テーマ:茶道

岡倉天心 茶の本 第七章  茶の宗匠(最終章)

 宗教においては未来がわれらの背後にある。 芸術においては現在が永遠である。 茶の宗匠の考えによれば芸術を真に鑑賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である。 ゆえに彼らは茶室において得た風流の高い軌範によって彼らの日常生活を律しようと努めた。 すべての場合に心の平静を保たねばならぬ、そして談話は周囲の調和を決して乱…
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岡倉天心 茶の本 第六章  花 その5 花の死

 花道の生まれたのは十五世紀で、茶の湯の起こったのと同時らしく思われる。 わが国の伝説によると、始めて花を生けたのは昔の仏教徒であると言う。 彼らは生物に対する限りなき心やりのあまり、暴風に散らされた花を集めて、それを水おけに入れたということである。 足利義政時代の大画家であり、鑑定家である相阿弥は、初期における花道の大家の一人であった…
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岡倉天心 茶の本 第六章  花 その4 様々な花の話

 東洋では花卉栽培の道は非常に古いものであって、詩人の嗜好とその愛好する花卉はしばしば物語や歌にしるされている。 唐宋の時代には陶器術の発達に伴なって、花卉を入れる驚くべき器が作られたということである。 といっても植木鉢ではなく宝石をちりばめた御殿であった。 花ごとに仕える特使が派遣せられ、兎の毛で作ったやわらかい刷毛でその葉を洗うので…
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岡倉天心 茶の本 第六章  花 その3 西洋での花の運命

 西洋の社会における花の浪費は東洋の宗匠の花の扱い方よりもさらに驚き入ったものである。  舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数はなかなか莫大なものに違いない。  いっしょにつないだら一大陸を花輪で飾ることもできよう。  このような、花の命を全く物とも思わぬことに比ぶれば、花の宗匠の罪は取るに足らな…
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岡倉天心 茶の本 第六章 芸術鑑賞 その2 花の過酷な運命(k)

 飢渇のほか何物もわれわれに対して真実なものはなく、われらみずからの煩悩のほか何物も神聖なものはない。  神社仏閣は、次から次へとわれらのまのあたり崩壊して来たが、ただ一つの祭壇、すなわちその上で至高の神へ香を焚たく「おのれ」という祭壇は永遠に保存せられている。  われらの神は偉いものだ。金銭がその予言者だ!  われらは神へ奉納す…
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岡倉天心 茶の本 第六章 芸術鑑賞 その1 花なくてどうして生きて行かれよう(k)

 春の東雲のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけのありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。 人間について見れば、花を観賞することはどうも恋愛の詩と時を同じくして起こっているようである。 無意識のゆえに麗しく、沈黙のために芳しい花の姿でなくて、どこに処女の心の解ける姿…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その4 真の鑑賞力

 現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない これに連関して小堀遠州に関する話を思い出す。 遠州はかつてその門人たちから、彼が収集する物の好みに現われている立派な趣味を、お世辞を言ってほめられた。 「どのお品も、実に立派なもので、人皆嘆賞おくあたわざるところであります。これによって先生は、利休にもまさる趣味をお持ちにな…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その3 暗示の価値

暗示の価値  大家は、東西両洋ともに、見る人を腹心の友とする手段として、暗示の価値を決して忘れなかった。 傑作をうちながめる人たれか心に浮かぶ綿々たる無限の思いに、畏敬の念をおこさない者があろう。 傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らしているではないか。 これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややかなものではないか。 前…
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 名人とわれわれの間の内密の黙契

宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」 現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。 われわれは、手のつけようのない無知のために、…
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岡倉天心 茶の本 第五章 その1 芸術鑑賞

茶の本 第五章 芸術鑑賞 美術鑑賞に必要な同情ある心の交通――名人とわれわれの間の内密の黙契――暗示の価値――美術の価値はただそれがわれわれに語る程度による――現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない――美術と考古学の混同――われわれは人生の美しいものを破壊することによって美術を破壊している その1 美…
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岡倉天心「茶の本」 第四章 茶室 その5 重複を避ける 

