テーマ:大坂散歩

大阪散歩 その40  慈尊院を散策

 慈尊院は、816年に空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、この九度山の雨引山麓に高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場としたのが始まりである。  その後、空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)がこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰し…
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大阪散歩 その39  真田庵を見学

 今日は当初の日程を大幅に変更する日となった。  今も不通となっていて、代行バスで高野山に行くしかなくなったからである。  ナビの使い方に不慣れなため何回か道に迷いながら、代行バスの発着基地となっている橋本駅に到着し、バスの状況を係りの方からしっかり確認した。  午後からのバスではバス待ち時間が1時間以上かかるだろうということで、…
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大阪散歩 その38 名刹粉河寺を散策

 今夜の宿は丸浅旅館、粉河寺のすぐ近くにある旅館である。  根来寺を出て、距離にして10km、時間で20分程の丸浅旅館に到着し、ゆっくりとくつろいだ後で夕食となった。  やはり旅館料理ということで、二食で7,560円と割安でも夕食は肉鍋や刺身などが付いて、その上混ぜご飯や蕎麦なども出て、ご馳走と言える料理…
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大阪散歩 その37 覚鑁の仏教哲学「密厳浄土」思想 

 聖天堂を出て、堂の前にある聖天池を、覚鑁のことを考えながら歩いている。  空海の思想と覚鑁の思想の違いについては先ほど書いたので、今度は覚鑁について記していく。  覚鑁は鳥羽上皇の病を治すなどして上皇に可愛がられ、若手抜擢されて高野山では大学総長のような仕事をしていた人である。  35歳で古式な真言宗の伝法を体得し…
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大阪散歩 その36 覚鑁(かくばん)のこと

 ここは大師堂で、真言宗を開いた弘法大師を祀っている。  後ろに見える大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物で、本尊の造立銘から1391年頃の建立と推定されている。  これから西方へしばらく歩き、光明殿や行者堂、聖天堂などを見て回る。  ここは光明殿へ入る前にある江戸時代建築の鐘楼門である。  こ…
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大阪散歩 その35 根来寺に到着 

 昼過ぎとなったので、県立紀伊風土記の丘のピュアという食堂で昼食を食べることにした。  ここはジビエ(野生鳥獣の肉)料理の店で、イノシシを扱っている店である。  日前宮からレンタカーで10分程、距離にして10km弱の距離にある。  このピュアで、1200円のイノシシ肉のカツと生姜焼きの定食を頼んだ。 …
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大阪散歩 その34 日前宮  

 和歌山城から車で10分、距離で3kmの日前宮に向かった。  日前宮は1つの境内に日前神宮と國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮と呼ばれている。  日前宮は紀伊国一宮となっていて、入口から向かって左に日前神宮、右に國懸神宮がある。  日本で最も歴史のある神社の一つで神話と関わりが深く、「日本書紀…
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大阪散歩 その33  紅葉渓庭園から天守へ

 次に、鶴の渓に隣接する和歌山城西之丸庭園(通称は紅葉渓庭園)に入った。  紅葉渓庭園は紀州藩初代藩主徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に築いた池泉回遊式庭園である。  虎伏山麓の斜面という立地を生かして湧水を利用した2段の池と滝を設け、さらに内堀の一部をもう一つの池として庭園に取り込むことで広がりをもたせて…
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大阪散歩 その32  鶴の渓を歩く  

 階段を降りていくと、ちょうど男女の二人組が階段を登ってくるところで、階段の中ほどで彼らとすれ違った。  それからすぐに後ろから元気のいいお姉さんが駆け足で降りてきて、あっという間に追い抜かれた。  目の前の、石垣と石垣の間の狭い道が、鶴の渓である。  鶴の渓の石垣の積み方は野面積みという…
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大阪散歩 その31 「街道をゆく 紀ノ川流域」の旅の始まり

 司馬さんの「街道をゆく 河内みち」を訪れる旅であったが、ほぼ計画通り旅することができ、満足して帰路についた。  その途中、大阪府富田林市にあるPL教団の大平和祈念塔(正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」)が遠くに見えた。  高さ180mもあるもので粘土細工のような造形の白い塔とのことだが、一度近くで見…
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大阪散歩 その30 高貴寺にて

