テーマ:近江街道をゆく

近江街道をゆく その35  五個荘散策の始まり 

昼食を食べ終えると、急いでバスに乗り、近江八幡駅まで向かった。 ここから近江鉄道八日市線で八日市に行き、八日市からこの近江鉄道バスで五個荘町まで行き、ぷらざ三方よしというバス停で降車した。 1時間ほどもかかって、近江商人の故郷として名高い、陸の孤島のような目的地の五個荘に到着したのであるが、後で別ルートがあることを知ってがっ…
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近江街道をゆく その34  旧伴家住宅などを見学

歴史民俗資料館の次に、市指定文化財となっている旧伴家住宅を見学した。 旧家主の伴庄右衛門は江戸初期に活躍した八幡商人で、屋号を扇屋といった。 寛永年間に東京日本橋に出店し、麻布・畳表・蚊帳を商い、5代目の伴蒿蹊は18歳で家督を継ぎ大坂淡路2丁目に出店したが、同じに学問にも興味を持ち、本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らと親交のある…
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近江街道をゆく その33 郷土資料館と歴史民俗資料館を見学

本願寺八幡別院をあとに、八幡商人の街並みを歩きながら郷土資料館に向かった。 この郷土資料館は、かつて安南(ベトナム)貿易で活躍した近江商人・西村太郎右衛門邸跡に昭和49年3月1日に開設された。 建物は明治19年(1886年)に八幡警察署として建設され、1953年にヴォーリズ建築事務所の手により大幅に改築され、現在の形になった…
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近江街道をゆく その32 朝鮮人街道を歩く

八幡堀の船旅をたっぷり堪能した後、八幡商人のまちなみとその街を貫く朝鮮人街道を訪ねた。 この京街道と書かれている道が、通称で朝鮮人街道と呼ばれる道である。 この「近江街道の旅」は、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着くのが最も重要な目的で、その痕跡の一つがこの朝鮮人街道で…
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近江街道をゆく その31 屋形船に乗って、八幡堀をゆく

彦根から近江八幡に帰り、その夜も近江八幡ステーションホテルで快適に眠った。 そして11月6日(日)、旅に出て7日目の朝となった。 毎日同じメニューではあるが、しっかりした朝食をこの日もおいしくいただいた。  今日の日程だが、午前中は近江八幡の街並みを見て、午後から五個荘をガイド付きで散歩する予定である。  近江八幡駅前か…
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近江街道をゆく その30 埋木舎(うもれぎのや)にて

この日の最後に、井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期の15年を過ごした埋木舎(うもれぎのや)に行った。 埋木舎は井伊直弼の命名で、ここは尾末町御屋敷(北の御屋敷)と呼ばれていた。 彦根藩井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりとされて…
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近江街道をゆく その29 彦根城下を散策

ガイドと別れ、これから城下町を散策ということになるが、まず赤字1の四番町スクェアで昼食、それから赤字2、3、4の順に街を廻る。 四番町スクェアは彦根市場商店街が前身で、商店街の再開発を策定し、大正時代の町並みをイメージした商店街が2006年5月に完成したのである。 こんな看板が出ている街の中に入っていく。 この街の…
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近江街道をゆく その28 絶景の彦根城と玄宮園をゆく

これから天守を下って、第四代彦根藩主井伊直興によって造営された江戸時代の大名庭園である玄宮園に向かって歩いていく。 その途中でガイドが立ち止まって、要所要所の見所を説明していく。 ここが、先ほど天守から説明のあった搦手門(からめてもん)である。 実際に門があった当時は、ここを人一人がやっと通り抜けて城から脱出していったのだ…
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近江街道をゆく その27 天守にて

天守に入り、天守から北の方角を眺めた。 森の向こうの広大な平原は、城の建てられた当時は琵琶湖の内海だった。 遥か向こうに山脈がありその一部が途切れているが、琵琶湖から途切れている場所を抜けて帆かけ舟が城に入ってきて、お殿様はその光景が大好きだったという。 そういえば司馬遼太郎は「街道をゆく 近江散歩」の中で、中学生の頃に安…
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近江街道をゆく その26 彦根城天守に立つ

ガイドと楽しくブラタモリ風に見学しているうちに、目指す天守が近くなってきた。 ただ、なかなか目指す天守は目の前に現れてこない。 こんな坂がけっこうだらだらと続いていく。 ガイドはこの坂を左に曲がって、先ほど見た天秤櫓の中に入った。 ここでも、ガイドは天秤櫓についていろいろと詳細に説明してくれたが、そのことはここで…
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近江街道をゆく その25 彦根城の防備の仕組み