人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。 茶室においては、自己に関連して心の中に全効果を完成することが客各自に任されている。 禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術は均斉ということは完成を表わすのみならず重複を表わすものとしてことさらに避けていた。 意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられ…
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岡倉天心 茶の本 第四章 茶室 その4 茶室は芸術的精神の聖堂

 茶室はある個人的趣味に適するように建てらるべきだということは、芸術における最も重要な原理を実行することである。 芸術が充分に味わわれるためにはその同時代の生活に合っていなければならぬ。 それは後世の要求を無視せよというのではなくて、現在をなおいっそう楽しむことを努むべきだというのである。 また過去の創作物を無視せよというのではなくて、…
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岡倉天心 茶の本 第四章 茶室 その3 茶室は仮の宿

 これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。 利休はその子紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていた。 紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた。 いやいやながら一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もするこ…
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岡倉天心の「茶の本」 第四章 茶室 その2 茶室は簡素で清浄

茶室の簡素清浄は禅院の競いからおこったものである。 禅院は他の宗派のものと異なってただ僧の住所として作られている。 その会堂は礼拝巡礼の場所ではなくて、禅修行者が会合して討論し黙想する道場である。 その室は、中央の壁の凹所、仏壇の後ろに禅宗の開祖菩提達磨の像か、または祖師迦葉と阿難陀をしたがえた釈迦牟尼の像があるのを除いてはな…
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茶の本 第四章 茶室 その1 茶室は芸術作品

石造や煉瓦れんが造り建築の伝統によって育てられた欧州建築家の目には、木材や竹を用いるわが日本式建築法は建築としての部類に入れる価値はほとんどないように思われる。ある相当立派な西洋建築の研究家がわが国の大社寺の実に完備していることを認め、これを称揚したのは全くほんの最近のことである。わが国で一流の建築についてこういう事情であるから、西洋と…
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茶の本 第三章 道教と禅道 その5 人生の些事の中にでも偉大を考える

禅は正統の仏道の教えとしばしば相反した、ちょうど道教が儒教と相反したように。禅門の徒の先験的洞察に対しては、言語はただ思想の妨害となるものであった。仏典のあらん限りの力をもってしても、ただ個人的思索の注釈に過ぎないのである。禅門の徒は事物の内面的精神と直接交通しようと志し、その外面的の付属物はただ真理に到達する阻害と見なした。この絶対を…
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茶の本 第三章 道教と禅道 その4 南天に北極星を識るの術

さて禅に注意を向けてみると、それは道教の教えを強調していることがわかるであろう。禅は梵語の禅那(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮である。精進静慮することによって、自性了解の極致に達することができると禅は主張する。 静慮は悟道に入ることのできる六波羅密の一つであって、釈迦牟尼にはその後年の教えにおいてこの方法を力説し…
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岡倉天心「茶の本」 第三章  道教と禅道 その3 道教と美学

 道教思想の雄渾なところは、その後続いて起こった種々の運動を支配したその力にも見られるが、それに劣らず、同時代の思想を切り抜けたその力に存している。 秦朝、といえばシナという名もこれに由来しているかの統一時代であるが、その朝を通じて道教は一活動力であった。 もし時の余裕があれば、道教がその時代の思想家、数学家、法律家、兵法家、神秘家、錬…
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岡倉天心「茶の本」 第三章  道教と禅道  その2 道教は南方シナ精神の象徴

 まず第一に記憶すべきは、道教はその正統の継承者禅道と同じく、南方シナ精神の個人的傾向を表わしていて、儒教という姿で現われている北方シナの社会的思想とは対比的に相違があるということである。  中国はその広漠たることヨーロッパに比すべく、これを貫流する二大水系によって分かたれた固有の特質を備えている。 揚子江と黄河はそれぞれ地中海とバル…
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岡倉天心「茶の本」 第三章  道教と禅道 その1 道教と禅道

