テーマ:能登(日本道)への道

能登(日本道)への道 その8 能登島ドライブの旅の始まり

 院内勅使塚古墳を見終えると、昼食のために七尾市街に戻った。  昼食は上地図の能登食祭市場である。  この市場の正式名称は七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場といい、七尾市の姉妹都市であるモントレーが位置するアメリカ合衆国カリフォルニア州の沿岸都市に多く見られる観光地「フィッシャーマンズワーフ(漁師の波止場の意…
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能登(日本道)への道 その7 院内勅使塚古墳へ

 実際には行かなかった七尾城跡の代わりに、七尾市街地から南南西へ6km、JR徳田駅から徒歩5分の位置にある院内勅使塚古墳に行った。  車で20分ほどでJR徳田駅に到着、駅で電車待ちをしていた七尾東雲高の生徒と思われる男子高校生達に院内勅使塚古墳までの道順を聞き出して、さっそく歩き出した。  こんな王朝時代…
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能登(日本道)への道 その6 七尾城跡前で 

 近くにいた人に聞いたら車で10分ほどでいけるという七尾城跡や城山展望台だが、レンタカーを完全に把握してないこともあり、理性が慎重に行動することを要求したので、今回は城跡へ行くのはやめて、懐古館や七尾城史資料館を見るにとどめた。  懐古館は旧飯田家の建物である。  約200年前に建てられた茅葺き民家で、戸…
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能登(日本道)への道 その5 国守の印と、正倉を祀る印鑰(いんにゃく)神社を見学(k)

 印鑰神社の次に、30分ほどかけて能登国分寺跡に向かった。  この黄矢印の地点の能登国分寺公園内に能登国分寺跡がある。  まず能登国分寺展示館に入って、国分寺跡の概要を知り資料等をいただいた。  能登国分寺は、かつてこの地方を支配していた能登臣(のとのおみ)の一族が白鳳時代末に建てた大興寺を、843年に…
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能登(日本道)への道 その4 石川県立七尾美術館で長谷川等伯展を見学

 山の寺寺院群をさわりだけ散策して、これから石川県立七尾美術館に向かって歩いていく。  靴の調子も心配しながら、その後20分以上歩いて七尾美術館に到着した。  七尾美術館はドーム型の七つの屋根が特徴的な能登唯一の総合美術館で、能登にゆかりのある作品を中心に優れた作品を展示している。  春には、桃山時代に…
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能登(日本道)への道 その3 山の寺寺院群のさわり部分を散策

 小丸山公園を出て、七尾の街をどう歩こうか思案していたが、初日はいつもの履き慣れた靴の代わりに、主に肉体労働をする人たちのための商品を扱っている店から安くて丈夫な靴を使って歩いていたが、どうもこの日はこの靴の調子が悪くて、見学箇所を大幅に縮小することにした。  これから山の寺寺院群に向かって歩いて行く。  山の寺寺院群…
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能登(日本道)への道 その2 前田利家の小丸山城散策

 今日は七尾まで到着することを最優先していたので、午後からの日程はかなりいい加減で、出発前日に前田利家関連の資料をネットから引き出し、「前田利家と七尾」というテーマで前田利家ゆかりの旧跡を訪ねることにした。  七尾駅前で長谷川等伯の像が立っていたので、その前で七尾へ来て初めての記念撮影をした。  長谷川等伯については、後で七尾美…
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能登(日本道)への道 その1 七尾まで

 「能登(日本道)への道」は2017年5月16日から始まった。  この頃の旅は日本の国の中では一部の地域を除いてほぼ好転に恵まれるので、安心して旅に出れるが、1週間予報で雨の日が無くても、一応の用心として雨具や傘はリュックに入れて、旅に出発した。  靴もいつもの履き慣れた靴を今回はやめて、主に肉体労働をする人たちのための商品を扱…
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能登(日本道)への道 プロローグ

 2017年春5月に旅した「能登(日本道)への道」は2015年に旅した「越前と若狭の旅」に続く旅である。  この旅の途中で石川県を通過したが、能登へは行かずじまいであった。  まだ日本でなかった時代のことだが、今の福井県から新潟県に渡って、越国(こしのくに)と呼ばれた地域があった。  この上図で赤く塗られた広大な…
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