2018年 幻の40cmオーバーを撮り損ねた その2

 それではこれから雪を踏み分けてA沢へ突入する。 その前に、この沢用のアイテムを紹介する。  これが、尺岩魚取り込み用のタモ網(玉網)である。  網の最横長45cm、写真の網の長さ130cm(最長180cmまで伸びる)の手作りで、沢の水面にいる岩魚も沢の岸上からゲットすることができる。  針はアマゴ半スレヒネリ8号でハリス…
コメント:0

続きを読むread more

松前街道をゆく(2014年の旅) その10 レストラン五島軒でイギリスカレーの昼食

歴史発見ゾーンでの詳しい展示資料を参考にして、箱館奉行所や五稜郭のこと、箱館戦争のことなどについて書いてきた。 明治時代が始まるまで、北海道は蝦夷地であり、江戸幕府が掌握する日本人以外の人々の住む異国だった。 アイヌ人が居住し、本質的には彼らの土地である蝦夷地を、日本人の手によって名実ともに日本の国にすることが、明治政府の進めた北海…
コメント:0

続きを読むread more

「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その28 稲村ヶ崎と新田義貞の鎌倉攻め

 鎌倉ものがたりと横須賀ストーリーの旅も4日目となり、今日は「鎌倉ものがたり」最後の日で、江ノ電に乗り江ノ島まで行く。 計画は上記のとおりであるが、雨天となってしまったのでこの計画がどうなるかはまったくわからない。 この日の朝食は、素泊まり1泊8500円のホテルニューカマクラの部屋の中で、コンビニで買った納豆巻とハムとおにぎりと…
コメント:0

続きを読むread more

ジュンチャンと世界を巡る 第63回はコスタリカ

 今は憧れの中央アメリカに来ています。  中学生に地理の時間の前に遊んでいた、「グアテマラ、ニカラグア、ホンジュラス、コスタリカ、エルサルバドル、パナマ」という国々が登場しています。  今回は、コスタリカ(スペイン語で「豊かな海岸」の意味で、クリストーバル・コロンがこの地に上陸した時に、遭遇したインディヘナが金細工の装飾品…
コメント:0

続きを読むread more

木曽川への旅(2008年) その14 馬籠宿を歩く(藤村記念館を見学)

馬籠到着は午前11時前、馬籠宿をさっと見学してここで昼食を食べ、お昼には妻籠に向かって歩こうと決めた。 馬籠は石畳の綺麗な坂の町で、道の両側に民宿や旅館や土産物屋や食堂が軒を並べている。案内図の右手(北の方角)が妻籠へ続く旧中山道である。 案内図を拡大して見やすくして見学した場所を示すと、まず赤字Aの藤村記念館、そして馬籠脇本陣…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩Ⅱ その19 スカイツリーで展望デッキと天望回廊に上がる

まず、地上350mにある展望デッキに到着である。  ここには記念撮影スポットやレストランやショップなどがあり、大変にぎやかだった。  特に展望デッキの記念撮影スポット付近は、見学者でごった返していた。  展望デッキから隅田川とそこに架かる橋を確認しながらここに40分ほどいたが、それが午後からの散策をより楽しいものにした。 …
コメント:0

続きを読むread more

津軽街道をゆく(2013年の旅) その12 いか焼き村、千畳敷そして鰺ヶ沢へ

深浦を過ぎ、五能線沿いを道なりに、国道101号線を北上していく。しばらく行くと、道の駅ふかうら「風合瀬(かそせ)いか焼き村」という名称の道の駅があったので、そこで小休止した。  ここは東北でちょうど100番目に誕生した道の駅で、名物の生干しイカや新鮮な魚、さざえ、地元で取れた新鮮野菜や浜の「かっちゃ」が作る海産物加工品などを販売し…
コメント:0

続きを読むread more

近江街道をゆく その30 埋木舎(うもれぎのや)にて

この日の最後に、井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期の15年を過ごした埋木舎(うもれぎのや)に行った。 埋木舎は井伊直弼の命名で、ここは尾末町御屋敷(北の御屋敷)と呼ばれていた。 彦根藩井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりとされていた…
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その6 スーダン南部

     牛と共生生活を送るディンカ族 ↑(問題は最後ダヨ、)  スーダンは現代アフリカの縮図であり、とりわけ南スーダンはその典型と言える。  それは、誰もが連想する貧困、飢餓、感染症による病死、少数民族の間で今も続く原始的な牧畜や農耕生活の風習、アニミズムと呼ばれる原始宗教による日々の暮らしぶりという意味であるが…
コメント:0

