テーマ:歴史

能登(日本道)への道 その39  絶景の東海岸で旅を終える

黄☆印の金剛岬を出発した。  奥能登絶景街道に引き続き絶景となる東海岸を40分ほど走って、恋路海岸の見附島(軍艦島)に到着した。 見附島は自然が造り出した高さ約28mの無人島で、島の形が大きな軍艦のような形をしているところから、別名軍艦島とも呼ばれており、能登半島を象徴する景勝地として知られている。 軍艦島で小休止…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その17 杉本寺等見学後、茜草屋でお茶

 昼食を終えると、黄線に従って金沢街道を引き続き歩き、黄星印の杉本寺そして鎌倉宮と進んだ。  午前中のオーバーペースがたたったのか、昼食後は足が重くなり、若宮大路にある黄菱形印の宿泊ホテルまでの道がキツかった。  そんなコンディションの中で、15分程歩いて杉本寺に辿り着いた。  杉本寺は寺伝によれば、734年に行基が十一面…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その23 関興寺の味噌なめたかの関興寺へ

龍澤寺を後に「赤字え」の越後の名刹関興寺に、ここへの到着は午前11時20分だった。 関興寺は臨済宗円覚寺派のお寺で、古くは関興庵と称し1410年に開山、関東管領上杉氏の庇護の下で、信州、佐渡、能登、越中、越後五カ国の末寺300箇所を支配したと伝えられている。 上杉景勝とともに寺を会津から米沢へ移し、江戸時代に再び現在地に…
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東京散歩Ⅱ その8 「谷根千」散歩で「岡倉天心記念公園」まで 歩く

「古井戸」の次に道に迷いながらも近くの住人に聞いて、谷中の超有名店である「ねんねこ屋」への坂道に辿り着いた。 坂道を5分程上ると、「ねんねこ屋」に到着である。 ねんねこ屋はネコ好きにはたまらない店で、店の外観も中もネコのアクセサリーで溢れかえっている店である。 ここで小休止ということでラムネを買って、二階の休みどころに…
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「オホーツク街道」の旅 その23 毛がにの漁獲高日本一の町でちょっぴり贅沢な夕食

 3時頃にこの近くのコンビニで、306円でカレーパンとハムを買い、クッチャロ湖畔の白鳥の舎前でコーヒーを沸かし、遅い昼食とした。  湖は逆光の時間となっていて、太陽光が薄いレンブラント光線のようにクッチャロ湖に注いでいた。  今日はイトウ釣りの日としたので、明治中期に金の採掘で賑わったことがあるウソタンナイ砂金採掘公園とかこのあたり…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その2 能代から五能線沿線へ

 能代のホテルニューグリーンは快適なビジネスホテルだった。 1泊朝食付きで4,900円のシングルルームで頼んだのだが、部屋には邪魔にならない配置でベッドが3個も入っているトリプルルームで、どのベッドで寝ようか困った。  結局真ん中のベッドで寝たのだが、寝心地も良かった。 夕食は頼んでなかったが、外に出て食べる気も全…
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近江街道をゆく その19 長浜のビジネスホテルウェルネスに宿泊

 今日の日程は終了し、これから湖西から湖北までの琵琶湖畔をほぼ半周し、今夜宿泊する長浜のビジネスホテルウェルネスまでレンタカーで走っていく。 黄枠で囲った田中王塚古墳から黄星印のホテルウェルネスまで、幾つかのトンネルを潜りながら、琵琶湖畔の黄線の道を進んでいくことになる。 このコースは、走る前からこの旅一番の難関になるだろうと考…
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甲州街道と佐久平みち その27 塩名田宿 

八幡宿の次にその隣の塩名田宿を見た。 塩名田宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場で、現在は長野県佐久市塩名田となっている。  この下の道が旧中山道で、千曲川の旧渡し場まで続いている。橋が掛けられたこともあったが、洪水の度に流失して、船や徒歩で渡るのが専らであった。 塩名田宿は暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その16  報国寺の竹林にて

今回は報国寺の竹林から始める。 竹林の入口から入って行ったが、天井から降り注ぐ光と竹林群の奏でる光と影の造形があまりに美しいので十枚程の竹林の写真をここで撮影したが、その中から2枚ほどを紹介する。 少しだけ目線を上げると、目の前の竹林の世界はこんなである。  真上に視線を向けると、真上に1箇所の丸い穴が開き、その穴を囲むよ…
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東京散歩Ⅱ その7 「赤塚ベッ甲店」から「古井戸」まで

