テーマ:越前と若狭の旅

越前と若狭の旅 その46 若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学

熊川宿から小浜を目指して鯖街道を引き続き走り、その途中で明通寺の国宝である三重塔と本堂を見学したが、ここは省略する。 その代わり、福井県立若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学したので紹介する。 若狭歴史博物館は若狭地方の歴史・民俗など、豊かな文化遺産を調査研究、保存・公開するための施設として、昭和57年10月に若狭歴史民俗資料館として…
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越前と若狭の旅 その45 「熊川宿」を歩く

鯖街道を走って行くと、「御食国(みけつくに)」という言葉に出会った。 御食国とは、古代から平安時代まで、皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ国のことである。 既に若狭に入っているが、ここ若狭は朝廷の食卓を支えた御食国の一つで、都とは古代から交流していた。 近江から若狭に入っていくらも行…
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越前と若狭の旅 その44 海津散策後、鯖街道へ

海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり、同時に港町でもある。 この通りをこのまま進んで行くと、琵琶湖湖岸側に風や波から家を守るために造られた石積みが目に入って来た。 これが「海津浜の石積」と呼ばれているものである。 1701年に甲府藩領高島郡の代官として赴任した西与一左衛門は、風波の…
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越前と若狭の旅 その43 渤海国の使節のこと

西近江路を海津に向かって走っている。 この辺りは敦賀市追分で、もしかすると愛発関がこのあたりにあったのかもと思って、車を停めてしばらくあたりの風景を眺めた。 西近江路を更に走ること5分程、大津まで76km、京都まで89kmと書かれた道路標識が前方に見えて来た。 あと90kmもこの道を走れば京都である…
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越前と若狭の旅 その42 気比の松原から愛発関へ

朝食前に少しの時間ではあるが、敦賀市の景勝地である気比松原を散策したので、気比の松原を紹介してから竹野旅館を出発とする。 気比の松原には朝の6時半頃に付き、ここを20分程ほど散策した。 この松原は日本三大松原の一つとされ、1934年に国の名勝に指定されていている。 古くから景勝地として知られていて、万葉集や日本書紀…
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越前と若狭の旅 その41 疋檀城跡見学後、敦賀の旅館へ

これから疋田集落にある歴史的旧跡である疋檀城跡に向かう。 疋壇城は室町時代の文明年間(1469〜1487年)に朝倉氏の部将・疋壇久保によって築かれた。 疋田の地は、柳ヶ瀬越・塩津越・海津越といった越前と近江を結ぶ道が集まる交通・軍事上の要衝であり、越前朝倉氏の最南端防衛拠点として築城されたものである。 疋壇城跡は疋…
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越前と若狭の旅 その40 疋田集落を歩く

 塩津街道は近江と越前を結ぶ古くから使われてきた街道である。 塩津から敦賀に抜ける道には二つのルートがあり、古くは沓掛から深坂峠を越えて西近江路の追分宿に出る道(深坂古道)が使われていたが、険しい山道をさけて後年新道野峠をこえる道が開削された。 現在の国道8号の原形で、この道は西近江路の疋田宿に出る。 …
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越前と若狭の旅 その39 賤ヶ岳古戦場から塩津まで

木之本から賤ヶ岳古戦場を目指した。 ここで行われた賤ヶ岳の戦いは、1583年に賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉と織田家最古参の重臣柴田勝家との戦いである。 秀吉はこの戦いに勝利することによって、亡き織田信長が築き上げた権力と体制の正統な継承者となったのである。 賤ヶ岳合戦跡は余呉湖の周辺に沢山あり、今回の旅の目的には入…
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越前と若狭の旅 その38 北国街道(東近江路)をゆく

これから「北国街道」をゆく。 北国街道とは、奈良や京都の都から北陸地方へ延びていた旧街道で、7世紀半ば(飛鳥時代)に築かれた渟足柵(現在の新潟市沼垂付近)がこの道の終着地点となっていたというが、後に鼠ヶ関まで延伸された。 僕がこれから駆け抜ける北国街道は今庄宿〜木之本宿~鳥居本宿と繋ぐ街道で、京都~海津〜敦賀と繋ぐ琵琶湖西岸を走る西…
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越前と若狭の旅 その37 北国街道の宿場町「今庄」でソバの昼食

織田一族発祥地を発ち、そこから10分程車を走らせ越前陶芸村に着いた。 越前陶芸村は越前焼発祥の地である越前町小曽原にある広大な陶芸公園で、福井県陶芸館や文化交流会館、越前焼直売所、芝生広場、陶彫公園、陶芸家の工房など、越前焼に関するさまざまな施設が揃っている場所である。 越前焼の誕生は今から約850年前の平安時代末期…
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越前と若狭の旅 その36 越前岬と「織田一族発祥地」を見学

