テーマ:歴史

能登(日本道)への道 その23 渤海の話Ⅲ

 日本との交易のために渤海が整備した道が中国の歴史書にも記されている「日本道」である。  「日本道」は上京の都を出て、そこからロシア沿海地方に出て日本海を渡るルートである。  渤海使が船出した地点がクラスキノ遺跡である。  ウラジオストクから車で6時間、クラスキノ遺跡はそこにある。  中国とロシアの国境付近、ロシア沿…
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能登(日本道)への道 その22 渤海の話Ⅱ

 これからロシアに200箇所以上ある渤海の遺跡の一つを、ロシアのウラジオストク郊外まで訪ねていく。  最初に向かったのが、渤海時代の山城の跡である。  ここは山城の跡で、山城は4mの石垣で囲まれていたということで、NHKの杉浦知紀アナウンサ-の手の高さの2倍位の高さがあったことになる。  渤海人はこのような山城を幾つも造り、…
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能登(日本道)への道 その21 渤海の話Ⅰ

 これからは渤海の話となる。  渤海は、西暦698年から926年まで、今の北朝鮮と中国東北部とロシア沿海州の一部を領土として、228年もの長い間栄えた国である。  日本の時代では飛鳥・奈良・平安時代のことで、その間渤海は34回も日本に使者を送り、その延べ人数は2500人にもなった。  これに応えて、日本からも渤海に使者…
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能登(日本道)への道 その20 渤海までの二つめの話 

 二つめの話は、5世紀となる。  この時代は倭の五王の時代で、大和政権は強大な力となり、朝鮮半島南部の支配をめぐって優位な立場に立つため、中国の宋に朝貢して安東将軍などの称号を得た。  例の讃、珍、済、興、武の時代で、大阪の堺市には仁徳天皇(讃と比定されている)陵などの巨大な前方後円墳が造られた。  一方朝鮮半島南部では4世…
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東京散歩Ⅱ その22 墨田川河畔をツリーを眺めながら歩く

 言問橋から吾妻橋方向に歩いて、ビュースポットとなっている場所に立ち止まってはシャッターを押していく。  この単純な作業を繰り返しながら、ふと探検家関野吉晴のグレートジャーニーの旅のワンシーンを思い出した。  シーンは、ヒマラヤ地域のカンリン・ポチェという聖山を、五体投地という礼拝などのために両手・両膝・額を地面に投げ伏して前…
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東京散歩Ⅱ その21 牛嶋神社から言問橋を歩く

 牛嶋神社は牛御前社とも言って、荒俣宏の集英社発行「日本妖怪巡礼団」に載っている化物神社である。  この神社にまつわる謂れを紹介する。  源頼光の兄弟に牛御前がいた。  牛御前は牛鬼のような姿をしていたので父は牛御前を嫌い、頼光に牛御前を討つよう命じた。  牛御前は関東へ下ってきて王国を築ことしたが渡辺綱ら四天…
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東京散歩Ⅱ その20 昼食後、ツリー周辺の街を散策

 東京スカイツリー内で昼食の予定びしていたが適当な場所を探せず、ツリーの外に出て、ツリー周辺の街を歩き出した。  歩いてしばらくして、「嵐山」という居酒屋兼家庭料理の店を発見した。  面白そうな店だと思って、そのまま店の中に飛び込んだ。  店の中に入るとカウンターの正面に、久保田、八海山、雪中梅、寒中梅、鶴亀など新潟県…
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能登(日本道)への道 その19  弥生時代末期頃の朝鮮半島南部との交流

 渤海のことを取上げたちょうど良い資料がNHKスペシャルで放映された「日本と朝鮮半島2000年」である。  その第5回のテーマが、「日本海の道~幻の王国・渤海との交流~」である。  古代の朝鮮半島との交流は、玄界灘から瀬戸内海を通る青線の「瀬戸内海ルート」が主流だったが、直接日本海を渡る赤線の「日本海ルート」での交流も行わ…
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能登(日本道)への道 その18 旧福浦灯台まで歩く

 福良津を見下ろす高台に石川県指定史跡に指定されている旧福浦灯台がある。  この金比羅神社の向こうに、旧福浦灯台の方向を示す看板が立ててあるので、そこから右手に曲がり、灯台までのんびり歩いていく。  歩いているのはこんな細い崖道で、左はガードブロックで固められており、右手はガードレールで守られている。  靴音が一番大き…
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東京散歩Ⅱ その19 スカイツリーで展望デッキと天望回廊に上がる

