探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その9 源流にて(ファイナル) セネシオの繁茂するルェンゾリ(月の山) ナイル河には三箇所の源流地点がある。 一つ目は、1862年に、探検家スピークが発見したビクトリア湖から流れでる川の最上流地点である。そこにはナイル河源流の碑が建てられている。この地点は、一般的にはナイル河の源流として大多数の人々に受け入れられている。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年11月24日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その8 ウガンダにて ↑これは「ハンガーマップ(Hunger Map)」という世界地図です。 地図の色分けの意味は次の通りです。 緑色・・・十分に食料がある国(平均寿命の長い先進地域) 黄色・・・とりあえず食料がある国(それなりの国々) 赤・・・著しく食料が無い国(平均寿命の短い後進地域が多い。アフリカは、ほぼここです。) … トラックバック:0 コメント:0 2020年11月20日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その7 神々の地「エチオピアにて」 クリスマスの巡礼 ラリベラ(野町和嘉写真集より) 青ナイル川(あおナイルがわ、英語:Blue Nile、アラビア語:النيل الأزرق(an-Nīl al-Āzraq))は、エチオピアのタナ湖に源を発する川で、スーダンのハルツームで白ナイル川と合流する。 タナ湖からハルツームまで流れる… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月17日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その6 スーダン南部 牛と共生生活を送るディンカ族 ↑(問題は最後ダヨ、) スーダンは現代アフリカの縮図であり、とりわけ南スーダンはその典型と言える。 それは、誰もが連想する貧困、飢餓、感染症による病死、少数民族の間で今も続く原始的な牧畜や農耕生活の風習、アニミズムと呼ばれる原始宗教による日々の暮らしぶりという意味であるが… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月13日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その5 ハルツーム 青ナイルのほとりで ナイル河の旅、アブシンベルを南下すれば、そこはスーダンの国となる。 「スーダン」、アラビア語で「黒い人」を意味する。もともとスーダンは西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称。 現在のスーダンは、歴史的には東スーダンと呼ばれた地域。 人口の構… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月10日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その4 アスワン (難問付きです!!) ナイル河から見たアスワン市街 アスワン(Aswan)は、エジプト南部の都市でカイロの南899km、ナイル川の東流域に位置する。 市街地は、エジプトの国家の一大事業であったアスワン・ハイ・ダムとその前に建設されたアスワンダムの間にあり、 市内には、アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月06日 続きを読むread more
ナイル河の旅 その3 ルクソールにて(楽しい問題付きだよ) ルクソールの王家の谷から見上げたエル・クルン山 ↑ この山をピラミッドに見立て、王や王妃の墓を作った。古代エジプトの歴史の概要だが、紀元前3000年頃から統一王朝が始まる。第1王朝から第30王朝まであり、30もの違う血の王が国を治め、その後ギリシャ人の制服王朝プトレマイオス王朝となり、クレオパトラ7… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月03日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その2 カイロにて 宿泊したホテルからギザの三大ピラミッド遠望 ↑ カイロ(Cairo)は、エジプトの首都であり、ナイル川河畔の交通の要衝の地として、イスラム世界における学術、文化、経済の中心都市となっている。 現在、カイロ首都圏の人口は1500万程、中近東やアフリカ大陸の中で最大の人口を誇っている。 ナイル川… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月30日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その1 アレクサンドリア カイトベイ要塞全景 ↑ アレクサンドリア(Alexandria)は、カイロに次ぐエジプト第2の都市である。 現地語であるアラビア語ではアル=イスカンダリーヤ(الاسكندرية al-Iskandarīya)、意味は「アレクサンドロス(アラビア語でイスカンダル)の町」である。 マケドニア王アレクサンドロ… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月27日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 序章 探検家リビングストンが発見したビクトリアの滝 (ジンバブエのザンベジ河畔の町、リビングストンにある) ↑ ナイル河、「5大陸最長河川の旅」最後の河であり、世界最長の川である。 その長さは6695km、アフリカ大陸の東側を、赤道直下から悠々と北上して流れ、地… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月23日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その9 チベット(そして源流へ・・...) チベット族の居住区域、中国の4分の1の区域に住む。 ↑ 最後に問題あり、今回も回答よろしくです。 東シナ海に注ぐ長江の河口からさかのぼり、青蔵高原の西の端に位置するタングラ山脈の大氷河の末端を源流とする6380kmもの河川延長を誇る長江の旅も今回で終了。 今回の旅は最終ゴール地点への到達を目的と… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月25日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その8 香格里拉(シャングリラ)にて ナシ族の分布図 麗江、雲南省の西北部。 正式には麗江ナシ族自治県という。標高5596メートルの玉龍雪山の麓に開けた街である。 向こうに見えるのは、玉龍雪山 ↑ 青海省に源を発した長江は地勢に従い北から南へ流れてくる。 それが、石鼓で一転北へ向きを変え、玉龍雪山を過ぎると、玉龍雪… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月22日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その7 大理にて 大理風景、問題が最後にあります。楽しみにネ?↑ 雲南省の代表的な都市である大理は、昆明の西、麗江の南に位置する白族(ぺーぞく)の都市である。 大理を代表する風景(洱海(アルカイ)と聖寺三塔) ↑ 都市の人口は50万ほど、その3分の2は白族(ぺーぞく)で占める。この都市には白族の歴史… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月18日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その6 昆明にて 長江の旅は、四川省から雲南省に入った。 長江という名も、四川盆地を流れる岷江との合流点である宜(ぎ)賓(ひん)からは、金沙(きんさ)江(こう)と名前を変える。 雲南はアジア大陸の古人類発祥の地といわれ、400万年前には猿人類「東方人」、187万年前には直立人「元謀人」が生息していたと言われている。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年09月15日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その5 蜀の国にて(クイズ付き) 羌族の村「桃坪村」 大きくしてみてね。 ↑ (最後に問題があります。見てね。) 成都は四川省の省都であり、中国西南地区における科学、商業、貿易、金融、交通、通信の中心地で、その面積は1万2400km2、人口は960万人(市街地人口は330万)である。 中国の… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月11日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その4 三峡にて 中国三峡、宜昌から重慶までの地図、大きくして見てね。 ↑ 長江の中流域に、今とてつもない工事が進められている。 三峡ダム工事である。 工事現場です。 ↑ このプロジェクトは1919年、中国革命の父孫文が提唱、中国建国の父毛沢東がダム着工の方針を固めた国家の威信を賭けたもの。… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月08日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その3 武漢(ウーハン ;現在はコロナ発祥の地ですネ)にて 長江第1大橋(武漢) ↑最後に問題があります。 武漢は長江の中流域に位置し、長江と長江最大の支流である漢水の交わる地点に開けた町。 漢水は陝西省の秦嶺山脈に源を発し、水量の多さでは黄河をしのぐと言われる。 全長、1532キロもある。 武漢は、古来より水陸交通の要衝であった。内陸の港町としては… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月04日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その2 南京にて(クイズ付き、ご回答ください!!) 宋家三姉妹デス。最後に問題があります。 ↑ 南京市は江蘇省の省都で、長江下流にあり、丘陵地が多く、緑豊かな歴史的古都で中国7大古都の一つともなっている。 史跡に恵まれており、いたるところ観光の要衝となっている。 特に有名なのは、明王朝の開祖「朱元璋」を葬る陸陵である『孝陵』と、近代… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月01日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 その1 上海にて(クイズ付き、ご回答ください!!) 長江文明がもたらした稲作伝来の道 ↑ 安田喜憲氏の著書「長江文明の謎」によれば、長江文明は今から6千3百年前に誕生したという。 地球の寒冷化によるこの地域の乾燥化の中で、長江流域の人々は城塞を築きため池を作った。 稲作を守るために水のコントロールを始めたのである。都市型集落の成立であり、文明の誕生と推測さ… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月28日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 長江の旅 プロローグ 今から800万年ほど前、地球の地殻変動が激しくなり、エチオピアからタンザニアまで走っている、世界最大の大地溝帯(グレート・リフト・バレー)が生まれた。 大地溝帯の東側は上昇、西側は沈下して巨大な壁が出来た。西側から吹いてくる湿った風がもたらす雨は、壁を乗り越えられず、全部西側に雨をもたらした。すると東側のケニア… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月25日 続きを読むread more
