テーマ:播磨と淡路のみち

「播磨と淡路のみち」 その46 旅の最後は、明石海峡と明石海峡大橋

この日の昼食は、伊弉諾神宮の前の食堂である。淡路島で目にしたことを何シーンか思い出しながら、とんかつ定食を食べた。淡路島を1泊2日で駆け抜けた旅も終了直前、その最後に兵庫県立淡路島公園に向かった。ここからは、明石海峡と明石海峡大橋が実によく見えるという。   県立淡路島公園までの…
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「播磨と淡路のみち」 その45 伊弉諾神宮

高田屋嘉兵衛の墓に参ったあと、12km程離れた伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)に向かった。  伊弉諾神宮は、兵庫県淡路市多賀にある淡路国一宮で、「日本書紀」や「古事記」によれば、国産みを終えた伊弉諾尊が最初に生んだオノコロ島(淡路島)の多賀の地の幽宮(終焉の御住居)に鎮まったと書か…
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「播磨と淡路のみち」 その44  高田屋嘉兵衛の生まれ故郷で

「ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園」の丘陵を上がっていった。 しかし、期待していたものは何もなく、ただの観光地がそこには広がっているだけだった。播磨灘も遠くに見えるだけだったので、10分もここに居ないで、嘉兵衛が埋葬されている丘陵の麓にある墓まで下った。   高田屋嘉兵衛(…
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「播磨と淡路のみち」 その43 松の島 

話は変わるが、淡路島は昔慶野松原に代表されるような松が島のいたるところに生い茂る松の美しい島であった。    今は相当数の松がこのように松くい虫にやられて、往時の面影はこの島にはないという。このような状態は日本の松の運命とも言えるもので、松は本来痩せた土地を好…
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「播磨と淡路のみち」 その42 慶野松原

 鳴門岬をあとにして、距離にして20km程離れた慶野松原に向かった。   午前10時40分頃、慶野松原に到着した。   慶野松原は古くは柿本人麻呂らにより「万葉集」に詠まれた風光明媚で知られた景勝地で、約5万本の淡路黒松が生い茂っていて、約2.5kmに渡って白い砂浜がの…
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「播磨と淡路のみち」 その41 鳴門岬にて 

 淡路国分寺から、予定を変更して鳴門岬を目指した。  20kmにも満たない距離なのだが、道を行きすぎたり迷ったりしている間に時間が経って、鳴門岬到達まで40分近くかかってしまった。    鳴門岬は淡路島の西南端に突き出すように位置していて、鳴門海峡を見下ろす自然の展望台…
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「播磨と淡路のみち」 その40 淡路国分寺

旅も8日目となった。  今日は、淡路島の西海岸をレンタカーで1周する旅である。 まず、淡路国分寺を目指した。  淡路国分寺までの距離は約20km、時間にして40分程の距離である。   午前9時前に、淡路国分寺に到着した。   国分寺前にはキャベツ畑が広がっていた。 この付近には西…
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「播磨と淡路のみち」 その39 由良港と民宿魚春

洲本城を下って由良港に向かった。由良港は天然の防波堤とも言うべき成ヶ島が形作るラグーンの由良湾内にあり、天然の良港となっている。  港の岸壁では、かなりの数の釣り人達が鰺などのサビキ釣りに興じていた。 天然の良港としての由良は、瀬戸内海の海上交通の重要な場所であった紀淡海峡を治め…
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「播磨と淡路のみち」 その38 洲本城天守台に上がる 

これから標高133mの三熊山山頂部に築かれた洲本城本丸に上がっていく。洲本城の縄張りを示すとこんなである。   東西約800m、南北約600m、広さ約278.5㎡の広大堅固な縄張りである。   ここは⓯の位置にある本丸大石段で、この石段を上がると本丸虎口である。   こ…
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「播磨と淡路のみち」 その37 二つの洲本城

午後一番に、洲本城に行った。洲本城は二つあり、一つは豊臣期に築かれた山城であり、もう一つは江戸期に山城のふもとの築かれた平城である。まず、平城跡の方に行った。   この淡路文化史料館は、江戸時代のはじめに築かれた平城跡にある。ここには、淡路島の自然、文化財、地場産業などの情報を楽…
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「播磨と淡路のみち」 その36 淡路島を1周する旅の始まり 