越前岬は福井県丹生郡越前町血ヶ平に位置し、日本海(若狭湾東端)に面して越前海岸が緩く突出する地点にあり、ここは越前海岸一の絶景の地とのことでぜひ一度訪れたかった。 しかし、越前岬を探している間に、いつの間にか岬上の海抜133m地点に立つ越前岬灯台の駐車場まで来た。 駐車場からは白亜の越前岬灯台が見え、…
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越前と若狭の旅 その35  宝永旅庵から越前海岸まで

今夜の宿は養浩館の近くにある宝永旅庵である。 夕食は近くのローソンでマグロ巻きと鱒寿司と350mlの缶ビールを2本買って部屋で食べたが、夕食代は1,187円で予算内である。 朝起きて部屋から外を眺めた風景である。 今日はまず越前岬まで行き、そこから北国街道で琵琶湖東岸まで行き、そこから塩津街道で敦賀…
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越前と若狭の旅 その33 北の庄城跡を見学

昼食後、福井を本拠地に選び現在の福井のまちの礎を築いたもう一人の武将である柴田勝家の居城である北ノ庄城があった北の庄城址公園に行った。 この辺り一帯に北ノ庄城本丸があり、向こうにある柴田神社の辺りに天守がそびえていたと推定されている。 上図は北ノ庄城下の推定復元図であるが、この薄茶の部分が城下である。 現在の地図と重ね合わせると、ほ…
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越前と若狭の旅 その32 福井城址跡を見学

この後、福井県立歴史博物館で時代の流れを追いながら福井県の歴史ざっと見たりして1時間程過ごしたが、ここは省略する。 時間は昼ころになっていたが、これから福井を本拠地に選び、現在の福井のまちの礎を築いた二人の武将を訪ねる。  一人は結城秀康、もう一人は柴田勝家である。  まず、結城秀康の居城のあった福井城址跡から見ていく。 …
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越前と若狭の旅 その31 足羽神社と継体天皇像

橘曙覧記念文学館の次は足羽神社である。 足羽神社は、福井県福井市足羽に鎮座する神社で、継体天皇と大宮地之霊が祀られている。 男大迹王(継体天皇)が越前国にいる時に越前平野の大治水事業をされたが、その時に越前平野が一望できる足羽山に宮を建て、朝廷に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を勧請して事業の安全を祈願したのが足羽神…
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越前と若狭の旅 その30  橘曙覧記念文学館にて

 今日は福井県の県庁所在地である福井タウンを一日散策、宿泊も福井である。 当初の日程であるが、実際には日程通りには行かなかった。 まずあわら温泉を午前8時に出発して一路福井市の足羽山を目指したが、交通渋滞等に巻き込まれたりして、予定1時間のところを1時間半程かけて、午前9時半頃に足羽山下の公園駐車場に到着した。 …
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越前と若狭の旅 その29 あわら温泉「あわらグランドホテル」に宿泊

今夜の宿は年間100万人を越す浴客が訪れる北陸屈指のあわら温泉とした。 宿泊は「あわらグランドホテル」で、2ケ月程前からネット予約で予約したので、ホテルの別館宿泊ではあるが素泊まり4,980円という格安料金で泊まれた。 あわら温泉は昔低湿な沼地で、明治16年に町内堀江十楽のひとりの農民が灌漑用の水を求めて水田に井戸を…
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越前と若狭の旅 その28 東尋坊と雄島を散策

丸岡城から1時間程走って、九頭竜川の河口部にある東尋坊へ到着した。 東尋坊は恐竜博物館、永平寺と並んで福井県が誇る最大の観光名所で、ここへ行く前に、海抜100m、地上55mの東尋坊タワーに上がった。 展望台からは、白山連峰をはじめ、越前海岸、東尋坊などが一望できるが、視線の方向…
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越前と若狭の旅 その27 丸岡城を見学

これから赤字Bの丸岡城に向かう。 この城は戦国時代の1576年に一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の柴田勝豊に築かせた城で、国内に現存する12の天守閣の中で、最古の建築様式を有する平山城である。 丸岡城には午後1時30分頃に着いた。 丸岡城はその昔戦があるたびに大蛇が現れ、一面に霞を吹いて城を隠し敵…
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越前と若狭の旅 その26 越前竹人形の里を見学

恐竜たちと別れて、これから九頭竜川沿いの勝山街道を一気に河口まで下って行く。 恐竜博物館は黄星印の地点で、まず赤字A;越前竹人形の里、それから赤字B;丸岡城を目指して進んでいく。 出発してから20分程走って、小さなねむの木が花を咲かせている九頭竜川の川べりに停車し、小休止しながら川の上流の方角を眺めた…
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越前と若狭の旅 その25 福井県立恐竜博物館を見学