続きを読むread more

日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その6 北上川 NO2 宮沢賢治の理想

賢治は、花巻で一、二を争う程裕福な商家に生まれた。                                 宮沢賢治生家 父親の政次郎は理財の才能のある人で、彼は知人にもし自分が宗教というものにまったく縁のない人間だったら、三井や三菱のような財閥を築いていただろうと語っていたというエピソードがあるが、それ程賢治の父は…
コメント:0

続きを読むread more

松前街道をゆく(2014年の旅) その9 蝦夷共和国のこと

12月15日、蝦夷地を平定した旧幕府軍は箱館政権を樹立、この政権は蝦夷共和国と俗称された。 しかし榎本らは「蝦夷共和国」と名乗ったことはなく、また独立主権国家たると宣言したわけでもない。  総裁は入れ札(選挙)によって決められ、榎本武揚が総裁となった。 この総裁選はアメリカなどの政治制度を模範に日本で初めて行われた選挙で、投票…
コメント:0

続きを読むread more

「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その27 切通し四箇所を歩き、鎌倉五山の全てを歩く

次に建長寺の鎌倉街道を挟んで向かい側に建っている円応寺を見学した。 ここは閻魔大王を本尊としているユニークな寺である。 この寺を出て、鎌倉街道を鶴ケ丘八幡宮の方向に歩いて行く。 鎌倉には山道を行く七つの切通しが整備されていて、その中の一つが巨福呂坂切通し。 巨福呂坂切通は山ノ内(北鎌倉)方面から鶴岡八幡宮へと抜ける坂道で、朝…
コメント:0

続きを読むread more

最上川と「おくのほそ道」の旅 その28 上杉家廟所を歩く

続いて、歴代藩主の墓である赤②の上杉家廟所である。 樹齢400年を越す老杉の奥に、厳粛な空気に満たされて御廟所はあった。 上杉景勝公が亡くなった1623年より上杉家の御廟所とされ、以後歴代の藩主が埋葬されてきたが、明治6年の米沢城解体に伴い米沢城に安置されていた上杉謙信公の遺骸も明治9年に御廟所へ移された。 …
コメント:0

続きを読むread more

「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その5 石ノ森漫画館

旧北上川の河口に位置する石巻市 は,宮城県で二番目,約17万人の人口を持つ,北東部地域を代表する港湾都市である。 江戸時代には,水運交通の拠点に位置する「奥州最大の米の集積港」として,日本海側の酒田と並び,全国的に知られた交易都市となった。 明治時代からは,金華山沖漁場を背景に漁業のまちとして栄え,昭和39年に新産業都市の指定を受け…
コメント:0

続きを読むread more

木曽川への旅(2008年) その13 妻籠からバスで馬籠まで

「桃介橋」を見終えると、妻籠に向かった。  妻籠宿は、中山道42番目の宿場(中山道六十九次)で、蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。 中心部だけを拡大してみる。 妻籠での今夜の宿は赤矢印の坂本屋である。 この宿に連絡して車の駐車場を確保し、バスの出発時間まで青矢印の「喫茶道」で時間を過ごし、黄矢印の妻籠橋バス停からバスに乗る。 …
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩Ⅱ その18 スカイツリーに初めて会う

両国のホテルまでの帰路をどう帰ろうか迷ったが、葛飾柴又駅の駅員に教えてもらって、京成高砂駅と浅草橋駅の2回の乗り換えで済ませて、午後4時過ぎに無事両国へ戻った。 ホテルに着くと、350mlの缶ビールを飲んで夕食時間まで身体を休めた。 夕食はいろいろ悩んだが、午後6時半頃に総武線両国駅のガード下で24時間営業している磯丸水産西…
コメント:0

続きを読むread more

「オホーツク街道」の旅 その28 紋別で、流氷の天使「クリオネ」と対面する。

 オムサロ遺跡から次の目的地である紋別市のオホーツクタワー近辺へは距離にして15km程度、国道238号線を20分程度走行して、そこに到着した。  紋別市は明日行く予定の網走市と並んで、冬の流氷観光の拠点となっている街である。  オホーツク海の流氷は、サハリン北東部の海で生まれ北海道まで流れてきたロシア生まれの舶来流氷と、1月下旬頃に…
コメント:0

続きを読むread more

津軽街道をゆく(2013年の旅) その11 太宰の宿「ふかうら文学館」にて

深浦町の散策の次の目的地は秋田屋旅館である。秋田屋旅館は、今はふかうら文学館として一般公開されている。 文学館へ向かって、太宰が「何かあきらめた、底落ち着きに落ち着いている」とその印象を書いていた深浦町の1本路を歩いていく。落ち着いてはいるが、前に歩いたことがあるような懐かしさを感じさせてくれる静かな北のまほろばの湊街であ…
コメント:0

