近江街道をゆく その28 絶景の彦根城と玄宮園をゆく

これから天守を下って、第四代彦根藩主井伊直興によって造営された江戸時代の大名庭園である玄宮園に向かって歩いていく。 その途中でガイドが立ち止まって、要所要所の見所を説明していく。 ここが、先ほど天守から説明のあった搦手門(からめてもん)である。 実際に門があった当時は、ここを人一人がやっと通り抜けて城から脱出していったのだ…
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四国のみち その5 金比羅宮の大門まで

 ホテルで朝食を食べ、午前8時20分過ぎにホテルから歩いて3分ほどの距離にあるトヨタレンタリース東四国高松店に行った。  今日の日程であるがあくまでもこれは計画で、今日は金比羅宮と善通寺と丸亀城をレンタカーで回って、観音寺駅からは電車で愛媛県の松山に入ることになる。 東四国高松店でいつものトヨタビッツを借りて…
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アマゾン河の旅 その7 マチュピチュ遺跡にて

          ワイナピチュからマチュピチュを遠望 ↑   マチュピチュ遺跡を発見したのは、アメリカのエール大学で考古学を教えていたハイラム・ビンガムである。  旺盛な好奇心を持ったアメリカの青年は、ワイナピチュ(若い峰という意味)やマチュピチュ(年老いた峰という意味)を見上げるマンドル・パンパというウルバンバ川沿いの地…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その3 暗示の価値

暗示の価値  大家は、東西両洋ともに、見る人を腹心の友とする手段として、暗示の価値を決して忘れなかった。 傑作をうちながめる人たれか心に浮かぶ綿々たる無限の思いに、畏敬の念をおこさない者があろう。 傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らしているではないか。 これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややかなものではないか。 前…
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砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その43 出雲国庁跡を散策  

松江に戻ってから出雲国庁跡を目指した。ナビが不調で何回も道に迷いながら、ようやく出雲国庁付近に到達した。 出雲国庁跡前を流れる意宇川沿いの土手に車を停車し、意宇川を眺めながらコンビニで買った海苔巻き稲荷弁当で遅い昼食をとった。意宇川は出雲国風土記にも登場し、アユやウグイがいたと書かれており、古代には中央からここへ赴任した役人にも親…
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台湾紀行 その32 花蓮の宿は統帥大飯店

 アミ族ショーを楽しんだ後は、市内のレストラン(記録がないのでどこかは不明)で広東料理での晩餐となった。 ここでは酢豚などの僕ら日本人が普段親しんでいる料理が出されたので、メモには今まで台湾で食べた料理の中で一番合っていたと書いてあった。 なお、スープはとびきり美味しいコーンスープと記録にあった。 晩餐の後は、今夜の宿である花蓮の「統帥…
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「日本最長10河川の旅」で出会った「日本を代表する人物」 北上川への旅 その8 石川啄木 NO2 学校の図書庫の裏…

常光寺の次に、啄木が少年時代・青春時代を生活した岩手県盛岡市玉山区渋民字渋民に向かった。 ここには、少年時代・青春時代を生活した宝徳寺、啄木が通った旧渋民小学校跡地、旧斎藤家跡地などがあるが、旧渋民尋常高等小学校校舎と旧斎藤家は石川啄木記念館の敷地内に移築されている。最初に啄木記念館に入った。 石川啄木記念館は石川啄木の人となり…
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「オホーツク街道」の旅 その3 猿骨川で釣り師の夢を満喫!!

 僕は今、猿払村のど真ん中にいる。  「思いっきり大きいイトウに会いたいなら猿払村に行け」、イトウ釣りを少しでも目指す者が最初に出会う言葉が、この言葉である。  猿払村は北海道最北の村、日本で2番目に広い。北海道の中でも特に寒さの厳しい地域で真夏は最高でも30℃に達しない年も多く、厳冬期には気温が-20℃くらいまで下がり、もちろん海には…
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天塩川の旅 その11 そして、天塩川河口へ・・・・

