テーマ:歴史

謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その5 間宮林蔵渡樺の地にて

 宗谷岬先端部の2〜3km手前に「間宮林蔵渡樺出航の地」がある。宗谷岬へ向かう前に立ち寄った。  間宮林蔵は、江戸時代末期の19世紀初頭、日本の北辺に20年以上滞在し、蝦夷・千島列島・樺太において数々の業績を残した探険家。  とりわけ樺太・東韃靼の探査では間宮海峡を発見し、その名を世界地図上に残した。  この案内板に…
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金沢紀行 その13  金沢城で石垣巡りにチャレンジ

 足軽資料館から他のところにも行ったが、それは省略する。 このあと今日の宿泊先であるホテルエコノ金沢駅前に入り、部屋の中で、金沢駅で買った中華弁当を食べて夕食とした。 翌5月23日(火)、金沢の2日目であるが、金沢城と小立野大地の石曳の道を巡る上のような日程を組んだ。まず、金沢…
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台湾紀行その18  高雄に到着、まず蓮池潭見学

高雄は、台湾第二の都市で、台湾南部に限れば第一の都市。寿山というテーブル状の大きな台地(標高200m)のふもとに位置し、海からの目当てになる山と、旗津という名の砂州に保護された潟があり、古くから良港として知られていた。 日本統治が始まる以前から日本統治期間にかけての市街地は、愛河(日本統治時代の高雄川)の西側、寿山山麓に位置し…
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能登(日本道)への道 その11 「里山里海号」で七尾湾沿線の旅

翌5月18日(木)は、朝から気持ちの良い晴天だった。  朝食はホテル・ルートイン七尾駅東で、おかゆと梅干しを中心に軽く済ませた。 今日は午前中に予定していた一本杉通り散策を取りやめ、偶然に乗った能登鉄道観光列車「里山里海号」で、大相撲の遠藤関の出身地である穴水町まで、絶景の七尾湾沿線の旅を楽しんだ。 「里山里海号」は、穴水ー七尾間…
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因幡と伯耆の旅 その12  倭文神社を歩く 

この神社までの道は相当険しい山道で、少々怖くなったが無事にここまで来た。この階段を上がって、本殿までこれから歩いていく。倭文神社のことについて書かれた説明看板が建っていたので、立ち止まって読んだ。 倭文神社は伯耆の国の一之宮で、御冠山の中腹に位置し、広く安産の神として信仰されて…
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探険家列伝第1部 その3 南極点に魅せられた男たち・・・・男たちの熱き戦い!!

 南極の探検史をひもといてみる。  南極探検の歴史は、20世紀初頭に命を賭けて,残された最後の大陸に挑んだ3人の男たちの存在抜きには語れない。それでは、男たちの勝負の舞台となった南極探検の歴史を調べてみる。  1772~75年 キャプテン・クック(英) 初めて南極探検 (エンデバー号での太平洋の調査等や壊血病をビタミン摂取によ…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅 その4 声問川にて

 稚内には抜海岬、ノシャップ岬、声問岬、宗谷岬という4ケ所の岬がある。すでに2ケ所を見たので、今度は3ケ所目の声問岬を目指す。  道道238号線を宗谷岬に向かって15〜16km程走ると、「声問川」の大きな看板が目に飛び込んで来た。道の左手には声問橋と書かれた背の高い看板がある。    司馬遼太郎は旅に出る前に…
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金沢紀行 その12 足軽の清水家を見学  

家の前に「足軽」の説明看板が立っていたので、それを読んでみた。 「足軽とは戦闘時に駆り出される歩兵のことを指す。戦国時代には弓・鉄砲の部隊を編成して活躍したが、江戸時代には武士の最下層に位置づけられた。」と書かれていた。  それでは江戸時代最下層の武士の家に入っていく。 足軽…
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台湾紀行その17  日本の台湾統治時代と八田與一のこと

王ガイドはまた、八田與一についても話した。僕は司馬遼太郎の台湾紀行を事前に読んでいたので、彼のことは知っていた。  司馬遼太郎の台湾紀行には印象に残る傑物が大勢登場し、台湾紀行の格式をグレードアップさせる役割を演じているが、僕が台湾紀行の中で特に惹かれたのが元中華民国(台湾)総統の李登輝、そしてもう一人が日本の水利技術者で日本統治時代の…
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能登(日本道)への道 その10 能登島をドライブ

「須曽蝦夷穴古墳」から10分ほど走って、ひょっこり温泉に着いた。 ひょっこり温泉は、波静かな七尾湾にひょっこり浮かぶ能登島の中心部にある、日帰り天然温泉施設である。 約2,000平方メートルの建物には、サウナやジャグジーを備えた和風・洋風の大浴場があり、一週間交代で“男湯”と“女湯”が入れ替わるという。 しかし何よりも興味深いのは…
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因幡と伯耆の旅 その11  夏泊を経て倭文神社に到着

鹿野町の次は黄☆印の夏泊漁港である。 長尾鼻の西海岸沿いの崖下にあるこぢんまりとした漁港で、亀井玆矩が朝鮮出兵の際に知り合って因幡に来るように誘った筑前の漁民が開いた港とのことである。  鹿野町を出て20分ほどして、魚見台という絶景ポイントに到着した。 この場所は気高町の国道…
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探険家の歴史 第1部 その2 北極点を目指した男たち