続きを読むread more

近江街道をゆく その29 彦根城下を散策

ガイドと別れ、これから城下町を散策ということになるが、まず赤字1の四番町スクェアで昼食、それから赤字2、3、4の順に街を廻る。 四番町スクェアは彦根市場商店街が前身で、商店街の再開発を策定し、大正時代の町並みをイメージした商店街が2006年5月に完成したのである。 こんな看板が出ている街の中に入っていく。 この街の…
コメント:0

続きを読むread more

金沢紀行 その3 「金沢文芸館」にて 

次に歩いたのは、兼六園の北東に位置する浅野川の両岸である。 具体的には、浅野川左岸の浅野川大橋付近の「主計町茶屋街」と、浅野川右岸の浅野川大橋から梅の橋までの広がりを持つ「ひがし茶屋街」である。 まず、「主計町茶屋街」近くの「泉鏡花記念館」に入った。 記念館は、泉鏡花の生家跡(生家は明治時代の火災により焼失)に建つ…
コメント:0

続きを読むread more

歴史・地理雑学 日本という呼称の起源について

 言語の歴史は人類の起源ほどにはわかっていないらしいが、人類の移動・拡散に伴ってどんどん数を増やしていった言語の数は、かって1万種以上もあったということだ。  それが文化のグローバリゼーション(地球規模の文化の均一化)によって、現在は6千語くらいしか話されていないという。  その言語を語族として分類すると大まかに20くらいの…
コメント:0

続きを読むread more

2018年 幻の40cmオーバーを撮り損ねた その1

 このところ、毎年4月1日の荒川水系の解禁日には関川村女川の支流のA沢に出かけている。 関川村の女川では合計17匹の尺岩魚を釣りあげているが、その中の15匹はA沢(いろいろと支障があるので匿名で)である。  「最長尺岩魚36cm」を釣り上げたのもこのA沢である。  解禁日の今日の風景であるが、霊峰「光兎山」には山名由来となっ…
コメント:0

続きを読むread more

松前街道をゆく(2014年の旅) その8  箱館戦争(旧幕府軍、蝦夷地制圧)

蝦夷地は幕藩体制下では「異域」とされ異国に等しい存在であったため、日本の版図としては認識されていなかった。 一連のロシア南下の脅威により、幕府内ではこれまでの「蝦夷地=異域」という見方から、蝦夷地は「日本の一部」であり早急に移民を送り込んで開拓を行ない蝦夷地の内国化を図る必要があると、はじめて認識されるようになった。 幕府は…
コメント:0

続きを読むread more

「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その26 建長寺の仏殿などを見学

三門の次は仏殿である。 この仏殿も重要文化財で、寄棟造となっており単層裳階が付いている。 もとは芝(東京都港区)の増上寺にあった徳川秀忠夫人崇源院の霊屋で、建て替えに際して1647年に建長寺に移築譲渡された。 仏殿の中に入ると、釈迦仏の本尊が多い禅寺としては珍しく、地蔵菩薩像(室町時代の作、像高2.4メートル)が本尊として…
コメント:0

続きを読むread more

ジュンチャンと世界を巡る 第62回はニカラグア

 今は憧れの中央アメリカに来ています。  中学生に地理の時間の前に遊んでいた、「グアテマラ、ニカラグア、ホンジュラス、コスタリカ、エルサルバドル、パナマ」という国々が登場しています。  今回は、ニカラグア(国名はニカラグアの地に勢力を保っていた先住民の一つ、ニキラノ族の首長ニカラオがその由来)です。  ニカラグアは…
コメント:0

続きを読むread more

木曽川への旅(2008年の旅) その12 南木曽町(なぎそまち)の桃介橋を見学 

木曽川の旅、2日目の9月12日(金)の日程は以下のとおりである。 藪原から妻籠までは案外近く、寄り道しないで行くと1時間で付ける距離で、途中の名勝・史跡等には目もくれず、南木曽町(なぎそまち)を目指した。 南木曽町では馬籠〜妻籠間の8kmを踏破することをメーンに妻籠宿や馬籠宿をしっかり見て回ることが最大の目的。 その他に、前泊…
コメント:0

