テーマ:川釣り

探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 序章

探検家リビングストンが発見したビクトリアの滝 (ジンバブエのザンベジ河畔の町、リビングストンにある) ↑  ナイル河、「5大陸最長河川の旅」最後の河であり、世界最長の川である。  その長さは6695km、アフリカ大陸の東側を、赤道直下から悠々と北上して流れ、地中海に注ぐ。  ナイル河の源流につ…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回)(K)

  市内の小公園「白鳥の湖」  アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。  人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から市街地は形成されて…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話

  ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。)   ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。  北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その4 「ウリヤノフスク」にて(最後に問題あり。)

   ソビエト社会主義共和国連邦の産みの親 レーニンの像 ↑  20世紀の歴史に七十数年もの間強大な影響を与えたソビエト社会主義共和国連邦はロシア史上最大で最強の国家であった。  東はベーリング海、西はバルト海、北は北極海、南は黒海・カスピ海に臨み、その領域に住む15共和国の人民を共産主義という思想で束ね…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その3 「カザン」にて

 いつものように最後に問題があります、答えてね・・  カザンはタタルスタン共和国の首都。人口の半分はタタール人であり、彼等はムスリム(イスラム教徒)でもある。   カザン中心部の白いクレムリン  ↑  ここはアジア人種の飛び地であるせいか、ロシアでも珍しいイスラム的な街並みが特徴、 また人々も欧…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その1 「ボルガ源流地」から

 ボルガ川上流部地図、大きくして見てね。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。)  ボルガ川は、モスクワとサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の中間に位置するロシア西部のバルタイ丘陵に、その源を発する。  源流の村は、ボルゴベルホーベ村、白樺の林やトウヒらしい松の巨木、モミの木やドロの…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その9 チベット(そして源流へ・・...)

  チベット族の居住区域、中国の4分の1の区域に住む。 ↑   最後に問題あり、今回も回答よろしくです。  東シナ海に注ぐ長江の河口からさかのぼり、青蔵高原の西の端に位置するタングラ山脈の大氷河の末端を源流とする6380kmもの河川延長を誇る長江の旅も今回で終了。  今回の旅は最終ゴール地点への到達を目的とする…
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長江の旅 その8 香格里拉(シャングリラ)にて 最後に問題あり、回答もヨロシクね。 

                        ナシ族の分布図麗江、雲南省の西北部。正式には麗江ナシ族自治県という。標高5596メートルの玉龍雪山の麓に開けた街である。                 向こうに見えるのは、玉龍雪山 ↑ 青海省に源を発した長江は地勢に従い北から南へ流れてくる。それが、石鼓で一転北へ向きを変え、玉…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その7 大理にて

 雲南省の代表的な都市である大理は、昆明の西、麗江の南に位置する白族(ぺーぞく)の都市である。    大理を代表する風景(洱海(アルカイ)と聖寺三塔) ↑  都市の人口は50万ほど、その3分の2は白族(ぺーぞく)で占める。この都市には白族の歴史と伝統がそのまま残っている。  大理は、中国のどこにでも…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その6 昆明にて

 長江の旅は、四川省から雲南省に入った。  長江という名も、四川盆地を流れる岷江との合流点である宜(ぎ)賓(ひん)からは、金沙(きんさ)江(こう)と名前を変える。  雲南はアジア大陸の古人類発祥の地といわれ、400万年前には猿人類「東方人」、187万年前には直立人「元謀人」が生息していたと言われている。 …
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その5 蜀の国にて(クイズ付き)

 羌族の村「桃坪村」 大きくしてみてね。 ↑                     (最後に問題があります。見てね。)  成都は四川省の省都であり、中国西南地区における科学、商業、貿易、金融、交通、通信の中心地で、その面積は1万2400km2、人口は960万人(市街地人口は330万)である。  中…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その4 三峡にて(K)

  中国三峡、宜昌から重慶までの地図、大きくして見てね。 ↑   長江の中流域に、今とてつもない工事が進められている。  三峡ダム工事である。       工事現場です。 ↑  このプロジェクトは1919年、中国革命の父孫文が提唱、中国建国の父毛沢東がダム着工の方針を固めた国家の威信を賭け…
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長江の旅 その3 武漢(ウーハン)にて クイズ付きブログ(問題は最後)

               長江第1大橋(武漢)  ↑最後に問題があります。   武漢は長江の中流域に位置し、長江と長江最大の支流である漢水の交わる地点に開けた町。漢水は陝西省の秦嶺山脈に源を発し、水量の多さでは黄河をしのぐと言われる。全長、1532キロもある。 武漢は、古来より水陸交通の要衝であった。内陸の港町としては、…
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長江の旅 その2 南京にて(クイズ付き、ご回答ください!!)

  宋家三姉妹デス。最後に問題があります。  ↑     南京市は江蘇省の省都で、長江下流にあり、丘陵地が多く、緑豊かな歴史的古都で中国7大古都の一つともなっている。  史跡に恵まれており、いたるところ観光の要衝となっている。  特に有名なのは、明王朝の開祖「朱元璋」を葬る陸陵である『孝陵』と、近代…
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2020年8月の早朝アジ釣り 2回目と3回目

 4年ぶりに、「8月の好天の早朝だけ、朝飯前の1時間ほど」アジ釣りをすることにしたが1回目は8匹が釣れた。  2回目の8月11日(火)も、先回以上の釣果を期待して、午前5時に家を出発し、15分くらいで釣り場に到着、午前5時半には準備を終え、棹を河に投入した。 釣り場も、先回と同じ「信濃川ウォーターシャトル」乗り場付近で、今回も、2本の棹…
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探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その5 そして源流の地へ

