テーマ:渓流釣り

釣師の楽しみを、もう一つ紹介、それは季節を感じる楽しみ

 釣師の楽しみは色々あるが、季節を感じる楽しみもその一つである。   雷集落は、この山がもえぎ色に山が染まる頃もいいが、その少し前の、早春の花々やコゴメなどの山菜が芽吹く頃が、僕は一番好きである。  これはキクザキイチリンソウ、スプリングエフェメラル(早春に咲くはかない短命な植物)の一つで、別名嫁泣かせとも言い、嫁たちの春の山入…
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また釣れた、今日は大漁 夢の中・・・・

    7月16日(月)は海の日、九州では大雨だが、新潟の今年は今のところはさほどでもない降り。  去年の7月の梅雨末期の季節は、福島県と新潟県で豪雨が続き、今年の九州並みの洪水となった。  もちろん、今年も予断は許さないが、梅雨空が久しぶりに晴れ、猛暑の夏空の一日となったので、山女釣りに出かけた…
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開高健と生きる その37 海を愛するのは

海を愛するのは賢者であり、山を愛するのは聖者である。 By 開高健 私たちは聖者と違って、自分の敵を愛するのは無理かもしれない。けれども、自分自身の健康と幸福のために、少なくとも敵を赦し、忘れてしまおう。嫌いな人について考えたりして、1分たりとも時間を無駄にしないことだ。 By デール・カーネギー あらゆる釣り師…
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開高健と生きる その35 生まれるのは 

生まれるのは、偶然 生きるのは、苦痛 死ぬのは、厄介。 By 開高健 私達は皆めいめい自己流に生きている、そうであるより他はない、これは実に厄介な困難な事である。 By 小林秀雄 厄介なことには釣り師は、魚と一緒に暮らすこともできなければ、魚なしに暮らすこともできない。 By ジュンチャン
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開高健と生きる その35 生まれるのは 

生まれるのは、偶然 生きるのは、苦痛 死ぬのは、厄介。 By 開高健 私達は皆めいめい自己流に生きている、そうであるより他はない、これは実に厄介な困難な事である。 By 小林秀雄 厄介なことには釣り師は、魚と一緒に暮らすこともできなければ、魚なしに暮らすこともできない。 By ジュンチャン
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開高健と生きる その34 犬好きも猫好きも 

犬好きも猫好きも、どこか病むか傷ついているかという点では完全に一致しているのではないかと思う。 By 開高健 私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして(飼っているうちに)次第に、猫が家の一部に思えてくる。 By ジャン・コクトー 動物を可愛がる人は、おおかた性格の良い人である。動物に残忍な人に、いい人…
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開高健と生きる その33 かくてわれらは

かくて、われらは今夜も飲む、たしかに芸術は永く人生は短い。しかしこの一杯を飲んでいる時間くらいはある。黄昏に乾杯を! By 開高健 黄昏時、老齢──すでに犯すだけの冒険心が持てなくなっている悪徳を悪しざまに言うことによって、いまだ失わずに持っている悪徳を棒引きしようとする人生の一時期。 By アンブローズ・ビアス …
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開高健と生きる その32 何かを得れば 

何かを得れば、何かを失う、そして何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない。 By 開高健 恐怖と正面から向かい合わなければならない経験をするたびに、力と勇気と信念が得られる。自分にこう言うことができるからだ。「私はこの恐怖にすら耐えたのだ。次に何が来ようと、怖いものか」 By エレノア・ルーズベルト …
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釣り師の楽しみを更に紹介、それは釣れない時のための歴史散歩

ヤマメ釣りにはまだ早い4月19日の日曜日に、女川最下流の集落である桂集落にお邪魔した。  ここは、歴史や史跡に恵まれた集落で、鎌倉時代には国衙領となっていて、地頭が置かれていて、代々河村氏が世襲で受けていた。  ここで海苔弁と豚汁で朝食を取り、そのあと例によってお湯を沸かし、UCCコーヒーを飲んで締めた。いつもなら、ここからすぐに釣行…
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釣師の楽しみを、もう一つ紹介、それは季節を感じる楽しみ

