで旅した釣り師のブログ」から、ナイル川に沿って、アレクサンドリア、カイロ、ルクソール、アスワンの4回に分けて紹介します。  アレクサンドリアは、カイロに次ぐエジプト第2の都市である。  現地語であるアラビア語ではアル=イスカンダリ…
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砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その44 温泉津温泉に入る

 7月最後の日の朝となった。  今日の計画であるが、戦国時代や江戸時代には石見銀山の積出港として栄え、石見銀山とともに世界遺産として登録されている温泉津で一日過ごす予定である。 朝飯をホテルアルファーワン第2松江で食べ、9時2分の電車に乗って温泉津に向かった。  予定通り、10時33分には温泉津駅に到着した。  温泉津…
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2018年7月14日 「夏の盛り、7月の女川」 その3 小和田橋下流を釣る

次に、小和田橋下流の方へ行った。こちらの方は、いつもこの女川で釣っている、シマノの中国製の「天平」という5.3mのカーボンロッド(自重105g;12本つなぎ)で釣る。この棹は軽く使い勝手もいいので、同じものを2本持っていて、今日は古い方で釣ることにした。 まず、小和田橋下流に入ってすぐのところで1匹小さいのが出た。ここら辺はいたる…
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台湾紀行 その33 太魯閣渓谷(タロコ渓谷)を見学

 2013年3月26日(火)の朝となった。 台湾4日目のこの日の朝は5時に起床、6時からホテルでバイキング朝食、7時にはホテル出発という強行日程だった。  阪急交通社さんの密度の濃い(よく言えばの話だが)日程には、2012年10月の韓国一周の旅で慣れている。 4日目は、花蓮の北方に位置する太魯閣渓谷(タロコ渓谷)を最初に見学、その後市内…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅 その1

 これから、謎の海洋民族であるオホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅のスタートをする。 今回の旅はその序章ということで、本格的な旅は来年度以降ということになるが。 平成24年度から「グレートジャーニーⅠ(街道を行く;国内編)をスタートさせる予定で、そのスタート地点を日本最北端の地である稚内市の宗谷岬にするという計画はもう既に立てている。…
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2018年7月14日 「夏の盛り、7月の女川」 その2 小和田橋上流を釣る

源流釣行の世界に少々浸った後で、アウトドアでの朝食である。 メニューは「ハムチーズたまご」と「ジューシーハム」のサンドイッチと有明海の海苔を使ったみそ汁である。 デザートはこのトマト、家庭菜園で採れた「もぎたてのトマト」を、能登半島を旅した時に買った「能登の塩」でおいしくいただいた。もちろん最後はいつものUCCコーヒーで締めて、さて…
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新神戸ものがたり その7 うろこの家

 北野異人街の歴史の概要を見たところで、異人館に突入する。  急傾斜のオランダ坂を上ると、正面に北野異人街の一番高台に建っている「うろこの家」が見えてくる。  まず最初は、この「うろこの家」からである。  うろこの家は神戸で最初に公開された代表的な異人館で、国の登録有形文化財や兵庫県住宅百選にも指定されている伝統的な建築物…
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長州路(2019年の旅) その10 赤間ヶ関史跡を歩く

 赤間神宮から降りて、神宮の前の道を渡って赤間ヶ関と言われた港まで歩いていく。 目の前の道路を渡って、今は公園として整理されている赤間ヶ関港まで歩いていく。  赤間ヶ関は鎖国政策の江戸時代、公式な外交をしていた朝鮮国が1607年〜1811年の間に合計12回の朝鮮通信使を来日させ、そのうち11回寄港地となった港である。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その65 蓬莱橋から明治屋ゴールデン街まで 

これから、団長の話はますます佳境に入って面白くなっていく。 中央弘前駅を降りた男女高校生は、家に直ぐには帰らず土手川の周辺を土手ブラ(ここでは銀ブラとはいわない)し、午後8時頃になると、蓬莱橋下に集まってくるという。 ここはほとんど真っ暗で、男女高校生たちはここでお別れの最後の熱い抱擁や情熱的なキ…
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