 まず、地上350mにある展望デッキに到着である。  ここには記念撮影スポットやレストランやショップなどがあり、大変にぎやかだった。  特に展望デッキの記念撮影スポット付近は、見学者でごった返していた。  展望デッキから隅田川とそこに架かる橋を確認しながらここに40分ほどいたが、それが午後からの散策をより楽しいものにした。 …
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大阪散歩 その49  「司馬遼太郎への旅」の終わり 

 「司馬遼太郎への旅」は今回で最終回とする。  これから訪れるのは、司馬さんの街道をゆく「堺・紀州街道」の中で司馬さんが訪れた赤字アの南宗寺と、赤字イの「阪本のほねつぎ」から入る旧紀州街道である。  「さかい利晶の杜」で時間をとってしまって、肝心の「堺・紀州街道」の中の予定地を見る時間が少なくなったので、大急ぎでバスに乗り、大…
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大阪散歩 その48 宿院散策  

 バスで橋本駅まで行き、そこから南海鉄道高野線に乗って難波までいき、そこから電車を乗り継いで、今夜泊まるコンフォートホテル堺に午後3時頃に到着した。  2時間ほどホテルのベッドで寝てから風呂に入って、それからホテル近くの前に食べたことのある中華食堂で、再び前と同じ焼肉定食を食べ、生ビールも飲んだ。  料金は1200円程度だった。…
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近江街道をゆく その48 旅の終わり  

 「近江街道の旅」は今回が最終である。  ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地を訪ね、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着き、琵琶湖の周囲をほぼ一周することができたので、「近江街道の旅」は収穫の大きい旅となった。  予定では天智天皇陵や…
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近江街道をゆく その47  石山寺の豊浄殿にて 

 これから、この階段を上がって、石山寺と紫式部展が開催されている豊浄殿に向かう。  豊浄殿は石山寺境内の多宝塔の北西、石山寺の最も高いところに新設された宝物館である。  会場となる豊浄殿では、平安時代の御本尊の御前立ちだった如意輪観音像、「石山寺縁起絵巻」、「石山寺一切経」および「石山寺校倉聖教」、「幻の源氏物語絵巻」と…
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近江街道をゆく その46  石山寺に行く

 西国三十三所観音霊場の第14番札所の三井寺の次に、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている石山寺に行った。  この寺は東寺真言宗の寺院で本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁である。  近江八景の1つ「石山秋月」で知られる寺で、また蜻蛉日記、更級日記、枕草子などの文学作品にも度々登場し、源氏物語の作者紫式部は、石山寺参篭…
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大阪散歩 その47  金剛峯寺を見て高野山を去る

 最後に見学したのは高野山一山の総本山である金剛峯寺で、高野山全体が金剛峯寺の境内とされていて、この寺の住職は座主と呼ばれて高野山真言宗の管長を務めている。  ここから金剛峯寺に入っていく。  しばらく歩くとこの正門であるが、この正門は金剛峯寺の建物の中で最も古い歴史を持った門で、昔は天皇や皇族や高野山の住職だけしか通る…
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近江街道をゆく その45 三井寺を散策

 金堂は三井寺の本尊の弥勒菩薩を安置する堂で、現在の建物は豊臣秀吉の正室北政所が、1599年に再建したもの。  内部は外陣・中陣・後陣に別れ、天武天皇から賜ったものと伝えられている本尊の弥勒菩薩は絶対秘仏である。  次に見たのは、近江八景の一つとして有名な三井の晩鐘である。  この鐘は音色の良いことから、形の平等院、銘…
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大阪散歩 その46  空海の御廟に到達 

 奥の院は霊廟であるが、霊廟の本来持っている暗さが全くなく、清潔で透き通るような風に洗われているような気分にさせる場所である。  ここは結城秀康の墓所である。  秀康は徳川家康の次男で、越前松平家宗家初代である。  そのほぼ向かい側の、横道を入ったところに浅野内匠頭墓所があった。  いずれも江戸時代を生きた人たちの墓…
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近江街道をゆく その44  三井寺まで 

 「近江街道の旅」の目的は、鬼室集斯の墓にたどり着くことで、既に十分完了している。  今日11月8日(火)の旅は、琵琶湖1周の旅の完走くらいだろう。  ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地もしっかり訪ねたし、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にた…
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大阪散歩 その45 高野山奥の院に入る

 これから高野山奥の院に入る。  奥の院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が永遠に生き続けている壇上伽藍と並ぶ最高の聖地である。  一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、樹齢千年に及ぶ杉木立の中に、諸大名を初めとして著名人の方々の墓や無名の方々の墓までありとあらゆる方々の墓が、祈念碑や慰霊碑まで含めると20万基を…
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