テーマ:能登(日本道)への道

能登(日本道)への道 その39  絶景の東海岸で旅を終える

黄☆印の金剛岬を出発した。  奥能登絶景街道に引き続き絶景となる東海岸を40分ほど走って、恋路海岸の見附島(軍艦島)に到着した。 見附島は自然が造り出した高さ約28mの無人島で、島の形が大きな軍艦のような形をしているところから、別名軍艦島とも呼ばれており、能登半島を象徴する景勝地として知られている。 軍艦島で小休止して、ここか…
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能登(日本道)への道 その38  最果ての禄剛埼灯台にたどりつく

 ほぼ2時間かかって、禄剛埼灯台にたどり着いた。  「さいはてにて」のロケ地などを色々見てくればもう1時間はかかっただろうが、夕方までに七尾の宿泊ホテルに着くには、今のペースが適当である。  このシーンは、350m程の禄剛埼までの登り道を振り返って見たところだが、勾配がきつくて息が切れ、何度も立ち止まって休んだ。 …
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能登(日本道)への道 その37 奥能登絶景街道をゆく 

 今日は能登半島の最北端最果ての地である禄剛埼灯台を目指し、それから能登半島の東海岸を南下して七尾に向かい、そこで泊まる計画である。  まず、新橋旅館から47km時間にして1時間ほどかかる、最北端最果ての地である禄剛埼灯台に向けて出発である。  この道は奥能登絶景街道と呼ばれていて、運転する者にとっては誘惑の多い魅力的な道で…
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能登(日本道)への道 その36 新橋旅館にて  

今日の宿舎は、輪島川に架かる新橋近くに建っている新橋旅館である。  この旅館は一泊二食の6,640円で予約していたが、第一印象は値段相当の外観だった。 しかし、旅館の中に入ると館内全体が和紙のギャラリーとなっていて、和紙は輪島市三井で作られている仁行和紙を主に使っているとのこと。  廊下には棟方志功を思わせ…
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能登(日本道)への道 その35  白米千枚田を歩く

昨日は千枚田を上から眺めただけだったが、今日は実際に千枚田の中を歩いてみる。 忙しい旅をしていると、絶景という表面の美しさだけを見るだけで終わって、本来もっと楽しく千枚田の実際の姿を味わう機会を失ってしまうので、いくらでも時間が出来た今日の午後は千枚田の中身を知る絶好のチャンスである。 まず、千枚田を下って海のすぐ傍…
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能登(日本道)への道 その34 昼食後、石川県輪島漆芸美術館へ

不完全燃焼のまま輪島市街に戻り、やぶ新橋店で昼食とした。 この店は輪島では有名で、蕎麦のほかに海鮮丼などもメニューに並び、いつも大賑わいとなっているとのこと。 今日は1300円の天ざるを美味しくいただいた。 午後いっぱいは大沢集落で過ごす予定だったので、急きょ予定を変更し輪島塗関連施設を回ってみようと、まず石川県輪島漆芸美術館に行った。…
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能登(日本道)への道 その33 真垣の里への旅 

これから、津村希一家が住んだ桶作家のある輪島市の大沢地区に向かう。  出発はレンタカーの停車している住吉神社で、目的地は真垣の里として有名な大沢地区の中ほどにある田中屋旅館である。 ところで、間垣とは長さ約4メートル程のニガ竹という細い竹隙間なく並べてつくった垣根のことで、日本海から吹き付ける冬の強い風から家屋を守る…
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能登(日本道)への道 その32 みなと橋から住吉神社、鳳至上町通りへ 

朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りの続きである。ロケ地巡りは、みなと橋から住吉神社、そして黄で塗られた鳳至上町通りへと続く。 ここはみなと橋で、ここで高校時代の紺谷圭太が津村希に告白した場所である。 次に、希たちが高校時代の思い出としてキリコを出し、夏祭り「輪島大祭」を行った主会場である住吉神社に向かった。ここが住吉神社である。夏祭り「輪…
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能登(日本道)への道 その31 キリコ会館 

 朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りの続きで、キリコ会館に行った。  ここでは能登の伝統的な夏祭りである「キリコ祭り」に実際に使われているキリコの展示や、神事の紹介をしている。キリコとは、「切子燈籠」の略であり、「切籠」でキリコと読ます。 キリコは祭りの御神灯であり、神輿の足元を照らす照明役として、神輿とともに担ぎ出されるものである。…
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能登(日本道)への道 その30 朝市通りを散策 

朝食の後は、朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りということで、まず輪島川に架かる「いろは橋」を見に行った。 黄矢印で示した黄枠のなかの橋である。 この橋は、輪島高校に通う津村希の通学路シーンなどで度々登場した。 次に、この橋の右詰に2016年春にオープンした「輪島ドラマ記念館」に行った。  ここにはNHKのスタジオから二つのセットが…
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能登(日本道)への道 その29  民宿「海岸通り」に宿泊 