 弘川寺から、今度は高貴寺に向かった。  ここはネットで事前に調べた通り、本道から寺までの道が本当に狭くて、すれ違いも全くできないたいへんな道だった。   それでも、5km程の道のりを20分程かけて高貴寺に到着した。  ここは高貴寺山門である。  寺の開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれてい…
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大阪散歩 その28 弘川寺の西行堂まで歩く

 昼食後、西行法師終焉の地で彼の墓のある弘川寺へ向かった。  距離にして13km、時間にして30分程かかった。  ここは弘川寺本堂である。  ここの目当ては何といっても西行の墓であるが、この矢印の方角に進むと西行墳(墓)、西行堂、似雲墳などに辿り着くので、矢印の示している山道を登っていく。…
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大阪散歩 その27 観心寺境内のお堂を見てから昼食

 このあと、観心寺境内にあるお堂をいくつか回った。  ここは建掛堂である。  建武中興の無事を祈って楠木正成が願主となり三重塔を建立しようとしたが、湊川戦役のため建立できず、初重で中止となったもので、内部に大日如来を安置している。  ここは開山堂(本願堂)である。  観心寺の開祖を祀るお堂で、空海の…
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大阪散歩 その26 北斗七星を巡る

 この星塚は、厄除け・福寿増長のパワースポットとして有名で、日本で唯一の北斗七星の巡礼地である。  実際の配置は、上図の黄線で結ばれた通りの形態である。  ここはどうやら、中国式の北斗七星の呼び名で呼ばれているらしい。  左方から時計回りで、1貧狼星(トンロウセイ)、2巨門星(キョモンセイ)、3禄存星…
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大阪散歩 その25 「観心寺」に到着

 大ヶ塚を出て30分ほど走って、次に赤字2の「観心寺」に到着した。  観心寺は空海と楠正成に関係のある広大な境内を持つ、大きな寺である。  伝承では、701年に役小角(役行者)が開創し、当初、雲心寺と称したとされるが、この寺を実質的に開基したのは、空海の一番弟子にあたる実恵である。  その後、808年に…
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大阪散歩 その24   「大ヶ塚」を歩く

 これから、司馬さんの「街道をゆく 河内みち」の世界を散策するが、まず赤字1の「大ヶ塚」、次に赤字2の「観心寺」、更に赤字3の「広川寺」、最後に赤字4の「高貴寺」に行く。  最初に赤字1の「大ヶ塚」を目指した。  「大ヶ塚」は石川支流の梅川が東側を北方に流れる高台に位置していて、村全体が自衛のために一つの濠で囲まれた中…
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大阪散歩 その23  堺市の古墳散策を終える

 次に、倭の五王の中の済に比定されている允恭天皇陵に向かった。  允恭天皇は仁徳天皇の第四皇子で履中・反正天皇の弟にあたるが、反正天皇が跡継ぎを決めないうちに亡くなったため、臣下の要請で天皇に即位した。  允恭天皇は病弱だったため当初天皇になることを拒んでいたが、のちに允恭天皇の皇后になる忍坂大中姫に懇願されて天…
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大阪散歩 その22 古市古墳群の応神陵を散策

 今日は11月2日である。  この日は1日レンタカーを借りて、古市古墳群を回ったり、司馬さんの「街道をゆく 河内みち」の世界を散策することになる。  ホテルのレストランでの朝食は、おにぎり2個をメインとしての簡素だがなかなか洒落たもので、気分よく美味しくいただいた。  歩いて10分ほどでト…
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大阪散歩 その21 倭の五王

 ミニ展望台から大仙公園を歩いて堺市博物館に向かった。  しかし予想をはるかに超えて大仙公園は広かった。  いい加減歩き疲れたところで堺市博物館に入ったが、企画展をやっていてそれがかなりの額の見学料となっていたので、良くも見ないで仁徳天皇陵に向かった。  仁徳天皇陵に行く前に、ここで倭の五王について記し…
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大阪散歩 その20 履中天皇陵を散策

 計画以上に順調に過ぎた午前の反動か、逆に午後は最悪となった。  午後からは仁徳天皇陵、履中天皇陵、堺市博物館を見ようということで、仁徳天皇陵を最初の目的地とした。  白字1が仁徳天皇陵、白字2が履中天皇陵である。  ところが、堺東駅から南海高野線に乗ろうとしたところで切符を線路に落とし、再度切符を購入し…
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大阪散歩 その19 三国ヶ丘を散策