 道の駅なかがわで昼食を食べる。カレーパンとコロッケと串かつ、合計で320円の出費となった。  食事の場所は車の中、「北海道命名の地」で野生の生き物の糞と臭いを体験し、ひょっとするとヒグマかもと思いながら、急ぎ足で退散して来たので、こんな簡素な食事でも美味しく戴くことが出来た。 やはり人の臭いのする安全な場所は心からくつろげる。 ここ…
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長州路(2019年の旅) その9 赤間神宮を散策

午後はいろいろ計画を立てていたのだが、昨日の睡眠不足で本調子とまではなかなかいかないので、黄☆印の赤間神宮と御裳濯川公園だけに留めることにした。  まず最初に、赤間神宮に行った。  赤間神宮は壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る神社である。  正面中央の門が水天門で、竜宮城を模した竜宮造の楼…
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飛騨街道をゆく(2014年の旅) その39 国指定重文和田家を見学 

城址展望台を降りると、まず国指定重要文化財となっている和田家を見学した。 和田家は荻町合掌集落で最大規模を誇る合掌造りで、江戸期に名主や番所役人を務めるとともに、白川郷の重要な現金収入源であった火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引によって栄えた。 現在も住居として活用されているが、家の1階と2階部分が公開されている。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その64 吉野町煉瓦倉庫から中央弘前駅まで

駅舎を出ると、1920年に建設された弘前昇天教会が見えてきた。 弘前は東北でも早くからキリスト教が入ってきたということで、この頃に建物がまだ3棟残っているという。 この教会堂はイギリス積みの赤レンガが特徴的なゴシック建築の建物で、十字架の下には鐘が付いていて、下で紐を引っ張ると実に柔らかい音がする…
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近江街道をゆく その27 天守にて

天守に入り、天守から北の方角を眺めた。 森の向こうの広大な平原は、城の建てられた当時は琵琶湖の内海だった。 遥か向こうに山脈がありその一部が途切れているが、琵琶湖から途切れている場所を抜けて帆かけ舟が城に入ってきて、お殿様はその光景が大好きだったという。 そういえば司馬遼太郎は「街道をゆく 近江散歩」の中で、中学生の頃に安…
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四国のみち その4  披雲閣などを散策

 次に披雲閣へ行った。披雲閣は江戸時代には政務が行われる場所、藩主が生活する場所として使われた。 現在の披雲閣は、明治維新後に老朽化を理由に取り壊された旧披雲閣を高松松平家の12代当主賴寿伯爵が3年余りの歳月をかけ1917年に完成したものである。 披雲閣庭園は披雲閣を建築した際に、東京の庭師大胡勘蔵によって作庭された庭園である。 …
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能登(日本道)への道 その29  民宿「海岸通り」に宿泊 

 時国家から、今日と明日の宿泊地となる朝ドラ「まれ」の主要な舞台でもある憧れの輪島の街に戻った。  ヨットのメモリアルの後ろに見えている建物は、一度は宿泊を考えた「ホテルルートイン輪島」で、宿泊料金が高かったので、「海岸通り」という民宿に泊まった。  ここは素泊…
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2018年7月14日 「夏の盛り、7月の女川」 その1 源流釣り師に出会う(k)

 7月に入って最初の釣りだが、今日は女川の小和田橋の上流と下流を釣ることにした。もちろん釣りの対象は7月解禁となったアユではなくいつもの山女、アユ釣りの季節は彼らを避けながらの釣りとなる。この小和田橋に7時半過ぎに到着して朝飯の準備をしていたら、トヨタFJクルーザーに乗った二人組が小和田橋手前で右往左往してから停まって、そのうちの一人が…
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砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その42  神原神社古墳にて

ここまで来たので、加茂岩倉遺跡から3km程の距離にある神原神社古墳まで足を延ばした。 この古墳は、昭和47年に近くを流れる赤川堤防修繕のために神原神社を調査した際に発見されたもので、竪穴式石室をもつ4世紀中頃の1辺約30mの方墳(前期古墳)である。 お昼頃に神社に到着、大鳥居のすぐ奥にレンタカーを停車して、赤川改修工事のため…
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新神戸ものがたり その6 北野異人街散策の始まり