引き続き「谷根千」を歩いている。 ここは「赤塚ベッ甲店」で、昭和41年の創業以来高級なべっ甲の眼鏡フレームなどを作っている店舗兼工房。 ここで制作体験もできるとのこと。 手前の「愛玉子」という店はスイーツの店で、愛玉子はオーギョーチと読む。 愛玉子は台湾でしか採れない果実で、これを寒天状に固めてシロップで固めて作る。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その1 往路は 能代まで381.8km

 津軽街道の旅は、当初思っていた以上に見所の多い旅となった。 11泊12日の旅の間に撮影した写真は1000枚を軽く超え、デジカメに収録したビデオカメラ撮影時間も45分程度となった。  津軽街道の旅は青森県に入ってからということで、新潟から山形そして秋田の能代までの往路は簡単な記録と数枚の写真で記載することとする。 2013年9月26…
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近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。 彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。 第26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。 継体天皇は応神天皇5代の末裔とされているが、これが事実かどうかは判断…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 序章

探検家リビングストンが発見したビクトリアの滝 (ジンバブエのザンベジ河畔の町、リビングストンにある) ↑  ナイル河、「5大陸最長河川の旅」最後の河であり、世界最長の川である。  その長さは6695km、アフリカ大陸の東側を、赤道直下から悠々と北上して流れ、地中海に注ぐ。  ナイル河の源流につ…
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能登(日本道)への道 その38  最果ての禄剛埼灯台にたどりつく

 ほぼ2時間かかって、禄剛埼灯台にたどり着いた。  「さいはてにて」のロケ地などを色々見てくればもう1時間はかかっただろうが、夕方までに七尾の宿泊ホテルに着くには、今のペースが適当である。  このシーンは、350m程の禄剛埼までの登り道を振り返って見たところだが、勾配がきつくて息が切れ、何度も立ち止まって休んだ。  丘…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その15 浄妙寺から報国寺へ

 青砥藤綱旧邸跡を発ち、金沢街道を浄妙寺そして報国寺と歩いた。  まず浄妙寺である。  浄妙寺は鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院で、山号は稲荷山(とうかさん)、本尊は釈迦如来、開基は足利義兼、鎌倉五山の第五位の寺格である。  ところで五山制度とは我が国の禅宗のうち臨済宗寺院の格付制度で、幕府が任命した住持(住職)を順次…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その22 上杉景勝公生誕の地樺沢城跡へ 

雲洞庵を出てこれから樺沢城跡へ向かうが、朝食がまだだったので、途中のおにぎり屋で遅い朝食をとった。 朝食は魚沼産コシヒカリを使ったおにぎりと豚汁で済ませた。 おにぎりとはいえ、地元魚沼産のコシヒカリを使ったおにぎりは全国レベルの食べ物となる。 新潟県が誇る全国レベルの超一級ブランドで作ったおにぎりは、かなりの空腹感の中…
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東京散歩Ⅱ その6 谷根千散歩スタート、観音寺の築地塀まで

これから谷根千を歩くが、当初は岡倉天心旧宅を中心に岡倉天心に関係する旧跡を巡る旅を考えていた。 岡倉天心は明治時代を卓越した識見と天才としての歩みで駆け抜けた巨星で、その活動は美術分野に留まらず、僅か51年の人生の中で後世に残る大きな業績を沢山を残し、彼の偉大な精神遺産はその後も多くの日本人の中に受け継がれている。 この岡倉天心の旧…
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「オホーツク街道」の旅 その22  気分だけは最高潮のまま、今回のイトウ釣りの全日程を終える

 猿払川のセカンドステージは新猿払橋の下(2の場所)である。  この川を熟知していて年間50匹以上のイトウを釣り上げる地元釣り師とは違って、僕はこの川を何も知らないのである。  今日初めてこの川に会って、今日初めてキャストするのである。  ただ、出会い頭の偶然ということも世の中には有りうる事で、石狩川で58cmの虹鱒に出会った時のこ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) プロローグ

司馬遼太郎の「街道をゆく」は、司馬遼太郎自身が「もし自分の仕事の中で後世にまで読み続けられるものがあるとすれば、それは街道をゆくになるのだろう」と語っていたという程のもので、唯の旅行記ではない。「街道・みち」に視点を傾けることで日本そして世界の歴史を展望、最終的には「日本とは何か、日本人とは何者か」という司馬遼太郎の永遠のテーマを自らの…
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近江街道をゆく その17  中江藤樹の藤樹書院に行く

これから日本陽明学の祖で、故郷の近江高島で書院を開き近江聖人と呼ばれた中江藤樹の藤樹書院に行く。 江戸時代人の知的基盤は儒学であり、これを発展させ封建社会の教学となっていたのが朱子学(11世紀に宋の朱熹が大成した教えで、身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように…
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