 分岐点から三国ヶ丘の住宅地に入った。  これから反正天皇陵に向かうが、その途中で向泉寺閼伽井跡と書いてある門と囲いに出会った。  向泉寺は聖武天皇が行基に命じて創建された寺で、三国ヶ丘一体から百舌鳥のあたりまで広がっていた広大な寺だったという。  河内国が分割されて、河内・和泉・摂津の国が出来て、その境にあるこ…
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大阪散歩 その18 竹内街道を歩く

 ここからは二上山、葛城山、金剛山と連なる金剛山地の絶景が見渡せる。  二上山の手前には百舌鳥古墳群と並んで堺を代表する古墳群である古市古墳群が存在しているが、ここは明日の午前中に散策予定である。  百舌鳥古墳群や古市古墳群の中には、5世紀の河内王朝と言われる時代に、中国の宋に朝貢していた「倭の五王」ではな…
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大阪散歩 その17 堺にてミニツアーに参加

 今日から11月、行動の拠点は大阪から堺に移動する。  ヴィアイン新大阪でいつも通りの朝食を終え、新大阪駅から地下鉄御堂筋線でなんば駅まで行き、そこから南海本線で堺駅に下車した。  その途中で、10月の下旬の週末に、2週間に渡って日本全土を襲った台風の影響で交通に障害が出ていることをテレビで知った高野山への交通…
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大阪散歩 その16 レトロビル散策の続き

「北浜レトロビルヂング」を見終えてから、赤星印の新井ビルまで歩いた。  新井ビルは報徳銀行の大阪支店として1922年に建てられたもので、その後新井家が買い取り新井証券として利用して使った。  現在は五感(伝統ある古き良き街、北浜、中之島、淀屋橋を本拠地として、「大阪町人」の魂を少しでも受け継ぎながら、…
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大阪散歩 その15 北浜のレトロビル散策

 再び中之島駅まで歩き、地下に入って駅でしばらく電車を待ち、地下鉄中之島線に乗った。  7~8分電車に乗って、3駅先のなにわ橋駅で降車した。  この駅の近くには大阪の代表的なレトロ建築が建っているので、それを見ることにした。  代表的なレトロ建築とは、この大阪市中央公会堂である。  こ…
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大阪散歩 その14 中之島散歩 

 昼食後は淀川(現・旧淀川)本流の中洲である中之島を歩くことにした。  中之島は、大阪府大阪市北区にある堂島川と土佐堀川に挟まれた東西約3kmの細長い中洲で、面積は723,266m2である。  谷町4丁目駅から地下鉄谷町線に乗って、一つ前の天満橋駅に降りた。  天満橋駅から中之島線に乗り換えた。 …
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大阪散歩 その13 大阪城を出て昼食

秀頼・淀殿ら自刃の地を終え、大手口から大手口枡形に出た。  大手口の上には多聞魯が造られていて、ここは重要文化財となっている。  今僕が居るのは大手口枡形と呼ばれている黄星印の地点である。  枡形とは城の主要な出入り口に設けられた四角い区画のことで、敵の侵入を食い止める役割を果たした。 …
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大阪散歩 その12 本丸の周辺部を散策

 これから本丸の周辺部を見ていく。  最初に、赤字いの桜門の巨石(蛸石)と桜門、続いて赤字ろの山里丸の秀頼・淀殿ら自刃の地、最後に赤字はの大手口の巨石と魯群である。  まず、桜門の巨石を見に行った。  人の大きさと比べるとその大きさが理解できるが、こんな風景となる。  城内巨…
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大阪散歩 その11  ミライザ大阪城を見学

大阪城の展示は各階でこのようになっていた。  7階は豊臣秀吉の生涯 、5階は大坂夏の陣図屏風の世界、4階は豊臣秀吉とその時代、3階は豊臣秀吉とその時代、2階はお城の情報コーナー、1階は天守閣の入口となっていた。  これは5階の大坂夏の陣図屏風の世界で、松平忠直と真田幸村の合戦の場面が描かれている。 …
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大阪散歩 その10 天守展望台から大阪の街を一望

 この天守は現在大阪城を象徴し、大阪市の象徴となっている。  建物は、徳川大坂城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に、鉄骨鉄筋コンクリート構造を吊り下げ工法を用いて建てた。 高さは54.8メートル(天守台・鯱を含む)で、5層8階(入口のある1階部分は地下)からなっており、復興天守の中は博…
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