テーマ:歴史

「播磨と淡路のみち」 その26 伊和神社

朝食を食べるために旅館の1階の食堂に行った。  竹の宿と名乗っているだけあって、食堂にも竹が贅沢に使われていた。 朝食も食堂と同じで、一品一品手が加えられていて贅沢である。 朝食前の散策の余韻が残っていたので、この朝食がなおのこと美味しく感じた。そして今日の日程である。 今…
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先住民族と少数民族の微妙な違い

先住民族 言葉通りに解釈すれば、近代国家が成立する以前に、先にその土地にすんでいた民族ということになるが、内在する意味は、いかなる自由な意思や合意の確認もなく、その国家に強制的に編入されてしまった人々ということになるか。 例  アイヌ、ウィルタ(オロッコ)、ニヴフ(ギリヤーク)、エスキモー(イヌイット、ユピク、カラー…
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探検家列伝第4部 その5 近藤重蔵(探検家として人間として、尋常でないレベルに達した人)

近藤重蔵(1771年〜1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣で探検家である。間宮林蔵、平山行蔵と共に文政の三蔵と呼ばれている。 1771年に身分の低い貧しい武士である御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれ、山本北山に儒学を師事した。 幼少の頃から神童と言われ、8歳で四書五経を諳んじ17歳で私塾「白山義学」を開くな…
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耽羅紀行(済州島の旅) その26 絶景のオルレ道の散策 

 昼食が終わると、午後1番目は赤字2のオルレ道の散策。  オルレ道の入口の済州ロッテホテルまでバスで向かった。  まるで王宮のような済州ロッテホテルに到着した。  この済州ロッテホテルはオールインなど数々の韓ドラのロケ地として使用されたホテルで、オールインを完全に1回ぶっ通しで視聴し、オールインのシナリオ集まで通販で購入し、この日のため…
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「播磨と淡路のみち」 その25 龍野のベストスポットを歩く

 露風の生家を通り過ぎ、引き続き司馬さん風に言えば「古色を帯びた龍野の街」を歩いていく。 月並みな言葉でいえば「落ち着いたいい感じの街並み」が続いていて、やはりこの龍野城跡下あたりが最も龍野らしい風景だと思われる。 この立派な白壁の平垣の中にあるのは、なんと「たつの幼稚園」で…
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探検家列伝第4部 その4 松田伝十郎(樺太探検と蝦夷地経営に活躍)

松田伝十郎は江戸時代の越後国出身の幕臣・探検家で、間宮林蔵と樺太を探検し、樺太見聞の実測図を作成した。 伝十郎は越後国頚城郡鉢崎村(現新潟県柏崎市)の貧農浅貝長右衛門の家に長男として生まれ、そこで道普請をしていた幕臣大西栄八郎にその才能を見出されて江戸に赴いて武士となるべく修行した。 その後、大西の同僚の松田伝十郎(先代)の養子になり…
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耽羅紀行(済州島の旅) その25 レストラン牛歩苑でキジ肉のしゃぶしゃぶ料理

 天帝淵第1瀑布の見学を終えると、僕等ツアー客はヤンガイドの指示していたバスの駐車場所へ戻った。  ここで、今回のツアー初めてのトラブルが発生した。 瀑布の見学をしないでバスへ直接向かった筈の女性観光客2名が、定刻を10分程過ぎてもバスに来ない。 ヤンガイドは怒って、僕等にまで「皆さん、絶対に私の指示通りに動いてください。それでないと、…
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「播磨と淡路のみち」 その24 本丸跡から三木露風生家まで歩く

隅櫓を後ろにして坂道を上がっていく。 本丸までの道は、右手に石垣左手に白塀の、このような石段の坂道である。坂道を歩き終えると、正面に本丸西隅に再建されている西門が建っていた。 大きな門は開かなかったが、その右脇にある小さな門が開いていて、ここから本丸に入った。本丸跡は公園のよ…
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探検家列伝第4部 その3 探検家を超えた村上島之丞

村上島之丞(1764年-1808年)は、本名を秦檍丸という。 18世紀の中頃伊勢の神職の子として生まれ、寛政の改革の立役者である松平定信に見出されて数回に及び蝦夷地の探検を行なった北方探検家の一人である。 彼は探検家としても名高いが、地理学や風俗学に長じており、また文章や絵画にも優れた才能を持っていたため、蝦夷地や特に彼の居住地となっ…
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耽羅紀行(済州島の旅) その24 天帝淵瀑布を歩く

 これから天帝淵瀑布へ降りて行く。  派手な七人の仙女像のレリーフを左手に見ながら谷底まで降りて行くが、ヤンガイドの話では、歩く距離は昨日行った龍頭岩の3倍ほどの距離だとか。  ヤンガイドご推奨のマイナスイオンたっぷりの場所を、いつもの渓流釣にでも行くような気分で歩いて行く。  ここは紛れも無く、渓流釣りの世界に入っていくようなものであ…
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「播磨と淡路のみち」 その23 龍野城まで歩く 

