テーマ:歴史

金沢紀行 その10 大野庄用水沿いと土塀のまちなみを歩く

武家屋敷跡野村家の見学を終え、再び長町武家屋敷の通りに出た。 武家屋敷跡野村家の真ん前が大野庄用水に架かる一の橋となっている。ところで、大野庄用水はいつどうやって開削されたかは明確ではないが、天正年間(1573~91年)に完成したと伝えられていて、金沢で最も古い用水となっている…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

動画 (台湾紀行  その2 鹿港)

動画 (台湾紀行  その2 鹿港)     この旅は、「びっくり台湾ぐるり周遊5日間」と銘打ち、その旅の間に、台中、日月潭、鹿港、高雄、台東、花蓮、太魯閣、九フン、台北などを見て回る旅。 今回は鹿港である。   動画をクリックです!! ↓↓ http://www.youtube.com/…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

台湾紀行その15   鹿港の老街、九曲巷を歩く

 老街は、中山路と並行し、埔頭街、瑤林街、大有街にまたがるエリア。  上図では、赤線の部分が老街である。現在、古跡保護区に指定されていて、道の両脇にはレンガ造りや木造の家屋が並び、風情溢れる通りとなっている。 茶芸館やお土産屋など商店も多く、週末は多くの観光客で賑わい、僕等も日曜日に訪れたので、ここはごった返していた。  僕等のツア…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その8 能登島ドライブの旅の始まり

 院内勅使塚古墳を見終えると、昼食のために七尾市街に戻った。昼食は上地図の能登食祭市場である。この市場の正式名称は七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場といい、七尾市の姉妹都市であるモントレーが位置するアメリカ合衆国カリフォルニア州の沿岸都市に多く見られる観光地「フィッシャーマンズワーフ(漁師の波止場の意味)」を参考に建設された。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

因幡と伯耆の旅 その9 白兎神社参拝

 白兎海岸を見終え、すぐ近くにある白兎神社に向かった。 白兎神社は白兔神を主祭神とする神社で、白兔神とは因幡の白兎のことである。神社の創建の由緒は不詳であるが、かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれていて、戦乱で消失したこの神社を鹿野城主だった亀井茲矩が慶長年間に再興し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その8 ウガンダにて

↑これは「ハンガーマップ(Hunger Map)」という世界地図です。  地図の色分けの意味は次の通りです。  緑色・・・十分に食料がある国(平均寿命の長い先進地域)  黄色・・・とりあえず食料がある国(それなりの国々)  赤・・・著しく食料が無い国(平均寿命の短い後進地域が多い。アフリカは、ほぼここで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

謎の海洋民族オホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅 その1

 これから、謎の海洋民族であるオホーツク人とオホーツク文化を訪ねる旅のスタートをする。  今回の旅はその序章ということで、本格的な旅は来年度以降ということになるが。  平成24年度から「グレートジャーニーⅠ(街道を行く;国内編)をスタートさせる予定で、そのスタート地点を日本最北端の地である稚内市の宗谷岬にするという計画はもう既に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

金沢紀行 その9 「武家屋敷跡野村家」に到着

西茶屋街を出てバスに乗り、金沢一の繁華街である香林坊でバスを降りた。 この辺りは背の高いビルが林立するあか抜けた街である。 ここを赤→のように歩いて長町武家屋敷に向かうのだが、その前にせせらぎ通り商店街の洋食屋で昼食とした。 洋食屋の名前は「RYO」と言う。 食べたのはこ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

台湾紀行その14  鹿港見学 その2

 それでは、鹿港見学に入ろう。  まず、最初は中山路から天后宮に向かう。それから老街(古市街)、九曲巷と、休日の日曜日でごったがえす鹿港の街を見学する。  鹿港のメインストリートである中山路は、燈籠や中国刺繍、錫物など伝統工芸品の店が多数あることで知られ、200年前の黄金時代には五福大街という名で、現在と同じく鹿港で最もにぎやかなエリア…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その7 院内勅使塚古墳へ

