テーマ:近江街道をゆく

近江街道をゆく その48 旅の終わり  

「近江街道の旅」は今回が最終である。 ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地を訪ね、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着き、琵琶湖の周囲をほぼ一周することができたので、「近江街道の旅」は収穫の大きい旅となった。 予定では天智天皇陵や草津宿本陣など…
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近江街道をゆく その47  石山寺の豊浄殿にて 

これから、この階段を上がって、石山寺と紫式部展が開催されている豊浄殿に向かう。 豊浄殿は石山寺境内の多宝塔の北西、石山寺の最も高いところに新設された宝物館である。 会場となる豊浄殿では、平安時代の御本尊の御前立ちだった如意輪観音像、「石山寺縁起絵巻」、「石山寺一切経」および「石山寺校倉聖教」、「幻の源氏物語絵巻」とし…
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近江街道をゆく その46  石山寺に行く

西国三十三所観音霊場の第14番札所の三井寺の次に、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている石山寺に行った。 この寺は東寺真言宗の寺院で本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁である。 近江八景の1つ「石山秋月」で知られる寺で、また蜻蛉日記、更級日記、枕草子などの文学作品にも度々登場し、源氏物語の作者紫式部は、石山寺参篭の折…
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近江街道をゆく その45 三井寺を散策

金堂は三井寺の本尊の弥勒菩薩を安置する堂で、現在の建物は豊臣秀吉の正室北政所が、1599年に再建したもの。 内部は外陣・中陣・後陣に別れ、天武天皇から賜ったものと伝えられている本尊の弥勒菩薩は絶対秘仏である。 次に見たのは、近江八景の一つとして有名な三井の晩鐘である。  この鐘は音色の良いことから、形の平等院、銘の…
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近江街道をゆく その44  三井寺まで 

「近江街道の旅」の目的は、鬼室集斯の墓にたどり着くことで、既に十分完了している。 今日11月8日(火)の旅は、琵琶湖1周の旅の完走くらいだろう。 ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地もしっかり訪ねたし、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着くことも既…
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近江街道をゆく その43 鬼室神社と鬼室集斯の墓を拝観

鬼室神社は古くは不動堂と言い、明治以降は小野村の西宮神社として崇敬されてきた社で、小野の宮座(地域の鎮守もしくは氏神である神社の祭祀に携わる村落内の特権的な組織及びそれを構成する資格者の集団)により護持されてきた。 鬼室神社では今でも毎年11月8日に、村の人々によって神社の祭礼が行われており、近年は韓国から訪れる人も多くなった…
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近江街道をゆく その42  鬼室神社(鬼室集斯の墓)に到着

結局1時間半も迷いに迷って、ようやく滋賀県蒲生郡日野町小野にある鬼室神社(鬼室集斯の墓)に到着した。 ここに来るのにこれだけ苦労したので、目的地到着の喜びが何倍にも増した。 鬼室集斯はこの旅の中では特別な人である。 朝鮮民族と日本民族は、古い時代からそれぞれの国を離れて異国の地に移り住んで、異国の国のために沢山の方々が…
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近江街道をゆく その41  いざ、鬼室神社へ

これから鬼室集斯の墓碑を祀った鬼室神社に向かう。 今回の旅は、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着くのが最も重要な目的となるので、古代朝鮮との交流の跡である鬼室集斯の墓を見ることは、今回の旅の最大級の楽しみだった。  ナビで検索しても鬼室神社は出てこなかったので、その近く…
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近江街道をゆく その40 甲賀流忍術屋敷を見学

紫香楽宮跡から15分ほど走って、甲賀流忍術屋敷に到着した。 ここは甲賀忍者53家の筆頭格にあたる望月出雲守の屋敷として300年前に建てられた。 外見は普通の屋敷と変わらないが、内部には忍者の住まいにふさわしく、侵入者から身を守る為のどんでん返しや落とし穴などさまざまな仕掛けが施されている。  まず、この座敷で20分…
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近江街道をゆく その39 迷いながらも、紫香楽宮跡を訪ねる

旅も8日目となった。 今日はレンタカーで、伊賀・信楽・甲賀を巡り、古代朝鮮との交流の跡である鬼室集斯の墓や安土城跡など、「司馬遼太郎の街道をゆく」の名場面を訪ねながら旅する予定だった。 かなりなハードワークを予想して、ホテルで朝食を済ますと午前7時半頃にはホテルを出た。 しかし、最初目指した信楽方面へは高速道を使わないで一…
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近江街道をゆく その38 百貨店王の旧宅であった中江準五郎邸を見学