 布引ハーブ園は昼食だけにして、再び新神戸の街に戻った。  これから北野異人街を散策する。  神戸の北野が歴史上に現れたのは、1180年の福原遷都に際して平清盛が都の鬼門鎮護のため、京都の北野天満宮をこの地に勧請したことによる。  時代が下って明治の開港まで、北野から三宮の地域は神戸村や北野村という名の農村地帯であり、砂浜と田畑と…
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(動画)台湾紀行その7 花蓮・アミ族のショー

(動画)台湾紀行その7花蓮・アミ族のショー  この旅は、「びっくり台湾ぐるり周遊5日間」と銘打ち、その旅の間に、台中、日月潭、鹿港、高雄、台東、花蓮、太魯閣、九フン、台北などを見て回る旅。 今回は花蓮・アミ族のショーである。 動画をクリックです!! ↓↓  https://www.youtube.com/wat…
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台湾紀行 その31 台湾原住(先住)民族アミ族のショー

 それでは、アミ族のショーを見学である。 花蓮市内の地図だが、赤矢印の位置がアミ族ジョーの行われる阿美文化村である。 ショーは1回目が夕方の午後5時半から、2回目が午後7時半からということで、それぞれ1時間程行われる。 僕等のツアーは1回目の開演時間に合わせて、午後5時少し過ぎに、ここに到着していた。 ここで偶然、台中でバスの乗り違いを…
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ジュンチャンと世界を巡る 第102回はモーリタニア

 モーリタニアはアフリカ北西部に位置する共和制国家で、北西に西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国)、北東にアルジェリア、東と南にマリ、南西にセネガルと国境を接し、西は大西洋に面しています。  首都はヌアクショットで2015年の人口は約406.8万人、アフリカ世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟に加盟し、またアラブ・マグ…
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2018年6月23日 「神の意に沿う6月」の釣りⅢ 大石集落裏を釣る その3 「胎内の釣り師」

 釣りを終えて時間を見ると、午前11時半になっていた。  今日はいつものコースをやめて、ほんの少し贅沢をすることにした。  贅沢の内容だが、500円出して「えちごせきかわ桂の関温泉ゆーむ」で釣りの汗を流す代わりに、800円出して「ロイヤル胎内パークホテル」で汗を流すのである。  朝と同じ道を戻って、黒俣集落で道を左…
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天塩川の旅 その10 『北海道命名の地』に立つ!!

 北海道命名の地があると聞いて、「美深森林公園びぶかアイランド」を後にし、国道40号線を北上する。 音威子府市街を過ぎ、国道40号線を約7km北上し、国道左カーブ手前から右折する。 そこには案内看板が立っているのだが、よほど注意してないと行き過ぎてしまう。  案内看板に従い国道を右折し、未舗装の砂利道をゆっくり降りていく。数百…
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長州路(2019年の旅) その8 唐戸市場で寿司

 長府から下関の唐戸市場に向かった。  唐戸市場の「市場食堂よし」で、1200円の「ふくさし定食」を食べる計画を立てていた。  午前11時半頃には唐戸市場に到着した。 かつての交通の要衝であり下関市の中心エリアであった唐戸における市場は、1909年の路上での野菜・果物の販売の公許に始まる。 1924年には魚市場が阿弥陀寺町から移…
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動画 近江街道をゆく 彦根城を上がっていく その3 一番強固な城、その4 佐和山城遠望、彦根城天守を望む

彦根城を上がっていく その3 一番強固な城 https://youtu.be/t9FqVYGuUus 彦根城を上がっていく その4 佐和山城遠望 https://youtu.be/kaP9jfjPIdg 彦根城天守を望む https://youtu.be/X6RMs3kk6gI
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近江街道をゆく その26 彦根城天守に立つ

ガイドと楽しくブラタモリ風に見学しているうちに、目指す天守が近くなってきた。 ただ、なかなか目指す天守は目の前に現れてこない。 こんな坂がけっこうだらだらと続いていく。 ガイドはこの坂を左に曲がって、先ほど見た天秤櫓の中に入った。 ここでも、ガイドは天秤櫓についていろいろと詳細に説明してくれたが、そのことはここで…
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四国のみち その3 玉藻公園(高松城跡)に入る

このステーションホテルは、ブーンという耳障りな音が夜中中聞こえた他は、高松駅に近くて、観光地となっている玉藻公園(高松城跡)が道を挟んで隣接していて、しかもレンタカー会社まで3分程という便利な場所にあった。 ホテルの具体的な位置は、グーグルマップで目的地に立っている赤ピンの場所である。 5月15日(火)は午前…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その63  弘前路地裏夕暮れ散歩 その1