2020年8月の早朝アジ釣り 2回目と3回目 4年ぶりに、「8月の好天の早朝だけ、朝飯前の1時間ほど」アジ釣りをすることにしたが1回目は8匹が釣れた。 2回目の8月11日(火)も、先回以上の釣果を期待して、午前5時に家を出発し、15分くらいで釣り場に到着、午前5時半には準備を終え、棹を河に投入した。 釣り場も、先回と同じ「信濃川ウォーターシャトル」乗り場付近で、今回も、2本の棹… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月22日 続きを読むread more
2020年8月6日 信濃川河口でアジ釣り 2012(平成24)年から2016(平成28)年まで、「暑い時にはむしろ熱いことをしよう」という訳ではないが、7月と8月の午後の1時から3時の2時間程、携帯のリスモポートをヘッドホンで聴きながら、熱帯並みの海風と真夏の太陽に照らされて、アジ釣りを楽しんでいたことがあった。 4年ぶりに、「8月の好天の早朝だけ、朝飯前の1時間ほど」アジ… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月13日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その9 源流にて(ファイナル) セネシオの繁茂するルェンゾリ(月の山) ナイル河には三箇所の源流地点がある。 一つ目は、1862年に、探検家スピークが発見したビクトリア湖から流れでる川の最上流地点である。そこにはナイル河源流の碑が建てられている。この地点は、一般的にはナイル河の源流として大多数の人々に受け入れられている。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年07月17日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その8 ウガンダにて ↑これは「ハンガーマップ(Hunger Map)」という世界地図です。 地図の色分けの意味は次の通りです。 緑色・・・十分に食料がある国(平均寿命の長い先進地域) 黄色・・・とりあえず食料がある国(それなりの国々) 赤・・・著しく食料が無い国(平均寿命の短い後進地域が多い。アフリカは、ほぼここで… トラックバック:0 コメント:0 2020年07月14日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その7 神々の地「エチオピアにて」 音楽あり、↓クリックです!! http://nicoviewer.net/sm9877405 クリスマスの巡礼 ラリベラ(野町和嘉写真集より) 青ナイル川(あおナイルがわ、英語:Blue Nile、アラビア語:النيل ا&… トラックバック:0 コメント:0 2020年07月10日 続きを読むread more
ナイル河の旅 その6 スーダン南部 牛と共生生活を送るディンカ族 ↑(問題は最後ダヨ、) 音楽あり、↓クリックです!! http://nicoviewer.net/sm9877405 スーダンは現代アフリカの縮図であり、とりわけ南スーダンはその典型と言える。 それは、誰もが連想する貧困、飢餓、感染症による病… トラックバック:0 コメント:0 2020年07月07日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その5 ハルツーム 青ナイルのほとりで ナイル河の旅、アブシンベルを南下すれば、そこはスーダンの国となる。 「スーダン」、アラビア語で「黒い人」を意味する。もともとスーダンは西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称。 現在のスーダンは、歴史的には東スーダンと呼ばれた地域。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年07月03日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その4 アスワン (難問付きです!!) ナイル河から見たアスワン市街 アスワン(Aswan)は、エジプト南部の都市でカイロの南899km、ナイル川の東流域に位置する。 市街地は、エジプトの国家の一大事業であったアスワン・ハイ・ダムとその前に建設されたアスワンダムの間にあり、 市内には、アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞台とな… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月29日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その3 ルクソールにて ルクソールの王家の谷から見上げたエル・クルン山 ↑ この山をピラミッドに見立て、王や王妃の墓を作った。 古代エジプトの歴史の概要だが、紀元前3000年頃から統一王朝が始まる。 第1王朝から第30王朝まであり、30もの違う血の王が国を治め、その後ギリシャ人の制服王朝プトレマイオス王朝となり、クレオ… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月26日 続きを読むread more
ナイル河の旅 その2 カイロ 楽しい問題が最後にあります 宿泊したホテルからギザの三大ピラミッド遠望 ↑ カイロ(Cairo)は、エジプトの首都であり、ナイル川河畔の交通の要衝の地として、イスラム世界における学術、文化、経済の中心都市となっている。 現在、カイロ首都圏の人口は1500万程、中近東やアフリカ大陸の中で最大の人口を誇っている。 ナイル川が形成した河… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月23日 続きを読むread more