 ミシシッピ源流の州はミネソタ州、この州には氷河時代の名残が無数の湖として残っている。  先住民の言葉で、ミネソタは「空の色をした水」の意味だと言う。  そこに暮らす州民の約半数は釣り人。湖畔には裏庭がすぐ湖という家が多数建っていて、モーターボートやジェットスキー,中には水上飛行機を係留して、週末の釣りを楽し…
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探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その4 ハンニバル

 トムソーヤの冒険の舞台―ピーターズバーグ。  ミズーリ州ハンニバルは、そのモデルとなった町と言われている。  ハンニバルは「トムソーヤの冒険」の作者サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(マークトウェインの本名 1835-1910)の少年期住んでいた町。  サミュエルが4歳の時、クレメンズ一家は1839…
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探険家の歴史 第2部 ミシシッピ川の旅 その3 セントルイス

 セントルイスはミシシッピー川の中流に位置することから、古くから河港都市として栄え、現在も全米有数の工業都市のひとつとなっている。  また、セントルイスは西部開拓への入り口となった都市でもあり、そのシンボルとして1965年に建てられた、高さ192メートルのゲートウェイ・アーチは有名。  だが、ゲー…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その8 秘都ビルカバンバまで

(ビルカバンバ(一番左のエスピリトウパンパと書いてあるところがインカ最後の秘都ビルカバンバです。)はワンカカイエからコンセビダヨク川を下っていく。↑ 大きくして見てください。資料は高野淳「インカを歩く」から抜粋) インカ帝国の歴代皇帝の名前である。 1 マンコ・カパック 2 シンチ・ロカ 3 ヨケ・ユ…
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アマゾン河の旅 その7 マチュピチュ遺跡にて

          ワイナピチュからマチュピチュを遠望 ↑   マチュピチュ遺跡を発見したのは、アメリカのエール大学で考古学を教えていたハイラム・ビンガムである。  旺盛な好奇心を持ったアメリカの青年は、ワイナピチュ(若い峰という意味)やマチュピチュ(年老いた峰という意味)を見上げるマンドル・パンパというウルバンバ川沿いの地に住…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その6 クスコにて

 アマゾン河はイキトスでマラニョン川とウカヤリ川に分かれるとそのあと本流ウカヤリ川はペルー内陸部を南下し、ビルカバンバ山脈の北端で、ウルバンバ川とアブリマック川に別れる。    ウルバンバ川 ↑  クスコはウルバンバ川の上流部に位置する町、そしてそこはアマゾンの源流地でもある。  アマゾン河の旅…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その4 マナウスにて-ドラードを釣る?

 マナウスはアマゾン河口より1500キロ上流にあるアマゾナス州の州都である。このあたりでもアマゾンの河幅は10kmもある。  地形的には、アマゾン本流のソリモンエス川と、最大の支流であるネグロ川の合流部北側に立地し、170万以上の人口を抱える、巨大都市である。  1900年前後をピークとする未曾有…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その9 源流にて(ファイナル)

   セネシオの繁茂するルェンゾリ(月の山)  ナイル河には三箇所の源流地点がある。  一つ目は、1862年に、探検家スピークが発見したビクトリア湖から流れでる川の最上流地点である。そこにはナイル河源流の碑が建てられている。この地点は、一般的にはナイル河の源流として大多数の人々に受け入れられている。 …
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その8 ウガンダにて

↑これは「ハンガーマップ(Hunger Map)」という世界地図です。  地図の色分けの意味は次の通りです。  緑色・・・十分に食料がある国(平均寿命の長い先進地域)  黄色・・・とりあえず食料がある国(それなりの国々)  赤・・・著しく食料が無い国(平均寿命の短い後進地域が多い。アフリカは、ほぼここです。) …
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その7 神々の地「エチオピアにて」

 クリスマスの巡礼 ラリベラ(野町和嘉写真集より)  青ナイル川(あおナイルがわ、英語:Blue Nile、アラビア語:النيل الأزرق(an-Nīl al-Āzraq))は、エチオピアのタナ湖に源を発する川で、スーダンのハルツームで白ナイル川と合流する。    タナ湖からハルツームまで流れる…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その6 スーダン南部

     牛と共生生活を送るディンカ族 ↑(問題は最後ダヨ、)  スーダンは現代アフリカの縮図であり、とりわけ南スーダンはその典型と言える。  それは、誰もが連想する貧困、飢餓、感染症による病死、少数民族の間で今も続く原始的な牧畜や農耕生活の風習、アニミズムと呼ばれる原始宗教による日々の暮らしぶりという意味であるが…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その5 ハルツーム

   青ナイルのほとりで  ナイル河の旅、アブシンベルを南下すれば、そこはスーダンの国となる。  「スーダン」、アラビア語で「黒い人」を意味する。もともとスーダンは西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称。  現在のスーダンは、歴史的には東スーダンと呼ばれた地域。  人口の構…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その4 アスワン (難問付きです!!)

    ナイル河から見たアスワン市街  アスワン(Aswan)は、エジプト南部の都市でカイロの南899km、ナイル川の東流域に位置する。  市街地は、エジプトの国家の一大事業であったアスワン・ハイ・ダムとその前に建設されたアスワンダムの間にあり、 市内には、アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞…
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ナイル河の旅 その3 ルクソールにて(楽しい問題付きだよ)

              ルクソールの王家の谷から見上げたエル・クルン山 ↑ この山をピラミッドに見立て、王や王妃の墓を作った。古代エジプトの歴史の概要だが、紀元前3000年頃から統一王朝が始まる。第1王朝から第30王朝まであり、30もの違う血の王が国を治め、その後ギリシャ人の制服王朝プトレマイオス王朝となり、クレオパトラ7…
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