テーマ:越前と若狭の旅

越前と若狭の旅 その23 平泉寺白山神社拝殿などを歩く

 アの白山神社社務所を出て、鬱蒼とした杉並木が両側にそびえ立っている、二の鳥居まで続く真っ直ぐな参道を歩いていく。  地面の苔も見事だし、杉並木から降り注ぐ明るい光線も実に気持ちがいい。  凛とした気分のままで、静寂の世界を歩いていく。  参道の脇に平泉寺の名前の由来になったという御手洗池があった…
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越前と若狭の旅 その22 平泉寺白山神社に向かう

 今日7月29日(水)の日程は下記のとおりである。  昨日は足羽川に沿って走行し、その後美濃街道を走ったが、今日の旅は九頭竜川本流を一日かけて下る旅である。  まず黄線の道路を走り、平泉寺白山神社に向かった。  平泉寺白山神社は、福井県勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する神社で、717年に泰澄によって…
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越前と若狭の旅 その21 越前大野の俵屋旅館に宿泊

 再び越前大野の町に戻って大雨の中街中を少し散策したが、そのことは省略する。  今夜は越前大野で泊まることとし、宿は1泊2食付き6264円の格安料金の俵屋旅館とした。  この宿の創業は天保元年(1830年)とのことで、まるで時代劇に登場するような寺小屋風の木造の2階建ての建物が印象的で…
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越前と若狭の旅 その20 感動の宝慶寺への旅(k)

 永平寺を出て、越前大野市と池田町の境あたりに位置する曹洞宗の第二道場である宝慶寺という禅寺に向かった。  永平寺から足羽川沿いの黄線の道を走り、オレンジ矢印地点の宝慶寺を目指して進んでいく。  途中越前大野の街の越前そばえびす屋で昼食とした。  永平寺からここまで1時間程かかり、時間は午後1時半…
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越前と若狭の旅 その19 永平寺の法堂、山門などを見る

 承陽殿の次は法堂、禅師様の説法の道場で朝のお勤めなどの各種法要もここで行われる。  法堂(はっとう)は1843年の建築で、聖観音像を安置する。  法堂の中の内陣は絢爛豪華で、この中に聖観音像が安置されているという。  観音像には十一面観音、千手観音、如意輪観音など、多面多臂の変化観音と、こうした…
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越前と若狭の旅 その18 僧堂と承陽殿を見学

 傘松閣を出てこれから、僧堂、仏殿、承陽殿、法堂と見学していく。  永平寺の伽藍を上から見ると、こういうふうになっている。  建物一つ一つは実に重厚で、中庭の樹々も大きく育っている。  これらの建物を繋ぐ廊下もしっかりした造りである。  山門の前から仏殿の方角を眺めた景色であるが、…
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越前と若狭の旅 その17 傘松閣まで見学

 見学の経路は赤線に従い、伽藍と伽藍を結ぶ廊下を通って一回も靴を履くことなく黄矢印の方向に進んでいく。  この図の通り歩いてまた元の場所に戻って来るのである。  まず、吉祥閣一階から二階に上がる。  吉祥閣から傘松閣へ向かう廊下に、十枚以上のパネルが展示されていた。  面白く読んだので、幾…
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越前と若狭の旅 その16 永平寺に到着 (k)

 一乗谷の次は永平寺町の永平寺である。  赤字①の箇所に永平寺があり、黄線の道路を走ってそこを目指し、それから再び同じ道を戻って、今度は青線の美濃街道を走って赤字②の越前大野を目指す。  まず赤字①の永平寺に向かった。  永平寺は思ったよりずっと山の中にあった。  司馬遼太郎はここを素通りしたが、…
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越前と若狭の旅 その15 朝倉氏の遺構を歩く

 これから一乗谷川を渡って対岸にある朝倉氏の遺構を見ていく。  一乗谷川を渡る際に渓流魚でもいるのではないかと思ったが、イワナの姿もヤマメの姿も見えなかった。  朝倉氏の遺構については、赤字い;中の御殿と赤字ろ;朝倉館の二箇所を見て回る。  これから赤字い;中の御殿遺構に向かうが、右方向には今回の…
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越前と若狭の旅 その14 復元武家屋敷と武家屋敷跡を覗く

 この道路を突き当りまで進んでいく。  日本海側を進んでいた台風12号が温帯低気圧となり、その残滓で天気が小雨交じりとなっていて、昨日までの34度〜35度の世界と違ってクールな一日となっている。  道が突き当たったので左へ曲がると、どうやらここが突き当りのどん詰りのようである。  こ…
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越前と若狭の旅 その13 復元町並を歩く

 ここで復元町並に入る前に一乗谷遺跡の全体図を紹介する。  遺跡はこのようにとても広大なので、赤字A;復元町並と赤字B;義景館跡などの二箇所を見るにとどめた。  それでは復元町並に入っていく。  ここが復元町並の入口で、垣根に沿って左手に入っていく。  ガイドの方がツアーの方々を集めて、さ…
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越前と若狭の旅 その12 一乗谷朝倉氏遺跡に入る