 茶と禅との関係は世間周知のことである。 茶の湯は禅の儀式の発達したものであるということはすでに述べたところであるが、道教の始祖老子の名もまた茶の沿革と密接な関係がある。 風俗習慣の起源に関するシナの教科書に、客に茶を供するの礼は老子の高弟関尹(かんいん)に始まり、函谷関で「老哲人」にまず一碗の金色の仙薬をささげたと書いてある。 道教の…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の諸流 その5 茶道は道教の仮りの姿

 日本はシナ文化の先蹤を追うて来たのであるから、この茶の三時期をことごとく知っている。 早くも729年聖武天皇奈良の御殿において百僧に茶を賜うと書物に見えている。茶の葉はたぶん遣唐使によって輸入せられ、当時流行のたて方でたてられたものであろう。 801年には僧最澄、茶の種を携え帰って叡山にこれを植えた。 その後年を経るにしたがって貴族僧…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO4

 宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた、ちょうどその人生観が違っていたように。 宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。 新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界に映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。 永劫はこれただ瞬時-涅槃はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すとい…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO3(k)

 第五章において陸羽は茶のたて方について述べている。  彼は塩以外の混合物を取り除いている。 彼はまた、これまで大いに論ぜられていた水の選択、煮沸の程度の問題についても詳述している。 彼の説によると、その水、山水を用うるは上、江水は中、井水は下である。 煮沸に三段ある。 その沸、魚目のごとく、すこし声あるを一沸となし、縁辺の湧泉蓮珠のご…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO2

 四、五世紀のころには、揚子江流域住民の愛好飲料となった。 このころに至って始めて、現代用いている「茶」という表意文字が造られたのである。 これは明らかに、古い「た」の字(木余)の俗字であろう。 南朝の詩人は「液体硬玉の泡沫」を熱烈に柴拝した跡が見えている。 また帝王は、高官の者の勲功に対して上製の茶を贈与したものである。 しかし、この…
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茶の本 全文紹介 第2章 茶の庶流 NO1

茶は芸術品であるから、その最もけだかい味を出すには名人を要する。 茶にもいろいろある、絵画に傑作と駄作と-概して後者-があると同様に。 と言っても、立派な茶をたてるのにこれぞという秘法はない、ティシアン、雪村のごとき名画を作製するのに何も規則がないと同様に。 茶はたてるごとに、それぞれ個性を備え、水と熱に対する特別の親和力を持ち、世々相…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO5

 茶の味には微妙な魅力があって、人はこれに引きつけられないわけにはゆかない、またこれを理想化するようになる。 西洋の茶人たちは、茶のかおりとかれらの思想の芳香を混ずるに鈍ではなかった。  茶には酒のような傲慢なところがない。 コ ーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。 1711年にすでにスペタテイター紙…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO4

 不思議にも人情は今までのところ茶碗に東西相合している。 茶道は世界的に重んぜられている唯一のアジアの儀式である。 白人はわが宗教道徳を嘲笑した。 しかしこの褐色飲料は躊躇もなく受け入れてしまった。 午後の喫茶は、今や西洋の社会における重要な役をつとめている。 盆や茶托の打ち合う微妙な音にも、ねんごろにもてなす婦人の柔らかい絹ずれの音に…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO3

 かくのごとき誤解はわれわれのうちからすみやかに消え去ってゆく。 商業上の必要に迫られて欧州の国語が、東洋幾多の港に用いられるようになって来た。 アジアの青年は現代的教育を受けるために、西洋の大学に群がってゆく。 われわれの洞察力は、諸君の文化に深く入り込むことはできない。 しかし少なくともわれわれは喜んで学ぼうとしている。 私の同国人…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO2

 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。 一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。 しかるに満州の戦場…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO1

岡倉天心「茶の本」  原文は英語(原題"The Book of Tea")村岡博(1895-1946)氏翻訳全文掲載 第一章・人情の碗第二章・茶の諸流第三章・道教と禅道第四章・茶室第五章・芸術鑑賞第六章・花第七章・茶の宗匠 第一章・人情の碗 NO1  茶は薬用として始まり後飲料となる。 シナにおいては八世紀に…
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