 時国家から、今日と明日の宿泊地となる朝ドラ「まれ」の主要な舞台でもある憧れの輪島の街に戻った。 ヨットのメモリアルの後ろに見えている建物は、一度は宿泊を考えた「ホテルルートイン輪島」で、宿泊料金が高かったので、「海岸通り」という民宿に泊まった。 ここは素泊まり3700円で泊まることができ、部屋も8畳間の広い和室で、しかも建てられたばか…
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能登(日本道)への道 その28 「時国家」と「上時国家」を見学  

 「塩の駅」から5~6分走って、「時国家」に到着した。 この江戸時代には加賀藩に属していた「時国家」と、そのあと訪問する幕府と関りがあった土方家に属していた「上時国家」(後に天領となる)は、平家の最高重鎮で平清盛の義弟であった平大納言時忠の末裔の家である。 「時国家」の建物は江戸中期もしくは末期のものといわれ、古い鎌倉時代の書院造り様式…
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能登(日本道)への道 その27 揚げ浜式塩田 

 揚げ浜式塩田は、白米千枚田から車で7~8分程の、黄矢印地点の三ツ子浜海岸にあった。  この塩田が始まるあたりから、国道249号線は塩街道や塩の道と呼ばれて、街道沿いには揚げ浜式の塩田が何か所か点在している。  ここの塩田は、塩の道の始まる起点として「塩の駅」と名付けられている。  さっそく体験塩田を覗いてみた。 …
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能登(日本道)への道 その26  白米千枚田にて

 白米の千枚田は能登半島随一の人気スポットで、輪島市の中心部から国道249号線を約15分ほど走って、黄矢印の千枚田に到着した。なぜ白米千枚田と呼ばれているのかだが、通説は数が多いということでこう呼ばれているということで、「狭い田」からの転という説もある。最も小さい田の面積は、0.2平方メートル程度という。2006年5月に、当時の小泉純一…
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能登(日本道)への道 その25 總持寺祖院散策

 これから總持寺祖院に向かう。かつては曹洞宗の大本山「總持寺」として末寺1万6千余りを数えていたが、明治31年に火災にあい、それを機に本山の機能が横浜市へ移転、移転先が「大本山總持寺」となり、能登の「總持寺」は「總持寺祖院」と改称され別院扱いとなった。  目の前の橋は白字橋で、…
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能登(日本道)への道 その24 総持寺祖院に到着

福良港をあとに、これから能登半島の西海岸を輪島まで北上するが、最初に巌門に向かった。 ここを降りていく。 巌門は、能登半島国定公園に指定されている能登金剛の一部である天然の洞窟である。 2分ほど歩いて、日本海の荒波によってぽっかりと空いた幅6メートル、高さ15メートル、奥行き60メートルにも及ぶ巨大な洞窟である巌門…
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能登(日本道)への道 その23 渤海の話Ⅲ

日本との交易のために渤海が整備した道が中国の歴史書にも記されている「日本道」である。「日本道」は上京の都を出て、そこからロシア沿海地方に出て日本海を渡るルートである。渤海使が船出した地点がクラスキノ遺跡である。ウラジオストクから車で6時間、クラスキノ遺跡はそこにある。中国とロシアの国境付近、ロシア沿海地方にクラスキノはある。クラスキノ遺…
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能登(日本道)への道 その22 渤海の話Ⅱ

これからロシアに200箇所以上ある渤海の遺跡の一つを、ロシアのウラジオストク郊外まで訪ねていく。最初に向かったのが、渤海時代の山城の跡である。ここは山城の跡で、山城は4mの石垣で囲まれていたということで、NHKの杉浦知紀アナウンサ-の手の高さの2倍位の高さがあったことになる。渤海人はこのような山城を幾つも造り、山城を拠点として農業や狩猟…
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能登(日本道)への道 その21 渤海の話Ⅰ

これからは渤海の話となる。渤海は、西暦698年から926年まで、今の北朝鮮と中国東北部とロシア沿海州の一部を領土として、228年もの長い間栄えた国である。日本の時代では飛鳥・奈良・平安時代のことで、その間渤海は34回も日本に使者を送り、その延べ人数は2500人にもなった。 これに応えて、日本からも渤海に使者が渡った。 渤海は中国東北部の…
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能登(日本道)への道 その20 渤海までの二つめの話 

二つめの話は、5世紀となる。この時代は倭の五王の時代で、大和政権は強大な力となり、朝鮮半島南部の支配をめぐって優位な立場に立つため、中国の宋に朝貢して安東将軍などの称号を得た。 例の讃、珍、済、興、武の時代で、大阪の堺市には仁徳天皇(讃と比定されている)陵などの巨大な前方後円墳が造られた。一方朝鮮半島南部では4世紀に百済と新羅がそれぞれ…
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能登(日本道)への道 その19  弥生時代末期頃の朝鮮半島南部との交流