これから天下の名城として名高い彦根城に登る。 しかし漫然と見ても何も面白くないので、2時間案内で1000円のボランティアガイドを頼んで、この方の説明を聞きながら彦根城を散策した。 まず、このおもて坂を登っていく。 城は敵が攻めてくるのを前提に造られているので、彼らが攻めてきた場合に混乱するように、階段の高さや幅を不揃いにし…
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近江街道をゆく その24 彦根城博物館を見学

彦根城は江戸時代初期に、彦根市金亀町にある彦根山に鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。 山は金亀山(こんきやま)との異名を持つため、城は金亀城ともいい、多くの大老を輩出した譜代大名井伊氏14代の居城であった。 彦根城の敷地は広く、外堀、中堀、内堀に囲まれていて、この内堀を眺めながら表門から城内に入…
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近江街道をゆく その23 姉川古戦場跡で

小谷城跡から20分ほど走って、滋賀県北東部の旧浅井町(現長浜市)の「浅井三姉妹の郷」で昼食とした。  本駅は2016年3月にプレオープンし、僕がここに立ち寄ったのはこの期間で、2017年3月から正式に開業する予定となっていた。  駅の中で自然薯や地域の伝統料理中心のメニューで店を構えている自然薯茶屋「浅井家」で昼食となったが…
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近江街道をゆく その22 小谷城跡を歩く

 国友から小谷城跡に向かった。 戦国時代、「近江を制するものは天下を制す」といわれたほど、近江は天下を左右する重要な位置にあり、数多くの戦乱の場となり多くの城郭が築城された。小谷城は長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城で、日本五大山城の一つに数えられている。 城は戦国大名浅井氏の居城として標高約495m小谷山…
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近江街道をゆく その21  鉄砲の里国友を歩く

 寝物語の里から40分ほどかけて、長浜市南部の姉川沿いにある鉄砲の里で有名な国友町に入り、そこの資料館前に車を留めた。 国友鉄砲の里資料館は滋賀県長浜市にある博物館で、戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友の歴史資料の保存と紹介を目的として1987年10月10日に開設された。 さっそく館内に入った。 館内…
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近江街道をゆく その20 寝物語の里にて

 ビジネスホテルウェルネスから中山道を岐阜県境の方向に1時間ほど走ると、滋賀県と岐阜県の間に長久寺という集落がある。  上地図の黄矢印の地点に寝物語の里があるというので、東海道本線の踏切を越えて村中の道を美濃(岐阜県)の方向に進んでいった。  寝物語の里の由来だが、国境の小さな溝を隔てて美濃側の旅籠「両国屋」と、近江側の旅籠「亀…
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近江街道をゆく その19 長浜のビジネスホテルウェルネスに宿泊

 今日の日程は終了し、これから湖西から湖北までの琵琶湖畔をほぼ半周し、今夜宿泊する長浜のビジネスホテルウェルネスまでレンタカーで走っていく。  黄枠で囲った田中王塚古墳から黄星印のホテルウェルネスまで、幾つかのトンネルを潜りながら、琵琶湖畔の黄線の道を進んでいくことになる。 このコースは、走る前からこの旅一番の難関になるだろうと考え…
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近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。 彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。 第26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。 継体天皇は応神天皇5代の末裔とされているが、これが事実かどうかは判断…
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近江街道をゆく その17  中江藤樹の藤樹書院に行く

これから日本陽明学の祖で、故郷の近江高島で書院を開き近江聖人と呼ばれた中江藤樹の藤樹書院に行く。 江戸時代人の知的基盤は儒学であり、これを発展させ封建社会の教学となっていたのが朱子学(11世紀に宋の朱熹が大成した教えで、身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように…
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近江街道をゆく その16  継体関連の鴨稲荷山古墳を見学

これから継体天皇の先祖の血を訪ねる旅に出るが、その場所は近江高島市である。 高島市内には、364を数える「埋蔵文化財」が存在しているが、その中に継体天皇関連遺跡も沢山含まれている。 ここ高島は、現天皇家の直接の祖先でヤマト王権の主要な血ともなった継体天皇の祖先や、その妃となった人々の住んでいた地である。  継体天皇関連遺跡だけでも…
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近江街道をゆく その15 北小松と白鬚神社を歩く