これから、外村本家と分家の間の道を通って百貨店王の旧宅であった中江準五郎邸へ向かう。 この道は映画やテレビドラマのロケに頻繁に使われるそうで、そのために右手の赤いポストが残されているというガイドの説明だった。 道の外れに、道を挟んで大きな建物が二軒向き合って建っているが、右手の方がこれから行く中江準五郎邸である。 …
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近江街道をゆく その37 外村宇兵衛家を見学

外村宇兵衛家は、五個荘商人として活躍していた外村与左衛門の末子が分家して興したもので、与左衛門との共同事業から独立して商いを始めた。 五個荘は金堂の街並みを中心に、数多くの映画やテレビのロケ地として使われているが、この外村宇兵衛家もNHKの朝ドラ「べっぴんさん」のロケに使われており、朝ドラに出演した方々を集めた宣伝ポスターが、…
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近江街道をゆく その36  外村繁邸を歩く 

外村繁邸の他家との位置関係は下図のとおりで、順に外村宇兵衛邸、中江準五郎邸と見ていく。 ここの家主であった外村繁は、昭和10年「草筏」が芥川賞候補、昭和13年池谷賞を受賞、昭和31年「筏」が野間文学賞を受賞した、滋賀を代表する作家である。 さっそく屋敷の中に入っていく。 門を入ると川の水を取り入れた川戸と呼ばれ…
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近江街道をゆく その35  五個荘散策の始まり 

昼食を食べ終えると、急いでバスに乗り、近江八幡駅まで向かった。 ここから近江鉄道八日市線で八日市に行き、八日市からこの近江鉄道バスで五個荘町まで行き、ぷらざ三方よしというバス停で降車した。 1時間ほどもかかって、近江商人の故郷として名高い、陸の孤島のような目的地の五個荘に到着したのであるが、後で別ルートがあることを知ってがっ…
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近江街道をゆく その34  旧伴家住宅などを見学

歴史民俗資料館の次に、市指定文化財となっている旧伴家住宅を見学した。 旧家主の伴庄右衛門は江戸初期に活躍した八幡商人で、屋号を扇屋といった。 寛永年間に東京日本橋に出店し、麻布・畳表・蚊帳を商い、5代目の伴蒿蹊は18歳で家督を継ぎ大坂淡路2丁目に出店したが、同じに学問にも興味を持ち、本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らと親交のある…
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近江街道をゆく その33 郷土資料館と歴史民俗資料館を見学

本願寺八幡別院をあとに、八幡商人の街並みを歩きながら郷土資料館に向かった。 この郷土資料館は、かつて安南(ベトナム)貿易で活躍した近江商人・西村太郎右衛門邸跡に昭和49年3月1日に開設された。 建物は明治19年(1886年)に八幡警察署として建設され、1953年にヴォーリズ建築事務所の手により大幅に改築され、現在の形になった…
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近江街道をゆく その32 朝鮮人街道を歩く

八幡堀の船旅をたっぷり堪能した後、八幡商人のまちなみとその街を貫く朝鮮人街道を訪ねた。 この京街道と書かれている道が、通称で朝鮮人街道と呼ばれる道である。 この「近江街道の旅」は、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着くのが最も重要な目的で、その痕跡の一つがこの朝鮮人街道で…
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近江街道をゆく その31 屋形船に乗って、八幡堀をゆく

彦根から近江八幡に帰り、その夜も近江八幡ステーションホテルで快適に眠った。 そして11月6日(日)、旅に出て7日目の朝となった。 毎日同じメニューではあるが、しっかりした朝食をこの日もおいしくいただいた。  今日の日程だが、午前中は近江八幡の街並みを見て、午後から五個荘をガイド付きで散歩する予定である。  近江八幡駅前か…
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近江街道をゆく その30 埋木舎(うもれぎのや)にて

この日の最後に、井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期の15年を過ごした埋木舎(うもれぎのや)に行った。 埋木舎は井伊直弼の命名で、ここは尾末町御屋敷(北の御屋敷)と呼ばれていた。 彦根藩井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりとされて…
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近江街道をゆく その29 彦根城下を散策

ガイドと別れ、これから城下町を散策ということになるが、まず赤字1の四番町スクェアで昼食、それから赤字2、3、4の順に街を廻る。 四番町スクェアは彦根市場商店街が前身で、商店街の再開発を策定し、大正時代の町並みをイメージした商店街が2006年5月に完成したのである。 こんな看板が出ている街の中に入っていく。 この街の…
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近江街道をゆく その28 絶景の彦根城と玄宮園をゆく