最勝院と長勝寺の見学を終え、弘前プラザホテルにチェックインした。 このホテルで2泊した。 部屋で1〜2時間休んで、今日最も楽しみにしていた「弘前夕暮れ路地裏散歩」の集合場所である、弘前市まちなか情報センターへ向かった。 ここには毎週金曜日開催とあるが、僕の場合…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その6 クスコにて

 アマゾン河はイキトスでマラニョン川とウカヤリ川に分かれるとそのあと本流ウカヤリ川はペルー内陸部を南下し、ビルカバンバ山脈の北端で、ウルバンバ川とアブリマック川に別れる。    ウルバンバ川 ↑  クスコはウルバンバ川の上流部に位置する町、そしてそこはアマゾンの源流地でもある。  アマゾン河の旅…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その2 名人とわれわれの間の内密の黙契

宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」 現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。 われわれは、手のつけようのない無知のために、この…
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砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その41 加茂岩倉遺跡を散策

今日は7月30日でもうすぐ7月は終わるが、2017年の7月は大変な7月となっていて、今までに8個の台風が発生していて、そのたびに日本全国で大雨が降り大災害が起こっていた。  でもここはそんなことが嘘のように、ヒグラシやアブラゼミが鳴き、時々ウグイスの鳴く声も聞こえる楽園のような世界である。台風が来て大雨が降っている間は、夏はどこか…
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台湾紀行 その30  台湾原住(先住)民族アミ族のこと その2

台湾原住民の祖型がわかったところで、話を進めて行く。 現在、政府から認定された原住民族は、タイヤル(アタヤル)、アミ、ヤミ(タウまたはタオ)、プユマ、パイワン、ルカイ、ブヌン、ツォウ、サイシャット(サイシヤット)、サオ、タロコ、カバランの十二族で、住み分けは上図のとおり。 台湾原住民族の歴史だが、1603年(明:万暦31…
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「日本最長10河川の旅」で出会った「日本を代表する人物」 北上川への旅 その8 石川啄木 NO1 青春の匂いだけの…

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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「オホーツク街道」の旅 その2 「え、もう釣れちゃったの?」とバイブルに出ていた知来別川だが・

 6月26日(火)、今日はイトウ釣りに挑戦する一日である。 イトウ釣り以外は何もしない、真面目に極北の大魚イトウに大真面目にチャレンジすることを目的とした一日である。  イトウは体長は1mから大きいものでは1.5mに達し、記録上最大のものでは、1937年(昭和12年)に十勝川でおよそ2.1mのイトウが捕獲されたことがあるという。  こう…
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天塩川の旅 その9 太古の化石魚「チョウザメ」

 天塩川と旧河川跡である三日月湖の間の土地を利用して造成された森林公園びぶかアイランド、ここには、多目的広場、キャンプ場、テニスコート、パークゴルフ場、オートキャンプ場などがある。  キャンプ場の近くには、チョウザメの養殖展示を行なっているチョウザメ館がある。  チョウザメと言えばキャビアで有名だが、チョウザメ肉は高級食材として…
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飛騨街道をゆく(2014年の旅) その38 合掌集落白川郷に到着

飛騨街道の旅も、今日で7日目である。 今日の日程は一日白川郷(荻町)の散策で、宿泊も白川郷である。 白川郷(荻町)は岐阜県内では飛騨高山と並んで最も外国人の観光客に人気があるスポットであるが、日本の観光客にとっても人気スポットである。 たとえばある旅行社の「死ぬまでに1度は行ってみたい!日本の絶景・…
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長州路(2019年の旅) その7 忌宮神社まで歩く

長府毛利邸を出て、これから黄線の道を矢印のように歩いて、忌宮神社まで歩いていく。 この道は、長府の中で最も城下町の面影を残す場所を通る道でもある。 道の右側には歴史を感じさせる赤茶けた土塀が続いていて、前からは犬を散歩させている女性が、こちらに歩いてくる。 このあたりには国衙や国庁が置かれていたので、いわば…
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