これから1泊2日で淡路島をほぼ1周するレンタカーでの旅が始まるが、その前に淡路島の大きさをまず確認する。   北東から南西へかけて細長く伸びる淡路島は、南北約53km、東西約22km、周囲約203kmの島である。日本国内では主要4島、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対…
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「播磨と淡路のみち」 その35 明石大橋を渡って淡路島へ

明石大橋を渡る前に、柿本神社に行った。この神社の境内からは、瀬戸内海と淡路島、明石海峡大橋が望めるという。   林崎漁港からここまでは約5km、20分ほどで到着した。   柿本神社は明石市人丸町にある神社で、人丸山の頂上に鎮座し、旧くは人丸神社と称していた。   境内の展望場所か…
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「播磨と淡路のみち」 その34 林崎漁港 

 夕食はホテルの前のコンビニで買ったけっこう高級な寿司(1000円ほど)と缶ビールで済ませた。  この部屋は前日宿泊したホテルの部屋に比べて格段に居心地がよく、気分よく過ごせて、気分よく眠れた。  翌朝の明石キャッスルホテルの朝食であるが、このホテルも大部分のビジネスホテルと同じ…
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「播磨と淡路のみち」 その33 神戸華僑歴史博物館 

神戸ポートタワーを降りて、次に神戸華僑歴史博物館に行った。  このKCCビルの2階に、神戸華僑歴史博物館はある。 このビルの前には、非核「神戸方式」の碑や神戸港平和の碑などがあった。 司馬さんの「街道をゆく 神戸散歩」の中に、「陳徳仁氏の管長室」という1章がある。  司馬さんが大…
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「播磨と淡路のみち」 その32 神戸ポートタワーから神戸を展望 

神戸ポートタワーは神戸港中突堤の袂に建つタワーで、世界初のパイプ構造の建造物である。 和楽器の鼓を長くしたような外観が特徴で、その独特の構造・形状から「鉄塔の美女」とも称されている。   神戸ポートタワーの高さは108m、入場料金は700円である。展望5階が最上階であるが、これか…
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「播磨と淡路のみち」 その31 旧居留地を散策 

ランチを食べ終え、南京街を出てこれから旧居留地を散策する。 神戸の街は外人の造った街で、この旧居留地に最初に外人たちが居住していた。旧居留地は神戸の街の発祥の地でもある訳である。旧居留地に住まわれていた神戸の街の最初の住人である中国や韓国や東南アジアやヨーロッパから来た方々は、神…
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「播磨と淡路のみち」 その30 南京街でランチ

三宮駅からJRに乗って一駅先の元町駅に降りた。今日は神戸の海側の主な場所を一日かけて見る予定にしている。 主な場所とは、南京街、旧居留地、メリケンパーク、ポートタワーなどである。まず最初に、元町にある南京街に向かった。  ここは、南京街の入り口にある「長安門」である。 さっ…
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「播磨と淡路のみち」 その29 生田神社から北野坂へ 

揖保川に沿っての播州の旅は、天気にも恵まれて最高のコンディションの中で行われた。姫路では旅の最初に3連泊したホテル姫路プラザに泊ったが、前の部屋とは違ってダブルベッドとシングルベッドが入っていて、居心地が悪くて睡眠にも差し支え、二度寝までしたので、午前8時過ぎてからの朝食となった。 …
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「播磨と淡路のみち」 その28 「赤とんぼ」の町

午前11時前には龍野に戻った。 龍野でまだ見てない場所や、朝食前に散策したいかにも龍野らしい立派な風景をもう一度心に焼き付けた。 龍野は鶏籠山をバックに、コンパクトに古い美しい町並みが残っていて、その中でも龍野の中心となる醤油蔵や古寺は、再度見直しても見事だった。 昼食は鶏…
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「播磨と淡路のみち」 その27 山崎城跡

山崎には午前9時半頃に到着した。山崎は黒田官兵衛ゆかりの地で、官兵衛は最初姫路に城を構えていたが、そこを秀吉に譲って、播磨宍粟郡の山崎の城に居城した。 この山崎の城は、山崎町中心部にそびえる標高324mの山上にある篠ノ丸城で、官兵衛は篠ノ丸城が中途半端な山城で不便なため、山が平…
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「播磨と淡路のみち」 その26 伊和神社