これから天守を下って、第四代彦根藩主井伊直興によって造営された江戸時代の大名庭園である玄宮園に向かって歩いていく。 その途中でガイドが立ち止まって、要所要所の見所を説明していく。 ここが、先ほど天守から説明のあった搦手門(からめてもん)である。 実際に門があった当時は、ここを人一人がやっと通り抜けて城から脱出していったのだ…
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近江街道をゆく その27 天守にて

天守に入り、天守から北の方角を眺めた。 森の向こうの広大な平原は、城の建てられた当時は琵琶湖の内海だった。 遥か向こうに山脈がありその一部が途切れているが、琵琶湖から途切れている場所を抜けて帆かけ舟が城に入ってきて、お殿様はその光景が大好きだったという。 そういえば司馬遼太郎は「街道をゆく 近江散歩」の中で、中学生の頃に安…
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近江街道をゆく その26 彦根城天守に立つ

ガイドと楽しくブラタモリ風に見学しているうちに、目指す天守が近くなってきた。 ただ、なかなか目指す天守は目の前に現れてこない。 こんな坂がけっこうだらだらと続いていく。 ガイドはこの坂を左に曲がって、先ほど見た天秤櫓の中に入った。 ここでも、ガイドは天秤櫓についていろいろと詳細に説明してくれたが、そのことはここで…
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近江街道をゆく その25 彦根城の防備の仕組み

これから天下の名城として名高い彦根城に登る。 しかし漫然と見ても何も面白くないので、2時間案内で1000円のボランティアガイドを頼んで、この方の説明を聞きながら彦根城を散策した。 まず、このおもて坂を登っていく。 城は敵が攻めてくるのを前提に造られているので、彼らが攻めてきた場合に混乱するように、階段の高さや幅を不揃いにし…
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近江街道をゆく その24 彦根城博物館を見学

彦根城は江戸時代初期に、彦根市金亀町にある彦根山に鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。 山は金亀山(こんきやま)との異名を持つため、城は金亀城ともいい、多くの大老を輩出した譜代大名井伊氏14代の居城であった。 彦根城の敷地は広く、外堀、中堀、内堀に囲まれていて、この内堀を眺めながら表門から城内に入…
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近江街道をゆく その23 姉川古戦場跡で

小谷城跡から20分ほど走って、滋賀県北東部の旧浅井町(現長浜市)の「浅井三姉妹の郷」で昼食とした。  本駅は2016年3月にプレオープンし、僕がここに立ち寄ったのはこの期間で、2017年3月から正式に開業する予定となっていた。  駅の中で自然薯や地域の伝統料理中心のメニューで店を構えている自然薯茶屋「浅井家」で昼食となったが…
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近江街道をゆく その22 小谷城跡を歩く

 国友から小谷城跡に向かった。 戦国時代、「近江を制するものは天下を制す」といわれたほど、近江は天下を左右する重要な位置にあり、数多くの戦乱の場となり多くの城郭が築城された。小谷城は長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城で、日本五大山城の一つに数えられている。 城は戦国大名浅井氏の居城として標高約495m小谷山…
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近江街道をゆく その21  鉄砲の里国友を歩く

 寝物語の里から40分ほどかけて、長浜市南部の姉川沿いにある鉄砲の里で有名な国友町に入り、そこの資料館前に車を留めた。 国友鉄砲の里資料館は滋賀県長浜市にある博物館で、戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友の歴史資料の保存と紹介を目的として1987年10月10日に開設された。 さっそく館内に入った。 館内…
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近江街道をゆく その20 寝物語の里にて

 ビジネスホテルウェルネスから中山道を岐阜県境の方向に1時間ほど走ると、滋賀県と岐阜県の間に長久寺という集落がある。  上地図の黄矢印の地点に寝物語の里があるというので、東海道本線の踏切を越えて村中の道を美濃(岐阜県)の方向に進んでいった。  寝物語の里の由来だが、国境の小さな溝を隔てて美濃側の旅籠「両国屋」と、近江側の旅籠「亀…
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近江街道をゆく その19 長浜のビジネスホテルウェルネスに宿泊

 今日の日程は終了し、これから湖西から湖北までの琵琶湖畔をほぼ半周し、今夜宿泊する長浜のビジネスホテルウェルネスまでレンタカーで走っていく。  黄枠で囲った田中王塚古墳から黄星印のホテルウェルネスまで、幾つかのトンネルを潜りながら、琵琶湖畔の黄線の道を進んでいくことになる。 このコースは、走る前からこの旅一番の難関になるだろうと考え…
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