平泉寺白山神社の次に、勝山市にある福井県立恐竜博物館を訪ねたが、ここではいっそう考古学者に憧れていた頃(高校時代のこと)を思い出した。 福井県立恐竜博物館は恐竜に関する資料を展示した恐竜に関する国内最大級の博物館で、銀色に光るドームの内部にある展示室は、「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」の3つのゾーンから構成されている。 4…
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越前と若狭の旅 その24 平泉寺南谷発掘地を歩く

中世の平泉寺は宗教都市とよべる性格を備えていて、境内の中心部分は東西方向の細長い尾根上にあって社殿や堂塔が建ち並び、これを挟んだ南北両側の谷には多数の坊院(僧の住居)が密集して建っていた。 延暦寺が三千坊といわれた時代に六千坊とうたわれ、白山麓の巨大宗教都市となっていたのである。 これから三千六百の坊院が建っていたと…
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越前と若狭の旅 その23 平泉寺白山神社拝殿などを歩く

アの白山神社社務所を出て、鬱蒼とした杉並木が両側にそびえ立っている、二の鳥居まで続く真っ直ぐな参道を歩いていく。 地面の苔も見事だし、杉並木から降り注ぐ明るい光線も実に気持ちがいい。 凛とした気分のままで、静寂の世界を歩いていく。 参道の脇に平泉寺の名前の由来になったという御手洗池があったが、立ち止…
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越前と若狭の旅 その22 平泉寺白山神社に向かう

 今日7月29日(水)の日程は下記のとおりである。  昨日は足羽川に沿って走行し、その後美濃街道を走ったが、今日の旅は九頭竜川本流を一日かけて下る旅である。 まず黄線の道路を走り、平泉寺白山神社に向かった。 平泉寺白山神社は、福井県勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する神社で、717年に泰澄によって開かれたとい…
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越前と若狭の旅 その21 越前大野の俵屋旅館に宿泊

再び越前大野の町に戻って大雨の中街中を少し散策したが、そのことは省略する。 今夜は越前大野で泊まることとし、宿は1泊2食付き6264円の格安料金の俵屋旅館とした。 この宿の創業は天保元年(1830年)とのことで、まるで時代劇に登場するような寺小屋風の木造の2階建ての建物が印象的で、玄関の庇が大きく張り出していた。 …
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越前と若狭の旅 その20 感動の宝慶寺への旅

永平寺を出て、越前大野市と池田町の境あたりに位置する曹洞宗の第二道場である宝慶寺という禅寺に向かった。 永平寺から足羽川沿いの黄線の道を走り、オレンジ矢印地点の宝慶寺を目指して進んでいく。 途中越前大野の街の越前そばえびす屋で昼食とした。 永平寺からここまで1時間程かかり、時間は午後1時半となってい…
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越前と若狭の旅 その19 永平寺の法堂、山門などを見る

承陽殿の次は法堂、禅師様の説法の道場で朝のお勤めなどの各種法要もここで行われる。 法堂(はっとう)は1843年の建築で、聖観音像を安置する。 法堂の中の内陣は絢爛豪華で、この中に聖観音像が安置されているという。 観音像には十一面観音、千手観音、如意輪観音など、多面多臂の変化観音と、こうした超人間的な…
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越前と若狭の旅 その18 僧堂と承陽殿を見学

傘松閣を出てこれから、僧堂、仏殿、承陽殿、法堂と見学していく。 永平寺の伽藍を上から見ると、こういうふうになっている。 建物一つ一つは実に重厚で、中庭の樹々も大きく育っている。 これらの建物を繋ぐ廊下もしっかりした造りである。 山門の前から仏殿の方角を眺めた景色であるが、なかなかの…
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越前と若狭の旅 その17 傘松閣まで見学

見学の経路は赤線に従い、伽藍と伽藍を結ぶ廊下を通って一回も靴を履くことなく黄矢印の方向に進んでいく。 この図の通り歩いてまた元の場所に戻って来るのである。 まず、吉祥閣一階から二階に上がる。 吉祥閣から傘松閣へ向かう廊下に、十枚以上のパネルが展示されていた。 面白く読んだので、幾枚か紹介する。 …
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越前と若狭の旅 その16 永平寺に到着

一乗谷の次は永平寺町の永平寺である。 赤字①の箇所に永平寺があり、黄線の道路を走ってそこを目指し、それから再び同じ道を戻って、今度は青線の美濃街道を走って赤字②の越前大野を目指す。 まず赤字①の永平寺に向かった。 永平寺は思ったよりずっと山の中にあった。 司馬遼太郎はここを素通りしたが、ここは良かった。 …
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