 釣師の楽しみは色々あるが、季節を感じる楽しみもその一つである。  雷集落は、この山がもえぎ色に山が染まる頃もいいが、その少し前の、早春の花々やコゴメなどの山菜が芽吹く頃が、僕は一番好きである。  これはキクザキイチリンソウ、スプリングエフェメラル(早春に咲くはかない短命な植物)の一つで、別名嫁泣かせとも言い、嫁たちの春の山入り…
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開高健と生きる その31  日本人もまた 

日本人もまたたいした精力と規模で自然の破壊にいそしんでいる。日本の田には小川の小ブナも夕焼けの赤トンボもいず、草むらの恋人たちは耳もとに蜜バチの唸りを聞けないでいる。日本の田は稲こそ生えているが、もう自然ではなくて、化学粉末ですみずみまで殺菌された屋根のない工場となってしまった。 By 開高健 「言え、どうしたらスズメを…
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開高健と生きる その30  顔のヘンな魚ほど

顔のヘンな魚ほどうまいものだよ。人間もおなじさ。醜男、醜女ほどおいしいのだよ。 By 開高健 人は誰もが天才です。しかし、木登りする能力で魚を判断したら、魚は一生、自分は愚かであると信じて生きることになるでしょう。 By アルベルト・アインシュタイン 汚い土地には多くの作物ができ、澄みすぎる水には魚は住まない。釣…
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開高健と生きる その29 釣りはままならない 

釣りはままならないものである。むろん、だからこそ、男は今日もまた竿を肩に、家を出て河へ、海へと向かうのだけれど、男にとって人生そのまま、遊びもまた……。 By 開高健 釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。 By サミュエル・ジョンソン 常に釣糸を垂れて用意せよ。釣れないと思うところに魚が…
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開高健と生きる その28 思いぞ屈して

思いぞ屈してこころ滅びる夜は、油砥石をとりだしてきて、鈎をせっせと研ぐ。 By 開高健 自我作古(じがさっこ)の業にのみ心を委ね、日夜研精し、寝食を忘るるに至れり。 By 福沢諭吉 釣り針を投げて、釣りの始まりである。少なくとも、川の中に魚はいるのである。 By ジュンチャン
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開高健と生きる その27 「STUDY・・・」

あるときロンドンを名所探訪で歩きまわっていたら、まったく偶然に一枚の銅板に出会わしたことがある。それは「STUDY TO BE QUIET」というのである。私の釣りは技も心もまだまだこの一句から遠いところにあり、むしろ川岸にたつと、いよいよ心乱れてならないのである。 By 開高健 ※⇓「STUDY TO BE QUIET」の…
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開高健と生きる その26 臆病はしばしば

臆病はしばしば性急や軽躁と手を携えるものだが、賢明は耐えること―耐え抜くことを知っている。 By 開高健 武将の陥りやすい三大失観。一、分別ある者を悪人と見ること 一、遠慮ある者を臆病と見ること 一、軽躁なる者を勇剛と見ること。 By 武田信玄 冷静で賢明な判断をせよ。必ず大物は釣れる。 By ジュンチャン
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開高健と生きる その25 釣りをしているときは

釣りをしているときは外からは静かに見えるけど、実は妄想のまっただ中にある。このとき考えていることといえば、原稿料のこと、〆切日のこと、編集者のあの顔この顔、それからもっと淫猥、下劣、非道、残忍。もうホントに地獄の釜みたいに頭の中煮えたぎってる。それが釣れたとなったら一瞬に消えて、清々しい虚無がたちこめる。 By 開高健 原稿…
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開高健と生きる その24 はなはだ不具な生物

私たちは、はなはだ不具な生物で、魚の棲めないところには人間も棲めないのだという鉄則を忘れて貪りつくし、掃滅し、何十匹釣ったといって去年得意になり、今年はうなだれ、自分の不具さをちっともさとることがなかった。 By 開高健 人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較し…
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開高健  オーパ!!