渤海のことを取上げたちょうど良い資料がNHKスペシャルで放映された「日本と朝鮮半島2000年」である。 その第5回のテーマが、「日本海の道~幻の王国・渤海との交流~」である。 古代の朝鮮半島との交流は、玄界灘から瀬戸内海を通る青線の「瀬戸内海ルート」が主流だったが、直接日本海を渡る赤線の「日本海ルート」での交流も行われていた。 この両ル…
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能登(日本道)への道 その18 旧福浦灯台まで歩く

福良津を見下ろす高台に石川県指定史跡に指定されている旧福浦灯台がある。 この金比羅神社の向こうに、旧福浦灯台の方向を示す看板が立ててあるので、そこから右手に曲がり、灯台までのんびり歩いていく。 歩いているのはこんな細い崖道で、左はガードブロックで固められており、右手はガードレールで守られている。 靴音が一番大きく響いて聞こえているが…
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能登(日本道)への道 その17  福良津に到着

「花のミュージアムフローリイ」から10分ほど走って、旧福良灯台まで700mの案内標識の出ているところに来た。 古代には福浦津と呼ばれ、渤海国使の帰国船の造船,修理,係留,出航の基地として機能し、また渤海使節団の迎賓館である能登客員が置かれた場所までもうすぐである。  レンタカーは、福良港への細い道を降りていき、無事福良港を見下ろす高…
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能登(日本道)への道 その16 西海岸の志賀町へ

和倉温泉ではバスや電車でのアクセスに不便を感じながら、午後3時には七尾のホテルルートイン七尾東に帰った。  ホテルの1階にある「旅人の湯」という小綺麗な大風呂で汗を流した後で、缶ビールを飲みながら5月場所の5日目を見た。  それから、昨日と同じくホテル内のレストランで、1000円で作ってもらった刺身定食を美味しくいただいた。  この3…
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能登(日本道)への道 その15 渡月庵など和倉温泉を散策

 総湯の足湯でリラックスしてから、加賀屋の近くにある湯本の広場に向かった。  広場には開湯の伝説にちなんだシラサギのブロンズ像と記念碑があり、ブロンズ像の真ん中にある涌浦乃湯壺湯では、流れ落ちるお湯で温泉玉子が作れる。 和倉温泉は1200年前の開湯と伝えられていて、一羽のシラサギが傷ついた足を海中から湧き出る湯で癒していたのを漁師が発…
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能登(日本道)への道 その14 弁天崎源泉公園から総湯に

 昼食後、1時間半ほど和倉温泉を散策した。   まず、弁天崎源泉公園を見て、それから総湯に行き、湯本の広場を見たあとに、渡月庵を見ながら渡月橋を渡った。  ここから少し歩いて少比古那神社に参拝し、また少し歩いて靑林寺を訪ねた。  では、弁天崎源泉公園から和倉温泉散策を始める。  この公園は温泉街のほぼ中央に位置し、上図のとおり、ここ…
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能登(日本道)への道 その13 和倉温泉に到着

 和倉温泉駅に到着したが、目指す和倉温泉中心部はアクセスが悪く、駅からバスに乗って10分ほどのところにある。  駅の観光案内所の女性所員に聞いて、どうにか無事、北鉄能登バスに乗って和倉温泉中心部にたどり着いた。 目の前の旅館が、超有名な和倉温泉加賀屋である。 和倉温泉の筆頭旅館の地位を占め、地上20階、約1,450名の収容人員を持…
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能登(日本道)への道 その12 ビュースポットの風景にくぎ付け

 能登中島駅を出発して、しばらく山の中を走って再び海岸線に出ると、そこに沿線で一番のビュースポットが広がった。   上地図の中島町深浦地区である。  電車はこの場所でしばらく停車し、観光客はカメラを構えてシャッターを押していく。  見れば見るほどうっとりする風景で、何枚か撮った写真の中に、空を飛行するトビまで写り込んでいた。  次…
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能登(日本道)への道 その11 「里山里海号」で七尾湾沿線の旅

翌5月18日(木)は、朝から気持ちの良い晴天だった。  朝食はホテル・ルートイン七尾駅東で、おかゆと梅干しを中心に軽く済ませた。 今日は午前中に予定していた一本杉通り散策を取りやめ、偶然に乗った能登鉄道観光列車「里山里海号」で、大相撲の遠藤関の出身地である穴水町まで、絶景の七尾湾沿線の旅を楽しんだ。 「里山里海号」は、穴水ー七尾間…
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能登(日本道)への道 その10 能登島をドライブ

「須曽蝦夷穴古墳」から10分ほど走って、ひょっこり温泉に着いた。 ひょっこり温泉は、波静かな七尾湾にひょっこり浮かぶ能登島の中心部にある、日帰り天然温泉施設である。 約2,000平方メートルの建物には、サウナやジャグジーを備えた和風・洋風の大浴場があり、一週間交代で“男湯”と“女湯”が入れ替わるという。 しかし何よりも興味深いのは…
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