実際には行かなかった七尾城跡の代わりに、七尾市街地から南南西へ6km、JR徳田駅から徒歩5分の位置にある院内勅使塚古墳に行った。車で20分ほどでJR徳田駅に到着、駅で電車待ちをしていた七尾東雲高の生徒と思われる男子高校生達に院内勅使塚古墳までの道順を聞き出して、さっそく歩き出した。こんな王朝時代の香りのするようなのんびりした田舎道を10…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

因幡と伯耆の旅 その8 「神話の地 白兎海岸」にて

 陸橋を渡り白兎海岸に向かうと、海岸前に「神話の地 白兎海岸」の立派な標柱が建っている。  標柱の隣の説明看板を読んでみた。  高草郡に住んでいた兎が洪水で於岐の島に流され、兎は陸へ戻りたいばかりに近海のワニザメをだまして陸へ戻ったので、ワニザメは怒って兎の皮をはぎ、赤裸にし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

サロベツ川の旅  その6 3回戦、最終戦も完敗

   3回戦は、サロベツ原野が舞台のイトウ釣りの最終戦。  兎に角台風15号の動向を見ながらの日程調整となっているので、今回のイトウ釣りは、赤③の開運橋が最後の舞台となった。  開運橋上からサロベツ川上流方向を眺めたが、川面に白い雲が浮かんでおり、いかにも大物イトウが潜んでいそうな気配。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

金沢紀行 その8 寺町寺院群から西茶屋街へ

加賀藩第三代藩主前田利常が事実上造り上げた寺町寺院群は70近くもある寺からなっている。 赤四角で囲った妙立寺を中心にこんなにあるので、全部回ることは1日がかりの仕事になってしまうので、黄四角で囲った三寺だけを見て回った。 まず、西方寺である。この寺は前田利家の六女菊姫の菩提寺…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

台湾紀行その13  鹿港見学 その1

 昼食後は青丸で囲まれた赤い2番の場所「鹿港」の見学である。  鹿港は台湾西岸の中間に位置し、清の統治時代には天然の良港として商業の中心地として発展した。鹿港一体は台湾原住民平埔族のうちパゼッヘ族の居住地だった。なお平埔族(へいほぞく)は、台湾原住民のうち西部の平野部に住む民族を指す総称である。  元々は、台湾の平野部全域に居住…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

能登(日本道)への道 その6 七尾城跡前で 

近くにいた人に聞いたら車で10分ほどでいけるという七尾城跡や城山展望台だが、レンタカーを完全に把握してないこともあり、理性が慎重に行動することを要求したので、今回は城跡へ行くのはやめて、懐古館や七尾城史資料館を見るにとどめた。 懐古館は旧飯田家の建物である。 約200年前に建てられた茅葺き民家で、戸を取り払うと大広間になる間取りも能…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

因幡と伯耆の旅 その7 宇倍神社散策

 10分程で宇部神社に到着した。  宇部神社は、因幡の国の一宮である。孝徳天皇大化4年(648年)の創建と伝えられ、延喜式では鳥取県で唯一の名神大社(延喜式神明帳に記載のされた神社の中でも重要とされ、特別の社格が与えられた神社。)となっている。 この鳥居をくぐってこれから社殿…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ナイル河の旅 その6 スーダン南部

     牛と共生生活を送るディンカ族 ↑(問題は最後ダヨ、) 音楽あり、↓クリックです!! http://nicoviewer.net/sm9877405  スーダンは現代アフリカの縮図であり、とりわけ南スーダンはその典型と言える。  それは、誰もが連想する貧困、飢餓、感染症による病…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

サロベツ川の旅  その5  2回戦も敗退!!

2回戦は②のパンケ沼が舞台となる。   パンケ沼の概要だが、幌延町に位置し、面積は3.47km2、アイヌ語で「下にある沼」を意味する。(ペンケ沼はアイヌ語で「上にある沼」の意味)、海の一部が閉塞されてできた海跡湖で、沼とその周辺は泥炭地となっている。  天塩川河口域からの海水がサロベツ川を経由して流入するため汽水環境が保たれ、ヤマトシ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more