 人類拡散の歴史を逆方向から辿った関野を1番目に取り上げたが、2番目は北極点を目指した探険家で、西洋人として最初に北極点に到達したロバート・エドウィン・ピアリー、そして日本人からも、河野兵市を紹介する。  北極点探検の歴史は、大航海時代の頃から、探検家の足跡が歴史として残っており、まず、オランダのバレンツあたりからスタ…
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その3 ノシャップ岬にて

 国道40号線を北へ、稚内方向へ向かう。  向かう先は野寒布岬(のしゃっぷみさき)、ノシャップはアイヌ語でノッ・シャムといい「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味があるという。  この丘陵の左端が海に落ちるところが野寒布岬である。  司馬遼太郎の「オホーツク街道」冬の旅にはノシャップ岬はこんな…
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金沢紀行 その11  高田家跡と足軽資料館

次に、赤←の道方向に大野庄用水沿いの道を歩いて、旧加賀藩士高田家跡と足軽資料館に行った。 まず、旧加賀藩士高田家跡である。ここには金沢市指定保存建造物の長屋門や、大野庄用水から水を引き入れて作られた池泉回遊式庭園があり、厩や仲間(奉公人)部屋や納屋なども備わり、江戸時代の武士の…
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台湾紀行その16 台湾紀行 檳榔(びんろう)の話

鹿港見学後、僕等のツアーは、今日の宿泊地である台湾の南に位置し台湾第2の人口を誇る高雄に向かった。 日程表では3時間の行程と書かれていたが、実際には2時間半で着いたので、午後4時ころの到着となった。  鹿港-高雄の行程は黄色の実線部分で、ほとんど高速道路。  バスの中は半分眠って、半分は王ガイドの話に耳を傾けていた。王ガイドは檳榔…
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能登(日本道)への道 その9 須曽蝦夷穴古墳にて

 須曽蝦夷穴古墳の駐車場に車を停めて、正面の道を歩いていく。 150m歩けば、須曽蝦夷穴古墳に到着である。七尾市能登島須曽町に所在するこの古墳は、660年頃の古墳時代後期に造られた横穴式の方墳で、日本の古墳には例が少ない高句麗式の構造を備えている特徴がある。今回の旅は、日本と朝鮮…
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因幡と伯耆の旅 その10 鹿野城址跡近辺を散策

これから、鹿野城址跡近辺を散策する。 まず、鹿野苑と書かれた門の中に入って行く。城下町がすべて鹿野苑(インド北部のバラナシ郊外のサールナートの地で、釈迦が悟りを開いてのち初めて説法した所)ということであるが、その中でもこの門の中は城鹿野苑の天守閣のような気がして、少々緊張しなが…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その9 源流にて(ファイナル)

   セネシオの繁茂するルェンゾリ(月の山)    ナイル河には三箇所の源流地点がある。  一つ目は、1862年に、探検家スピークが発見したビクトリア湖から流れでる川の最上流地点である。そこにはナイル河源流の碑が建てられている。この地点は、一般的にはナイル河の源流として大多数の人々に受け入れられている。   …
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謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅その2 抜海岬にて

  司馬遼太郎の「オホーツク街道」冬の旅には稚内付近はこんな風に紹介されている。  『地図をひろげてみた。こぶしをつきだして親指を立てると、稚内半島である。低い丘陵が背になっている。親指の爪の先が野寒布岬である。さらに人さし指を立てると、その指先が宗谷岬で、親指と人さし指のあいだの海面が、宗谷湾としてひろがっている。』 …
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金沢紀行 その10 大野庄用水沿いと土塀のまちなみを歩く

武家屋敷跡野村家の見学を終え、再び長町武家屋敷の通りに出た。 武家屋敷跡野村家の真ん前が大野庄用水に架かる一の橋となっている。ところで、大野庄用水はいつどうやって開削されたかは明確ではないが、天正年間(1573~91年)に完成したと伝えられていて、金沢で最も古い用水となっている…
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動画 (台湾紀行  その2 鹿港)

動画 (台湾紀行  その2 鹿港)     この旅は、「びっくり台湾ぐるり周遊5日間」と銘打ち、その旅の間に、台中、日月潭、鹿港、高雄、台東、花蓮、太魯閣、九フン、台北などを見て回る旅。 今回は鹿港である。   動画をクリックです!! ↓↓ http://www.youtube.com/…
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台湾紀行その15   鹿港の老街、九曲巷を歩く

 老街は、中山路と並行し、埔頭街、瑤林街、大有街にまたがるエリア。  上図では、赤線の部分が老街である。現在、古跡保護区に指定されていて、道の両脇にはレンガ造りや木造の家屋が並び、風情溢れる通りとなっている。 茶芸館やお土産屋など商店も多く、週末は多くの観光客で賑わい、僕等も日曜日に訪れたので、ここはごった返していた。  僕等のツア…
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能登(日本道)への道 その8 能登島ドライブの旅の始まり

 院内勅使塚古墳を見終えると、昼食のために七尾市街に戻った。昼食は上地図の能登食祭市場である。この市場の正式名称は七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場といい、七尾市の姉妹都市であるモントレーが位置するアメリカ合衆国カリフォルニア州の沿岸都市に多く見られる観光地「フィッシャーマンズワーフ(漁師の波止場の意味)」を参考に建設された。…
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