続きを読むread more

東京散歩Ⅱ その17 「寅さん記念館」で寅さんと会う

帝釈堂を出て、これから「寅さん記念館」に向かう。 ここは葛飾柴又の旅で最も楽しみにしていた場所で、ここで寅さんの世界にゆっくり浸りきりたかった。 歩いて5分ほどで「寅さん記念館」に到着した。 撮影セット「柴又帝釈天参道」で、寅さんの少年時代から故郷の柴又へ帰ってくるまでの物語を聞きながら、帝釈天参道のセットの中を歩いて…
コメント:0

続きを読むread more

津軽街道をゆく(2013年の旅) その10 円覚寺薬師堂を訪れる

それでは、深浦町の散策である。   赤地に白文字で表記された箇所が、深浦で太宰治が訪れた場所である。円覚寺、料亭二葉、秋田屋旅館、元郵便局、海辺、元灯台である。 まず、円覚寺である。太宰は円覚寺訪問をこう書いている。駅から真っ直ぐに一本道をとおって、町のはずれに、円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は、国宝に指定されているという…
コメント:0

続きを読むread more

近江街道をゆく その28 絶景の彦根城と玄宮園をゆく

これから天守を下って、第四代彦根藩主井伊直興によって造営された江戸時代の大名庭園である玄宮園に向かって歩いていく。 その途中でガイドが立ち止まって、要所要所の見所を説明していく。 ここが、先ほど天守から説明のあった搦手門(からめてもん)である。 実際に門があった当時は、ここを人一人がやっと通り抜けて城から脱出していったのだろう。 …
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その5 ハルツーム

   青ナイルのほとりで  ナイル河の旅、アブシンベルを南下すれば、そこはスーダンの国となる。  「スーダン」、アラビア語で「黒い人」を意味する。もともとスーダンは西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称。  現在のスーダンは、歴史的には東スーダンと呼ばれた地域。  人口…
コメント:0

続きを読むread more

原体剣舞連(はらたいけんばいれん) 宮沢賢治の詩

原体剣舞連(はらたいけんばいれん)            (mental sketch modified)    この詩は、賢治が1922年8月30日から31日にかけ種山ヶ原に地質調査に出かけたおり、下山途中で田原村原体(現・奥州市江刺区田原)で見た民俗芸能・原体剣舞を見たことが元になり、『春と修羅』に「原体剣舞連(…
コメント:0

続きを読むread more

日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その6 北上川 NO1  宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」 

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」十数名と出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
コメント:0

続きを読むread more

松前街道をゆく(2014年の旅) その7 歴史発見ゾーンで五稜郭と箱館奉行所の歴史を学ぶ

渡り廊下を渡りきると、見学場所は歴史発見ゾーンとなった。 ここには、箱館奉行所の役割や五稜郭のこと、箱館戦争のことなどが詳しく展示資料で説明されていた。 ここでの資料を参考にしながら、箱館奉行所や戊辰戦争最後の戦争である箱館戦争のことなどについて記していきたい。 まず箱館奉行所だが、江戸時代後期になって新たに設けられた江戸幕府の役…
コメント:0

続きを読むread more

「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その25 鎌倉五山別館で昼食後、建長寺を見学

お昼を過ぎたので、建長寺の前にある鎌倉五山別館で昼食とした。 建長寺はけんちん汁が生まれた寺であり、この店では看板メニューがけんちん汁となっていた。 食べたのはけんちん汁と山菜ご飯がセットされているけんちんセットで値段は1,250円、  サッポロ黒ラベル中瓶が500円で、合わせて1,750円の豪華な昼食となった。  …
コメント:0

続きを読むread more

最上川と「おくのほそ道」の旅 その27 春日山林泉寺で墓巡り

春日山林泉寺は、ほぼ墓巡りだけである。 ここで一番目に付くのが、直江兼続と妻お船の墓である。 直江兼続は40歳から20年間を米沢でお船と過ごした。 米沢は壮年からの、兼続が人生の最も充実した時期を過ごし、その足跡を最も多く残した土地である。 直江兼続は主君の命により名門直江家の婿となったが、妻となったお船は再婚で…
コメント:0

続きを読むread more

「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その4 僕の青春の旅はSFから始まる!!

オムカレーの朝食後,道の駅「いいで」を出発し,南陽市で国道113号線から国道13号線に入った。山形市に入ってすぐに渋滞がしばらく続いたが,そう長い渋滞でもなく,山形蔵王インターチェンジから高速道路「山形自動車道」に乗り入れた。カーナビシステムは非常に便利で,目的地を入力するとそこまでの最短距離と時間が表示され,その指示に従って走っていけ…
コメント:0

続きを読むread more