この白壁が続く屋敷は「霞城館」と「矢野勘治記念館」の二つの記念館を併設した建物である。 白壁には入り口が二つあった。 ここが、旧制一高の西寮寮歌「春爛漫」、東寮寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の作詞者である矢野勘治の旧居である矢野勘治記念館の入り口である。 こちらが、龍野出身の近…
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探検家列伝第4部 その2 最上徳内(今世紀における最も卓越した探検家)

最上徳内はシーボルトに、「尊敬すべき老人」「尊敬すべき老友」で「今世紀における最も卓越した探検家」と高く評価された北方探検家である。 徳内は1754年、出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)に生まれ、1836年10月14日に、82歳で亡くなっている。 実家は貧しい普通の農家であったが、農業のかたわらたばこ栽培を営み、徳内は青年期…
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耽羅紀行(済州島の旅) その23 天帝淵瀑布到着

 トケビ道路を後に、僕等のツアーは漢拏山を左手に眺めながら、一路中文を目指す。 ここで、今日の大まかな見学日程を紹介する。  午前中の見学は赤字1の天帝淵瀑布だけで、昼食は中文観光団地から車で10分の大侑狩猟場の中にある牛歩苑でキジ肉のしゃぶしゃぶ料理。  午後1番目は赤字2のオルレ道の散策で、済州ロッテホテルから済州新羅ホテルまでを…
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「播磨と淡路のみち」 その22  朝焼けの龍野を歩く

その常照寺の真ん前まで来た。 常照寺は龍野で400年以上の歴史を持つ日蓮宗のお寺で、境内には明治の文豪国木田独歩の祖父にあたる国木田国丸の墓碑も在るというが、ここは素通りして十文字川沿いを歩いて行く。 龍野は兵庫県で一番古い家並みが残っている街ということで、実に古色を帯びてい…
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探検家列伝第4部 その1 松前藩の祖「武田信廣」と松前藩

18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げる前に、江戸幕府から日本の北の辺境の地である蝦夷地(北海道、樺太、千島)の支配権、交易権を公認されていた松前藩について簡略に記する。 渡島半島の南端にはアイヌ文化成立の前段階である擦文時代には、擦文文化と本州土師器文化の間に生じたクレオール(植民地)的文化である青苗文化…
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耽羅紀行(済州島の旅) その22 トケビ道路を見学

ここで、2日目の日程とコースを再度紹介しておく。  赤四角で囲まれた部分が2日目に用意されている食事である。ウニワカメスープは既に食べた。  これから神秘の道路とも呼ばれている、トケビ道路を見学、その後済州島を北から南に横断し、島の南部の中文リゾートを中心に見学する。(赤四角の範囲が見学地となる。)  まず、トケビ道路の見学で…
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上下エジプトの話 

1 上下エジプト  古代エジプトを指す時、よく「上下エジプト」という言い方をするが、これは「ナイル上流(エジプトの南のほう)」と「ナイル下流(エジプトの北のほう)」を意味する言葉で、両方あわせて「エジプト全土」、つまり日本でいうところの「東日本」「西日本」と同じ意味。  この表現は古い時代から使われており、エジプトの…
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「播磨と淡路のみち」 その21  「片しぼ竹の宿 梅玉」

今夜の「片しぼ竹の宿 梅玉」は朝食付き8,316円の宿で、和室二部屋があり、それに玄関や廊下や洗面所やバスやトイレが付いている豪華な部屋で、宿のおかみさんの話では、「今日は一番いい部屋が空いていたので、この部屋を使ってもらいます」ということだった。贅沢すぎると思ったが、遠慮なく使わせていただくことにした。 …
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探検家列伝第4部 プロローグ

   探検家列伝第一部は、北極、南極、世界の最高峰「ヒマラヤ」、世界の7サミットを目指した探検家・冒険家達を取り上げた。  探検家列伝第二部は、世界の7サミットと関野吉晴「グレートジャーニーの旅」にあやかり、世界5大陸の最長河川をアマゾン川、ミシシッピ川、長江、ボルガ川、ナイル川と、その河口から源流まで極める旅に出た。…
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エジプトの死者の書と死後の生活

エジプトの死者の書  古代エジプトの歴史は大きく古王朝の時代(紀元前2750~2213年)、中王朝の時代(紀元前2025~1627年)、新王朝の時代(紀元前1539~1070年)とに分けられる。   古王朝の時代には、死後の世界に於ける安楽な生活を送ることができたのは王や王族に限られていた。安楽な生活を送るためにピラ…
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