 憧れのアマゾンとアンデスだが、いろんな作家がアマゾンのことを書いている。  僕は、中でも開高健の「オーパ!」に魅かれる。  アマゾンの本拠地ブラジルでは、驚いた時や感嘆した時に「オーパ!」という。  この本は、そんな驚きの連続となる彼のブラジル釣行の記録である。  でも、この…
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開高健と生きる その23 遊びはつまり

遊びはつまり何らかの意味で自分を征服し、拡大することにある。それは相手を殺すということではない。スポーツマンは征服するけれども支配しない。 By 開高健 丘の上で菜穂子が絵を描いているシーンがありますけど、あれはふつうに描くと人物が荒くなってしまうので、その部分だけ160%に拡大して、菜穂子だけ大きく描いて、縮小してはめ込ん…
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開高健と生きる その22 ウイスキーは人を

ウイスキーは人を沈思させ、コニャックは華やがせるが、どうしてかぶどう酒は人をおしゃべりにさせるようである。 By 開高健 旅行に於て、旅行下手の人の最も閉口するのは、目的地へ着くまでの乗物に於ける時間であろう。すなわちそれは、数時間、人生から「降(お)りて」居るのである。それに耐え切れず、車中でウイスキーを呑み、それでもこら…
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開高健と生きる その21 敗戦はわが国にとって

敗戦はわが国にとって空前の体験であったが、いっさいの言論と表現の自由が許されたあとで“戦争”というものをふりかえってみればいかにそれが数知れぬ顔を持つ怪物であるかが、やっと、おぼろげながらも、知覚されたのだった。 By 開高健 言論の自由を守るには、法律だけでは不十分です。人々が処罰されることなく、自分の見解を述べるためには…
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開高健と生きる その20 ネズミ料理

東南アジアへ出かけていく折があれば必ず、ネズミ料理を食べることにしている。その肉はあっさりとして食用ガエルやトリ肉に似ているが、カエルのように水っぽくはなく、トリよりは野性味があり、もっとコクがあって精妙である。 By 開高健 カエルを二匹飲み込まねばいけないときは、大きい方から飲み込むこと。それと、あまり長いあいだ見つめな…
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開高健と生きる その19 釣りの話しをするときは

釣りの話しをするときは両手を縛っておけ。 By 開高健 恋人も作らずに女を知ろうなどというのは、ちょうど釣り人が糸を振り回しただけで魚を知った気になるようなものである。 By ジュール・ルナール 細かいことを気にすると、人生は浪費される。 たいていのことは、両手の指十本で足りる。 それで足りなきゃ両足の指がある。…
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開高健と生きる その18 心はアマ

心はアマ、腕はプロ。 By 開高健 プロの作家とは、書くことをやめなかったアマチュアのことである。 By リチャード・バック アマチュア釣り師で、どこの釣り場も満員だ。 By ジュンチャン
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開高健と生きる その17 ニジマスが海に 

ニジマスが海におりたのを”スチール・ヘッド”と呼ぶが、そのときは腹の虹のバンドが消えてただのマスとなり、海からふたたびあがってくると、虹がまたあらわれてくるのだ。どうしてか淡水は住人を華麗に仕立てるようである。 By 開高健 私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する。 By 村上春樹 雨上がりの虹は、やがて消えてしまうが…
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開高健と生きる その16 ハンティングの体験は

ハンティングの体験は深いものだったね。一発のライフルの銃声が引き起こしたものはいっぱいありまして、私はいまも戸惑っているようなところがある。 By 開高健 税制に無関心でいて、税務署を怖がる。銃声は怖がるくせにそれをもつ人間は怖がらない、山の動物とたいした違いはない。 By 星新一 今さら核を一発二発持ったところで、…
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