朝食を食べるために旅館の1階の食堂に行った。  竹の宿と名乗っているだけあって、食堂にも竹が贅沢に使われていた。 朝食も食堂と同じで、一品一品手が加えられていて贅沢である。 朝食前の散策の余韻が残っていたので、この朝食がなおのこと美味しく感じた。そして今日の日程である。 今…
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「播磨と淡路のみち」 その25 龍野のベストスポットを歩く

 露風の生家を通り過ぎ、引き続き司馬さん風に言えば「古色を帯びた龍野の街」を歩いていく。 月並みな言葉でいえば「落ち着いたいい感じの街並み」が続いていて、やはりこの龍野城跡下あたりが最も龍野らしい風景だと思われる。 この立派な白壁の平垣の中にあるのは、なんと「たつの幼稚園」で…
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「播磨と淡路のみち」 その24 本丸跡から三木露風生家まで歩く

隅櫓を後ろにして坂道を上がっていく。 本丸までの道は、右手に石垣左手に白塀の、このような石段の坂道である。坂道を歩き終えると、正面に本丸西隅に再建されている西門が建っていた。 大きな門は開かなかったが、その右脇にある小さな門が開いていて、ここから本丸に入った。本丸跡は公園のよ…
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「播磨と淡路のみち」 その23 龍野城まで歩く 

この白壁が続く屋敷は「霞城館」と「矢野勘治記念館」の二つの記念館を併設した建物である。 白壁には入り口が二つあった。 ここが、旧制一高の西寮寮歌「春爛漫」、東寮寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の作詞者である矢野勘治の旧居である矢野勘治記念館の入り口である。 こちらが、龍野出身の近…
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「播磨と淡路のみち」 その22  朝焼けの龍野を歩く

その常照寺の真ん前まで来た。 常照寺は龍野で400年以上の歴史を持つ日蓮宗のお寺で、境内には明治の文豪国木田独歩の祖父にあたる国木田国丸の墓碑も在るというが、ここは素通りして十文字川沿いを歩いて行く。 龍野は兵庫県で一番古い家並みが残っている街ということで、実に古色を帯びてい…
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「播磨と淡路のみち」 その21  「片しぼ竹の宿 梅玉」

今夜の「片しぼ竹の宿 梅玉」は朝食付き8,316円の宿で、和室二部屋があり、それに玄関や廊下や洗面所やバスやトイレが付いている豪華な部屋で、宿のおかみさんの話では、「今日は一番いい部屋が空いていたので、この部屋を使ってもらいます」ということだった。贅沢すぎると思ったが、遠慮なく使わせていただくことにした。 …
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「播磨と淡路のみち」 その20  播磨の小京都に到着

大石神社から、今夜の宿である龍野市の「片しぼ竹の宿 梅玉」へ向かった。 距離で23km、時間で45分程の場所である。午後3時前には、「片しぼ竹の宿 梅玉」へ到着した。 「片しぼ竹の宿 梅玉」は、城下町龍野の脇坂藩筆頭家老屋敷跡に建つ、創業約100年余りの旅館である。この宿に荷物を…
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「播磨と淡路のみち」 その19 赤穂の大石神社へ 

昼食は、龍野市室津出張所の隣にあるみなと茶屋で済ませた。 この町には飲食スペースがないので、ここでは軽食しか食べることができない。港を臨むところにテーブルと椅子が並んでいて、カレーやうどんやおにぎりができるので、カレーうどんとおにぎりを頼んでちょうど550円だった。食事後、赤穂…
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「播磨と淡路のみち」 その18 浄雲寺を歩く

浄雲寺は室津にある浄土宗知恩院の末寺で、法然上人霊跡の一つでもある。遊女の元祖とされる友君や、「お夏清十郎」ゆかりの寺としても知られている。 寺のすぐ前まで歩いてきて、今まで歩いてきた道を振り返った。どこにでもある細い道であるが、浄雲寺門前の道ということで、どこか清浄な空気に包…
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「播磨と淡路のみち」 その17 賀茂神社に行く 

少し歩いていくと、龍野市室津出張所があり、隣にみなと茶屋というこの施設を利用した喫茶・軽食休憩スペースがあった。 この右手の建物であるが、昼食にここを利用することにして、そのまま前に向かって歩いていく。 しばらく歩くと、右手に「本陣 薩摩屋跡」の石柱が建っていた。時の流れに押…
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