 一乗谷朝倉氏遺跡は、福井市街の東南約10キロメートル、九頭竜川水系足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あい(一乗谷、東西約500メートル、南北約3キロメートル)に築かれた戦国時代の城下町と館跡および背後の山城の遺跡である。  一乗谷は、東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、周辺の山峰には城砦や見張台が…
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越前と若狭の旅 その11 鯖江第一ホテルから一乗谷朝倉氏遺跡へ

 今夜の宿は鯖江第一ホテルである。  鯖江は武生の隣の町なので、紫式部公園からは1時間もかからずに広い駐車場のあるホテルに到着した。  朝食付きで4,950円という値段なのでそう期待もせずに値段なりのこのホテルでくつろいだ。  夕食はホテルのフロントの方から周辺飲食店マップなるものをいただき、その…
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越前と若狭の旅 その10 紫式部公園散策

 越前国府推定地跡の見学を終え、次に紫式部公園を目指した。  平安の世の996年、紫式部の父である藤原為時が越前守(現在でいう県知事)に任ぜられ、母親を幼くして亡くしていた紫式部は京から父とともに越前国へ下った。  越前国の敦賀にはかつて松原客館という渤海使節の滞在する外交施設があり、すでに渤海国は滅亡していたが松原…
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越前と若狭の旅 その9 越前国府への旅

 武生の越前国の国府があったと推定されている黄矢印の指している場所を目指して車を進めている。  2時間程走って、午後2時40分にJR武生駅に到着した。  駅の観光案内所でパンフレットを貰い、ついでに越前国府跡までの道と紫式部公園までの道を教えてもらった。  まず、越前国府推定地跡であるが、ここま…
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越前と若狭の旅 その8 越中国の国府推定地への旅 

 三国湊の見学を終え、これから武生(現越前市)に向かう。  最初に記したが、新潟県を含む現在の北陸地方は古来は高志国と言われていて、8世紀以降に越国と言われるようになった。  律令時代に入ると越国は分割されて、越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国に分割され、それぞれの国に国府がおかれたのである。  国府とは…
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越前と若狭の旅 その7 旧森田銀行を見学 

 次にり;旧森田銀行の見学である。  旧森田銀行は明治期に福井県三国町で設立された銀行で、1894年に三国湊で北前船の廻船業であった森田家当主の森田三郎右衛門によって設立され、その後順調に業績が拡大し、福井県内において福井銀行そして同じ廻船業者設立の大和田銀行に次ぐ有力銀行の地位を占めた。  その後金融恐慌を受けるなどい…
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越前と若狭の旅 その6 旧岸名家を見学

 家の中は通り庭となっている。  通り庭は民家の土間のことで,表口から裏口へ通り抜けられるようになっているもので、京都や特に大阪の商家では一般的で、ここ三国の商家も同じ造りである。  通り庭には笏谷石(しゃくだにいし)が使われている。  この石は凝灰岩の一種で福井県福井市の足羽山で採掘される石材で、江戸時…
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越前と若狭の旅 その5 三国湊口留番所跡などを見学 

 続いて、へ;三国湊口留番所跡、と;湊銭取立所跡を散策した。  最初に三国湊口留番所跡である。  この番所は口留御番所ともいわれ、福井藩が三国湊に出入りする貨物を監視するために置いたもので、1644年に町端から丸岡藩滝谷出村との地境の現在地に移転した。  出入りの貨物には種類により銀高に口銭一分から三分を…
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越前と若狭の旅 その4 三国湊の旧遊郭地帯を散策する

 次にろ地点の地蔵堂である。  ここの地蔵は延命子安(安産と子授けのお地蔵さま)とのことである。  またこの傍の坂は地蔵坂と呼ばれ、この近くには三国湊の世に名高い遊郭があったという。  その地蔵坂を、これから下って行く。  ここは昭和を代表する詩人三好達治が愛したという、元料亭「たかだや」…
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越前と若狭の旅 その3 三国湊散策は高見順の生家から

 古来より三国湊は九頭竜川やその支流の足羽川などを使った水運による物流の拠点として発達し、戦国時代の武将朝倉義景が居城を構えた一乗谷朝倉氏遺跡内の庭園跡には、船によって運ばれてきた東尋坊周辺の岩が庭石として残っている。  また、朝倉氏の後福井を治めた柴田勝家も水運を重視し、足羽川近くに居城北の庄城を構え、荷揚げ用の港を設けていた…
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越前と若狭の旅 その2  九頭竜川河口に到着

 九頭竜川は福井県の面積の約70%にあたる2,930km²もの流域面積を持つ福井県一の大河にして福井県のシンボルとなっている川である。  岐阜県との県境にある油坂峠付近に源を発し、九頭竜ダムを経て大野盆地・勝山盆地を北西に進み、福井平野にて足羽川と日野川を合わせ、坂井市三国湊で日本海に注いでいる。  こ…
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越前と若狭の旅 その1 越国(こしのくに)のことと越前入りまで (K)

 かって越国(こしのくに)と呼ばれた地域があった。(下図の赤く塗られた地域)  現在の福井、石川、富山、新潟の各県にまたがる地域で、ヤマト王権の勢力が十分に及ばない日本海側の地域でありながら、朝鮮半島や大陸からの交通路になっていて、先進文化が栄えていた。  645年の大化の改新の頃までは、越国の西端は若狭国と越…
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