司馬遼太郎が「街道をゆく」で訪れた数多くの町、集落、土地の中で、最初の訪問地の地となったのが滋賀県大津市小松(当時は滋賀県滋賀郡志賀町小松)で、実際に訪れたところが北小松漁港である。 司馬の街道をゆくには、北小松の小松が高麗津だったかもしれないと、ここにも朝鮮半島の痕跡の地名を想像している。 僕の旅では北小松港には立ち寄らなかったが…
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近江街道をゆく その14  「楽浪の志賀」路へドライブ開始

11月3日(木)、4日目の朝となった。 3日間寝泊まりしたこの部屋と、名残惜しいが今朝でお別れである。 化物たちが宴会でもしているような感じがしたのは最初の一日だけで、他の日は恨んでいるような感じの妖怪が常時取り付いているようだったが、極端な悪さはしなかった。 ホテルの食堂で、見た目が良くて味もなかなかの朝食を済ま…
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近江街道をゆく その13 石積みの門前町「坂本」を散策 その5 徳川ゆかりの寺社を見学

滋賀院の裏手に天海(慈眼大師)の廟所である慈眼堂がある。 慈眼大師天海は徳川家康・秀忠・家光の時代に幕府の顧問として遇された大僧侶である。 織田信長の叡山焼打ちにより全山焼土と化した比叡山の復古に尽力したことにより、家光の命で慈眼堂が建立された。  慈眼堂の境内に入ったが、雰囲気はこんな感じの場所である。 ところで、信長の叡山焼…
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近江街道をゆく その12 石積みの門前町「坂本」を散策 その4 本家鶴喜そば本店で昼食

日吉大社を見終えて午前中の日程終了ということで、楽しみにしていたそばを食べに、最澄の生まれた寺である生源寺の向かい側あたりにあるそば屋を目指して坂を下った。  大通りに面して「日吉そば」が店を出しているが、このそば屋は目的のそばやではない。 このそば屋の左手の小路を入っていく。  この格調の高そうな築130年の入母屋造りの建物のそ…
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近江街道をゆく その11 石積みの門前町「坂本」を散策 その3 日吉大社に参拝

これから日吉大社に行く。 全国には日吉神社、日枝神社、山王神社と呼ばれる日吉大社の神様の御霊(みたま)をお分けした分霊社が約3,800社あり、これから行く日吉大社が総本宮となっている。  日吉大社は東本宮と西本宮に分かれていて、ここの400,000㎡の境内は国の史跡となっているが、西本宮の方が建物の数も多く東本宮の数倍の敷地となって…
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近江街道をゆく その10 石積みの門前町「坂本」を散策 その2

 これから、叡山に向かって右側の街を散策する。 黄線に沿って街を歩き、大宮川に出たところで大宮川に沿って旧竹山院まで行く。 歩いてからしばらくして両側に石積みの街並みとなり、とても印象的で美しいと感じた。 このような街並みで、いつまでも初めて来たこの街を歩いていたいと思った。 2~3分歩いて、四角を左に曲がって里…
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近江街道をゆく その9 石積みの門前町「坂本」を散策 その1

叡山を降り、湖西線に乗って大津京のビジネスホテル西大津に戻った。 この日の夜はとても冷えそうで外食を食べる元気がまったくなかったので、あらかじめ駅前のコンビニで麻婆飯、サラダ、ビールなど(905円の出費)を買って、自室で夕食とした。 朝食は前日と同じくホテルの食堂で食べ、午前8時半頃にホテルを出た。 今日は一日、石積みの門前町「坂本」…
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近江街道をゆく その8 根本中堂を中心に東塔を歩く

 戒壇院の次に、これから比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂(東塔区域の中心的建築物であり、比叡山延暦寺の中心であることからこう言われている)に行く。 中堂という呼称の詳細な由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから、薬師堂を中堂と呼ぶようになり、最終的にこの三堂は一つの伽藍にまとめられて、中堂という名前が残…
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近江街道をゆく その7  西塔から東塔へ

にない堂の次に、転法輪堂に行った。この階段を降りると、その前が転法輪堂である。 転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれている。 延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを、豊臣秀吉の命により1596年に山上に移築したもので、造営年代は園城寺の記録から…
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近江街道をゆく その6  昼食、そして西塔へ

横川を出てこれから西塔に向かうが、その前に峰道レストラン前でバスを降りて、峰道レストランで昼食とした。 11月1日の近江路は平地ではまだまだ秋で夏服にジャンパーを羽織れば十分過ごせるが、比叡山では気温もぐっと下がって、バスから降りると寒さに震えるほどで、急いで暖房やストーブであったかくなっているレストラン内に入った。  ここで食べた…
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