テーマ:歴史

近江街道をゆく その23 姉川古戦場跡で

小谷城跡から20分ほど走って、滋賀県北東部の旧浅井町(現長浜市)の「浅井三姉妹の郷」で昼食とした。  本駅は2016年3月にプレオープンし、僕がここに立ち寄ったのはこの期間で、2017年3月から正式に開業する予定となっていた。  駅の中で自然薯や地域の伝統料理中心のメニューで店を構えている自然薯茶屋「浅井家」で昼食となったが…
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(動画)韓の国の旅 その8-2 昌徳宮の旅

 正宮である景福宮に対する離宮として創建された。 現在の韓国国内の宮殿の内、最も創建時の面影を残している宮殿であり、日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。  動画クリックです!!http://www.youtube.com/watch?feature=player_det…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その40 世界遺産の昌徳宮を見学 その5 王と王妃の寝室

これが「大造殿」の正門「宣平門」。  通常ならばここから入ってくるのだが、僕らの周ガイドは近道して、ここを通らずに、目的とする王の普段生活する部屋の前で待っていた。  大造殿(デジョジョン)は王と王妃の寝室のある寝殿であり、王とその家族が日常生活をしていた宮殿である。この建物の特徴として挙げられるのが、屋根に棟瓦がないこと。…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その32 江ノ島でシラスを食べる

 あいにくの雨天となっているが、江ノ電で各駅毎の乗降を繰り返し、ようやく江ノ島駅に到着した。 駅を降りてから、「湘南すばな通り」を歩いて今日の最終目的地である江ノ島へ向かって歩いていく。  歩くこと10分ほどで、江ノ島弁天橋まで来た。  橋の右手に、「名勝史跡江ノ島」と白字で書かれた大きな石碑が建っている。  雨天で…
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奈良散歩 その40 西大寺 

  昼時となっていたので、唐招提寺前の食堂で昼食とした。  食べたのは500円のこのカレーライスで、薬師寺と唐招提寺を気持ちを込めて歩いたので、お腹の方もすっかり空状態で、一気においしくカレーを完食した。午後の日程だが、垂仁天皇陵、喜光寺、西大寺、秋篠寺などを巡る予定としていた。 最初に、西大寺に向かった。 西大寺は奈良時代に…
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越前と若狭の旅 その5 三国湊口留番所跡などを見学 

続いて、へ;三国湊口留番所跡、と;湊銭取立所跡を散策した。 最初に三国湊口留番所跡である。 この番所は口留御番所ともいわれ、福井藩が三国湊に出入りする貨物を監視するために置いたもので、1644年に町端から丸岡藩滝谷出村との地境の現在地に移転した。 出入りの貨物には種類により銀高に口銭一分から三分を課して、三国湊の港湾機能に関わ…
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探険家の歴史 第1部 その6 7大陸最高峰に挑んだ日本の若き冒険者達 その1

7大陸最高峰を列記していく。 1 [ヨーロッパ] エルブルース(5633m /ロシア) (以前はモンブランとされていたが、今はカフカス(コーカサス)山脈最高峰のこの山がヨーロッパ最高峰となっている。) 2 [アフリカ] キリマンジャロ(5895m /タンザニア)  (ヘミングウエーの「キリマンジャロの雪」…
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感動する論語  孔子は弟子に「仁」を、こう語った。(k)

 孔子は仁とは何かと弟子に聞かれた時に、相手に合わせて答えている。  面白いので紹介する。  まず、徳行の顔回(孔子の自慢の弟子)  弟子の顔回が「仁とはどういうことですか」と訊いたので、「私利私欲に打ち勝って、公共の福祉に寄与することだ。たった一人の人間が1日でもそれを実践したなら、やがては世の中に仁が行き渡るようになる…
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近江街道をゆく その22 小谷城跡を歩く

 国友から小谷城跡に向かった。 戦国時代、「近江を制するものは天下を制す」といわれたほど、近江は天下を左右する重要な位置にあり、数多くの戦乱の場となり多くの城郭が築城された。小谷城は長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城で、日本五大山城の一つに数えられている。 城は戦国大名浅井氏の居城として標高約495m小谷山…
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(動画)韓の国の旅 その8-1 昌徳宮を訪ねて

 正宮である景福宮に対する離宮として創建された。 現在の韓国国内の宮殿の内、最も創建時の面影を残している宮殿であり、日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。 動画クリックです!!http://www.youtube.com/watch?feature=player_de…
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韓の国の旅その39 世界遺産の昌徳宮を見学 その4 宣政殿や御車庫(オチャゴ)

 仁政殿の右どなりに進むと、現在韓国に残っている唯一の青い瓦の宮殿で有名な宣政殿が見えてくる。  宣政殿は王の公式の執務所で、国事を議論したり、学者や官僚が儒教の経典や歴史を勉強したり、儒生たちを集めて試験をしたり、宴を行った重要な建物。この辺まで来るとほとんど方向感覚がおかしくなっているので、再度現在位置等を確認する。  昌徳宮の全体…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その31 腰越状の満福寺を見学

鎌倉高校前駅から江ノ電に乗り、次の駅である腰越駅に降りた。 江ノ電腰越駅傍の踏切を渡り、写真右手の海岸道路を向こう方向に歩いていく。 約250メートル程歩き、再び踏切を渡ると、目の前が義経の腰越状で有名な真言宗大覚寺派の満福寺である。 踏切後方の階段を上がっていく。 1185年5月、源義経が兄頼朝の怒りを買って鎌倉入りを…
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奈良散歩 その39 金堂で唐招提寺を終える 

講堂の次に、すぐ裏にある開山堂へ行った。   開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後1881年に鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築された。   国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていたが、2013年に大和上のお姿を写した「御身代わり像」が…
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北海道の先住民「アイヌ」の食文化

 道の駅~びふかの後方の美深森林公園びふかアイランド内の『びふか温泉』と道を挟んだ正面に、武四郎歌碑及び踏査之地碑がある。  1857年(安政4年)の天塩川流域踏査行時の6月13と24日の往復とも、武四郎は恩根内の先住アイヌ人であるエカシテカニの家に宿泊した。  武四郎は手厚くもてなしてくれたお礼として、和歌2首を送っている。   …
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越前と若狭の旅 その4 三国湊の旧遊郭地帯を散策する

次にろ地点の地蔵堂である。   ここの地蔵は延命子安(安産と子授けのお地蔵さま)とのことである。 またこの傍の坂は地蔵坂と呼ばれ、この近くには三国湊の世に名高い遊郭があったという。 その地蔵坂を、これから下って行く。 ここは昭和を代表する詩人三好達治が愛したという、元料亭「たかだや」である。 三好達治も高見順と同じ…
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探険家の歴史 第1部 その5 世界最高峰に挑んだ男たち

        世界最高峰エベレストです ↑  関野吉晴はグレートジャーニーの旅を、人類拡散の歴史の最終到達点、南米のナバリーノ島から始めた。  そこは人類最終の到達点であり、人間の平面的な拡散の、最も遠くへ到達した地点でもあった。  一方、人類が地上から上方へ到達した地点となると、この地球上ではヒマラヤ山脈のエベ…
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近江街道をゆく その21  鉄砲の里国友を歩く

 寝物語の里から40分ほどかけて、長浜市南部の姉川沿いにある鉄砲の里で有名な国友町に入り、そこの資料館前に車を留めた。 国友鉄砲の里資料館は滋賀県長浜市にある博物館で、戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友の歴史資料の保存と紹介を目的として1987年10月10日に開設された。 さっそく館内に入った。 館内…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その38 世界遺産の昌徳宮を見学 その3 仁政殿

 仁政門を入ると、正面に仁政殿が圧倒的な迫力で待ち構えている。  仁政殿では王の即位式や臣下の礼、外国使臣の接見などの重要行事が行われた。  その前の広大な広場には石が敷かれていて、仁政殿での王の即位式や臣下の礼、外国使臣の接見などの重要行事がここで取り行われた。 そこには正一品から九品までの位階に従って列するための石柱が左右に並ん…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その29 七里ガ浜でサーファーに驚く

稲村ヶ崎を終え、再び江ノ電に乗った。 江ノ電は2両編成で、車内の風景はこんな感じである。 車内には江ノ電カレンダーの宣伝ポスターが掲げられていて、このポスターを江ノ島の旅の終わりに1300円出して買ってしまったが、そのポスターはブログを書いている机の目の前に下げられている。 また鎌倉高校前駅を舞台に、「江ノ電で、会いに…
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奈良散歩 その38 唐招提寺講堂 

戒壇の横を歩いているが、まだ紅葉には早そうである。  薬師寺と比較するのは適当でないと思うが、唐招提寺は草木の中に寺が配置されているという風で、歩いていても気分が高揚してくる。  ここから緑豊かな唐招提寺の境内の小道を、講堂に向かって歩いていく。  正面に鐘楼が見えるが、ここを右に迂回して講堂の前まで進んで行く。 日本にやっと…
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間宮林蔵の見たギリヤクの性生活

3.性 生 活  林蔵はギリヤクの性生活が自由であり,女性が色気たっぷりであることを指摘している。たとえば,ギリヤクの女性は「其情蝦夷島女夷と大に異にして,相識ラさる人といへ共能馴泥し,言語通ぜざれば其云処瞭然ならずといへ共,時気寒暖の応接などなし,いかにも娩情妖態多ク,男子に接するのさま親意殊に深しと云」。この引用文の末尾に「と云」と…
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越前と若狭の旅 その3 三国湊散策は高見順の生家から

古来より三国湊は九頭竜川やその支流の足羽川などを使った水運による物流の拠点として発達し、戦国時代の武将朝倉義景が居城を構えた一乗谷朝倉氏遺跡内の庭園跡には、船によって運ばれてきた東尋坊周辺の岩が庭石として残っている。 また、朝倉氏の後福井を治めた柴田勝家も水運を重視し、足羽川近くに居城北の庄城を構え、荷揚げ用の港を設けていた。 江戸…
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